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B級的自然住宅のススメ 第16回

 去年の秋頃はちょっと暇だったんだけど、いまはなんだかめちゃくちゃ忙しい。そのひとつの理由が「近畿環境市民活動相互支援組織設立準備会」という長ったらしい名前の組織の代表をしてるから。近畿2府4県にある環境市民団体をつなぎ、資金、情報、企画などの支援をしていこうとしていて、さらにその先には政策提言なども視野に入れている。言ってみれば「行動する環境シンクタンク」をつくろうとしているわけ。これから小池さん(環境大臣)なんかにも会えるかもしれない。
 私はリーダーではないと常々思っていて、参謀タイプだと自覚しているんだけど、ここ最近は何かの組織に関わると全部代表になってしまう。人材不足ですね。どんな人材が不足しているかというと、「整理して言葉を持つ」という能力がある人材。私はこれをやっているだけなのにいつのまにか代表になってしまう。もしかしたら時代が変わってきたのかなあ。私の代表のイメージはもっとオーラがある人なのに。私にはオーラはない。ノリが軽すぎる。
 前回書いた「環境主義」という言葉。この言葉がこの組織でも動き始めている。我々が目指そうとしているのは「経済主義社会」ではない「環境主義社会」。もちろん経済のことは無視できないんだけど、まずは環境があって、そこから経済も考えていくという順番。「環境と調和した社会」とか「循環型社会」とか「持続型社会」とかいろいろ言葉はあるけど、そういう社会をつくろうとする発想は「環境主義」という言葉に集約できると思う。このことを理解してくれる人はどんどんこの言葉を使い始めている。「そうそう、私が言いたいのはそういうこと」という感じで。前回原稿を書いたときくらいから少しずつ社会に表現し始めているんだけど、これからすごくハヤる実感がある。たった1ヶ月なのに言葉の持つ力は大きい。もしこれから「環境主義」という言葉を見かけたら、言いだしっぺは私だと思ってくださいね。ほんとに言いだしっぺは私だから。ここ10年くらいの間で私が見つけた言葉の中でも大ヒット中の大ヒットだと思う。

 さて、今回で「B級的自然住宅のススメ」というシリーズはおしまい。役に立ちましたか?シリーズ最終回に当たって私が言いたかったことをまとめておきましょう。
■ 家づくりはおもしろい。だから楽しまなくちゃ損。
■ B級的に家づくりを楽しもう。それには「人との間合い」が大事。うまく間合いを取るには「自分というもの」がはっきりしてないといけない。
■ 勉強は大事。でも中途半端な勉強は邪魔になるだけ。「個別の情報」よりも「全体としてのイメージ」や「優先順位」を持つことをまず目標にしよう。そうすればどんな「最低限の個別情報」が必要かが見えてくる。
■ そこで必要になるのが「整理力」。家には求められるもの、求めるものがめちゃくちゃ多いから。整理が苦手な人も「家づくりは整理だ」という発想で臨めば何とかなる。
■ マニアックに「健康」を求めるのは間違い。「健康を守る=環境を守る」と思うのは間違い。決してイコールの関係ではない。このことに気がつく段階に到達すれば相当な「整理力」が身についたと判断していい。
■ 整理するとは「シンプルに考える」ということ。シンプルでない家はB級的ではない。
■ 家という箱が「B級的自然住宅」ではない。箱のことばかり考えると家づくりに失敗する。どうしても「自分たちの暮らしとは乖離したイメージ」を追いかけることになるから。
■ 家に過剰な期待をかけないようにしよう。5年もすれば「空気」になる。この空気感をイメージしながら家づくりを進めよう。
■ 社会に開いた住まいをつくろう

もしB級的自然住宅を一言で表現すれば、最後の「社会に開いた住まい」となる。ぜひこのことを考えながら家づくりをしてください。                   (このシリーズおしまい)
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B級的自然住宅のススメ 第15回

 2005年になった。今年のキーワードは「環境主義」。私が勝手に言っているだけだけど。ほんとに世間に伝えたいのは「B級的環境主義」。これはマジメな「環境主義」の彼岸にある。つまりこの連載はかなり先を行っているわけですね。
 ところでこの連載を読んでくれている「一般の人」はどれくらいいるんだろうか。私の仲間にはこの連載のファンが少しいて、たまに感想などを伝えてくれたりする。そんなときはやっぱり少しうれしくなる。

