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環境主義住宅を解く 第19回

 おもしろくなければ注文住宅じゃない、の続き。
 たとえば、アメリカではほとんど注文住宅というのはなくて、建売が基本だという。何となくアメリカ的だなあと思う。日本でなぜ注文住宅という形態が存在しているのかは知らないけれど、やっぱり何となく日本的だなあと思う。きっと「納得」とか「満足」とかの種類が違うんだろう。ただ、これまでの「注文住宅にしたい」という思いと、最近のものとは少し違ってきているような気がする。現実的な話をすれば、これは注文住宅を建てられる人の数が圧倒的に増えてきたことによる変化だと思う。以前は「ウチは注文住宅を建てることができる家なんだぞ」ということを誇示したいという気持ちが強かったのではないか。もちろんいまでもそんな要素はあるだろう。でも、もっと個人的な指向-自分たちが住みたい家にする-という側面が大きくなっているように思う。
 そう考えたとき、家づくりの過程自体が「自分たちの住みたい家が出来上がっていく」という内なる喜びとなるはずだ。また、人生においてこれほどダイナミックなものづくりに関わることはまずないから、その過程をつぶさに経験することは「感動」をも生み出す。  
これは結果論的に見た話だけれど、逆説的に見れば、そうした喜びが感じられない過程を経た家づくりは、「自分たちの住みたい家」にならないという捉え方もできる。つまり、注文住宅を建てようとする心構えとして、「過程に喜びが感じられる家づくり」を目標とすることが有効となるのではないかということだ。
もちろん注文住宅には苦しくて面倒なこともたくさんある。純度の高い注文住宅づくりを終えた人に話を聞くと「ああしんどかった。やれやれ」という感想を述べる人も多い。でも、その「やれやれ」の中には、そうした経験をしたことにしか出せない微妙な満足感が滲み出ている。そして何より、そうして得られた「住まい」にこれから暮らすことができるというじんわりとした感動が表れている。
別にこうした経験をしなくても、人生に何かが欠落するということではない。絶対に経験しておかねばならないことでもない。でも、やっぱりこうした経験は人生に、家族に何かを付加してくれることは間違いないだろう。感動を得るために家づくりをするわけではないけれど、どうせなら「感動」したほうがよいに決まっている。それが静かな感動であればあるほど、押し付けの感動が多いいまの世の中では貴重な経験になる。
繰り返すが、いっときの苦しみや面倒なことを乗り越えることも含め、「家づくりの過程を楽しむぞ」と意識することは、精神的な満足度、そして出来上がった家そのものの満足度を高めることにつながる。広範囲にわたる専門分野の勉強をすることも楽しいし、楽しんでやれば身につく。また逆に、自分を追い込むような勉強はやめておこうとするだろう。設計する人の考え方を聞く、職人さんの技を眺める、山に木を見に行く。家づくりの過程を楽しもうと思えば、こうしたすべての過程に前向きなスタンスになるだろうし、それは確実に「自分たちの住みたい家」に溶け込んでいく。
しかし、そういうことができるかできないかは、家のつくり手の姿勢によるところが大きい。前向きなスタンスを肯定的に受け止めてつき合ってくれるつくり手ならいいけれど、決まってしまっていることが多いところであったり、「面倒な客だなあ」と煙たがるつくり手であれば、そんな楽しみ方はできなくなるし、当然「自分たちの住みたい家」に制限を受けることになる。「楽しんで家づくりができそうか?」という視点でつくり手選びをすることは、実は家づくりの重大な肝になるのだ。
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