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「愛国的リバタリアン」という怪物

★「愛国的リバタリアン」という怪物
***「内田樹の研究室 2017-6/12」より転載

金滿里さんが主宰する劇団「態変」の出している『イマージュ』という媒体が「相模原事件」を特集した。そこに事件についてのコメントを寄稿した。なかなか手に取ることのない媒体なので、ブログに採録しておく。
相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。それは単に権力者を挑発するための犯行予告ではなく、自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。
もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日本社会内部にはたしかに存在しているからである。
アナウンサーの長谷川豊は事件の直後の2016年9月に自身のブログに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」というタイトルの記事を投稿した。これには批判が殺到し、専門医からも事実誤認が指摘されたが、この人物を日本維新の会は千葉一区から衆院の立候補者として擁立するということが先日発表された。
重篤な病人や障害者に対する公然たる差別発言にはまだ一定の社会的な規制が働いており、有名人の場合には、それなりの批判を受けて、社会的制裁が課されているが、在日コリアン、生活保護受給者やLGBTなどの社会的弱者に対する差別や攻撃の発言はほとんど何のペナルティもないままに垂れ流しされている。
際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担して、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。もちろん、本人がそう「信じている」という信憑の問題もあるのだろうが、「そういうこと」を公言すると選挙で票が集まるという現実的な打算も同時に働いているはずである。
アメリカではドナルド・トランプ大統領が「弱者叩き」の代表格である。「ラストベルト」のプア・ホワイトたちの輿望を担って登場したはずのトランプだが、就任後実施された政策は富裕層への厚遇措置ばかりで、移民排斥や、海外企業の国内移転への圧力などの「雇用対策」は今ここにいる社会的弱者のためには何の利益ももたらしてはいない。選挙公約だったオバマケアの廃止は、それによって2400万人が医療保険を失うという予測が公表されて、さすがに与党共和党も加担できず、改廃法案を撤回するという騒ぎになった。アメリカの有権者はそのような人物を大統領に選んだのである。
これはおそらく全世界的な傾向である。社会的弱者たちは、自己責任で弱者になったわけであり、いわばそういう生き方を選択したのだから、政府や自治体が、公金を投じて彼らを支援することは「フェアではない」というロジックは目新しいものではない。これはアメリカ社会においては「リバタリアニズム(libertarianism)」というかたちで、建国当初からつねに伏流していた考え方である。アメリカが世界に冠絶する覇権国家となり、その国の作法や価値観が「グローバル化」したことによって、アメリカ的な「リバタリアニズム」もまたグローバル化したということだと私は理解している。
「セルフメイドマン(self made man)」というのは建国以来、理想とされてきたアメリカ市民像だが、要するに誰にも頼らず独立独行で自己実現を遂げることである。「リバタリアン(libertarian)」というのは、その過激化したかたちである。
リバタリアンは、人間は自分の運命の完全な支配者であるべきであり、他者であれ公共機関であれ、いかなるものも自分の運命に介入する権利はないと考える。だから、リバタリアンは政府による徴税にも、徴兵制にも反対する。当然ながら、社会福祉のための原資の提供にも反対する。
ドナルド・トランプが徴税と社会福祉制度につよい嫌悪感を示すのは、彼がリバタリアンの伝統に連なっていることを示している。トランプは選挙期間中に対立候補から連邦税を納めていないことを指摘されて、「すべてのアメリカ人は納税額を最小化するために日々知恵を絞っている。私が連邦税を払っていないのは私が賢いからである」と述べて支持者の喝采を浴びた。これは別に露悪的な発言をしたわけではなく、ほんとうにそう思っているからそう言ったのである。彼に喝采を送ったプア・ホワイトたちは、自分たちとは桁が違う大富豪であるトランプの「納税したくない」というリバタリアン気質が「自分と同じだ」と思って、その発言に賛意を評したのである。
トランプは軍務の経験も、行政の経験もないはじめての大統領だが、それは軍務に就くことも、公共機関で働くことも、どちらもリバタリアンとしては「やらないにこしたことはない」仕事だからである。アメリカの有権者たちは彼の「公的権力を用いて私利私欲を満たすが、公益のためには何もしない」という態度がたいそう気に入ったのである。
今の日本で起きている「弱者叩き」はアメリカ原産のリバタリアニズムが日本に漂着し、日本独特の陰湿なしかたで退廃したものだと私は理解している。トランプのリバタリアニズムはこう言ってよければ「あっけらかん」としている。ロシアとの内通疑惑が暴かれたことによって、彼が「愛国者」であるかどうかについてはアメリカ人の多くが疑問を抱いているだろう。けれども、リバタリアンにおいて、愛国者であることは「アメリカ人的であること」のための必要条件ではない。国家や政府などというものは「ない方がいい」というのが正統的なリバタリアンの立場だからである。
けれども、日本では公的立場にある人間は「国よりも自分が大事」というようなことを(心で思っていても)口には出さない。仮に、安倍晋三が所得税を払っていなかったことが発覚したとしても、彼は「私は賢いから税金を払わずに済ませた」という言い訳をしないだろうし、その言い訳に喝采を送る有権者も日本にはいないはずである。日本ではリバタリアンも愛国的なポーズをすることを強いられる。
だから、日本では「リバタリアンでありながら、かつ愛国的」という奇妙な生き物が生まれてくる。現代日本に跋扈しているのは、この「愛国的リバタリアン」という(「肉好きのベジタリアン」とか「気前のいい吝嗇漢」というような)形容矛盾的存在である。
一方において、彼らは自分が獲得したものはすべて「自己努力によって獲得されたもの」だから、100%自分の所有に属し、誰とも分かち合う気がないと断言する。同じ理屈で、貧困や疾病や障害や不運などによって社会的弱者になった者たちについても「すべて自己責任で失ったもの」であるので、そのための支援を公的機関に求めるのは筋違いであると主張する。
ここまではリバタリアン的主張であるが、日本の「愛国的リバタリアン」はこれに愛国主義(というより排外主義、外国人嫌い(ゼノフォビア))をぱらぱらとまぶして、社会的弱者というのは実は「外国人」であるという奇妙な社会理論を創り出す。ここが日本のリバタリアニズムの独特の歪みである。
日本型リバタリアンによると、社会的弱者やあるいは社会的弱者を支援する人たちは「外国人」なのである。仮に血統的には日本人であったにせよ、外国渡来のイデオロギーや理説に「感染」したせいで、「外側は日本人だが、中身は外国人」になっているのである。
だから、社会福祉や教育や医療などの活動に公的な支援を求める組織や運動は本質的には「日本の国益よりも、彼らが忠誠を誓っている外国の利益に奉仕するもの」なのだという妄説が出来上がる。生活保護の受給者は多くが在日コリアンであるとか、日教組の背後にはコミンテルンがいるとか、朝日新聞は反日であるとか、沖縄県知事は中国に操られているといった類のネトウヨ的妄説はその典型的なものである。
語っている本人もさすがにほんとうだと思ってそう言っているわけではいないだろうが、それにもかかわらず、彼らが「反政府的な人間=外国人」というスキームに固執するのは、彼らにリバタリアンに徹底する覚悟がないからである。
リバタリアンであれば、話はすっきりしている。貧乏なのも、病気なのも、障害者であるのも、すべては自己責任である。だから、それについては他者からの同情や公的支援を当てにしてはならない。医療保険制度はいらない(医療は「サービス」なのだから金を出して買え。金がないやつは死ね)。公立学校も要らない(教育は「サービス」なのだから、金を出して買え。金がないやつは働いて学費を稼ぐか、有利子で借りろ)。社会福祉制度はいらない(他人の施しがないと生きていけないやつは死ね)と、ずいぶん非人情ではあるけれど、バケツの底が抜けたように「あっけらかん」としている。
しかし、さすがに日本では(心ではそう思っていても)そこまでは言い切れない。居酒屋のカウンターで酔余の勢いで口走ることはあるだろうが、公的な立場ではなかなか口にはできない。
その不徹底をとりつくろうために、日本的リバタリアンは「排外主義」的イデオロギーを装飾的に身にまとう。そして、貧乏人も、病人も、障害者も、生活保護受給者も、みな本質的には「外国人」であるという摩訶不思議な理説を噛ませることで、話のつじつまを合わせようとするのである。
相模原事件の植松容疑者はその意味では障害者支援をめぐる問題の本質をよく見抜いていたというべきだろうと思う。彼自身は生活保護の受給者であったが、その事実は「わずかな賃金を得るために、他人に顎で使われて、自分の貴重な人生を空費したくない」という彼のリバタリアン的な気質と齟齬するものではなかった。けれども、自分以外の生活保護受給者や障害者は彼の目には許し難い社会的寄生者に見えた。この矛盾を彼はどう解決したのだろうか。自分には公的支援を受けることを許すが、他人には許さないという身勝手な識別を可能にする境界線として最終的に彼が思いついたのは「私は日本人として日本の国益を優先的に配慮しているが、彼らはしていない」という「日本人/非日本人」スキームであった。
だから、植松容疑者がこれは「日本のために」したのだとか、「社会が賛同するはずだった」とかいう自己弁明を繰り返し、「国益を害するものたち」を「処分」する「官許」を首相や衆院議長に申請したことには論理的には必然性があったのである。彼は自分が「愛国的リバタリアン」という政治的奇形物であり、現在の日本の政界の指導者たちの多くが程度の差はあれ自分の「同類」だと直感していたのである。
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「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」