 さて、そろそろこのテーマで書くこともなくなってきたのであと2回くらいでオシマイにしようと思う。そこで今回は「性能」の話。
 私は理系なのでやっぱり性能にはこだわる。どういうこだわり方をするかといえば「明快であること」。高性能ではなく明快さにこだわる。言葉を換えれば「論理的であること」となり、もう少し難しく言えば「閉じている(収束している)」というイメージになる。
 巷の高性能をアピールしている家は「開いている(拡散している)」というイメージだ。
ぺちゃぺちゃいろんなものをくっつけてはいるけど、それが「中心」には向かっていかない。だーっと広がって、宇宙の彼方に行ったまま帰ってこない。残るのは空虚。
 なんだか今回はブンガクテキだなあ。まあいいか。
 一方「明快な家」は論理が収束している。あらゆる要素が「中心」に向かって存在する。その中心にあるのは「つくり手の性能に関する思想」。性能という純粋に理系的に見える事柄も、突き詰めれば「思想」という文系的な事柄に向かっていく。もちろん各論的な技術論に対する経験や知識のバックボーンがなければ薄っぺらい私小説的な思想に落ち込むだけだけど。
 つまり私は家の性能に「個別の技術」を求めているのではなく、「思想」を求めていることになる。しかもその思想は「拡散に向かう思想」であってはいけない。拡散を収束に向かわせる理系的論理性が存在しなければならない。だから私は「モデルハウスを見ただけ」で決してつくり手を選ぶことはない。でも、「話をしただけ」でつくり手を選ぶことはあり得る。本当にその人の話が明快であれば、話を聞いただけでその人がつくる家の映像が(その過程も含めて)目に浮かぶはずだし、そういう体験はきっと感動的だろう。

 真面目で優秀なつくり手は間違いなく「収束させること」に日々苦心している。なぜ苦心しているかと言えば、その努力が評価されにくいから。本当は「収束した」「シンプルで」「明快な」家を提供したいと思っているはず。でも世間一般では「拡散型」の家のほうが評価されてしまう(売れてしまう)。この現実的な矛盾に日々悩んでいるに違いない。

 そのへんの建築家が語る住宅論もその多くは「拡散型」のものだと感じる。ここでの拡散とは工務店などがやっている「ぺちゃぺちゃくっつけ型」の家の拡散とは違う。情緒や文化、性能論、空間論、人間工学論、環境論などが整理されていず、何かを語っているだけという意味での拡散。彼の言葉はやはり宇宙の彼方に飛んでいき、帰ってこない。自分ではそれを「設計思想」などと思っているのかもしれないけどね。

 さてさて。これまで何度も書いているように、こうした小難しい話だけをするようなつくり手に家づくりを頼むのはB級的じゃあない。あるときはもちろんマジメに真正面から性能論を語り、あるときはエエカゲンな話もする。また、プロの責任論を語りながらも「ここからはアンタの責任範囲ですよ」と突き放す。こういうのを楽しみながら家づくりをするのがB級的なのだ。そしてその楽しみの中に「環境」というキーワードが見え隠れしていれば、出来上がった家がすなわち「B級的自然住宅」となる。
 最初は具体的な性能論を書こうと思ったのに変な方向に行っちゃった。でもそうならなかったのはやっぱりそういうのはおもしろくないからだろう。自分で考えるのがおもしろいのですよ。

B級的自然住宅のススメ 第14回

 ある工務店から勉強会の講師の依頼があり先日行ってきた。勉強会といっても一般のお客さんは1組のご夫婦だけ。あとは大工さんとかの職人さんだった。
 こういう勉強会は逆におもしろい。そのご夫婦とのやりとりをしながら進めていけるから。で、そのご夫婦は私の「自然住宅のタダシイつくり方」を読んでくれていたから、ますますスムースに話をすることができた。いまちょうどこの本の改訂作業をしていて、あらためて読み返しているけど、やっぱりなかなかいい本だと我ながら思う。とくに「箱詰め理論」「優先順位の整理」がポイント。このご夫婦もこのイメージがしっかりできていて、「家に何を求めますか?」という質問をしたらスラスラ出てきたし、それを予算の中で納めるためにはどうしたらいいか、というところに発想が集中していた。どう転んでもこういう人は成功する。

 さて前回までの続きに移ろう。今回のテーマは「つくる家」。
 前回「大手ハウスメーカーは選ばない」と言い、その理由を簡単に述べたけど、もう少し詳しく述べれば「楽しそうに家をつくっている人たちの姿を眺めていたい」ということがある。自分ではものづくりをしていないから、ものづくりをしている人たちには何かしらのあこがれがあるし、その人たちが作業しているのを見るのはとても楽しい。話はちょっと違うかもしれないけど、設計者が設計しているときに横でその作業を眺めていたいとも思う。そういう“感じ”が大手ハウスメーカーの家づくりにはないような気がするわけ。この夏に自邸の玄関回りをリフォームしたときにも、工務店の人や建具屋さんが楽しそうに作業をしていて、段々といろいろなものが形になっていくのを見るのは本当におもしろかった。これは私だけの感覚なのかもしれないけど、こういう場面では腰とお尻の間あたりが暖かくなってきて、それが上のほうに沸きあがってくるという独特の「肉体的感動感」がある。この感覚は教師をしていたときに「解けなかった問題が解けるようになってくる生徒」を眺めているときにもあった。みなさんにはこういうのないですか?
 ここで前回述べた「つくり手との間合い」の話が出てくる。私は「一緒につくる」という“感じ”を好まない。もちろん打ち合わせはきちんとやって、こちらの希望を出し、案は出してもらう。それに納得すればあとは任せてプロの作業を眺めていたい。たぶん「一緒につくる」という感じで進めていったり、要求を出し続けていたりすると、先に言った「感動感」が味わえないような気がする。ほとんどのモノが「完成品を買う」時代だから、家づくりくらいはそういう楽しみを味わいたい。

