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朝酒・朝湯・朝寝

「甘木温泉:天然温泉・卑弥呼ロマンの湯」はジムも付設しており、自宅から車で15分の距離にあるのでよく出かける。ナンセ、温泉+ジム=500円というヤスサです。湯質はアルカリ性単純泉の源泉掛け流しで、つるつるのイワユル「美人湯」というヤツ。名前も少々キャッチーぽいので公営の温泉施設と思ってなめていると、湯の良さに圧倒させられる。JRの「九州八十八湯めぐり」に、地味ながらも、「花立山温泉」「あおき温泉」「大川温泉 みどりの湯」などとともに原鶴・筑後川温泉郷以外で選定されている温泉です。

温泉が好きになった、というか、『温泉体質』になったのは大学に行っていた頃だろう。学校があったのが鹿児島市で、市内中の銭湯が温泉だった、というのはオーバーかもしれない。少なくとも、下宿からいける銭湯はみんな温泉だった。さすが、活火山「桜島」のお膝元である。

映画研究会、略して、映研に属していると、映画館でアルバイトができた。日活ロマンポルノを終夜上映している映画館の切符売りだ。週一二度、20時から26時まで拘束されるけど、夜食つきでギャラはよかった。夜の街の情景を切り取られた切符売りのガラス越しに眺めるのは、悪くなかった。「お姉さん」「お兄さん」は、みんな、オアシが切れて気風がよかった。

バイトに行く前に、「のり一」というラーメン屋で、腹ごしらえをする。カップヌードルより安い150円のラーメンで、チャシューの代わりにハムが一切れ載っていた。そこでは聾唖の人がたくさん働いていた。夜食は21時頃で、僕は近くの中華屋の「肉天ライス」の出前を取ってもらう事が多かった。又肉の天ぷらにウスターソースがかかっていて、白飯に乗せて口の中にカッコムと、喉仏まで飲み込んでしまいそうなくらい美味だった。26時にあがると、上映中の映画を一本観て、「一代」という焼酎屋に流れるのは午前4時。おでんのはしっこだの、煮崩れたやつを食べさせてくれた。お代は焼酎代だけで、貧乏学生としては有難かった。

行きと同じで、40分ほど歩いて下宿に戻るといつも午前6時頃だった。鹿児島では早朝から銭湯が開いていた。朝の一番風呂に一時間ほどじーっと湯に浸かっていると、とろとろになって、おでん鍋の中で煮込まれている『すじ肉』になったような心持になってくる。そして、『温泉体質』になった僕は湯上りにフルーツ牛乳を飲むのが常だった。それから講義に出れば立派なものだが、御多聞にもれず、布団に沈没してしまうのだった。

「朝寝・朝酒・朝湯」がすぎて身上をつぶしたのは小原庄助サンだが、僕は「朝酒・朝湯・朝寝」で留年した。

書を捨てよ、街に出よう、喫茶店に入ろう!

「打ち捨てられし わが青春よ  しおれし花飾りのごとく・・・」というアポリネールの詩の一句を教えてくれたのは、誰だったのだろう?青春という言葉が素直に出てくるという事は、もう青春ではない、という事である。若い頃、その言葉を口にするのは、恥かしかった。

高校時代には、東大安田講堂・赤軍派日航機ハイジヤック・三島氏自決・京浜安保共闘~連合赤軍事件が起こった。しかし、学園は、あくまでも、平穏だった。全校集会や卒業式闘争はあったが、所詮、コップのなかの嵐だった。意志は押し曲げられ、出口は見えず、飛ぶことは封印された。

僕が学んだM高は、リベラルな保守あるいは穏健な左派、といった色合いだった。「政治的反抗」というより「大人への異議申し立て」といった「気分」が支配的だった。僕たちは「同時代を生きる気分」だけは満喫していた。校則も「夏期は学帽なしに白いシャツに黒ズボン」と学校側に改訂させた。「白いボタンダウンシャツに黒いジーンズ」という格好でも生徒部から注意を受けることを無かったし、バンカラを気取って、それに下駄をあわせるものもいた。まぁ、屈折した洒落者が僕の周りには多かった。

1969~74まで5年間のモラトリアムを、M校で3年、併設された予備校で2年過ごした。時代は高度経済成長の高揚期で、まちは躁状態だった。そんな気分を僕たちは「喫茶店」で知った。モーニング・サービスの時間帯は商店主であふれかえっていた。2年間の浪人時代、僕たちは久留米音協のポスター・チラシを喫茶店に届けるアルバイトをしていて、その頃「久留米市の単位人口あたりの喫茶店の数は日本一だ」とかという話があった。

ピザパイ・ピザトーストは「サン・ルイ」で初めて食べた。
リセエンヌが乗るような自転車の前のバスケットに、「サン・ルイ」のフランスパンを積んで走る女の子は、妖精のように見えて新鮮だった。
「門」はコーヒーが何杯もお変わりができて、僕たちのたまり場だった。
「ルーレット」「モダン」「バン」でジャズを聴き、大人の仲間に入れたような気になっていた。
2月の天気がいい日には「ばんじろ」のイチゴミルクを食べに走った。