★「こんな人たち」発言にみる安倍自民の本当の敗因
***江川紹子  | ジャーナリスト 2017-7/3(月) 23:18

@「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」
今回の都議選の最中に、閣僚や自民党幹部から出た様々な発言の中で、安倍首相が発したこの言葉が、私にとっては最もインパクトがあった。
最終日、秋葉原で初めて街頭に立った安倍首相に対して、今回の政権を批判する人たちから発せられた「安部やめろ」コールに怒り、「憎悪や誹謗中傷からは、何も生まれない!」と語気を強め、声のするとおぼしき方向を指さして、冒頭の言葉を言い放ったのだった。
それで思い出すのは、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー氏が、カリフォルニア州知事に立候補し、選挙運動中に、演説会場で反対派から生卵をぶつけられた一件。彼は、そうした行為も「表現の自由」の一環だと述べ、「ついでにベーコンもくれよ」と笑い飛ばした。
そんな風にユーモアで切り返すのは無理でも、「批判を謙虚に受け止め」と大人の対応をするか、あえて知らん顔で主張を述べ続ける冷静さを見せて欲しかった、日本国の総理大臣なら。
安倍シンパたちは、「やめろ」コールをしていたのは一部の過激な集団と決めつけているが、現場の状況を、客観的にレポートしていると思われる記事を読むと、こんな記述があった。
〈中心となっていたのは一部の集団だったようだが、街宣が始まるとともにコールは広がりを見せ、通行用のスペースを隔てた場所で演説を見ていた人まで「安倍やめろ」と口ずさむ有様だった〉(東洋経済オンライン「都議選の『安倍やめろ!』は尋常ではなかった
選挙戦最終日、安倍首相の目の前で大逆風」より)
言い始めたのは一部の集団でも、それに多くの人がそれに呼応した、という現象に、本当は深刻さを感じなければならないところだったろう。ところが、安倍さんの対応は違った。

@総理大臣という立場
内閣総理大臣は、安倍さんの考えに共鳴する人たちだけでなく、反対する人々を含めた、すべての国民に責任を負う立場だろう。仲間や支持者だけではなく、批判勢力を含めた、あらゆる国民の命や生活を預かっている。なのに安倍さんは、自分を非難する人々を「こんな人たち」という言葉でくくってしまい、それに「私たち」という言葉を対抗させたのである。「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない」と。
都議選の応援は、自民党総裁という立場で行ったものだろうが、安倍さんを紹介する垂れ幕には、しっかり「内閣総理大臣」と書かれ、司会の石原伸晃議員も「ただいま、安倍総理が到着しました」と紹介していた。
小泉内閣の総理秘書官だった小野次郎・元参議院議員は、ツイッターで次のように書いている。
〈この方は、自分に反対の考えを持つ人々は国民ではないと思ってる。総理になって何年も経つのに、この方は全国民のために選ばれた職にある自覚は持ち合わせない、遺憾ながら。〉
同感である。

@「みんなの大統領になる」
2008年の米大統領選で、共和党のマケイン候補と激しい選挙戦を戦った民主党オバマ候補は、勝利が決まった後の演説で、マケイン氏を称え、こう語った。
〈私がまだ支持を得られていない皆さんにも申し上げたい。今夜は皆さんの票を得られなかったかもしれませんが、私には、皆さんの声も聞こえています。私は、皆さんの助けが必要なのです。私はみなさんの大統領にも、なるつもりです〉(加藤祐子訳)
韓国の文大統領も、5月の就任宣誓で「私を支持しなかった国民一人ひとりも国民」とし、その国民に奉仕することを約し、「皆の大統領になる」と強調した。
国会で多数派の中から選ばれる議院内閣制の首相は、国民から直接選ばれる大統領とは選ばれ方や権限などに違いはあっても、政権を率いるリーダーであり、人々を代表する国の顔でもある。
「私たち」と「こんな人たち」を対決させる政治
常日頃から安倍さんは、「敵」、すなわち「こんな人たち」認定した者に対しては、やたらと攻撃的だ。それは、首相でありながら、国会で民進党の議員の質問にヤジを飛ばして、委員長から注意をされる場面からも見て取れる。野党の議員の後ろにも、たくさんの国民がいるということを理解していたら、こういう態度はとれないだろう。安倍さんにとっては、野党議員に投票するような人たちは、自分が奉仕すべき国民というより、「こんな人たち」程度の存在なのではないか。
その一方で、彼は「私たち」の中に入る身内や仲間をとても大切にする。第一次政権では、仲間を大事にしすぎて「お友だち内閣」との批判を浴びた。稲田防衛相への対応などを見ていると、その教訓は未だ生かされていないようだ。仲間を大事にするのは、1人の人として見れば美徳だが、特区制度を利用した獣医学部新設をめぐっては「腹心の友」とまで呼ぶ親友を特別扱いしたのではないかとの疑念を生む一因にもなっているように思う。
敵を作り、それと「私たち」を対峙させることで、存在価値をアピールする。敵を批判し、嘲笑し、数の力で圧倒して、自らの強さと実行力を見せつける。そんな対決型の姿勢を、「決める政治」や「歯切れのよさ」「スピード感」として評価する人たちがいる一方、無視され、軽んじられてきたられた人々の不満はたまりにたまっていた。
そして、対決型を推し進めることで、政治はますます粗雑になり、できるだけ広範な人たちの合意を得ていくという地道な努力をしなくなっていった。これには、長年自民党を支えてきた保守層の中にも違和感を覚えた人が少なくなかったろう。
そこに森友・加計問題が持ち上がり、財務省の木で鼻をくくったような対応があり、文科省の前事務次官の証言があり、共謀罪審議での強引な採決があり、豊田議員の暴言があり、稲田防衛相の失言があり、二階幹事長の「落とすなら落としてみろ」発言が重なった。安倍首相の「こんな人たち」発言は、最後のだめ押しであると同時に、首相自身の個性に由来する、安倍政権の体質を、ものの見事に可視化してしまった。
安倍首相は、今回の敗因を、「政権の緩みに対する有権者の厳しい批判」と述べた。長期政権ゆえの「緩み」は、確かにあるのだろう。だが、本当の敗因はもっと根が深く、安倍さん自身のことさらな対決姿勢や粗雑な政治もその1つではないだろうか。
また、菅官房長官は、記者会見でこの発言について問われ、「きわめて常識的な発言」と述べたという。官房長官の立場で、これが「問題がある」とは言えないだろうが、政権トップの発言として「常識的」だと言ってのけてしまうところに、「分かってないなあ」と思ってしまったのである。

