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カシコイ住まい手をめざして 第7回 耐震偽造問題について

耐震偽造問題について
 「あってはならない」耐震偽造問題が発覚して以来、少なからず考えてきたことを現時点において整理してみようと思う。
 「失われた10年」という言葉がある。これはバブル崩壊からに経済の立ち上がりのの悪さを表現したものである。失ったものは時間ではなく、バブル時代以来「モラル」であるといえよう。何も建築業界ばかりでなく「雪印」「三菱自動車」「BSE問題」・・・<モラルハザード>の問題を社会全体の事として考え、社会や地域をどうするかというパースペクティブな構図の中で今回の問題をとらえないと対症療法的な解決しかならないとおもわれる。その上で私たちははヒトゴトではなく自分たちの問題として、今回のことを考えてみたい。
)作り手の問題
 今更いうまでもないが、「モラル」とは「道徳・倫理」のことである。.作り手やその関係者が社会人としての道徳やプロフェショナルとしての倫理観を持つべきことはいうまでもないことである。トップが高いモラルを持たなければ現場や職人はモラルが低くなり「不正直」な仕事が横行することになる。本来私たちのような地場工務店が強味としてきたのは「モラル」の高さを含めた人間力、プロフェショナルとしての仕事ぶり―いわば「正直さ」である。ただしモラルだけでは限界がある。「モラル」と「システム」を車の両輪と考え、品質管理体制とチェック体制の見直しを行なわなければならない。
 私たちは「工務店」として「現場管理」と「現場監理」をきびしくやっています。日々の「現場管理」は職人たちとの信頼関係があるので、現場員は「性善説」で仕事を進めていかなければなりません。そのことがともすれば「甘え」「ゆるみ」につながってゆく可能性があります。そこを「現場監理」で私が「性悪説」的チェックをおこなって補完しています。このシステムを制度化して、例えば工事の節目節目で施主と私が一緒に説明しながらチェック表をもとにチェックしていくような住まい手も参加するような方向で改善していくつもりです。
)検査制度の問題
 今回の問題は当事者のモラルの欠如に加え、検査制度への信頼失墜が問題を大きくしています。私たちは「安い・早い・ゆるい」を基準に確認審査機関を選ぶのではなく、自社のミスや見逃しを指摘し、差し戻してくれる「厳しさ・的確さ」をものさしにしています。許可印をもらう事が目的ではなく、第三者の目によってダブルチェックをかけることを主眼としています。そのことを証明するエピソードを書いてみます。熊本県荒尾市のM邸の事です。熊本県の確認検査は1回しかなく完了検査だけで中間検査はありません(ちなみに福岡県は中間検査と完了検査と2回あります)。その荒尾市担当の建築主事に中間検査がないことや1回しか検査できないというなら骨格が見える中間検査をおこなうべきだと猛烈に抗議し、特別に中間検査をやってもらいました。完了検査といっても写真検査や書類検査が主で<性悪説>的なものではありません。これでは検査の意味がないと思ったのでそのような行動に出たのです。
 私たちは財)住宅保証機構に参加しています。この組織は公共事業の検査官のOBの方が多く、彼らと私たちは建築にたずさわるものとしてお互いに議論しながら検査制度を前向きのものとして活用しようとしています。
)消費者(住まい手)の問題
 消費者の問題を書くのは筆が鈍るのですが、避けては通れません。)とも関連しますが、私たちは構造見学会を企画しますけれど、完成後のオープンハウスに比べると圧倒的に人気がありません。オープンハウスが30~80組(50~150人)だとすれば、構造見学会は2~5組(4~10人)です。このことから、地味な構造を見学するのが退屈だということ、消費者の関心は仕上がりや見栄や設備にあるということが理解できます。今回の当該マンションにも外観や設備は「高級感あふれる」ものもありました。予算が決まっている場合、仕上げや設備にコストをかけると住宅の基本的な部分の構造躯体がおろそかになるということは容易に理解できると思います。早く言えば―モノには相場があると言う事です。相場以下のものはウタガッテカカルのが正解だと思います。
 住宅は集合住宅であれ戸建住宅であれ一生に一度か二度の大きな買い物です。じっくりと時間をかけるべきです。時間をかけても、アソコもいいしココもいい、どこを選んでよいかわからないという声を聞きます。それは無理のないことです。アマチュアがプロフェショナルを選ぶのですから・・・。家を物づくりだと考えるなら、家づくりの良し悪しはそれにたずさわる人を消費者が見切るがどうかにかかってきます。難しいといえば難しいし、やさしいといえばやさしい。作り手が自分のおくってきた人生というやつを住まい手から判断されるとすれば、それは同時に住まい手も自分の人生の過ごし方で作り手を選んでいるということになります。
 作り手として誠実に対応すれば、住まい手が希望することが100パーセントできなかったり、時々きびしい意見がでることがあります。そのような作り手が「ものづくり」のプロフェショナルだと私たちは考えます。何でもデキマス・アレモイイデスネ・コレモイイデスネという営業のネコナデ声のセールストークに乗っかるとアブナイことになるということだけはいえます。
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カシコイ住まい手をめざして 第6回 防犯がナヤマシイ(2)