勉強を怠け、街に出掛ける時「書を捨てよ 街に出よう 喫茶店に入ろう」と寺山修司の芝居の科白をもじって僕たちは叫んだ。

40年以上前の事だ。古いことは確かだが、よき日々だったかどうかは、何ともいえない。

ラヂオの時間

「深夜放送」と聞くと、甘酸っぱいものがこみ上げてくる。
高校受験の1968の春だったろう。
事の経緯はもう忘れてしまったが、ナショナルの「ワールドボーイ」というラジオを買ってもらった。

ぼくは14歳で、十分若く、子供子供していた。
自分の居る「田舎」がイヤデイヤデ、出口を求めていた。
地元でなく、マチの高校に入ることが一番手っ取り早かった。

そのためにぼくはガリベンをした。
田舎を出るためなら辛くなかった。
夕方帰ってきて食事を終えて一度仮眠を取る。そして11時頃起き出す。

ラヂオをつけてイヤホーンを耳に押し込む。すると、ぼくのパラダイスが始まる。
ニッポン放送にチューニングする。
「チンペイの花の予備校」「黒田征太郎の青春ホットライン」「ナベサダとジャズ」
そして 「オールナイト・ニッポン」・・・
・・・ビタースイートサンバの楽曲に乗って、深夜のカーニバルが始まる。・・・

そこに展開されるのは、ライブ感のある同時代の感覚、今を生ききっている気分だった。
ココ  デナケレバ  ドコデモイイ  ドコカ  トオク  ヘ  ツレテッテ !
もっとコッチヘ  もっとコッチヘオイデ・・・  とラジオはそそのかす。

ビートルズのほかに二ユーロックを知った。
ジャズのほかにR&Bを知った。
アングラというカウンターカルチャを知った。
「造反有理」という言葉を知った。
ベトナム戦争を知った。ヒッピーを知った。・・・

ラジオの中で「世界」がうねってた。
ラジオの中で「時代」が踊ってた。

めでたく高校に合格し少し広い世界に出た。
ラジオで知った「世界」「時代」を語り合える友達ができた。
オールナイトニッポンは地方局にニッポン放送からネットされるようになった。
中国や北朝鮮の対日宣伝放送の合間を縫って聞かなくてもよくなった。

青春が濃くなるにしたがい、次第に深夜放送は聞かなくなっていった。

【コピペ】『自由』と『民権』を守ろう!

★特定秘密保護法案「官権政治」強める=*田中秀征氏インタビュー=

 聞き手:山口那津男【時事通信社】

 安倍政権が今国会成立を目指す特定秘密保護法案。「運用を誤れば、戦後保守政治の屋台骨である『自由』と『民権』の価値を大きく損ない、『官権政治』を強めることになる」。旧新党さきがけ代表代行で経企庁長官を務めた田中秀征氏(73)は2013年12月、インタビューに応じ、こう警鐘を鳴らした。

-自民党の石破茂幹事長が秘密保護法案に反対するデモをテロに例えて問題となっている。

 「デモはテロと本質において変わらない」とブログに書いたそうだが、デモとテロは本質において正反対だ。テロは黙ってやる。だからテロをしない人がデモをやる。「脱原発」の問題でもそうだが、きちんとした政治をすればデモは起きなくなるものだ。単なる失言だと思いたいが、もしそれが本音だったら、政治家として退場しないといけないような、取り返しがつかない発言だ。

-秘密保護法案は非常に大きなテーマなのに、唐突に国会に提出された印象がある。

 突然であると同時に、内容的にも非常に粗雑。尖閣問題をめぐる日中対立の中で、国家安全保障会議(日本版NSC)設置と集団的自衛権解釈見直しとの「3点セット」として進めちゃえということなのだろうが、これは霞が関による霞が関のための法律だ。財務省・旧大蔵省は、人気のある政権ができるとそのときの景気にかかわらず、税収確保の増税をやろうとするが、今回もそれと同じ。外務省を中心とする霞が関が、安倍政権の人気に乗っかったわけだ。しかし、霞が関の言う通りの法案、政策をやろうとしてつぶれた政権は少なくない。この問題で安倍政権は手痛い打撃を受ける可能性が強い。

-法案は何が問題か。

 この法案は、戦後保守政治の屋台骨である「自由」と「民権」に深く関わる。運用を誤れば、この重大な価値が損なわれ、「民権政治」を弱め、「官権政治」を強めることになる。具体的には、秘密の範囲と指定期間、そしてチェック機関の3点が問題だ。

 まず秘密の範囲だが、狭ければ狭いほど良い。そして現在、「特定秘密」として指定を急ぐべきものはほとんどない。自衛隊法や国家公務員法など今ある法律の厳格運用で、当面は不足はない。それでも、どうしても必要と言うのなら、何年かかけてじっくり議論すべきだ。

-指定期間は法案修正で、「原則30年」から「60年を超えることができない」と後退したが。

 60年というのは、核廃棄物の(放射能が無害化する)10万年と大して変わらない。ほとんど永遠を意味する。論外だ。だいたい、公式の会議の議事録も取らず、保存期間が終わった公文書を廃棄処分にしていた官僚組織が、何を言っているのかと言いたい。今まで何でもかんでも隠してきた霞が関に『60年』なんて言う資格はない。