共謀罪成立 「私」への侵入を恐れる

★共謀罪成立 「私」への侵入を恐れる
・・・「東京新聞 2017年6月16日社説」より転載
 
 「共謀罪」が与党の数の力で成立した。日本の刑事法の原則が覆る。まるで人の心の中を取り締まるようだ。「私」の領域への「公」の侵入を恐れる。
 心の中で犯罪を考える-。これは倫理的にはよくない。不道徳である。でも何を考えても自由である。大金を盗んでやりたい。殴ってやりたい-。
 もちろん空想の世界で殺人犯であろうと大泥棒であろうと、罪に問われることはありえない。それは誰がどんな空想をしているか、わからないから。空想を他人に話しても、犯罪行為が存在しないから処罰するのは不可能である。
◆犯罪の「行為」がないと
 心の中で犯罪を考えただけでは処罰されないのは、根本的な人権である「思想・良心の自由」からもいえる。何といっても行為が必要であり、そこには罪を犯す意思が潜んでいなければならない。刑法三八条にはこう定めている。
 <罪を犯す意思がない行為は、罰しない>
 そして、刑罰法規では犯罪となる内容や、その刑罰も明示しておかねばならない。刑事法のルールである。では、どんな「行為」まで含むのであろうか。
 例えばこんなケースがある。暴力団の組長が「目配せ」をした。組員はそれが「拳銃を持て」というサインだとわかった。同じ目の動きでも「まばたき」はたんなる生理現象にすぎないが、「目配せ」は「拳銃を持て」という意思の伝達行為である。
 目の動きが「行為」にあたるわけだ。実際にあった事件で最高裁でも有罪になっている。「黙示の共謀」とも呼ばれている。ただ、この場合は拳銃所持という「既遂」の犯罪行為である。
 そもそも日本では「既遂」が基本で「未遂」は例外。犯罪の着手前にあたる「予備」はさらに例外になる。もっと前段階の「共謀」は例外中の例外である。
◆市民活動が萎縮する
 だから「共謀罪」は刑事法の原則を変えるのだ。
 「共謀(計画)」と「準備行為」で逮捕できるということは、何の事件も起きていないという意味である。つまり「既遂」にあたる行為がないのだ。今までの事件のイメージはまるで変わる。
 金田勝年法相は「保安林でキノコを採ったらテロ組織の資金に想定される」との趣旨を述べた。キノコ採りは盗みと同時に共謀罪の準備行為となりうる。こんな共謀罪の対象犯罪は実に二百七十七もある。全国の警察が共謀罪を武器にして誰かを、どの団体かをマークして捜査をし始めると、果たしてブレーキは利くのだろうか。暴走し始めないだろうか。
 身に覚えのないことで警察に呼ばれたり、家宅捜索を受けたり、事情聴取を受けたり…。そのような不審な出来事が起きはしないだろうか。冤罪(えんざい)が起きはしないだろうか。そんな社会になってしまわないか。それを危ぶむ。何しろ犯罪の実行行為がないのだから…。
 準備行為の判断基準については、金田法相はこうも述べた。
 「花見であればビールや弁当を持っているのに対し、(犯行場所の)下見であれば地図や双眼鏡、メモ帳などを持っているという外形的事情がありうる」
 スマートフォンの機能には地図もカメラのズームもメモ帳もある。つまりは取り調べで「内心の自由」に踏み込むしかないのだ。警察の恣意(しい)的判断がいくらでも入り込むということだ。
 だから、反政府活動も判断次第でテロの準備行為とみなされる余地が出てくる。市民活動の萎縮を招くだろう。こんな法律を強引に成立させたのだ。廃止を求めるが、乱用をチェックするために運用状況を政府・警察は逐一、国民に報告すべきである。
 ロシアに亡命中の米中央情報局(CIA)のエドワード・スノーデン氏が共同通信と会見し、米国家安全保障局(NSA)が極秘の情報監視システムを日本側に供与していたと証言した。これは日本政府が個人のメールや通話などの大量監視を可能にする状態にあることを指摘するものだ。「共謀罪」についても「個人情報の大規模収集を公認することになる」と警鐘を鳴らした。「日本にこれまで存在していなかった監視文化が日常のものになる」とも。
 大量監視の始まりなら、憲法の保障する通信の秘密の壁は打ち破られ、「私」の領域に「公」が侵入してくることを意味する。
◆異変は気づかぬうちに?
 そうなると、変化が起きる。プライバシーを握られた「私」は、「公」の支配を受ける関係になるのである。監視社会とは国家による国民支配の方法なのだ。おそらく国民には日常生活に異変は感じられないかもしれない。だが気付かぬうちに、個人の自由は着実に侵食されていく恐れはある。

没後8年、今こそ清志郎ソング

★没後8年、今こそ清志郎ソング 反戦反核「予言」リアルに
***毎日新聞2017年5月10日 東京夕刊紙面掲載記事

季節が巡ると、あの歌声が聴きたくなる。日本ロック界のカリスマ、忌野清志郎さんが亡くなったのは8年前の5月2日だった。反原発ソングだけではない。反戦反核の詞は、北朝鮮が挑発を続ける現代と重なる。今だから言いたい。あなたは「予言者」だったのか、と。【鈴木梢】



 まるで「戦争前夜」のような重苦しい空気が、この世界を包む。その一角。日本のコンサート会場で聴衆の耳をつんざいたのは、核戦争の恐怖を描いた反戦歌「明日なき世界」だった。
 <東の空が燃えてるぜ 大砲の弾が破裂してるぜ><世界が破滅するなんて嘘だろ>
 4月末、宮城県川崎町で開かれたライブイベント「カバーズ2017」に出かけた。東北の地はまだサクラが咲いて華やいでいるのに、世界にはきな臭さが漂う。北朝鮮は核・ミサイル開発を諦めず、米トランプ政権は「力による平和」を押し出している。
 清志郎さんが率いたロックバンド「RCサクセション」は1988年、洋楽のヒットナンバーをカバーして意訳し、反戦、反核、反原発のメッセージを込めたアルバム「カバーズ」を発表している。この日のライブではアルバムに収録された全11曲が披露された。1曲目が「明日なき世界」だ。
 ライブには、RCのギタリストだった盟友「チャボ」こと仲井戸麗市さんや、清志郎さんの告別式で弔辞を読んだ甲本ヒロトさんら、当時のバンドメンバーや影響を受けた音楽家が集まった。仲井戸さんはステージ上で語った。「この2017年にこの作品をやる意味合いを感じている。清志郎君は言葉の自由をたくさん探した。唇の自由をだれも奪えないんだ」
 「カバーズ2017」は、01年に始まったロックフェスティバル「アラバキ」の目玉イベント。清志郎さんは喉頭がんの闘病から復活した08年、このフェスティバルに参加した。09年に58歳で亡くなり、一周忌の命日には清志郎さんの名曲選が演奏された。翌11年、宮城県など東北の沿岸部を東日本大震災の津波が襲い、東京電力福島第1原発事故が起きた。
 清志郎さんによって「明日なき世界」がカバーされたのは、米ソの冷戦期だった。それが今になって、現実味を増している。新潟市から伊藤旺佑ちゃん(4)を連れてきた母いづみさん(34)は「この子は4歳にして、テレビでこの曲を知り、気に入って歌っている。今聴く意義を感じるし、子供の世代にこそ大切な歌です」と話した。会場のスクリーンには、こんな問いが映し出された。
 <アルバムの作者であるその男が今ここにいたら、何と歌うのだろう>
 作家の吉本ばななさんは、この問いに答える。「早すぎたあのアルバムと同じことを歌われるのではないかと思います。逆に言うと、もう十分遺(のこ)してくださっているのです」。吉本さんは清志郎さんの大ファン。評論家の父隆明さんとも一緒に清志郎さんのライブに通った。
 反原発ソング「サマータイム・ブルース」が収録されているカバーズは、東芝EMIから発売予定だったが、中止された。親会社の東芝が原子炉を製造していたのが理由とされ、アルバムは別会社からリリースされた。20年以上たった東日本大震災で原発の安全神話は崩れ去り、この歌は「警告」として再評価される。
 そして今、その東芝は米原発建設などで債務超過に陥り、存続の危機にさらされている。著書「耳をふさいで、歌を聴く」の中で「清志郎論」を展開した文芸評論家、加藤典洋さんは「まさにアリの一穴です」と切り出した。
 「東芝崩壊への最初の一歩が、あの発売中止だったと思う。健全な批判を受け入れられない企業文化に対し、清志郎はユーモアを持ち合わせた本物の抵抗者だった。権力や金だけでなく、世間一般のいわゆる『善き価値観』も軽々と笑い飛ばしました」
 カバーズだけではない。清志郎さんは「君が代」を派手なパンクにして歌い、「あこがれの北朝鮮」という曲では「北朝鮮で遊ぼう」と皮肉ってタブーを排した。歌以外に今注目されているのが、00年に清志郎さんが書いたメッセージ。今読み返すと、思わず息をのむ。
 <地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる>
 この文章は、音楽への愛や社会への怒りを語った自著「瀕死の双六問屋」に収められ、ファンの間では「予言」とも受け止められている。「こんな時代になるとは、だれも思っていなかったでしょうね。だからこそ、今、清志郎の得難さをありありと感じる」。加藤さんはそう嘆き、米社会と日本を比べる。
 「アメリカではボブ・ディランがノーベル文学賞をもらい、ほどなくしてトランプ政権が誕生した。片やトランプ、こなたディランだから、均衡が取れてまだ安心なんです。でも、日本には安倍(晋三)首相の対極に、もう清志郎にあたる存在がいないんですよ」
 だが、清志郎さんの歌は生きている。吉本さんはそこに希望を見いだす。「ひとりの人が一生を通じていい音楽を創った。それは残ってしかるべきものだと思うし、これから生まれる世代にも聴き継がれていきます。清志郎さんは考えていることをそのまま生きるということを見せてくれた人です。私は少し歳(とし)が下なので、彼の後を継いでいかなくてはいけない、同じように若い人たちに『こういう大人もいる』ということを見せ続けなければいけないな、と思います」
 <天国は無い ただ空があるだけ 国境も無い ただ地球があるだけ>
 東北のライブはジョン・レノンの「イマジン」で締めくくられた。舞台に立ってマイクを並べたのは、いずれも広島県出身の奥田民生さんと吉川晃司さん。カバーズは当初、広島に原爆が投下された8月6日に発売されるはずだった。清志郎さんはイマジンに独自の歌詞を付け加えている。
 <ぼくらは薄着で笑っちゃう ああ 笑っちゃう>
 憲法で戦争放棄を掲げる日本の軽武装を<薄着>と表現し、軽やかに笑おうと呼びかけるのが清志郎さんらしい。会場は大合唱。全ての演奏が終わり、スクリーンに映し出されたのは清志郎さんのピースサインだった。改めて、清志郎さんが00年に発した「予言」の続きをかみ締めた。
 <この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ>
 清志郎さんの命日の翌3日は憲法記念日。この日、安倍首相は「20年を新しい憲法が施行される年にしたい」と述べた。再び東京で五輪が開催される前に、憲法を改めるかどうか<僕ら>が決めることになるのかもしれない。