防犯がナヤマシイ(2)
 前回防犯のキーワードとして<人目><時間><音><光>の4つを挙げました。各々のキーワードに沿って防犯環境設計のポイントを見ていきます。
A)侵入盗は<人目>を気にする
 <人目>は侵入盗が嫌う第一のポイントです。.敷地内の様子を適度に見渡せる外構造園計画が犯行の機会を奪うための要となります。例えば、生垣は敷地内の様子を適度に見渡せる程度の高さとし、敷地内に高低差がある場合は生垣の位置に考慮しながら視線が通る場所を設けるようにします。隣地、道路境界は侵入盗が身を隠せる塀ではなく、透過性のあるフェンスや生垣などにし、侵入盗が嫌う<人目>を生かしたものにします。
B)侵入盗は<時間>をかけたくない
 <時間>がかかることで多くの侵入盗は犯行をあきらめます。建物はもちろんですが門扉や植栽の配慮によって建物の開口部に近づかないように配慮すること、面倒くさいと思わせることが重要です。門扉やカーゲートを設置し施錠ができるものを選び、日頃から開き放しにしない習慣をもつことも重要です。植栽にヒイラギのようなトゲのあるものが有効です。ちなみに手短な犯行を称して「鍵開け3分・物色5分」と言われています。
C)侵入盗は<音>を気にする
 侵入盗は<音>がでることで犯行に気づかれることを極端に嫌います。死角になる場所は砂利を敷いたり、ガサガサと音が出るツゲなどの植栽を選ぶなど、音で誰かが来ることが分る(分るのでは・・・と不安に思わせる)ような工夫は効果的です。一方、<音>がかき消されるような立場環境は要注意といえます。
D)侵入盗は<光>を嫌う
 侵入盗は<光>により目立たされたり、威嚇されることで犯行を躊躇します。門灯やガーデンライトに加え、センサーライトを人目につきにくい場所に設置し、またカーポート・アプローチから玄関までが暗くならないようすることが重要です。