-「60年」だと、問題があった場合でも、その秘密に関わった官僚の責任を存命中には問えなくなる。

 まさにそこだ。指定期間が長くなれば、官僚は政策立案でより無責任になる。だから、特定秘密は、原則として10年以内に解除すべきだ。どんなに長くても20年、せいぜい30年だと思う」。

-秘密指定は官僚によって恣意(しい)的に行われるという懸念がある。

 一番心配しているのは、秘密を指定する個々の官僚の人格、どの程度の倫理観を持っているのかについて、われわれ一般国民には判断する術(すべ)が全くないということだ。だから、部下が秘密を漏えいした場合は、管理者も管理責任で刑事罰が問われるようにすべきだ。そうすれば、官僚は安易に秘密指定ができなくなる。誰が秘密指定したのかが、指定解除のときに分かるようにすることも必要だ。公正に指定したのであれば「異論ありません。名前は出してもらって結構です」と言うはずだ。好き勝手やって、責任は逃れたいというのは許されない。そういう問題は、安倍晋三首相もよく分かっていないのではないか。

 首相の同意義務付けも意味がある。指定された特定秘密を全て持ってこさせ、総理執務室の金庫に入れておけば、官僚への抑止力になる。例えば、会社の社長が課長に「お前がやっていることは全部文書にしてこの金庫に入れておけ」と言えば、課長は勝手なことはできなくなる。社長も問題が起きたとき、「現場のことは知らない」と言い逃れできなくなる。今までも、つぶれそうな政権、霞が関からつぶしたいと思われた政権は、本当の秘密は知らされていなかったが、総理の金庫に入れさせるようにすれば、その抑止効果は大きい。

-法案が成立すると、「官僚主導」がさらに強まっていくとの見方がある。

 一番の論点はそこだ。官僚組織の意向「官意」に沿って、マイナスになる情報は抑え、逆に都合のいいことは公開して、世論を誘導して政策を展開するようになりかねない。イラク戦争のときも、「イラクは大量破壊兵器を持っている」ということばかり大声で叫んだ。「そうではない」という情報もあったのに、記者クラブを通じて一方的に情報を流した。同じことが頻繁に繰り返されるのではないかと心配している。

-法案が成立したとして、その後の展開はどうなるか。

 事実上棚上げされる、凍結される形になっていくのではないか。この法案は、目に見える直接の利害を国民にもたらさないから、一般の人たちはあまり関心がなかったが、勉強がどんどん進み、「とんでもない法案だ」という認識が広がっている。次の国政選挙を経て葬られる可能性がある。だから、慌てて「第三者機関」をつくるという話が出ているが、本当に独立性を持ったものでないのならつくる意味はない。原発事故で「人災」をもたらした原子力安全・保安院以下のものになってしまう。

 「第三者機関」は設置時期も問題となる。法律の施行後につくるというのでは、審判が来ないうちに野球を始めるのと一緒。監督でも投手でもチームの人間が勝手に審判役を務めるという話だから。そんなおかしな理屈は通らない。

-与党は、修正合意した日本維新の会を置き去りにする形で、衆院通過を強行した。

 反対世論が盛り上がってくる前に、通しちゃえということだろう。賛成バスは、みんなの党が乗り込むと、維新の乗車を待たずに、それを振り払うように発車した。そういう印象だ。

-運転手の安倍首相は不本意だったのでは。

 バスの運転手は官僚組織。安倍首相は車掌さんだ。車掌さんは多分、維新も乗せたいと思っていたのだろうが、野党の「プラス1」が確保されたから、もう待っていられないとなったんだろう。

-かつての自民党なら、もっと慎重論が沸き起こっていたと思うが。

 多くの役所OBが派閥領袖(りょうしゅう)や有力者として配置されており、以前の自民党から大きく変わった。彼らは霞が関の主張に沿って命懸けでやる。洗脳とまでは言わないが、省益を代弁する大臣経験者も少なくない。衆院が小選挙区制になって、公認を得たい候補者が自由に物が言えなくなり、党の幅が狭まった。小選挙区制の行き着いた先と言える。

-公務員制度改革などで「官僚主導」打破を目指したみんなの党は賛成に回った。

 今回の対応は、今までの主張と明らかに矛盾する。期待していただけに、極めて残念だ。でも、みんなからは井出庸生氏ら3人が棄権・反対した。彼らの行動はよく分かる。政界の若手も捨てたものじゃない。ああいう政治家が3、4人出てくれば日本の政治は一気に変わると思う。

-公明党には自民党へのブレーキ役としての期待もあったが。

 第三者機関の問題では、主張を譲らずやってほしい。ただ、消費税の軽減税率も含めて、どれを実現する代わりにどれを譲ると(自民党と)取引を考えているようにも見える。それは国民には通用しないということをかみしめてほしい