 「山を見に行くツアー」には参加しないと思う。つくり手から「この産地で育った木を使います」と伝えてもらうだけで十分だと思う。「来週山歩きでもするか」と家族でなって、その産地付近が楽しそうなら家族で行くかもしれないけど、「自分の家に使う木の様子」には興味がない。家づくりとは別の純粋な興味として「林業家とか山の作業をしている人ってどんな人たちなんだろう?」というのはあるかもしれない。でもあえてツアーに参加するまでの原動力にはならないように思う。

 もうひとつ「つくる家」に関する話。
 いま構造材を加工するパターンには2つあって、ひとつはいわゆる「プレカット」。もうひとつは大工さんの「手刻み」。プレカットは工場の機械で加工することを指す。この2つのパターンがあると知ったとき、私はどちらを選択するだろうか?
 正直に言って悩むと思う。なぜなら、プレカットの合理性と手刻みの感動感のどちらにも共感するところが自分の中にあるから。うーん、どうだろうな。自分が選ぶつくり手は「合理主義」と「つくる家主義」がうまいバランスで存在するところだと思うから、そういうつくり手が薦めるほうの選択になる、というのが現実的か。
 さて、こういう私の「間合い」を理解してもらえるだろうか?

B級的自然住宅のススメ 第13回

 最近気がついた自分の性格がある。それは「決め付けない」「レッテルを貼らない」ということ。そこそこ顔が広いのでいろんな噂話が耳に入ってくるけど、それが自分の判断に影響されない。というか、そういう情報はどうでもいいから聞き流している。でも、どうも世間は違うみたい。何かの側面だけを見て「これはこうだ」と思い込む。何かを評価しようとしたら、もっとちゃんと自分の目で耳で調べればいいのに。

 さて、今回はこのあたりの話をしたいと思う。と、その前に、いままでの話を簡単に整理しておこう。
 「私が家を建てよう」としたとき、まず私がやると思うのはいくつかの本をしっかり読むこと。次には「相談者を探す」ということ。そうやっておいて家づくりの計画を立て、家族で話し合いをして「優先順位」を決める。
 で、そうやって進めていったと考えたら、いくつかの壁に当たりそうな状況であることに気がつき、その中でいちばん悩ましい問題は「快適性と省エネ」あたりのことになりそうということだった。しかもその中で厄介なのが内部結露だ、という話が前回あたりの内容。

 ということで、およそ家づくりの全体とポイントが眺められたと考え、実際に「どこに家づくりを頼むか」というところに話を進めていこう。
 まず、大手ハウスメーカーはパス。いちばん気に食わないのがニセモノの外壁だけど、営業のやり方もイヤだし、とにかく何だか落ち着かない家づくりと家になってしまう印象がある。個性がない、というところはどうでもいいけど。
 地場の工務店はどうか?「頭がよさそう」「センスがある」という判断ができれば、この選択をするかもしれない。
 設計事務所に頼むか?うーん、何だか違うような気がする。でも、ちょっと変な表現だけど「素朴な設計者」だったらいいと思うかもしれない。

 ところで、私は「ここを信頼しよう」と決めたら、もう何があっても信頼する。「信頼するところを決める判断」というのが自分の力量の問題以外の何ものでもないから、自分で信頼しようと決めたのにその後にそれが揺らぐことは自分を否定することになる。そんな情けないことはしたくない。
 もちろん契約後でも言いたいことがあったら言う。でも、それは「信頼」を大前提にした話。そしてその「言いたいこと」はプロの領域に入る内容に踏み込まない。そういうことは契約する前にとことん話を詰めておく。この「契約前」と「契約後」のケリのつけ方がすごく大事だと思う。

 たくさんのお金をかけることになり、しかも結構人生に大きな影響を与えそうな「買い物」に保険があると思う。私は28歳くらいのときにいくつかの保険に入ったけど、そのときは本当に勉強した。そこの保険会社の商品なら、担当の営業マンよりもうまく売れるんじゃないかと思うくらいに。私の質問は本質を突いているから、数学ができない営業マンレベルでは答えられない。保険の商品開発をしているヤツが何を調べ、どういう計算をしているかが大体わかった。イヤな客だっただろうが、私としては当たり前のことをしていただけ。私にはそうしない人の気持ちがわからない。