村上春樹文学の系譜と構造

★村上春樹文学の系譜と構造***2017.05.14「内田樹の研究室」より

最初にお断りしておきますけれど、僕は村上春樹の研究者ではありません。批評家でもない。一読者です。僕の関心事はもっぱら「村上春樹の作品からいかに多くの快楽を引き出すか」にあります。ですから、僕が村上春樹の作品を解釈し、あれこれと仮説を立てるのは、そうした方が読んでいてより愉しいからです。どういうふうに解釈すると「もっと愉しくなるか」を基準に僕の仮説は立てられています。ですから、そこに学術的厳密性のようなものをあまり期待されても困ります。とはいえ、学術的厳密性がまったくない「でたらめ」ですと、それはそれで解釈のもたらす愉悦は減じる。このあたりのさじ加減が難しいです。どの程度の厳密性が読解のもたらす愉悦を最大化するか。ふつうの研究者はそんなことに頭を使いませんけれど、僕の場合は、そこが力の入れどころです。
いずれにせよ、僕が仮説を提示するのは、みなさんからの「真偽」や「正否」の判断を求めてではありません。自分の「思いついたこと」をみなさんにお話しして、それに触発されて、「今の話を聞いて、私も『こんなこと』を思いついた」という人が一人でもいれば、僕はそれで十分です。
今回は二つのトピックを巡ってお話しします。一つは村上文学の「系譜」についてです。この「系譜」には「横の系譜」と「縦の系譜」の二つがあると僕は考えています。それについてお話しします。もう一つは「構造」についてです。村上文学の構造は、系譜と絡み合っています。系譜と構造は村上文学に取りかかる時の二つの「登山口」のようなものです。たぶんどちらから登っても結局は「同じところ」に行き着くはずです。まずは分かりやすい「系譜」の話からいたします。
村上春樹は『風の歌を聴け』(1979年)、『1973年のピンボール』(1980年)という初期の2作品を書いた時は「兼業作家」でした。20代の7年間をジャズバーを経営し、作家自身の言葉を借りれば「肉体労働」をして過ごしていた。29歳の時に、神宮球場でヤクルトスワローズの開幕戦を外野席で冷たいビールを飲みながら観戦していたときに、天啓のように「そうだ、小説を書こう」という気分になった、とご本人が回想しています。
初期の2作品は深夜に仕事が終わったあと、台所のテーブルの上で書かれました。1日の肉体労働が終わったあとに、クールダウンをするような感じで原稿用紙を文字で埋めていった。寝る時間を削って書いているわけですから、それほど長時間集中することはできない。せいぜい2〜3時間でしょう。ですから、この2作は細かいセグメントの組み合わせになりました。アフォリズム的な作品といってもいい。短いエピソードや断片的な描写が繋ぎ合わされている。それが独特のドライでクールな味わいをこの2作品に与えています。それを「スマート」とか「都会的」というふうに感じた読者もいたと思います。でも、それは作家の選んだスタイルであったというだけではなく、たぶんに執筆事情が要請したものでした。
村上春樹が自分のスタイルを「発見」したのは第三作の『羊をめぐる冒険』(1982年)においてです。この前にジャズバーの経営を譲って、専業作家になった。これまでとは違って、長時間にわたって集中的に書く環境が整った。それによってスタイルが変わります。「深く掘る」ことができるようになった。そのあたりの事情を作家自身はこう回想しています。
「この小説を書き上げたとき、自分なりの小説スタイルを作りあげることができたという手応えがあった。また時間を気にせずに好きなだけ机に向かい、毎日集中して物語を書けるというのがどれくらい素晴らしいことなのか(そして大変なことなのか)、身体全体で会得できた。自分の中にまだ手つかずの鉱脈のようなものが眠っているという感触も得たし、『これなら、この先も小説家としてやっていけるだろう』という見通しも生まれた。」(『走ることについて語るときに僕の語ること』、文藝春秋、2007年、51頁)
ここに出て来た「鉱脈」という言葉にご注意ください。村上春樹は書くという行為をつねに「坑夫が穴を掘る」というメタファーで語ります。これは書いている時の彼の身体的実感なんだろうと思います。もし「創造する」ということを比喩的に言いたいのなら、他にもいくつも言い方はあるはずです。「家を建てる」でも「橋を架ける」でも「野菜を育てる」でもいい。でも、そういうメタファーを村上春樹は一度も使ったことがない。つねに「穴を掘る」です。
作家は毎日日課として小説を書きます。小説制作の現場に「出勤」し、そこで一定時間、「穴を掘る」。金脈を探す鉱夫と同じです。日々穴は掘った分だけ深くなるけれど、鉱脈にはなかなか堀り当たらない。でも、いつか鉱脈に当たると信じて掘り続ける。
このスタイルを村上春樹はレイモンド・チャンドラーに学んだと書いています。チャンドラーのルールは次のようなものでした。1日決まった時間だけデスクのタイプライターの前に座る。そこで物語を書く。それ以外のことはしてはいけない。手紙を書いたり、本を読んだりしてはいけない。ただ、書く。書くことが思いつかなくても、そのままじっとタイプライターの前に座っている。一定時間が経ったら、切り上げる。続きはまた明日。
同じことを作曲家の久石譲さんからも聴いたことがあります。作曲家の場合は毎日まずピアノの前に座る。そして決まった練習曲を何度か弾いて、指の訓練をする。それが終わったら「曲想が降りてくる」のを待つ。降りて来たらそれを記譜する。降りてこない日はそのままじっと待っていて、決められた時間が来たら、ピアノの蓋をして立ち去る。そういうもののようです。
村上春樹はこの聖務日課的な作業についてこう書いています。
「生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉から水がこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品ができあがっていく。努力する必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。」(同書、64-65頁)
「穴を深くうがって」ゆくと、作家は「創作の水源」にたどり着く。村上春樹はそう書いています。さて、ここで言う「創作の水源」とはどのようなもののことなのでしょうか。長時間集中的に「物語を書く」という行為に没頭しているうちに鑿が「固い岩盤」を突き抜けて穴を穿った。いったい、そのときに作家は何に触れたのでしょう。それを村上春樹は「ある種の基層」と言い表しています。
「書くことによって、多数の地層からなる地面を掘り下げているんです。僕はいつでももっと深くまで行きたい。ある人たちは、それはあまりに個人的な試みだと言います。僕はそうは思いません。この深みに達することができれば、みんなと共通の基層に触れ、読者と交流することができるんですから。つながりが生まれるんです。もし十分遠くまで行かないとしたら、何も起こらないでしょう。」(「夢を見るために毎朝僕はめざめるのです」文藝春秋、2010年、155頁、強調は内田)
『羊めぐる冒険』を書いた時に、村上春樹はある「共通の基層」に触れた。それは世界文学の水脈のようなものだったのではないかと僕は思います。時代を超え、国境を越えて、滔々と流れている地下水流がある。それがさまざまな時代の、さまざまな作家たちを駆り立てて、物語を書かせてきた。それと同じ「水脈」を『羊をめぐる冒険』を書きつつある作家の鑿は掘り当てた。
というのは、『羊をめぐる冒険』を書かせた水脈は、それより前に、別の国で、別の作家に、別の物語を書かせていたからです。日本の文学の用語では「本歌取り」と言う技法があります。営みとしてはあるいはそれに似ているのかも知れません。でも、和歌の場合と違うのは、作家は意識して「本歌取り」をしたわけではないということです。水脈に身を委ねて書いているうちにいつのまにか「そういう物語」を書いてしまっていた。『羊をめぐる冒険』の直前に同じ水脈から生まれた物語とは何か。直近の「本歌」はレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ(The Long Goodbye)』(1953年)です。