*田中秀征氏(たなか・しゅうせい) 長野県生まれ。73歳。東大文、北大法卒。1983年衆院選で初当選。93年に自民党を離党し、武村正義氏らと新党さきがけを結成、代表代行に。細川政権で首相特別補佐、橋本政権で経済企画庁長官を歴任。96年の落選後も、一般の人を対象とした「民権塾」を主宰、テレビ、雑誌などで発言を続ける。福山大客員教授。著書に「判断力と決断力」「舵を切れ」など。

僕と沖食堂とエトセトラ

ハジメテらーめんヲタベタノハ、イクツノトキダロウ?たぶん、今から40年以上前、高校1年の頃に沖食堂のラーメンを食べたのが初めてだったと思う。又肉の入ってない「素ラーメン」が60円だった。肉のはいってないチャンポンを「チャンどん」と呼んでいた。帰郷した1986には「素ラーメン」「チャンどん」がメニューからなくなってしまったので、あまり沖食堂には行かなくなった。

それでもたまに行くと、必ずお客さんが鈴なりである。遠い所からブロガーみたいなラーメンファンがかけつける。行列ができてしまい、地元客が昼休みに食べそびれる事が多くなったので、40年前からすると半分ほどのメニューになってしまったらしい。

今の沖食堂では「支那うどん」を注文することが多く、ラーメンは食べなくなってしまった。「支那うどん」はうどんつゆにチャンポンメンを泳がせたような不思議な一品である。なぜか、この品は40年以上前から途絶えないでメニューにある。注文する人もそんなに多くないのだが、和風ダシと化学調味料で手早くできるからなのだろうか?高校時代のノスタルジイを思いおこさせる一品である。もしこの「支那うどん」がメニューからなくなったら、たぶん、沖食堂には行かなくなるだろう。

30年くらい前の一風堂あたりから始まった『ラーメンルネサンス』は一大革命を起してきた、と言える。新しい波をニューウエーブ系と呼び、それ以前のラーメンをイニシエ系としてみる。化学調味料に頼りきりだったイニシエ系にニューウエーブ系は衝撃を与えたと言っていいと思う。百花繚乱のニューウエーブ系はイニシエ系にいい影響を与え続けている。しかし、そのムーブメントを横目に観ながら、僕は佐賀市・松原神社前の「一休軒」に夢中になって通いつめていた。だから、ニューウエーブ系について鳥瞰的・虫瞰的なことは数多あるラーメンブログを参考にしてください。首っ丈になったその「一休軒」は、佐賀市のマチナカが空洞化した2・3年前に、広島の方に移転されてしまいました。

僕は来年2014には60歳を迎えますが、そのせいか、「ラーメン」より「チャンポン・そば」を食べることが多くなってきました。ごくたまにラーメン屋に行くとなると、老舗の「基山ほっとステーション」(幸陽軒の流れ)か新人の「来雷軒」(久留米市役所近く)が定番になってきています。

【付録】・・・以下の情報はコピペしたものです。情報源を失念してしまいました。ごめんなさい!

@『久留米ラーメン』

 【発祥】昭和12年 久留米にとんこつラーメンの元祖である屋台の南京千両が誕生した。当初のとんこつラーメンは、グツグツ煮沸しないやり方の清湯スープで白濁していなかった。昭和22年 屋台三九の創設者が作った偶然煮込み過ぎて出来た失敗作のラーメンが、現在の白濁系とんこつラーメンの元になった。これが大流行し、鹿児島を除く九州全県の現在の白濁系とんこつラーメンのルーツとなった。

 【麺】中太麺。麺の加水率が低い為、麺にスープの浸透しやすくなり麺自体も美味しく食べられる。うどんで言えば“煮込みうどん”のような、本来の久留米ラーメンは「柔麺(やわめん)」の文化。本来の久留米ラーメンにはカタメン・ヤワメンはあるが、博多・長浜のようなコナオトシ・ハリガネ・バリカのような注文の仕方はない。

 【スープ】 営業で減った分だけ毎日新しいスープを継ぎ足しする。イメージで言えば長年継ぎ足す“鰻のたれ”のようなもの。だから、久留米ラーメンのお店は50年以上の歴史があるところも多く「スープの煮込み時間は半世紀以上」といわれている。本物の久留米ラーメンは一般的なイメージとは全く違い、あっさりししたとんこつラーメンが旧来の久留米のとんこつラーメン。決して、ギトギトでもベタベタでもない。だから、巷で言われているような、「ド・とんこつ」とかいうものは、実際には久留米に存在しない。あれはマスコミが作り上げた造語であり、久留米市民に「ド・とんこつのお店はどこ?」と聞いても、そんな店は無いと言われる。

 【具】チャーシュー・ネギ・キクラゲ・海苔など。海苔が入っているのは立地的に「有明海」に近いのが要因だと考えられる。

 【脂】スープに足す「脂」は少ない。脂は入れない店も多い。元々、スープ自体が「継ぎ足し」で濃厚なため、脂で補う必要がない。あっさりだけど自然なコクで脂っこくないのでスープが全部飲み干せる。