カシコイ住まい手をめざして 第5回 防犯がナヤマシイ

防犯がナヤマシイ
 最近、闖入者による侵入盗・侵入強盗が増えている。1998年には12.4万件であったものが2003年には19万件とわずか5年間の間に約1.5倍になっている。日本は「水と安全はタダの国」から「セルフガードの時代」に入ったと言える。こういった事情から性能表示制度でも「防犯性能」の表示が加わるらしい。
 住宅において住まい手の財産や住まい手に悪影響を及ぼす外的要因として、地震・台風・などの自然災害のほか火災・シロアリ・侵入盗などが挙げられます。こうした住宅が(住まい手)が直面する外的リスクにおいて侵入盗被害は他のリスクに比べ5~6倍高いと考えられています。新興住宅地に限っていえばそのリスクはより高くなってくると推測されます。侵入盗被害は「脱都会化」の傾向も示しており、全国的に際立った地域性はみられません。
 さて住宅の問題です。「絶対に侵入されない家」を設計することは、凶悪化の一途をたどる「組織化された窃盗団」が存在する現実からみて不可能なことです。しかし ①防犯に配慮した住宅 ②住まい手の防犯意識 ③②の集合体であるコミュニティが三位一体となれば侵入盗のリスクを大きく低減させることができるはずです。
①に対しては開口部のガラスや施錠に対して物理的な性能をアップさせること。ねらわれにくい家づくりのキーワードは<人目><時間><音><光>と言われていますが、それを考慮した家を設計した上で外構計画でも侵入者が隠れにくい「適度に見渡しのよい」外構計画というのも必要である。
②に対してはホームセキュリティシステムを導入することで侵入盗被害を抑制することは間違いないところですが、手入れのいきとどいた庭や掃除のされている住宅は侵入盗が少ないというデータがあるそうです。
③は地域活動を通じて近隣とのコミュニケーションをよくするということで、これが一番大切な事であると思います。これから宅地を探すという方は新興住宅地よりも既にコミュニティの出来上がっていつ所を当たって見るといいかもしれません。
「これだけやればバッチリ!!」というものがないのは何事もそうですが、上手にバランスよく三位一体の対策をたててやることが防犯に対して有効だと思われます。

    

カシコイ住まい手をめざして 第4回 アイランド型キッチンがナヤマシイ

アイランド型キッチンがナヤマシイ
 最近の2件の仕事でアイランド型キッチン(あるいはそれに近いもの)が採用された。アイランド型キッチンはセレブなどの邸宅によくある代表的なもので、日常のキッチンとは別にホームパーティなどの習慣のある欧米で発達してきたものである。日本では今まで使われるケースがあまり多くなかったが、スペースさえ許せばまわりが開放されるので、のびのびとした感じの大変気持ちのいいキッチンとなります。スローフード運動の影響かどうかわかりませんが、最近流行っている家族又は友人大勢で料理づくりを楽しむにはもってこいの型です。
 アイランド型キッチンにはシンクだけのもの、コンロだけのもの、両方あるものと3つのパターンがありますが、コンロをアイランドの中に組み込む場合にはナヤマシイ問題がでてきます。特別に排気に注意が必要になります。収集力のある大きなフードを取り付ける必要がでてきます。その上にコンロ直上のフードで排気を全量収集できない場合も考えた時、補助の換気扇がぜひ必要となってきます。
また、アイランド上に収納を付けることはおススメしません。実際に使いにくいだけでなく、せっかくの開放感が失われてしまいます。収納は壁面でとるのがよいでしょう。そのように考えてくると、例えば限られた床面積でLDKを想定する場合には、キッチンの占める面積が大きくなってきます。プランの仕方にもよりますが、いわゆるリビングらしいリビングをしつらえることをあきらめることが必要になります。例えばジャイアントテーブルをおいて広めのダイングルームだけとするなどの発想の転換が必要となってきます。また、ダイニングの部分をアイランドの中におさめてしまうとDKが全部キッチンのようになってきます。そうすると「見せるキッチン」という考えもうかんできます。キッチン什器をステンレス製などのデザインコンセプトで揃えるのも楽しいかなと思います。マア、しかし、「見せるキッチン」だと整理整頓、清掃が不可欠になってきます。 