私立探偵フィリップ・マーロウがミステリアスでチャーミングな飲み友達であるテリー・レノックスが彼の前にから消えたときに託された「依頼」を果たすためにさまざまな危険を冒し、それを果たし終えたときに、テリー・レノックスとの決定的な別離が訪れる。そういう物語です。
話型の構造で言えば、マーロウは「僕」で、レノックスは「鼠」です。レノックスと「鼠」は主人公の分身、アルターエゴです。このアルターエゴの特徴は、弱さ、無垢、邪悪なものに対する無防備、それらの複合的な効果としての不思議な魅力です。それはこう言ってよければ、主人公が「今のような自分」になるために切り捨ててきたものです。主人公たちを特徴づける資質は、自己規律、節度、邪悪なものに対する非寛容といった資質です。タフでハードな世界を、誰にも頼らずに生き抜くためには、それなしではいられないような資質です。
対照的な二人ですけれど、主人公とアルターエゴには共通する資質もあります。それは、無私と礼儀正しさです。女性に対するある種の魅力も主人公には備わっていますが、それはアルターエゴのそれほど劇的なものではありません。特に「礼儀正しさ」(decency)は二人を結びつける決定的な共通点です。絶妙な距離感といったらよいのでしょうか。親しみ深く接してくれるし、必要な時には必ず手を貸してくれることはわかっているけれど、決してある境界線を超えて接近して来ない。そういう両者の距離が二人を結びつけています。決して必要以上に近づいてこないことがわかっているので、安心して近くにいることができる。そういう関係です。ですから、適切な距離を取ることができなくなったとき、つまり一方が他方に依存したり、何かを依頼したとき、彼らの関係は終わります。『ロング・グッドバイ』では、テリー・レノックスがマーロウに殺人事件の事後従犯となりかねない危険な仕事を依頼し、マーロウがそれを引き受けることで二人の友情は事実上終わります。『羊をめぐる冒険』では「鼠」が最後に主人公にある仕事を依頼して、主人公がそれを果したときにふたりの友情は終わります。
『羊をめぐる冒険』の「本歌」は『ロング・グッドバイ』です。勘違いして欲しくないのですが、それは村上春樹がレイモンド・チャンドラーを「模倣した」ということではありません。物語を書いているうちに、登場人物たちがそのつどの状況で語るべき言葉を語り、なすべきことをなすという物語の必然性に従っていたら「そういう話」になってしまった。それだけこの物語構造は強い指南力を持っていたということです。
村上春樹は物語を書くときに、どういう話にするのか、何も決めずに書き始めると語っています。この言明はそのまま信じてよいと思います。物語には必然的な流れがある。ある「ピース」が次の「ピース」を呼び出す。そうやってピースとピースを繋いでいるうちに、形状記憶が再生されるように、ひとまとまりの物語が立ち上がってくる。書いている時には「次に何が起こるか、書く前には決してわからないのですか?」というインタビュアーの問いに村上春樹はこう答えています。
「わかりませんね。僕は即興性を大事にします。もし、物語の結末がわかっているなら、わざわざ書くには及びませんね。僕が知りたいのはまさに、あとにつづくことであり、これから起こるできごとなんです。ある種の物語は、ページをめくるたびごとにたえず進化しつづけるものですが、そんな本を僕は書きたいんです。」(同書、159頁)
作家が知りたいのは「あとにつづくこと」であり、「これから起こるできごと」である。作家はあらかじめ物語の結末を知っているわけではありません。作家はそれを知らないけれど、物語はそれを知っている。作家は物語に導かれるのです。そうしたら、『羊をめぐる冒険』は『ロング・グッドバイ』と「同じ話」になった。
でも、僕が知る限り、小説の発表時点で、そのことを指摘した人はいませんでした。もちろん、「同じ」なのは、二つの物語が結びつく、ある「基層」においてだけのことであって、それ以外のすべての層において二つはまるで別の物語です。でも、この「基層」において、『羊をめぐる冒険』は世界文学の「水源」に触れたのでした。というのは、『ザ・ロング・グッドバイ』にもまた「本歌」があったからです。それはスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby, 1925)です。
『ギャツビイ』の語り手ニック・キャラウェイとジェイ・ギャツビーの関係はフィリップ・マーロウとテリー・レノックスの関係と同じです。マーロウに比べて、ニックがあまりに弱々しく凡庸なので、この二つの「ペア」の相同性は見落とされがちですが、ニックはギャツビーの無垢、純粋さ、密やかな邪悪さ、自己規律の弱さを際立たせるために配されています。不実な恋人の犯した殺人の罪をかぶって「死ぬ」という奇妙な役どころをテリー・レノックスとジェイ・ギャツビーは共有しています。これほどの相似が偶然のものであるはずがありません。ただ、チャンドラーがフィッツジェラルドを意識的に模倣したのかどうか、それは僕にはわかりません。たぶん違うだろうと思います。この物語原型には作家たちを呼び寄せるそれだけの力があるのだという解釈の方を僕は選びたいと思います。
なぜ「この種の物語」は「複製」を生み出す力を持つのか。その問いに答える前に、もう一つ『グレート・ギャツビー』にも「本歌」があったということを指摘しておかなければなりません。それはアラン・フルニエの『グラン・モーヌ』です。
語り手のフランソワ・スレルは15歳、彼を魅了するオギュスタン・モーヌは17歳。オギュスタンはフランソワのアルターエゴです。純粋で、無謀で、情熱的で、破滅的な弱さを隠し持っている魅力的な少年です。彼は一瞬の恋に燃え上がって、そのまま燃え尽きるようにフランソワの前から姿を消してしまいます。Le grand Meaulnesを英語で表記すれば The great Meaulnes となります。タイトルの相似からだけでも、二つの作品の関係を想定することができます。『グラン・モーヌ』がフランスでベストセラーになっていた時期にフィッツジェラルドはパリに滞在していました。フィッツジェラルドがフルニエのこの小説について何も知らなかったということはありえません。
『グラン・モーヌ』が1913年、『グレート・ギャツビー』が1925年、『ロング・グッドバイ』が1953年、そして『羊をめぐる冒険』が1982年。90年の間に「世界文学の傑作」に数えられる作品が4つ書かれました。ご存知の通り、村上春樹は『ロング・グッドバイ』と『グレート・ギャツビー』は自分でのちに翻訳を出しています。『グレート・ギャツビー』の「訳者あとがき」に村上春樹はこう書いています。
「もし『これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ』と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャツビー』と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。」(スコット・フィッツジェラルド、『グレート・ギャッビー』、村上春樹訳、中央公論新社、2006年、333頁)
『ロング・グッドバイ』の「訳者あとがき」では、この二作品の相似について村上春樹は言及しています。
「僕はある時期から、この『ロング・グッドバイ』という作品は、ひょっとしてスコット・フィッツジェラルドの『グレード・ギャッビー』を下敷きにしているのではあるまいかという考えを抱き始めた。」(レイモンド・チャンドラー、『ロング・グッドバイ』、村上春樹訳、早川書房、2007年、547頁)
村上はこの二人の作家の共通点として、アイルランド系であること、アルコールの問題を抱えていたこと、生計を立てるために映画ビジネスにかかわったこと、「どちらも自らの確かな文体を持った、優れた文章家だった。何はなくとも文章を書かずにはいられないというタイプの、生来の文筆家だった。いくぶん破滅的で、いくぶん感傷的な、そしてある場合には自己愛に向かいがちな傾向も持ち合わせており、どちらもやたらたくさん手紙を書き残した。そして何よりも、彼らはロマンスというものの力を信じていた。」(同書、547-548頁)といった気質的なものを列挙していますが、もちろんそれだけのはずがない。二つの物語には共通の構造があることも指摘しています。