 【薬味】コショー・紅しょうが・すりごま・おろしニンニク・にんにく醤油・にんにくチップなど。

 【替玉】 元々「替玉」は久留米ラーメンの文化ではない、ある店でも昔の久留米では替玉を「替麺」と呼んでいた。殆んどの店は、替え麺ではなく、量を食べたい人には“大盛り”で対応していた。理由は、スープに脂を足さないので、替玉をするとスープが薄くなり美味しくなくなるから。その代わりにサイドメニューに「やきめし」を一緒に食べることが多い。“久留米ラーメン”は、濃厚でありながらも脂っこくないとんこつスープが中太麺に浸透し、麺だけでなくスープの一滴まで味わうラーメン文化。

@『博多ラーメン』

昭和16年頃 屋台「三馬路」が博多ラーメンの元祖。当時のラーメンは現在のような白濁スープではなく清湯スープに平打ち麺だった。これは、昭和12年創業とんこつラーメンの元祖久留米の「南京千両」からの影響だと思われる。その三馬路が「五馬路」へと継承され、その後、屋号を現在の「うま馬」になった。

 *『長浜ラーメン』

【発祥】昭和28年、長浜ラーメンの発祥は「元祖長浜屋」。長浜市場で発祥。

【麺】基本的に細麺の「堅麺(カタメン)」文化だが、コナオトシ・ハリガネ・バリカタ・カタ・ヤワ・バリヤワ・など麺の茹で方が選べる。麺は長浜市場で競りの空き時間などで、早く食べれるように細く改良。短時間で食べ終わるように量も少な目。量を食べたい人は替玉の回数で対応。

【スープ】毎日新しいスープを作って売切れたら終わりの「採り切りスープ」。煮込み時間が短い為、スープ自体のコクは少ない。

【具】チャーシュー・ネギ。

【脂】脂が多い。スープ自体は薄い為、後で大量の脂を足しこってり感を演出しているが、これを本来のとんこつの濃くと勘違いしている人が多い。薄さをカバーするのに、スープを煮出す段階で、脂を混ぜている店も多い。

【薬味】紅しょうが・すりごま・おろしニンニク・辛子高菜など。

【替玉】替玉は殆どの店にある。麺の量が少ないので、初めから「替玉」ありき。“博多・長浜ラーメン”は、薄いとんこつ「スープ」を「脂」で絡め取り、「麺」だけを、素早く食べるというラーメン文化。 スープはあまり飲まない。

@《久留米ラーメンの歴史》

昭和12年 南京千両 ※とんこつラーメン発祥の店。

昭和16年 三馬力 ※博多ラーメン発祥。現在、うま馬に継承されている。

昭和22年 三九 ※白濁系豚骨ラーメンの元祖、後に佐賀に移転。

昭和22年 「のぼる屋」 ※鹿児島ラーメン発祥の店

昭和23年 潘陽軒

昭和27年 清陽軒 ※大砲ラーメンの元祖

唱和27年 幸陽軒

昭和28年 大砲ラーメン ※清陽軒から独立

昭和28年 満州屋 ※現在は満州屋が一番に店名変更

昭和28年「元祖長浜屋」 ※長浜ラーメンの発祥

昭和29年 来福軒

昭和30年 沖食堂

昭和32年 ひろせ食堂

昭和33年 丸星ラーメン

昭和40年 丸幸ラーメン ※幸陽軒が基山へ移転し店名を丸幸ラーメンに変更

昭和42年 大龍ラーメン ※丸幸ラーメンから独立

チャンポン今昔

昔のチャンポンにはウスターソースをかけて食べた記憶がある。昔の食堂には煮干やかつおの出汁のきいたしょうゆ味のスープ(蕎麦屋で言えば「かえし」みたいなもの)が甕にいれてあって、うどんや丼物などに使っていた。昔のチャンポンは、まずラードをひいて豚肉・野菜・かまぼこを炒め、それからそのしょうゆ味のスープをいれチャンポン麺を少々煮た。今のチャンポンはしょうゆ味のスープの代わりに豚骨スープを使う事が多い。勿論、昔も今も若干の「隠し味」は使う。

昔流のチャンポンを食わせてくれるところは、なかなかない。久留米・北野町「大城食堂」は1960年代のニオイがする。ここのは昔チャンポンである。きれいな店とはいいがたいがキタナイというほどでもない。「チカタビでも入れる店」という表現が筑後地方にはあるが、そんなガッテン系の店である。

チャンポンが数年前から秘かなブームを呼んでいて、マチナカでフツウに食べられるようになってきた。1986に帰郷してきた頃は、金の草鞋ならぬ銅の草鞋を履いて探さないといけないくらい、おいしいチャンポンを食べさせてくれる店は少なかった。ラーメンブームで「ひろせ食堂」「沖食堂」もチャンポンを作るのを止めてしまっていた。

久留米・善道寺町「銀花」は丁寧で上品なチャンポンを出す店で、その頃はよく通ったものだった。「白龍」の提供する「海鮮チャンポン」はインパクトがある。牡蠣が丸のまま一匹?入っていて個性豊かな一品で、その当時営業されてた三潴町に、遠路はるばる、田主丸から通っていた。津福でしばらくやっていらっしゃったが、今は鳥栖駅近くに落ち着いて営業中。それから「海鮮中華丼」もオススメ。