 こんなことを書くと何を買うにもマニアックに調べているように聞こえてしまうかもしれないけど、そんなことはない。支払うお金の額に合わせた努力をしているだけ。車なんかは3日くらいで買うし、パソコンなら2時間。つい最近買った洗濯機は30分。
 
 だから家づくりをしようと思えば、相当な時間をかけることになる。イメージのコマーシャルや営業マンの性格、どこかの誰かの噂話なんていうのはまったく判断材料にならない。どこに本質があるかを見極め、そこに切り込んでいく。でも、その切り込みは契約するまで。あとは「OK、任せたよ」。それで、例えば建築途中に工務が倒産したとしても仕方がないじゃない。

B級的自然住宅のススメ 第11回

 今回は前置き(落語で言うところの枕)が多くなる。まずは私が書いた本が出版されたのでその宣伝。「じっくり派のための家づくり講座① 断熱・省エネ編」という題名。出版社はエクスナレッジで1600円。深い話はほとんど書いていないけれど、それでも400ページ近くの厚みになってしまった。今回のテーマだけでそんな分量になるのだから、家づくりに関わることすべてをおさらいするだけでも大変な文章量(情報量)になる。これに耐えられる人が家づくりに成功する確率が高くなるのは当然。そして私は、世間にある、あらゆる情報源よりも「成功する確率が高くなる情報」を出している自負がある。
 次の話は「社会学」のこと。どういうことがきっかけだったか忘れてしまったが、ここ1年くらいは社会学に興味をもち、その手の本を読みあさっている。
 人文、社会、自然のそれぞれの科学についてもっと知識を増やそうと思っている。最終的には「環境×住まい」の考え方にそれらを反映させたい。社会学の本を少し読んでは「環境×住まい」をテーマにした文章を書こうとしているが、なかなかうまくいかない。まだまだ知識が足りないのだろう。でも「どんなテーマで書くか」ということは定まってきた。それは「なぜ自分は環境にこだわっているか」ということだ。
 社会学の本を読むのと並行して大きな書店の「環境のコーナー」にある本を今年中に全部読むという課題を自らに課した。で、書店に行くたびに何冊かの本を買って帰ってくるのだが、書店のコーナーには「なぜ自分は環境問題に関わっているか」ということをきちんと書いてある本がないことに気がついた。こういうテーマの本をしっかり書くことはすごく大切なことなんじゃないかと思えてきた。これをすることで社会と環境と自分との関わりが見えてくるはずだ。これが見えてきたら、自分にとってはもちろん、こうした本を読む人も環境問題に対するスタンスがはっきり見えてくるようになるのではないかと思うのだ。

 さて前回の続きを。
 前回は内部結露のことを書いた。これから書くことをしっかり理解してもらうために、少しだけ内部結露の説明をしよう(詳しくは上に書いた本を読んでね)。
 内部結露というのは壁、天井、屋根、床などの中に起きる結露のこと。これらの部位には厚みがある。壁なら「内装材」「内装下地材」「構造材」「断熱材」「外装下地材」「外装材」などで構成されるからそこには厚みがあることになる。こうした部位の「表面から見えないところのどこか」に結露が起きるのが内部結露だ。
 こうした結露が起きれば、木材が腐ったり、シロアリに食われやすくなったり、断熱性能が落ちたりする。つまり耐久性が低下したり、温熱環境が悪くなったりするわけだ。厄介なのはこうした結露が日常の生活では「見えない」というところ。こうした「見えないところの問題」にどう対応していくかが「良心的なつくり手」と「何とか新しい宣伝文句(差別化)を探そうとしているつくり手」の両方に関わる問題になる。
 良心的なつくり手は「見えないところ、シロウトが理解できないところにもプロとしての責任をもって対処しよう」とする。もし内部結露がこうしたつくり手だけに関わる問題なのであればみなさんのようなシロウトにとってあまり大きな問題にならない。
 しかし後者のようなつくり手がいることが厄介。さらに細かい話をすれば、意識的に差別化をしようとしているという自覚なき“良心的にやっている”つくり手がいちばん厄介。もっと簡単に言えば、彼らは「脅迫商売」をしていることに無自覚だということだ。
 シックハウス対策にしろ、耐震性にしろ、いくらでも脅迫商売のネタはある。安全や健康の話は脅迫商売に簡単につながっていく。この連載の「B級的」というのはこういう脅迫商売に対抗するための考え方でもあるわけだ。
 「B級的家づくり」のひとつの結論をここで挙げておこう。それは「最低レベルの家づくりを真剣に考えているつくり手を選ぶべき」ということだ。最低レベルというのは「普通の」という言葉に置き換えてもよい。