「そのような仮説を頭に置いて『ロング・グッドバイ』を読んでいくと、その小説には『グレート・ギャツビー』と重なり合う部分が少なからず認められる。テリー・レノックスをジェイ・ギャッビーとすれば、マーロウは言うまでもな語り手のニック・キャラウェイに相当する。(…)ギャッビーもレノックスも、どちらもすでに生命をなくした美しい純粋な夢を(それらの死は結果的に、大きな血なまぐさい戦争によってもたらされたものだ)自らの中に抱え込んでいる。彼らの人生はその重い喪失感によって支配され、本来の流れを変えられてしまっている。そして結局は女の身代わりとなって死んでいくことになる。あるいは疑似的な死を迎えることになる。
 マーロウはテリー・レノックスの人格的な弱さを、その奥にある闇と、徳義的退廃をじゅうぶん招致の上で、それでも彼と友情を結ぶ。そして知らず知らずのうちに、彼の心はテリー・レノックスの心と深いところで結びついてしまう。」(同書、550-551頁)
「主人公(語り手)はとくに求めもしないまま、一種の偶然の蓄積によって、いやおうなく宿命的にその深みにからめとられていくのだ。それではなぜ彼らはそのような深い思いに行き着くことになったのだろう? 言うまでもなく、彼ら(語り手たち)はそれぞれの対象(ギャツビーとテリー・レノックス)の中に、自らの分身を見出しているからだ。まるで微妙に歪んだ鏡の中に映った自分の像を見つめるように。そこには身をねじられるような種類の同一化があり、激しい嫌悪があり、そしてまた抗しがたい憧憬がある。」(同書、553頁)
 この解釈に僕は付け加えることはありません。でも、村上春樹はこの「語り手」と「対象」の鏡像関係がそのまま『羊をめぐる冒険』の「僕」と「鼠」のそれであることについては言及しません。故意の言い落としなのか、それとも気づいていないのか。それは『羊をめぐる冒険』という作品が世界文学の鉱脈に連なるものであるという文学史的事実を揺るがせるものではありません。
重要なのは、なぜこの物語的原型がさまざまな作家たちに「同じ物語」を書かせるのかというより本質的な問いの方です。これについての僕の解釈は、これらはどれも「少年期との訣別」を扱っているというものです。
男たちは誰も人生のある時点で少年期との訣別を経験します。「通過儀礼」と呼ばれるそのプロセスを通り過ぎたあとに、男たちは自分がもう「少年」ではないこと、自分の中にかつてあった無垢で純良なもの、傷つきやすさ、信じやすさ、優しさ、無思慮といった資質が決定的に失われたことを知ります。それを切り捨てないと「大人の男」になれない。そういう決まりなのです。けれども、それは確かに自分の中にあった、自分の生命の一部分です。それを切除した傷口からは血が流れ続け、傷跡の痛みは長く消えることがありません。ですから、男子の通過儀礼を持つ社会集団は「アドレッセンスの喪失」がもたらす苦痛を癒すための物語を用意しなければならない。それは「もう一人の自分」との訣別の物語です。弱く、透明で、はかなく、無垢で、傷つきやすい「もう一人の自分」と過ごした短く、輝かしく、心ときめく「夏休み」の後に、不意に永遠の訣別のときが到来する。それは外形的には友情とその終わりの物語ですけれど、本質的にはおのれ自身の穏やかで満ち足りた少年期と訣別し、成熟への階梯を登り始めた「元少年」たちの悔いと喪失感を癒すための自分自身との訣別の物語です。
もちろんすべての男たちがそのような物語を切望しているわけではありません。そのような物語をとくに必要としない男たちもいます。「成熟しなければならない」という断固たる決意を持つことのなかった男たちはおのれの幼児性をそのままにひきずって外形的にだけ大人になります。私たちのまわりにもたくさんいます。外側は脂ぎった中年男であったり、不機嫌そうな老人であったりするけれど、中身は幼児のままという男はいくらでもいます。彼らは「アドレッセンスの喪失」を経験していないので、その喪失感を癒すための物語を別に必要とはしていません。
たぶん現代の世界ではもうどこの国でも「男は成熟しなければならない」という成熟への加圧は十分には働いていないのでしょう。ですから、このような物語に対する社会的需要がいつまで持続するかは予測がつきません。あるいはもうこの先このような物語は書かれないかも知れません。少なくとも日本語で書かれたものを徴する限りでは、『羊をめぐる冒険』からあと、これを「本歌」とする物語が書かれたことを僕は寡聞にして知りません。
系譜の話は以上です。次に構造の話をします。そして、先ほども申し上げたように、この二つは実は同じことを別のアプローチで述べるものです。
村上春樹は小説を書くという行為についてほとんど排他的に「穴を掘る」という比喩を使うとさきほど申し上げました。でも、別の比喩も使います。それは「地下二階」あるいは「井戸の底」におりるという比喩です。地下室の下に別の地下室がある。
「人間の存在というのは、二階建ての家だと僕は思っているわけです。一階は人がみんなで集まってごはん食べたり、テレビ見たり、話したりするところです。二階は個室や寝室があって、そこに行って一人になって本を読んだり、一人で音楽聴いたりする。そして、地下室というのがあって、ここは特別な場所でいろんなものが置いてある。(…)その地下室の下にはまた別の地下室があるというのが僕の意見なんんです。それは非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいる。ただ何か拍子にフッと入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。(・・・)その中入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついていたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくるわけですね。あっちに行っちゃったままだと現実に復帰できないです。」(『夢を見るために・・・』、98頁)
作家とは地下二階に降りて、そこからまた帰ってくることのできる特殊な技能を具えた職能民であるというのが村上春樹の考え方です。けれども、「そういうこと」ができるのは別に物語を書く人に限られません。「自分の過去」に遡り、「自分の魂の中に」入り、そこで見聞きしたことを物語ることを本務とした人はたくさんいます。すべてのシャーマンたちがそうです。稗田阿礼のように口碑を口伝する人たちもそうですし、ホメロスのように叙事詩を暗誦する吟遊詩人たちもそうですし、「民族精神(フォルクスガイスト)」を称揚する作家たちもそうです。彼らがしていることは一言で言えば、死者たちと出会うことです。死者たちからの「贈り物」を受け取ることです。それは必ずしも心安らぐ経験ではありません。
「たとえば、『海辺のカフカ』における悪というものは、やはり、地下二階の部分。彼が父親から遺伝子として血として引き継いできた地下二階の部分、これは引き継ぐものだと僕は思うんです。多かれ少なかれ子どもというのは親からそういうものを引き継いでいくものです。呪いであれ、祝福であれ、それはもう血の中に入っているものだし、それは古代まで遡っていけるものだというふうに僕は考えているわけです。(…)そこには古代の闇みたいなものがあり、そこで人が感じた恐怖とか、怒りとか、悲しみとかいうものは綿々と続いているものだと思うんです。(…)根源的な記憶として。カフカ君が引き継いでいるのもそれなんです。それを引き継ぎたくなくても、彼には選べないんです。」(同書、115頁)
地下二階に降りた人々はそこで「古代の闇」のうちに踏み入ることになります。そして、それを「引き継ぐ」。その闇から戻ってきて、それを物語る。そこでの経験は学術的な説明を受け付けるものではありませんし、主題的に論じることもできません。ただ物語るしかない。「そこで人々が感じた恐怖とか、怒りとか、悲しみとかいうもの」は、いまも連綿と引き継がれて、現に私たちの感情生活を形成し、私たちのコスモロジーの梁をかたちづくり、私が世界を見る仕方そのものをかたちづくっているからで。「古代の闇」はそのまままっすぐ「現代の闇」に繋がっています。闇の中に踏み入った者はそこで何を見ることになるのか。