佐賀・武雄の「井手チャンポン」が筑紫野・福岡天神・大川などに進出してきている。なかなかの味だと評判で、今の主流の味といってもいいかもしれない。作るところをみていると、醤油ベースに豚骨スープに旨み調味料などを足して調理していた。「昔と今」のイイトコドリ、といったところ。若い人にはいいかもしれないが、初老の僕と配偶者には味が濃すぎる。

佐賀市の老舗のチャンポンは、長崎街道沿いのせいか、少し長崎っぽい。チャンポンにアベカワという卵焼きのような練物がトッピングされる。チャンポンの発祥とされる長崎「四海楼」ではキンシタマゴが載っているが、アベカワはその代わりではないかと僕は睨んでいる。。。「若柳」はオカミさんが愛想が悪いけど、「皿うどん」「牛肉チヤンポン」は独特の味わいがあって、僕は好きです。「春駒」は仕舞屋っぽい造りの店で、誠実な味のチャンポンです。どちらも甲乙付けがたい。

チャンポンは肉・野菜などバランスよく入っているので、初老を迎えたこの頃では「ラーメン」「うどん」より麺類ではそれを選択する機会が多い。「リンガーハット」からママさんたちが始めたような小店まで、どの店もそれぞれ個性があって、チャンポンファンとしては嬉しい限りである。

亜熱帯モンスーンの味

少し冷え込んでくると、天ヶ瀬温泉の少し上流にある「筏場(いかだば)の湯」に行くことが多い。この温泉の湯力(ゆじから)は抜群なのですが、源泉を加水してぬるくしたりしないので、夏季はスルーしてしまうことが多い。寒い季節になってきたので、ザブ~ンと入ってみたけど、ヤッパ、アツ~い(45度はあるね)!!我慢してしばらくつかっていると、体はトロトロの温泉体質にすぐにナッテシマイマシタ。

その後のお楽しみは、日田駅前の中華飯屋「さと」で「プノンペンラーメン」と「唐揚げ」を食べる事でアリマス。「プノンペンラーメン」は、いと面妖で、九州の麺文化を超越した存在でアリマス。チンゲン菜・セロリ・トマト・豚肉・いかなどが泳ぐ醤油ベースの鶏味スープにチャンポン麺より太い縮れ麺(札幌ラーメンのような、、、)が絡みつくのでアリマス。最後に白飯にスープをブッカケテ胃袋に流し込むと、大満足。

このアヴァンギャルドなウマさを僕は好きだけど、嫌いな人は受け付けないかもしれない。『プノンペン』と言うと『カンボジア』の首都ですが、この味はベトナム料理に近いような・・気がするなあ~。もっとも、本場のベトナムに行った事はありませんが・・。東京で食した舌の記憶を辿ると、そのように感じられるのでアリマス。

東京・銀座の(なんか京橋寄りだったような気がする)「ベトナムラーメン」を思い出してしまいます。古いけど小体な造りの仕舞屋風中華そば屋だった(ヤマモトラーメンって、いったっけ?)。「ベトナムラーメン」は、麺に味醂・酢・砂糖・醤油・酒を入れて煮込み、丸いままのたっぷりのにんにく(にんにくを醤油・酢で漬けたもの)、キャベツ、ニラ、もやしの炒め物が載り、さっぱりとした一品。野菜からの甘みが加わり、懐かしく優しい味のスープが舌を癒します。

それで、地元のベトナムつながり。筑後市で「ベトナムうどん」=「フォー麺」が食べられます。『まるしんうどん』の「てぬきうどん」がソレ。場所はR209から山の井の交差点を大川市の方へ300m程行った所です。前を向いて運転したら見過ごします。小さなビルの壁に「てぬきうどん」の文字が見えます。ワンタン麺より頼りの無いクタッとした食感。僕は好きです。本格的なベトナム料理なら「アイリス」という店が当地唯一の店。(・・・だと思う)ファサードはベトナムっぽくないけど、池町川沿いの「秋吉内科」の筋向いにあります。

何れにせよ、亜熱帯モンスーンの味である事に間違いない。

配偶者のソウルフード

配偶者のソウルフードは鳥の唐揚げらしい。実家のある枕崎の町内にあった唐楊げ専門店のものが美味しくて、クセになったらしい。唐揚げと言えば中津が有名だが、青の洞門の近くにある「村上からあげ店」に立ち寄った事がある。大分県では唐揚げは家で作るものではなく、お店で買うものであるそうな。午前11時が開店時間なのですが、すでに行列ができていて(北九州ナンバーの車が多い)、地元の人たちは2kg~3kgといった単位で買っていかれる。大分の県北と県南では大きく味の傾向が違うそうである。