B級的自然住宅のススメ 第10回

 何回か前から現実とフィクション(もし私が家を建てるなら)がごちゃごちゃになってきている。まずこのへんを整理しよう。
 前回書いたように我が家のCO2排出量を調べたのは「現実」。そしてその量が目標値を達成していたのも「現実」。でもこの現実は「いま住んでいる中古住宅」においての話。でもフィクションを書き始めるにあたって、「もし私が家を建てるなら」と考えた時点で私がどんな家に住んでいるか(いたか)を決めていない。で、強引に「いまの中古住宅に住んでいる(住んでいた)私が新築するなら」という仮定で話を進めようと思う。読者の方々にはどうでもいい話だろうが、このへんのつじつまがとても気になる性格なので確認させてもらった。
 さてフィクションを続けよう。
 いまの暮らしでCO2排出量は多くない。確かに冬はとても寒いし、夏は暑いが、我慢できないことはない。高断熱・高気密を推薦する本には「家の中が寒いと行動力や生産力が落ちる」なんて書いてあったりするけれど、「野池は生産力が低い」という評価を受けるとは思えない。少なくとも日本人の平均よりは生産性は高いと思う。
 でも、いまの寒さや暑さに満足しているかと聞かれれば、正直に言って「満足はしていない」と答えるしかない。ただし、「じゃあどの程度になれば満足するのか?」という自問には答えられない。
 家の寒さ暑さをテーマとする本のほとんどには「高断熱・高気密住宅が快適で健康的で家も長持ちするし、省エネにもなる」というようなことが書いてある。でもなんだかいまの暮らしからジャンプしすぎてイメージがわかない。逆に自然住宅系の本には「ある程度寒くて暑くないと子供の健康に悪い」なんて書いてあるけど、そもそも子供は外で遊ぶものだから、そんな理屈はこじつけだと思う。子供を外で遊ばせない親なら話は別になってくるかもしれないけど、そんな親が「自然住宅」を指向するなんて変。
 こんなふうにいろいろ考えて、結局のところは「いまの平均的な断熱・気密でいいや」となるだろう。でもそう考えてもさらに私の悩みは深くなっていく。というのは、「平均的な断熱、気密」というのがわかったとしても、とくに気密性についてそれを実現してくれるつくり手がいそうにないことがまずひとつ。高気密をやっているところは「平均的な気密性」を実現してくれそうにないし、高気密をやっていないところはそもそも気密性をコントロールするノウハウがない。
 それから。平均的な断熱・気密にしたとして、それにはどんな問題点があって、それを解決するにはどうすればよいか、という情報がないこと。当たり前だけど高断熱・高気密の本は「いまの普通の断熱や気密じゃダメ」と書いてある。自然住宅系の本にはその手の技術論や住まい方論がほとんど書いてない。これは断熱や気密に限った話ではない。いまの状況は「普通の家にしたときにどんなリスクがあって、それをどの程度覚悟すべきか。またそれを回避するにはどんな段階的な工夫があるか」というような情報がないのだ。
 ここで少し技術的な話に移るがお許しいただきたい。断熱や気密を追いかけていくと、リスクに関する最大の関心事は「内部結露(壁や屋根の内部で起きる結露)」であることがわかる。快適性や健康性や省エネ、窓ガラスの結露なんていうことはどうにでもなるという印象を受ける。でも「見えない内部結露」の話は脅されると怖い。「外張り断熱にして、外壁通気だけじゃなく壁の内部に空気を通さないと内部結露して家が腐る」なんて言われたら「うーん、そういうものか」と思ってしまう。こういう主張に対して「普通の家」をつくっているところからの「いや、こうやれば大丈夫」という反論や情報がないから、一度そんな脅しを受けると、頭の中からそれが離れなくなってしまう。
 はてさてどうしたものか。「平均的な断熱や気密でいいや」と考えた私。そしてそのリスクを追いかけていった私。でもとくに内部結露について本を読んだりインターネットで調べたりするレベルではその解決策が出なかった私。
 ここでひとつの選択は「断熱材を入れない」というもの。断熱材を入れるから内部結露が起きる、と本には書いてあるし、その理屈は簡単なので理解できる。「いまの無断熱の家でも我慢できてるし、CO2排出量も少ないからこれで行くべ」という判断。
 次の方向は「研究者の論文レベルの情報を読みこなしてどうするかを決める」というもの。でもこんなの仕事でやるわけじゃないから無理。どうせ深いところはわからないし(ちなみに仕事でこのへんを追いかけている「現実」の私は理解しているつもり)。
 次の選択は、なんと「内部結露を確認できるようにしておく」というもの。こういう判断をするには相当な知恵と論理思考が必要になるけど、きっと私の思考パターンならここに至るのではないか、ということで挙げた。今回はここでオシマイ。