カシコイ住まい手をめざして 第3回 洗面空間がナヤマシイ

洗面空間がナヤマシイ
 最近の日本語は「悩みが深い」ことをナヤマシイというらしい。仇や色っぽさがナヤマシイという意味ではなかったのか?当然「仇や色っぽさ」=セクシーという事で、このように表現した方が当節わかりやすいのかなあ?
 さて、洗面空間である。今までのスタンダードは1坪の浴室に1坪の「洗面脱衣室」、「洗面脱衣室」には洗濯機と洗面化粧台というパターンが多かった。しかし、「洗面脱衣室」を「パウダールーム」にしようとする風潮(TOTOやINAXが後押しをしているのかしらん)が出てきてナヤマシイ問題が出てきている。もともとパウダールームとは欧米の邸宅で主寝室に設置されてるバスルームに付属しているもので、ビデやドレッサーなどがあって、それこそ「なやましい」空間なのである。1960年代のアメリカのホームドラマ「パパは何でも知っている」「ビーバーちゃん」などを思い出してみると子供室にもシャワールームなどがついていてうらやましかったのを覚えている。欧米の浴室廻はプライベートゾーンに属していて、日本のようにリビングルームやダイニングルームなどのパブリックゾーンに属していない。このことを勘違いすると、いかにも日本的な<混乱>がおきてくる。
例えばこんな風に・・・。
 少し広め(3帖程度)のパウダールームには瀟洒なマーブルの洗面化粧台(L=1200)にオシャレなドラム式洗濯機。多機能のユニットバス(1坪)には暖房乾燥換気扇がついている。・・・さて生活が始まると・・・雨が続く日にはユニットバスが洗濯物干場になる。そうすると下着類やタオル類が「パウダールーム」に整理されることになり、整理ダンスが持ち込まれる。更に化粧品の類が鏡の前に所せましとハブラシなどと一緒におかれることとなり・・・「パウダールーム」は「洗面脱衣室」へと早変わりしてしまう・・・トホホ・・・。
じゅあどうすればいいのでしょうか。この際、浴室横は「洗面脱衣室」と割り切ってしまうことです。予算が許せば「主寝室」の隣に1帖大のパウダールームを作りドレッサー兼用の洗面台をオーダーすればgооdです。予算がタイトな時、寝室群が2階にあることが多いので、2階の廊下や階段脇の片隅に洗面コーナーをつくり、そこを「パウダールーム」化することです。女系家族にはオススメです。腰掛式の洗面化粧台もあるので、そういう住器を上手に使うとカシコイ!!といことになります。

環境主義宣言(案)-2005年(街の中に森を創る・心の中に緑を育む)

 今回のほらドンは「カシコイ住まい手をめざして」を1回お休みして、番外編として「環境主義宣言(案)-2005年」を発表します。色々な意見があるだろうと思いますから、読まれた方は掲示板へのカキコミを是非お願いします。

     環境主義宣言(案)-2005年(街の中に森を創る・心の中に緑を育む)

 ①大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とした経済(第一)主義の考え方から脱却し、持続可能な地域循環社会の構築に寄与するために九州の地域で生産される材料(木材や土や紙・布から工業製品に至るまで)を活用した家造りを積極的に進めていく。
 ②森と街、木の生産者と木の消費者を「顔の見える関係」で結び付け、良好な自然形態としての山(森)と健康な街(家)を取り戻すことに最大の努力をする。その往還を以って、グリーンコンシューマーたる賢い市民に成長するよう、「作り手」「住まい手」ともに努力する。
 ③上記のことを勘案して、九州の地域木材による「木の家づくり」を進めてゆく。そのためにも積極的に良好な状態に保たれた天然ムク材の使用を家づくりの主体とする。木や土などの自然素材のもつ特有のチカラややすらぎを引き出すような設計を基本とする。しかし地球全体や広い地域環境(例えばアジア)を考えた場合、工業製品がエコロジーと判断された時、或いは科学技術でサスティナブルだと判断された時など工業製品の使用は否定しない。
 ④現在「木」を科学する研究は日進月歩である。木組や土壁(小舞壁)、板倉などが実験により検証され合理的に解析されつつある。私たちはその実績をふまえながら、地域の伝統的民家の流れに乗る「現代民家」ともいうべき家づくりをめざす。サスティナブルな家づくりを目指しているが金物の使用を否定するものではない。
 ⑤住宅は2世代~3世代の長さに渡って使いつづけられるものである。そのためライフサイクルアセスメント(L、C、A)を勘案し自然素材を基本にしながらも工業製品を適材適所で使っていく。出来上がった時よりも時間の経過とともに味わいのでてくる「古美(ふるび)る」住宅を良しとする。
 ⑥住宅は人々のくらしを盛る器である。一緒に住むことを「家族」と定義した時に『「家族」のコミュニケーション』を基本においた家づくりをする。そのためにも「くらし方」について徹底的に対話し、その議論を基に設計を積み上げてゆく。したがって家づくりは各々違っていて一様ではない。
 ⑦長寿命住宅を保つためには日々のメンテナンスや営繕が基本となってゆく。そのため「住まい手」は自分でできることは自分でやるようにし、「作り手」は前記の行為が遅滞無く行なわれるような「作り手」の体制を採る。建替えなどの場合は改修診断を行い、既存の家のチカラを存続できるように努力し、いたずらに新築を勧めない。尚、積極的に「再生建築」に取り組んでゆく。
 ⑧住宅性能表示制度による高ランクの住宅が良い住宅ではない。しかし程々の性能は必要である。構造を最重点に置くが、各部門レベルは⑥の対話によって進めてゆく。京都議定書発効の2005年の最重要課題は「省エネ」ということになる。「省エネ」は「くらし方の工夫」と「家づくりの技術」の両輪がそろってこそ達成されると私たちは考える。「住まい手」のライフスタイルを勘案しながら「住まい手」と対話を進めていく中で、両輪を調和的にかみあわせどちらにも片よりすぎないような家づくりを提案する。