青の洞門からR212を日田方向へ30分ほど車で移動すると「道の駅 山国」に出会う。そこのレストラン『練練庵(こねこねあん)』の「かぶりつき定食」はオススメである。鶏のももの唐揚げ+かけうどんorかけそば+ご飯(混ぜ寿司・鶏飯・白飯から選ぶ)+漬物で¥850は安い!ももの唐揚げは大きくて、一緒についてくるハサミで切り分けながら食べるノデアリマス。・・ウマイ!!・・・

「ケンタッキー・フライド・チキン(=K・F・C)がジューシーでオイシイ」と配偶者は言うが、僕は賛成できない。モスのチキンの方がまだましだと思う。コールスローとビスケットに引かれてツイツイK・F・Cに寄ってしまうのだが、本当は「清田うどん」に行きたいのだ。「清田うどん」は、製麺所出のオイシイうどん屋さんですが、サイドメニューの唐揚げも美味しいんです。これ目当てに来るファンも多く、うどんを食した後お土産に唐揚げを持ちかえる人もいる。

「鶏工房」のランチに配偶者と行ってきた。¥500で「鶏の唐揚げ+生卵+白飯+味噌汁+生野菜」の全てが、30分以内で、食べ放題だった。店は久留米市のR3の一丁田信号から花畑方向にあって、駐車場は少し離れています。唐揚げの味付けが塩っ辛くて、アラカンのぼくたちはたくさん食べられなかった。若い人にはバリューがあってコストパーフォーマンスの高いランチでしょう。

唐揚げを巡って僕と配偶者の間には、深くて暗い川があるのだ。

オールタイム・ベスト10

佐賀市の109シネマで、『午前10時の名画祭』と銘打って、シネマクラシックスを上映している。週代わりの上映となっていて、先週のプログラムは、ロベール・アンリコ監督作品「冒険者たち」となっている。      

ジョアンナ・シムカス、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラのトライアングル的な愛と『宝探し』という青春の彷徨を瑞々しく描いたフランス映画です。この作品をリスペクトするあまり「明日に向かって撃て」(G=R・ヒル監督作品:米)「黄金のパートナー」(西村潔監督作品:日本)などオマージュを謳いあげた作品に事欠かきません。

僕が109シネマの支配人なら、どんなラインナップを組むだろう。戯れに、オールタイム・ベスト10を選んでみよう!

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      @日本映画
                  A、東京物語 ; 小津安二郎監督(1953)
                  B、洲崎パラダイス「赤信号」 ; 川島雄三監督(1956)
                  C、豚と軍艦 ; 今村昌平監督(1961)
                  D、張込み ; 野村芳太郎監督(1958)
                  E、日本の夜と霧 ; 大島渚監督(1960)
                  F、仁義なき戦い ; 深作欣二監督(1973)
                  G、赤い髪の女 ; 神代辰巳監督(1979)
                  H、八月の濡れた砂 ; 藤田敏八監督(1971)
                  I、実録・阿部定 ; 田中登監督(1975)
                  J、千と千尋の神隠し ; 宮崎駿監督(2001)

       @外国映画
                  A、旅路の果て ; J・デユヴィヴィエ監督(1936)
                  B、ヘッドライト ; H・ヴェルヌイユ監督(1956)
                  C、勝手にしやがれ ; J・L・ゴダール監督(1959)
                  D、灰とダイアモンド ; A・ワイダ監督(1957)
                  E、カビリアの夜 ; F・フェリーニ監督(1957)
                  F、スケアクロウ ; J・シャッツバーグ監督(1973)
                  G、ゴッドファザー ; F・F・コッポラ監督(1972)
                  H、パリ・テキサス ; V・ヴェンダース監督(1984)
                  I、春夏秋冬そして春 ; K・ギドク監督(2003)
                  J、ミリオンダラーベイビー ; C・イーストウッド監督(2004)

*****(A~Eは名画座およびリバイバルで、F~Jは封切で観ている)

僕(59歳)と配偶者(58歳)の人生は、55歳で「朱夏」を終えたとすると、「白秋」の只中に在る事になります。僕たちは、東京物語の「ワシたちはしあわせな方じゃよ」という笠智衆の台詞に激しく情動を揺さぶられます。どんな「玄冬」が待っているのでしょうか。。?
  
① 青春:16歳~30代前半
② 朱夏:30代前半~50代後半
③ 白秋:50代後半~60代後半
④ 玄冬:60代後半~


「旅路の果て」は70年以上前のフランス映画だが、こんな昔に俳優たちの養老院が設立されていたというところに、まず驚かされる。この映画は“老い”が主なテーマだけに、人生の末路を真正面から受け取る作風なので、ペシミズムの色合いが強い。現実と非現実の区別が付かなくなり狂気の世界に入り込む者もいれば、哀れな末路を辿る者もいる。その一方、現実を現実のものとして受け入れる者もいれば、幸福に包まれた往生を予感させる老夫婦もいる。ラストのマルニーの弔辞、「私は嘘はつけない。彼は俳優としては取るに足らぬ男だった。しかし友人としては実にいい男だった。友よ安らかにねむれ」と読まれたような人生のエンディングであれば、人として、『言う事はない』。人間ドラマの古典的名作であることは言うまでも無いが、個人的には大人向けの重く暗い寓話として受けとめている。  

佐賀県議会へ行こう!