B級的自然住宅のススメ 第9回

 大体どんなことでも「これくらいにしよう」という目標値が定められる。CO2排出削減についても「1990年の94%にする」という目標値は確かにあるのだが、各家庭にこの目標値を示してもほとんど意味はない。だって、誰も1990年の自分の家庭のCO2排出量なんてわかっていないもの。しかも、こういう目標の立て方には不公平感がある。たくさんエネルギーを使っている人も、そうでない人も一律に94%にしようというのはおかしい。たくさんエネルギーを使っている人はたくさん減らして、少ししか使っていない人は少し減らせばいいというのがタダシイ。
 だから、まずは自分の家庭が全国平均と比べてどれくらいのCO2排出量なのかを知るところからスタートするべきだ。これは本当に自然な発想だろう。そして確かにこの数値は出ている。2000年で「約6000kgCO2/世帯」ということだ。
 ただこれは自動車の利用分(約30%)なども入っていて、家の中で消費するエネルギーだけで見ると6000kgの約60%の3600kgくらいになる。じゃあ、これと比較すればいいかというとそうではない。まず大きな要因として家族数がある。最終的には世帯当たりではなく一人当たりのCO2排出量を削減していかなければならないから、家族数という要因を考えた平均値を出さないといけない。でもこれがほとんど公表されていない、というかきっときちんと調べられていない。まだ重要な要因がある。それは地域性だ。寒い地域ではどうしても暖房に使用するエネルギーが増え、その結果CO2排出量も増える。これを一律に考えようというのは寒い地域の人たちにとっては酷な話だ。他にも細かい要因はあるが、この「家族数」と「地域性」の2つを考慮したCO2排出量の平均値を出さないといけないと思う。この数値があってはじめて「我が家のCO2排出量は多いとか少ないとか」がわかるはずだ。でも相当にがんばって探してもこうした数値は見当たらない。

 私が我が家のCO2排出量を調べ始めたとき、こういう発想は当たり前だと思ったから、どこかにこうした数値は発表されていると思い込んでいた。だから我が家の数値が出て「さあウチはどんなものかなあ。ちょっと怖いなあ。平均に比べてたくさんCO2を排出していたらイヤだなあ」と、いざこうした平均値を探しはじめたのだが、そこからが本当に大変だった。もうめちゃくちゃ時間がかかった。
 で、結局野池オリジナル版の目標値は以下のようになった。
家族数(人) 2 3 4 5
目標値(kg) 2200 2700 3000 3250
 ちなみにこの目標値は「家の中で消費するエネルギーによって排出されるCO2」であり、「北関東以南、中九州以北」に限定される。この数値がクリアされれば、少なくともこの地域において「家の中で消費するエネルギーによって排出されるCO2」は1990年の94%以下に確実になると思う。

 ところで、「こんなのを調べるのがなぜB級的なんだ?もっと軽いノリでやるのがB級なんじゃないの?」という突っ込みが入るかもしれない。確かにマニアックな世界だと感じる方もいるだろう。
 でも違うんだなあ。
 B級的というのは「本質を直感的もしくは根拠をもってタダシク理解し、そのへんはビシっと押さえながら、細かいことは軽いノリで選んでいく」ということ。シックハウス対策なら「内装材はシンプルな自然素材にする」という選択をするということで、細かい化学物質の毒性なんかを追いかけていくのはB級的とは呼ばない。
 だからCO2排出に関しては、とりあえず一度は我が家の状況を調べてみるという姿勢になるわけ。いっぺんやっておけばなんとなく感覚がつかめるから、あとはそんなに細かいことを考える必要はない。我が家に関しても、もし前述のような目標値がどこかで発表されていたら、30分くらいで「なるほどこんな感じね」というのがわかったはずなのだ。それがないからマニアックな世界に突入してしまい、めちゃくちゃ時間がかかってしまったんだけど。

 さて、実際の我が家のCO2排出量は約1900kgであり、家族数は3人なので合格ということになった。それがわかって、さてどんな家にしようとするかは次回に。

B級的自然住宅のススメ 第8回

 前回にも述べた本の原稿はほとんどカタがつき、5ヶ月ぶりに平静なペースに戻っている。この歳(44歳)で4時間半の睡眠時間はなかなかきつかった。でも原稿を書き始めた1月から6年ぶりくらいにテニスを再開したのがよかったのか、基本的な体調は悪くない。私にとってスポーツは最高のストレス解消になる。
 少し暇になり、仕事とは関係のない本を読み出している。そこでオススメを1冊。
 「ドカンと、うまいつまみ」小林ケンタロウ
 彼は料理家である小林カツ代の息子であるが、もうそんな立場で紹介されることもないくらいに有名になった。でも彼の料理本を読むのは初めて。
とにかく私と趣味が合っている。料理に対するスタンスというか間合いが似ているし、味付けの感覚も似ている(細かい自慢になるが、料理法もがよく似ているのだ)。「つまみなんてB級でいいのだ。でもちょっとしたポイントは押さえなくちゃね」という感じ。もちろん基本的な料理の力量はまったく違うのだろうが、一緒に酒を飲みながら料理をつくって一緒に食いたいと思った。文章がこれまたウマイ。