カシコイ住まい手をめざして 第2回 バルコニーの功罪

バルコニーの功罪
 新しいローマ法王がコンクラベを経て、広場に面したか教会の高い位置から集まった信者たちに手を振る姿がテレビのニュース映像で見られた。その場所が本来の「バルコニー」である。この西洋趣味が明治に入り和洋折衷(擬洋風)建築として木造住宅に定着し始めた。明治村の西郷吉之助の住宅を見ればその経緯が見てとれる。
 さて、最近7年以上程度経ったルーフバルコニーの濾水調査依頼が多い。
濾水原因には
①ルーフドレインの清掃及び施工不足
②FRP防水の劣化
③床勾配がゆるい
④バルコニーに出る床面のサッシの立ち上がり不足が考えられる。
住まい手の生活の仕方を観察するとバルコニーの使用目的は布団や洗濯物を干すぐらいで、バルコニーに椅子を持ち出し「お茶する」などということは皆無に等しい。それくらいのくらし方(バルコニーの使用目的)なのにルーフバルコニーを作るということはリスクが大きすぎるのではないだろうか?私たちの作るバルコニーは一度屋根を作った上に置屋式のバルコニーを作るか、住宅と縁をきった上で柱建てで独立したものを作る。アルミの既製品のオシャレなやつでもいいし、木で作ってもかまわない。
日本人のDNAに西洋への憧憬が「記号」としてあるのがバルコニーかもしれない。それがルーフバルコニーを作り、手スリ立ち上がりを外壁と同質で仕上げるという作り方を生むのか?それにしてもリスクが大きすぎる!
木造ということを前提に考えると、木造は風や地震に対してキシミで保っている。ということはユレルということである。下地がユレル(というか動く)。その上にFRP防水がきちんとなされてない場合があり、2層以上の防水加工が必要となってくる。又、下地のコンパネも12mmの厚さのものを2枚重ね張をしないとたわんでしまう。さらに梁などが持ち出しになるために外壁回りに濾水のリスクが増える上に架構が複雑になってくるなどなど。
たかが、布団や洗濯物を干すためにルーフバルコニーを作ることはカシコイことではない。広大な別荘地で美しい風景を見ながら食事をする、お茶をするというのならば別の話であるが・・・・。