「暗闇に侵入したあなたはそのとき恐ろしくなるでしょうが、また別のときにはとても心地よく感じるでしょう。そこでは、奇妙なものをたくさん目撃できます。目の前に形而上学的な記号やイメージがつぎつぎに現れるんですから。それはちょうど夢のようなものです。無意識の世界の形態のようなね。けれどもいつか、あなたは現実世界に帰らなければならない。そのときは部屋から出て、扉を閉じ、階段を昇るんです。(…)僕にとって、この空間の中にいるのはとても自然なことで、それらのものはむしろ自然なものとして目に映ります。こうした要素が物語をかくのをたすけてくれます。作家にとって書くことは、ちょうど目覚めながら夢を見るようなものです。それは、論理をいつ介入させられるとはかぎらない。法外な経験なんです。夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです。」(同書、156-157頁)
この箇所を読んだときに、多くの読者は『騎士団長殺し』の後半で「私」が雨田具彦のいる老人養護施設の床に穿たれた穴から潜り込んでいった「メタファー通路」での経験を思い出すことでしょう。あるいは『海辺のカフカ』でカフカ少年が踏み込んでゆく「森の中核」での経験を。そこに描かれている一連の説明不能のものは、作家が文学的効果を狙って技巧的にしつらえた装飾的なミスティフィケーションではなく、おそらく作家「目覚めながら見た夢」なのだと思います。それが何を意味するのかは書いている作家自身わからない。それが何を意味するのかを知りたいからこそ作家は書いている。そういうことだと思います。
この闇の中に下ってゆき、また戻ってくる物語、「冥界下り」という物語もまた、人類の歴史と同じだけ長い系譜を有するものです。でも、ここでは日本の近世文学以降に時代を限って、その系譜をたどってみたいと思います。
先の引用中で「古代の闇」と言われたものを別のところで村上春樹は「前近代の闇」と言い換えています。日本の近代文学が否定し去ったものです。そして、自分自身はその闇を語るという点で上田秋成の直系に連なるということを認めています。
「『雨月物語』なんかにあるように、現実と非現実がぴたりときびすを接するように存在している。そしてその境界を超えることに人はそれほどの違和感を持たない。これは日本人の一種のメンタリティーの中に元来あったことじゃないかと思うんですよ。それをいわゆる近代小説が、自然主義リアリズムということで、近代的自我の独立に向けてむりやり引っぱがしちゃったわけです。個別的なものとして、『精神的総合風景』とでもいうべきものから抜き取ってしまった。」(同書、93-94頁)
近代文学においてももちろん「非現実」は描かれます。けれどもそれはあくまで現実から切り離された、一種の文学的意匠であり、作中で登場人物が見る夢とか幻想とかあるいは劇中劇とか誰かが書いたファンタジーいうような「額縁」がつけられており、現実と非現実が境界を越えて、同じ次元で混ざり合うことには厳重な方法的抑制が課されています。しかし、村上春樹は自由にこの境界線を行き来することこそが日本文学の骨法ではないかという大胆な仮説を語ります。
『海辺のカフカ』の中の「非現実的」な登場人物について村上春樹はそれは「存在する」と書いています。
「僕が読者に伝えたかったのは、カーネル・サンダースみたいなものは実在するんだおということなんです。彼は必要に応じて、どこからともなくあなたの前にすっと出て来るんだ、ということ。それこそタンジブルなものとして、そこにあるんです。手を延ばせば届くんです。僕は彼を立ち上げて、彼について書くことを通して、そういう事実を読者に伝えたいわけです。」(同書、127―8頁)
「僕の場合は、(…)そういう現実と非現実の境界のあり方みたいなところにいちばん惹かれるわけです。日本の近代というか明治以前の世界ですね。(…)日本の場合は自然にすっと、こっち行ったりあっち行ったり、場合に応じて通り抜けができるんだけれど、ギリシャ神話なんかの場合は、本当に自分の考え方とか存在の在り方の組成をガラッと変換させないと向こう側の世界に行けない。」(同書、94頁)
東洋と西洋では現実と非現実を隔てる「壁の厚さ」が違う。このことに村上春樹の自らの文学的的立場についての自覚が現れます。
「日本や中国では、並行する二つの世界があって、そのあいだにある架け橋が、一方の世界から他方の世界への移動を難しくしすぎないようにしている、と考えられています。西洋ではそんなわけにはいきませんよね。この世界はこの世界、あの世界はあの世界、といった具合になっています。分離は厳格です。乗り越えるにしては、壁はあまりにも高すぎ、あまりにもしっかりしています。しかしアジア文化は違うんです。僕が思うに、〈もののあわれ〉が描いているのは、こうした状況です。」(同書、157-158頁)
村上春樹はここで唐突に「もののあはれ」という古典文学の美的概念を持ち出してきました。おそらくこれは直接には『源氏物語』のことを指しているのだと思います。『源氏物語』は「こうした状況」、つまり二つの世界の間にかなり自由な行き来がなされる状況の物語ではないか。村上春樹はかつて河合隼雄にこんな質問を向けたことがありました。
「村上 あの源氏物語の中にある超自然性というのは、現実の一部として存在したものなんでしょうかね。
河合 どういう超自然性ですか?
村上 つまり怨霊とか…
河合 あんなのはまったく現実だとぼくは思います。
村上 物語の装置としてではなく、もう完全に現実の一部としてあった?
河合 ええ、もう全部あったことだと思いますね。だから、装置として書いたのではないと思います。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』、岩波書店、1996年、123-124頁)
この対談があった時点(1995年)では村上春樹は自分の作品の中で、境界を越えて非現実が侵入してくることは、一種の「装置」、一種の文学的技巧ではないのか(でも、そんなはずはない)という揺らぎのうちにあったことが言葉づかいからは窺えます。でも、このときの「あんなのはまったく現実だとぼくは思います」という河合隼雄の断定でふっきれた。
それは『源氏物語』の中の怨霊の物語が、それからのちに村上春樹のいくつかの作品に意匠を換えて繰り返し登場してくることからも知れます。六条の御息所の生霊が葵上を祟り殺すというのは『源氏物語』の中で最もカラフルな怨霊物語ですけれど、これは六条の御息所という高貴な女性が「嫉妬」というような筋目の悪い感情を自分が抱くことを拒絶したことから起こる惨劇です。これに物語的にもっとも近いのは短編集『女のいない男たち』に収録されている「木野」です。
木野は「会社でいちばん親しくしていた同僚と妻が関係を持っていたことがわかった」ときにひとり家を出て、会社も辞めます。そして伯母から青山の小さな喫茶店を譲り受けて、オーディオ装置に凝ったジャズバーを始めます。
「別れた妻や、彼女と寝ていたかつての同僚に対する怒りや恨みの気持ちはなぜか湧いてこなかった。もちろん最初のうちは強い衝撃を受けたし、うまくものが考えられないような状態がしばらく続いたが、やがて『これもまあ仕方ないことだろう』と思うようになった。結局のところ、そんな目に遭うようにできていたのだ。」(「木野」、『女のいない男たち』、文藝春秋、2014年、221頁)
木野は「怒りや恨み」を感じません。「痛みとか怒りとか、失望とか諦観とか、そういう感覚も今ひとつ明瞭に知覚できない」(同書、221頁)まま日を過ごすうちに、木野のまわりに異変が起こり始めます。客同士の陰惨なトラブルがあり、体中に煙草の焼け跡のある女と交わり、開店のときに「良い流れ」を運んできてくれたように思えた猫が姿を消し、邪気を帯びた蛇たちが姿を見せ始めます。そして、ある日店の「守護者」の役割を果たしていたカミタという客から店を閉めるように忠告されます。木野はその忠告をこう解釈します。
「カミタさんが言うのは、私が何か正しくないことをしたからではなく、正しいことをしなかったから、重大な問題が生じたということなのでしょうか? この店に関して、あるいは私自身に関して」(同書、248頁)
木野はカミタの忠告に従って旅に出ますが、「カミタに固く禁じられていた」私信をしたためるという禁忌を犯したせいで深夜のホテルの部屋に執拗なノックの音を呼び寄せてしまいます。そのとき木野は自分が何を招き寄せたのかを知ります。