 さて、今回は家づくりに行き詰まりを感じ始めたところから。
 家づくりに関する情報は偏っている、ということに気がついた私。そしてとくに「環境にやさしい家づくり」に対してしっかりと基本を押さえた情報がない。前々回には「相談者を見つける努力をする」と書いたが、きっと「環境」に関して私が納得できる情報を持っている人はいないだろうし、その人は「この情報源に当たればいいのでは?」という情報も持っていないような気がする。

 いきなりちょっと話は変わる。
 実は、私が書いた「自然住宅のタダシイつくり方」というのはこうした問題を何とかしようとしたもの。イメージと基本的知識との差や一致点を明らかにしようとした。こんな本がもし出ていれば私の家づくりはドンドコ進むことになっただろう。

 はてさてどこに手がかりを見つけるか…。
 自然素材を使うのを基本にすること。そして自然素材を使ってイヤラシクない程度にスマートな家をつくることは大丈夫。雑誌に出ている自然素材の家はイヤラシイものが多いけど、そのへんは自分の感覚で何とかなる。自然素材も追いかけていけば「ほんまに環境にやさしいのかいな」というものもありそうだけど、消去法でやれば(つまり何だかお仕着せがましく過剰なアピールをしているメーカーのものを排除していけば)これも何とかなりそう。
 こうした素材選びのことを考えて断熱材に行き着き、一方で気になっているエネルギーのことをあらためて考え、きっと私の次の発想はこうなる。
 よし、まずはいまの自分の家の消費エネルギーを調べてみよう。これがどんなものかわかれば先に進めるぞ。

 フィクションと現実が何度もごちゃまぜになって申し訳ないが、ここからは現実の話。
 3年前に私はこのことを実際にやり始めた。断熱材を扱い始め、温度や熱、省エネのことでモノを言っていこうとしたとき、まずこれがわかってないのは大欠陥だと思ったからだ。これは本当に自然で当たり前の発想だと思う。どれほどの温度や湿度の家で、どんな暮らしをしたらどれくらいの消費エネルギーになり、CO2排出量はどれくらいになっているのかを自分の感覚としてつかむにはまずここから始めるしかない。
 さて、消費エネルギーを調べるのは簡単。請求書や領収証を見ればいいだけ。そしてそこからCO2排出量を出すのも簡単。だからすぐに出た。でも感想は「それがどうした」だった。なぜか?それは「ウチはいったいCO2排出量が多い家庭なのか少ない家庭なのかわからない。さらに、そのCO2排出の原因になっているもののうち、冷暖房に使っているものがどれくらいなのかわからない」からだった。(続く)

B級的自然住宅のススメ 第7回

 1月から本の原稿を書いていて、やっと4月末にとりあえずのものがほぼ出来上がった。テーマは「温度、湿度、熱」。言い換えると「断熱、気密、換気」。さらに言い換えると「快適で省エネになる家づくり」。前の『自然住宅のタダシイつくり方』もどこにもない本にしようと思って書いたが、今回もその意気込みで書いた。出版社の編集長に「こんな家がいい、と説明できる人は結構たくさんいるけど、それぞれの考え方の人にどんな家が合っているのかを考えさせるような文章が書けるのは野池しかいない」というようなことを言われた。何がタダシイなんていうことは私には断言できない。それは家づくりにかかわらず何でもそうだと思っている。だからそんな内容になってしまうわけ。力量じゃなくて性格というか基本的な考え方がそんな評価をしてもらえる理由。

 さて前回の続きにいこう。
 もともと環境問題には関心があったから、何とかして環境にやさしいことを取り入れようとしただろう。ここで問題は「素材に行くか、それともエネルギーに行くか」ということ。いままで私は素材派という認識を受けている。つまり自然素材を使っての環境にやさしい家づくりのリーダー的存在だという認識。でもこれは本当にたまたまなんですね。環境に興味があって、建築という世界に首を突っ込み始めたきっかけになったのが「素材派」の人たちだったからそこから入っていったけれど、もしエネルギー派の人たちと最初に出会っていたなら違っていたような気がする。もしかしたら高断熱・高気密派の論客になっていたかもしれない。そしていま素材派という立場から断熱や気密を語り始めているように、断熱・気密派という立場から自然素材を語っているようになっていたかもしれない。こういうことを想像するのは結構楽しい。
 話を戻そう。
 私が家を建てようとしたとき、3冊の本が手元にあったと考える。まず1冊は素材派の人が書いたもの。この本ではとくにシックハウスのことが書いてあり、「シックハウスにも対応でき、しかも環境にやさしい素材ということで自然素材を使いましょう」と書いてある。もう1冊は断熱・気密派の人が書いた本。そこには地球温暖化対策として断熱・気密が重要と書いてある。最後の1冊はOMソーラーの本。パッシブな考え方がいいよ。そして自然素材もいいよ、ということがちょっと理屈っぽいんだけど結局は情緒的に書いてある。
 さて私はどの本にいちばん共感しただろう?
 きっと断熱・気密派の人が書いた本になると思う。なぜなら私は理系だから。理論的に整合性があるものに惹かれてしまうから。で、「よし、しっかり断熱と気密を考えて、省エネになる家をつくろう!」とまず思う。
 ところが、そんな家づくりをしている住宅メーカーが建てている家を実際に見にいくと、きっと「何だか貧相だなあ」と感じると思う。理屈という建材で建てているように感じるだろうと思う。確かに理屈は大事だし、うまくいく家づくりの確率を上げるには理屈は必要なんだけど、でも理屈だけで家を建てられるのは何だか変だと思うだろう。私は確かに理系なのだが、私の理系としてのプライドは「理屈には限界があることをタダシク知っているのが本当の理系」と思っているところにある。そして「理屈に振り回されるのはおかしい。理屈のために理屈があるのではなく、人や環境や未来のシアワセのために理屈がある」と思っている。