カシコイ住い手をめざして 第1回 吹抜の功罪

吹抜の功罪
 「空間」という言葉は、日本語の語感では屋根や壁によって規定された空気の形を思いおこす。あるいは、ある物質がその周辺とともにかもしだす雰囲気も想起される。さて、その有限の三次元的空間、特に内部空間をどう構成するか?それがデザインの一大側面であり、いわゆる「建築家」はそこに彫刻的な空間意識を前面に押し出すタイプが多く見られる。私たちは「空間」とはくらしを入れる器をデザインした結果だと思っているので、わざとらしいことをあまりやらない。
 たとえば「吹抜」である。住宅の場合、一番広いのは居間だが、たかだか20帖程度、ここに2層分の天井高をとるとすれば恣意的にやっているのである。もちろん部屋が広くなると必然的に天井高も高くしなければならない。でも2層分の天井高が必要なのは百帖敷ほどの広さからである。
 私たちも「吹抜」を作ることもあるが、わざとではなく、ごく自然にそうなるように設計する。住宅の場合、どうしても階段と関連して初めて「吹抜」を作る気になる。階段は一種の「吹抜」であり「穴」である。その穴を唐突ではなく構成しようとする判断と、その家に対する意図とが重なる時、「吹抜」を作ることにしている。この場合、快適な温熱環境を作ることがエアコンなどの空気対流型の暖房器を使うと難しい。温められた空気は上昇し、冷やされた空気は降下する。だから下から暖めて、上から冷やせばいいように思うが、一般に「吹抜」の底に生活があるのだから、とくに冬、効率的に暖房することが難しくなる。空気対流型の暖房器ではなく、輻射型の暖房器(パネルヒーター、床暖房、薪ストーブなど)の採用が最適であるがコストがかかってくる。かつて1970年代に大型エアコンを使い「吹抜」を利用した「セントラルヒーティング」の住宅が建てられましたが、前記のような理由で冬寒いので、2階の床を作り「吹抜」をふさいだということがありました。
あとは「音」の問題です。「気配を感じられる」家ということが言われていますが、「吹抜」を作るとヒソヒソ話なども「吹抜」を通じてツツヌケになってしまいます。
 今年の冬、N邸の温熱環境リフォームを行ないました。N邸は九州では有名な建築家S氏の設計によるもので、他社で施工されたものです。「吹抜」があって開口部が多く、壁も「泥壁」で、家全体で考えた時、断熱性が低いため、各部屋で夜ファンヒーターをつけても寒くて眠れない位だったそうです。そこで、開口部のシングルガラスを真空ペアガラスに変更し、和風住宅で障子の仕切りが多かったので、障子を和紙とポリカ板のタイコ張によって温熱環境を改善しました。そのNさんが話してくれたことですが、進学問題やお金の話など子供に聞かせたくない話や夫婦だけの話の時には外に出で車の中で話し合われたことや、またそのような事が子供さんに不信感を与えたりしたこともあったそうです。それくらい話はツツヌケになってしまいます。「気配が感じられる」家というのも程度ものということでしょうか?
               *          *           *
まとめて
①ローコストの場合「吹抜」を作らない方がカシコイ。
②「吹抜」を作る場合、輻射型の暖房設備を使用することを前提とする。
③「音」の事はどうしようもないので、「音」の通りやすいことを覚悟する。それがイヤナなら「吹き抜け」は作らな  い方がカシコイ。(「吹抜」を作らなくても木造住宅は十二分に気配は感じられるハズ)