「『傷ついたんでしょう、少しくらいは?』と妻は僕に尋ねた。『僕もやはり人間だから、傷つくことは傷つく』と木野は答えた。でもそれは本当ではない。少なくとも半分は嘘だ。おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。」(同書、256-257頁)
物語は木野が「そう、おれは傷ついている、それもとても深く」(同書、261頁)と認めたところで救いの予感のうちに終わります。
傷つくべきときに十分に傷つき、痛切なものを引き受けること。それが怨霊を解き放たないためには必要なことなのです。六条の御息所がその引き受けを拒絶した「妬心」は人一人を殺すほどの現実的な力を持ちました。木野がその引き受けを拒絶した「妬心」は彼自身に戻ってきます。この物語を書きながら村上春樹は自分が『源氏物語』の世界と地続きの文学的風土のうちにいることに十分に自覚的だったと僕は思います。
村上春樹は過去の日本人作家としてはっきりとした「地続き」感を持っているのは上田秋成です。そのことは何度も書いています。まったく別の文脈においてですが、江藤淳は、上田秋成の文学の本質は「闇」のうちにあるという指摘をしています。
秋成もまた現実と非現実の境界を行き来する経験を書き続けた作家でした。秋成は現実にはそこに存在しないにもかかわらず、濃密な実在感をたたえ、人間の生き死ににかかわるもののことをかつて「狐」と呼びました。狐憑きの狐、人をたぶらかす妖獣です。そういうものが秋成の時代の人々の日常生活のうちにはたしかなリアリティを持って存在していた。けれども、当時でも、知識人たちは妖怪狐狸についての物語を荒唐無稽と一蹴しました。彼らの見るところ「狐憑き」はただの精神病に過ぎません。その中にあって、秋成はあえて「狐」を擁護する立場を貫きました。その秋成の立ち位置について江藤淳はこう書いています。
「儒者の眼に見えるのは、病気という概念であって、『狐』という非現実の現存がもたらす圧力ではない。しかし、いったんアカデミイの門を出てみれば、『うきよ』に顔をのぞかせるのはつねに概念ではなくて、『狐』に憑かれた人間の奇怪な、しかし秩序の拘束のなかにいる『精神(ココロモチ)平常』なときにはたえてみられないほど濃い実在感に満ちた姿態である。あるいはまた、どうしても認めざるを得ない非現実の世界からのさまざまな信号である。」(江藤淳、『近代以前』、文藝春秋、1985年、238頁)
秋成自身はありありと「狐」の実在を感じました。学者や常識人がどれほど否定しても、市井の人々が現にその切迫を感じ、「非実在の現存がもたらす圧力」を受け止めたり、それから身をかわしながら現に日々の生活を送っているという事実は揺るぎません。
「誰の眼にも見えぬこの動物ほど濃い実在感をあたえるものを、秋成は外界の現実のなかにひとつもみとめることができなかった。」(同書、240頁) 
「狐」は秋成が彼の地下二階で出会った「奇妙なもの」の別称です。その地下の「闇」のうちで「人が感じた恐怖とか、怒りとか、悲しみ」、その「根源的な記憶」を作品に写し出したときに『雨月物語』という作品が生まれました。それはもしかすると東洋人の作家にしかうまく書くことのできない物語だったのかもしれません。その「闇」には太古からこの地で生き死にした無数の人々の記憶が埋蔵されているからです。
江藤淳は日本語という言語について、こう書いています。
「それは、現在までのところ沖縄方言以外に証明可能な同族語を持たぬとされている特異な孤立言語であり、時代によって、あるいは外来文化の影響をうけてかなりの変化を蒙って来てはいるが、なお一貫した連続性を保って来たものである。しかもそれは虚体であって実体ではない。ということは、私はそれを自分の呼吸のようなものとして、あたかも呼吸が自分の生存と存在の芯に結びついているように自分の存在の核心にあるものとして、信じるほかないということだ。」(同書、23〜24頁)
たしかに私たちは外国語によって対話することはできますし、ある程度リーダブルな文章を書くこともできます。でも、よほど例外的な才能を除いては、外国語によって文学的な「創造」をすることはできません。それは母語によってしかできない。私たちは母語を糧として生きています。その無尽蔵のアーカイブから、私たちは死者たちの脳裏にかつて一度も浮かんだことのない思念や、死者たちの舌にかつて一度も乗ったことのない言葉を掘り起こしてくることができます。
私たちが「新語」を作ることができるのは母語においてだけです。「新語」とはただの新しい単語のことではありません。それを口にしたときに、他の母語話者たちが、はじめて聞くその新しい語の新しい意味とそのニュアンスを瞬時に了解できるという条件を満たさなければなりません。そのような曲芸的なことを私たちは母語においてしか実行できません。どれほど流暢に話せても、外国語で新語を作ったり、その場で思いついた文法的な破格や意図的な誤用の「新しいニュアンス」を周囲の人たちに理解させることはできません。それは母語においてのみ可能なわざです。それが可能なのは、現に用いている言語の基層に、その何万倍もの奥行きと深みを持つ「死者たちと共有する言語」のアーカイブが存在しており、私たちはそれを利用することが許されているからです。こう言ってよければ、死者たちと言語を共有しているからこそ言語による創造が可能になるのです。
村上春樹は長く海外で生活をしており、執筆も海外でしていました。けれども『ねじまき鳥クロニクル』を書き上げたときに日本に帰ることを決意します。
「どうしてだかわからないけれど、『そろそろ日本に帰らなくちゃなあ』と思ったんです。最後はほんとうに帰りたくなりました。とくに何が懐かしいというのでもないし、文化的な日本回帰というのでもないのですが、やっぱり小説家としての自分のあるべき場所は日本なんだな、と思った。
というのは、日本語でものを書くというのは、結局思考システムとしては日本語なんです。日本語自体は日本で生み出されたものだから、日本というものと分離不可能なんですね。そして、どう転んでも、やはり僕は英語では小説は、物語は書けない。それが実感としてひしひしとわかってきた、ということですね。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』、37—38頁)
江藤淳はプリンストン大学で日本文学を講じた時期がありました。アメリカでの生活を通じて、英語で話し、英語で書き、英語で考えることに慣れたあとに、江藤は日本語という「沈黙の言語」の外では自分は創造ができないということに気づきます。
「思考が形をなす前の淵に澱むものは、私の場合あくまでも日本語でしかない。語学力は習慣と努力によってより完全なものに近づけられるかも知れない。(…)しかし、言葉は、いったんこの『沈黙』から切りはなされてしまえば、厳密には文学の用をなさない。なぜなら、この『沈黙』とは結局、私がそれを通じて現に共生している死者たちの世界-日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながる回路だからである。このような言葉の世界に『近代』と『近代以前』の人為的な仕切りを設けることは不可能である。私はむしろ連続を問題にしなければならない。」(江藤淳、前掲書、29-30頁)
 この文章を書いたときの江藤淳はその五十年後に、「近代と前近代の人為的な仕切り」を軽々と越境する作家が登場して、全世界に読者を獲得することを知りませんでした。でも、まさに「地下二階」の闇のうちに踏み込むことを自らの文学的方法として自覚した作家の登場によって、江藤の文学的直感の正しさは論証されることになったのでした。
以上、村上春樹文学の系譜と構造について、僕自身のアイディアのいくばくかをお話ししました。最初に申し上げた通り、これらのアイディアはとくに学術的に厳密なものではありません。ですから、僕はこれを「定説」として頂きたいというような無法なことを願っているわけではありません。僕の願いは、こういうアイディアを耳にした人たちがそれに触発されて、村上春樹作品の「新しい読み」を思いついてくれること、それによってこの作家の書く物語からできるだけ多くの愉悦と、そしてできることなら癒しを引き出すことに尽くされます。
(これは2017年4月14日、淡江大学村上春樹研究センターにおいての講演に大幅な加筆をしたものです)
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