 ここで「はて、どうしよう?」と立ち止まることになる。素材派の人は理屈が貧弱。断熱・気密派の人は理屈に振り回されている。OMソーラーは理屈を宣伝に使っているという嫌味を感じる。私はどこにも進みようがない。困った。
(続きは次号に)

B級的自然住宅のススメ 第6回

 玄関ドアとリビングの壁を変える自宅のリフォームが終わった。玄関ドアのほうはなかなかユニークなものになった。工務店の人と一緒にあれこれ考える作業はとてもおもしろかった。リビングの壁は腰まで板にして、その上には珪藻土を塗った。少し黄色っぽい珪藻土にしたのが正解でなかなかきれいになった。昨日の日曜日はスピーカーを吊ったり、絵をかけたりする作業をした。私の家にある棚やちょっとした収納は全部自分でつくっているが、こういう作業も楽しい。知り合いの工務店の人がウチに来るときには不要になった板をもってきてくれと頼んでいるので、材料代はタダだし。

 さて前回の続きをしよう。
 家の「マトモさの程度」を把握するのはなかなか難しい。パソコンなら「どんなに高いものを買ってもフリーズしないものはない」なんていうことはわかっているし、車なら「安い軽自動車でもあんまり故障はしないだろう」と思える。でも家については、とくに最近欠陥住宅のテレビ番組も多いし、なんとなく建築業界というものに「ちょっと信用できないなあ」「自動車業界よりもレベルが低そうだなあ」と感じているから、マトモさの程度を把握しようと思うと結構気合を入れないといけないように思う。
 さて実際にどうするだろう?
 まずきっとやろうとするのは「信用できそうな人を探す」ということだろうと思う。とりあえず手当たり次第に建築関係の人に会って「いまの日本の家のマトモさの程度ってどれくらい?」という質問をする。そしてこの答え方に納得した人が私にとって「信用できそうな人」になる。納得できるかどうかの判断材料はそれまでに読んだ本の情報と直感。客観的なことを言っているかどうかを判断するのにこちら側の知識はそんなにいらないと思う。
つまりこの質問をすることは2つのことが同時に得られることになる。ひとつは「マトモさの程度がおよそわかる」ということ。そしてもうひとつは「信用できそうな人ができる」ということ。
 家に限らずどんなものでも「いまのマトモさの程度」をわかりやすく的確に述べられる人というのは相当に力量が高い。そういう質問に答えられる人は「理想的な姿」のイメージができているはずだし、「絶対にダメなところのポイント」もわかっているし、そういうことを踏まえて現実的な業界の状況もわかっている。こういう人なら、その後のいろんな質問に客観的に答えてくれるはず。自社の長所だけしか語れない人は私には信用できない。

 私はこれまで重要な買い物をするときにはこういう質問をしてきた。たとえばだいぶ前のことだが、ずっとパソコンから離れた仕事をしていて、仕事で必要になって買わなければならなくなったとき、何人かの人に「いまのパソコンってどんな感じ?」と聞いた。そのときにいちばん納得できる答え方をしてくれた人に自分の求めるものや予算を言って、オススメの機種を提案してもらった。本や雑誌を見るよりもこういうやり方のほうが確実。そもそも本や雑誌は「いいことばかり書いてある」か「悪いことばかり書いてある」か「難しい内容でわからない」という感じなので“平均”が見えにくい。

 こんな人が見つかるまで私の家づくりは前に進めない。相当に時間がかかるかもしれないが、仕方がない。
 でもこんな人が見つかればそこからはかなりのスピードで進んでいくように思う。まずはその人から「適切な順番」を教えてもらう。本を紹介してもらえばしっかり読んで自分で勉強するだろうし、見学会に行けとかセミナーに行けと言われれば必ず行く。そうやって動いた中で質問が出てくればその人にどんどんぶつける。整理して質問しないと答えるのも大変だし、こっちの頭の中も整理できていかないからそうする。そうそう、もちろんその人がアドバイス料を払うべき立場の人ならきちんと話し合いをして金額を決めて支払うようにする。
(次号に続く)
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