住まい方を創る 第7回

 今回で『住まい方を創る』はひとまず終わります。

 キッチンと食卓はそれらのあり方ひとつで便利にも不便にもなります。また利便性だけでなく家族間の関係や精神的な面に少なからず影響を及ぼします。孤食の問題や食育の必要性は前に述べたとおりです。改めて人の心というものは「食」と深いかかわりがあるという事を実感せざるを得ません。キッチンと食卓の関係でこうでなければならないという事はできません。なぜなら家族関係が千差万別であるからです。しかしどのようなタイプでもメリット・デメリットは必ずあります。これからそれらの事を考えていきましょう。
●オープンかクローズか
 キッチンと食卓のあり方は大きく二つに分けることができる。1つはキッチンと食卓が1つの空間あるオープンタイプ、もう1つはキッチンが独立しているクローズタイプである。オープンタイプのキッチンでは作る人と食べる人が同じ空間にいるため、一体感をもつことができる事が最大のメリットです。おしゃべりをしながら料理やお茶をいれることができたり、みんなでワイワイ言いながら料理を楽しめたりします。しかしオープンタイプでは料理や洗い物のザワザワした音や煙、臭い、汚れ物やゴミといったキッチンの雰囲気すべてを食卓にもちこむことになります。そのためクローズタイプのキッチンを好む人も少なくありません。また、成長過程のいる子供たちのいる家庭と落ち着いた大人ばかりの家庭では当然どちらを選択するかも違ってきます。オープンタイプのキッチンはLDKがワンルームになる事が多く、そのため子供がどこにいても親がキッチンに立つ姿を見ることができます。家族のために愛情をこめて料理を作る親の姿はそれを意識して見ることはないでしょうが、知らないうちに心に焼き付いて残ってゆくものです。子育てにはこういう環境づくりが必要です。一方、クローズタイプのキッチンは大人向きともいえます。料理中に発生する音・煙・臭いを食堂・居間にまで持ち込みたくない、あるいは料理の裏舞台は見せたくない、心おきなく料理を楽しみ、散らかしたあとでも扉の向こうの食卓では落ち着いて食事を楽しみたいという理由でクローズタイプのキッチンを選択される人も多い、その家庭その家族で事情が異なり、更に好みや価値観も違います。その家にあったタイプを充分に検討するのがいいでしょう。
●対面キッチン
最近、対面キッチンが盛んに取り入れられています。オープンキッチンでありながら、これまでのDKのように食卓
のすぐ脇に流し台があるといった雑然とした様子のものでなく、食卓側は割合と落ち着いた雰囲気になっているのが人気の理由でしょう。更にもう1つの理由として考えられるのはキッチンと食卓のコミュニケーションが取りやすいということです。キッチンとしての独立性を持ちつつも、料理をしながらおしゃべりができたり、食卓や居間の様子を見まわせたりとオープンキッチンの魅力をも持ち合わせています。というといいことばかりのようですが、もう一歩踏み込んで考えてみると必ずしも良い点ばかりでないことがわかります。対面キッチンでは、意外と「つくる人」と「食べる人」に分かれてしまいやすい。キッチン側に食卓をくっつけるように配置すると、片側の人はキッチンへの移動がスムーズですが、もう片方の人は食卓をぐるりと回りこまなければならないので動きにくくなってしまいます。同じ対面式でもキッチンと食堂の行き来がスムーズになるようにキッチンセットと食卓を囲むような回遊的な動線を考えるとキッチンと食卓の関係をよりよくするだけでなく家族関係をもよくする小さな工夫です。
● 対面キッチンのつくり方~対面キッチンクローズ型の提案
対面キッチンは流し台の背が食堂に向くので、その背面を隠すために壁や収納をつくります。そこでこの部分の工夫が大切であると考えます。手元が食堂から見えないように腰壁をつけたり、壁の奥行を広げて収納にしたりするケースが多いようです。奥行は収納するものや室内の広さによって決まりますが、カウンター天板の形状や収納のつくり方などは様々です。収納を引き出し式にしたり、扉をつけたりするなど色々な工夫の方法があります。食卓の位置によって使い勝手の悪い収納になってしまうこともあるので、使い方をよく考えてから決めましょう。ここで注意したいのはカウンターの高さです。高さをどのようにするかによって食卓とキッチンの関係は変わってきます。使い勝手のみならず、キッチンの見え方など視覚的感覚はカウンターの高さによってずいぶん違うものです。実際に高さを確認しながら、この微妙な関係を演出してみましょう。
 ところで、対面キッチンの良さはオープンでありながらも食卓に落ち着きを与えることができる点にありますが、その反面どうにかならないかなと思うのは魚などを焼いた時の煙です。対面キッチンの場合、食堂・居間を含めたワンルームにすることが多いので、例えばタレカベをつけて煙返しとしても、食堂や居間まで煙や臭いが広がってゆきがちです。そこでコストは少しかかりますが、対面クローズ型DKを提案したい。それは、食堂とキッチンの出入口とカウンターの上に引戸を取り付けるという簡単なことです。普段はオープンにしておきますが、必要に応じて引戸を閉じ、クローズすることができます。引き戸は壁の部分に隠れるようになっているので、オープンした時にも戸の存在を感じさせません。若干、開放性には欠けるかもしれませんが、引戸を使うことにより、オープンにもクローズにもできるという二面性をもったキッチンです。