★ < 佐賀県議会>へ行こう!

佐賀県議会が、原発の賛成派と反対派の双方の学者を呼ぶことになっています。12月13日(金)10時~15時(予定)には、反対派の学者として東大の名誉教授の井野氏が佐賀県議会で証言します。

井野氏は金属材料学の専門家で、玄海原発の1号機の脆性遷移温度が高くて危険なので廃炉にすべきだと強く訴え続けています。保安院からは警告をずっと無視されてきました。

傍聴することによって井野氏を力いっぱい応援しましょう。県議会は県庁にあり、駐車場は県庁の地下にあります。

*****【参考資料】

☆2011-7月に、シンポジウム「玄海原発は『安全』か?」の中で、金属材料学の東大名誉教授・井野博満氏は「浜岡原発より危険な『玄海一号機』の脆性劣化破壊」というタイトルで講演されました。

・・・・・・・・・・・・・

原子炉は30年経つと廃炉にするのが「世界の常識」ですが、玄海原発一号機は1975年10月15日に竣工して30年以上経過しているにも拘らず寿命が延長されています。圧力容器の破壊を起こしている福島第一原発一号機は、1971年3月25日に竣工した40年目を迎えようとするロートルでした。

原発の老朽化を諮るうえで重要な指標に、圧力容器の「中性子照射脆化」というものがあります。原子炉内で核分裂が起きると、炉内に発生した中性子が飛んで圧力容器の内壁にぶつかり、金属にダメージを与える事になります。年月が経つにつれて、これが圧力容器を脆くしてしまう。それが「中性子照射脆化」と呼ばれる現象です。

一般に原子炉というと、何か非常に頑丈で特別な材料で出来ていると思われがちですが、実はまったくそんなことはありません。圧力容器は鉄にニッケルやモリブデンなどを加えた鋼で作られていて、配管にいたってはステンレス製です。これは家庭用の流し台と同じ素材です。原子炉というのはそういうありきたりな金属で出来ています。したがって、ほかの一般的な機械と同じく、経年によってガタもくれば老朽化もする。しかも、その老朽化に於いて原発特有の原因があり、それが中性子照射というものです。

その脆化=劣化とはどういうものなのでしょうか?簡単に言えば、中性子線によって金属の柔軟性・弾力性が失われて『硬く』なり壊れやすくなる、と言う事です。人体に例えれば、動脈硬化によって血管が破れやすくなるのをイメージしてください。金属の場合、劣化が進むと、『ある温度』(脆性遷移温度)より低くなると、まるで瀬戸物が割れるように、小さな力であっさりと割れてしまうようになります。この現象が、老朽化した玄海原発一号機原子炉では進んでいるのです。

通常、鋼の脆性遷移温度はマイナス20度くらいです。しかし、中性子線を浴びる事によってこの温度がだんだんと上昇していきます。この温度が高いほど、原子炉は危険になります。なぜなら、地震等で緊急炉心冷却装置が作動し、圧力容器を冷やさなければならなくなった場合、この「冷やす」という必要不可欠な操作自体が、危険を招く事になるからです。

九州電力が発表している玄海原発一号機の脆性遷移温度は、1976年が35度、1980年が37度、1993年が56度、ところが最新の2009年にはナント『98度』にまで一気に跳ね上がりました。

ガラスのコップに熱湯を注ぐと、割れてしまいます。これはコップの内側と外側の温度差によって生じる力にガラスが耐えられなくなるからです。原子炉の場合は、これと真逆になります。高温の原子炉の中に、緊急冷却のために水を入れる。するとそれによって圧力容器が破壊されてしまう。「脆性遷移温度が高い」ということは「より早い段階で圧力容器が壊れる危険性が高い、すなわち『壊れやすい』」ということになります。

脆性遷移温度が上昇する原因には、「化学因子」と「中性子照射因子」が考えられます。鋼中の不純物である銅やニッケルの量が多いと(化学因子)、上昇温度は大きくなる。中性子照射量が増えると(中性子照射因子)、上昇温度は大きくなる。

以前の事例ですが、関西電力の美浜原発一号機の脆性遷移温度が81度だった事がありました。ここの圧力容器には「不純物の銅が少なからず含まれている事」が判っています。玄海原発一号機の場合、単純に説明のつかないところがありますが、「鋼材そのものが均一な材質ではない」という仮説は成り立ちそうです。つまり、「圧力容器自体が一種の不良品だった」という可能性もあります。

流々いろいろな事を申し上げましたが、九州電力に以下の三点を要求したいと思います。
1)玄海原発一号炉監視試験片のミクロ組織解析を行うために、大学などの公的研究機関に試験片を提供すること。
2)2003年12月に提出した「高経年化技術評価書」の予測とは異なる高い脆性遷移温度が観測されているので、今回の監視試験データを踏まえて、改訂した「高経年化技術評価書」を保安院に提出し、審査をもとめること。
3)上記1)による異常脆化の原因解明、および、2)による審査によって安全性が確認されるまで、玄海原発一号機の運転を停止すること。

*****【聞書き/文責:西村】
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