住まい方を創る 第6回

§5 キッチンと食堂のよい関係とは?
 調理はかつては家事労働ととらえられていたが、今ではそのように考えている人は少ない。時間があればゆっくりと楽しみ、時間がなければ手早く楽に調理することができる時代になってきた。これは食品の広域流通と加工化がもたらした豊かさであるが、それが個有の食品の味を平準化させ味覚文化の衰退とでもいう豊かさの中の貧困をまねいている。食は家族をつなぐ原点であり、人間生存の原点でもある。キッチンの造りようはそこから考えなければならない。
     *     *     *     *     *     *
 昔はキッチンの位置はほぼ北側と決まっていた。食品がくさりにくいという理由もあったがキッチンの存在があまり重要視されていなかった。「男子厨房に入らず」という言葉が端的にそれをあらわしている。前に述べたように「食」を中心にしてもう一度「家族する」という事を考えるならばいろいろな事が考えられる。
●食べることを家の中心にする
「食」を生活の核とし、生活の中においてDKのあり方を積極的に考え、生活の表舞台としてとらえることである。料理を作ることが大好きでキッチンにいる時間が長く、家族はもっぱら食堂といった家族の場合なら、家の中で最も居心地の良い場所、例えば家の中心にDKを配置してみる。また料理を作ることが苦手な人でも居心地をよくすることによって意欲がかきたてられるかもしれません。
●他の家事をしながら・・・
 楽しみながら料理をするというのは理想ですが、毎日毎食というのはなかなか難しいものがあるかもしれません。他の家事に追われながらまるで戦争のようにこなさなければならないのが現実でしょう。料理をしながら洗濯をする、お風呂の準備、子供や老人の世話といったように同時に2つや3つのことをこなさなければならない場面が少なくない。そういう時に限って電話やインターフォンのベルがなったりします。これらをスムーズにこなすにはキッチンをとりまく環境、動線や位置が重要なポイントになってきます。家事のやり方はそれぞれの家庭によって違いますがキッチンの動線上にドラム式の洗濯機を置いてキッチンと一体型のワークショップとしたり、せまい主婦コーナーをつくり、そこを電話やFAXや郵便物をおく情報コーナーみたいにするのもいいでしょう。
●コンパクトキッチン
 「食」がくらしの大切な要素であることはいうまでもありません。しかし常に最優先というわけにはいきません。「わが家にはそれ以上に大切なことがある」という場合や「住宅の面積が少ないからキッチンを広くとるわけにはいかない」といった場合もあります。キッチンをコンパクトにしたからといって食がおろそかになることにつながるわけではありません。キッチンに求める基本的な機能は変わらないのですから、逆に狭いからこそ合理的に機能的に使うことが求められます。洗う・切る・調理・・・・という基本的な作業スペースのほかにも冷蔵庫や炊飯器などの電化製品の置き場所や食料品や道具類などのスペースもキッチンには必要です。わが家のキッチンに必要不可欠.なものは何かをよく考えて厳選し、物の量を制限することによって、初めてコンパクトキッチンは成立するのです。
●シンプルキッチン
 現代日本においては、くらしの中に物があふれ返っています。キッチンの中もしかりで、ほとんど使わない調理器具や食器などがしまいこまれているという状況は多くの家庭で見られるのではないでしょうか?毎日の食生活を改めて振り返ってみると実際は限られたものしか使ってないことに気づきます。せっかく買ったものだから処分するのはもったいない、いつか使うだろうと油断していると物はふえる一方です。スタンド割烹のキッチンや料理研究家のキッチンが意外とせまかったり、調理器具が少なかったりして驚かされることがあります。ある料理研究家は必要最小限の和食器と洋食器、鍋4つとフライパンと中華鍋をそれぞれ1つに絞こみ、他の小物も厳選して特定の料理専用の鍋など持たずに一つの鍋を色々な用途に使われているそうです。これからは「物をもたないイサギヨサ・ユタカサ」ということに目を向けていかなければいけません。
                                             つづく
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