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【おまけ】細川氏が都知事になれば、日本にとって素晴らしい好機(コピペ)

★日本のチェ・ゲバラか、スケール大きい政治家か~Bloomberg 2014/1/22 12:23 配信

小さな選挙が大きな影響を持つことがよくある。安倍晋三首相は沖縄県名護市(人口約6万人)の市長選挙で何が悪かったのかをじっくり考えたいかもしれない。 今月19日に実施されたこの選挙で、安倍首相率いる自民党の候補は現職の稲嶺進氏に敗れた。問題は名護市での敗北が2月9日の東京都知事選にどう響くかだ。都知事選の結果は安倍首相の経済政策の根幹を揺るがしかねない。

都知事選に出馬表明した細川護煕元首相を石原慎太郎元東京都知事は資格がないと切り捨てた。しかし問題は資格ではなく、「脱原発」という政策にある。原子力発電所の再稼働を望む安倍首相の陣営は細川氏を、その政策で国を後戻りさせる日本のチェ・ゲバラのように描こうとする。しかし、細川氏を支持する中には日本経済の改革者としてここ数十年で最も名高い小泉純一郎元首相がいる。

安倍首相の経済政策アベノミクスや2020年の東京五輪開催への熱狂の中で、東京から約200キロのところに放射能汚染地域があるのを忘れることはたやすい。東京電力の福島第一原発の事故で放射能が漏れ始めてからもうすぐ3年になる。地下水や太平洋がどれほど汚染されているのか分かったものではない。

2人の元首相はこの危機に光を当てることで国民の声に応えている。11年の東日本大震災から何らかの教訓を得るとすれば、それは日本のような地震大国には原発を建設する場所などないということだ。 野田佳彦前首相とその前の菅直人元首相は、原子力業界寄りの政策を転換しようとした。12年12月に就任した安倍首相が最初にしたことはそれを覆すことだった。

@「売り」か好機か

なぜか。高齢化社会で経済を再生するのに値段の高いエネルギーは妨げになる。原子力に代わる代替エネルギーを見つけるのは困難だろう。 ただ、それは利益をもたらす道でもある。小泉氏は昨年10月に脱原発支持を打ち出し、代替エネルギー技術の開発や輸出が究極の成長産業になり得ると指摘した。安倍首相は日立製作所などの企業のために原子力技術を世界中に売り歩いているが、再生可能エネルギー関連の新世代企業群は大量の雇用と富を生み出し得る。

安倍首相が行っていることは過去20年間と同じだ。疲弊した経済に金を注ぎ込み、橋や高速道路を造り、円安でソニーなどを救済する。細川、小泉両氏の構想の方がスケールが大きい。被爆国である日本が、地球から原発をなくすことに成功すればまさにふさわしい話だろう。 自民党は細川氏を止めようと躍起だ。BNPパリバは細川氏が都知事になれば日本株は「売り」だとの見方を示した。しかし私はそれを日本にとって素晴らしい好機だと考える。私は大間違いをしているのだろうか。(ウィリアム・ペセック)

(ペセック氏はブルームバーグ・ビューのコラムニストです。コラムの内容は同氏自身の見解です)
原題:Tokyo’s Nuclear Brawl Is About the Economy, Too: WilliamPesek(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:Tokyo William Pesek ,wpesek@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先:Nisid Hajari ,nhajari@bloomberg
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お知らせ

★お知らせ★

自己都合により、ブログの更新はしばらくお休みします。
2月初旬から、再スタートしたいと思います。10回/月の更新を目標に頑張りたい・・・です。
明日には【おまけ】の情報があります。

丙午の恵方巻

「節分の日は暦の上で春を迎える立春の前日にあたるので、一年の災いを払うための厄落としとして「豆撒き」が行事として行われているが、大阪などでは同日に『太巻き』を「丸かぶり寿司」や「恵方巻」と呼び、それを食べる行事が行われる場合がある。恵方巻は、『太巻き』を節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながら『太巻き』を丸かじり(丸かぶり:大阪弁)するのが習わしとされている。セブンイレブンが商業的イベントとして発掘し全国展開し、「恵方巻」は全国に知れ渡ることとなった。」とウイキペディアは説明する。

ところで、『太巻き』と言われると、別府市「野田商店」のモノの懐かしい甘さが思い出される。

「野田商店」は別府駅の高架にそってずっと大分市方面へ進みスーパーマーケットを過ぎると、「別府駅市場」という焼跡闇市のイメージを残した通りが現れる。「別府にこんなディープスポットあるとは。。。なんか大阪でいうと、鶴橋・今宮なんかの風景みたい・・・」だと、思わず、独り言が出てしまう。店の前には行列の人だかりができている。その大部分の人たちが『太巻き』を頼んでいる。僕たちも『太巻き』を購入した。それだけじゃなんかさみしいので、とり天、鳥もものからあげ、イモ天、ポテトサラダも追加する。総菜はグラム売りでなく、一盛イクラ、で売っている。すべて350円(『太巻き』も一本350円)という安さなのです。 

車の中に持ち帰りさっそく『太巻き』から、ガブリ。 これ、絶品なのです。ごはんは薄くふちどりしているだけで、あとは具。かんぴょう、玉子、オオバです。 玉子・かんぴょうは甘いけど、オオバの味が利いていて、口の中で絶妙なハーモニーを醸し出していく。。。玉子のふんわり感と風味に捨てがたい懐かしさがある。のりもしっとりとごはんに絡んで、超オイシイ。

丙今の年男である僕は、還暦の大厄男。今年は節分には「野田商店」で『太巻き』を買い、「宇佐神宮」で「一病息災」を祈願して、「恵方」をむいて「丸かぶり」しようかしらん。

公的債務の奇想天外な解決法

2013年3Q末の資金循環表によると、*日本の公的債務(国庫短期証券+国債・財融債+政府機関債+地方債)の残高は、前期比1.1%増の、1133兆4825億円となりました。前年同期比では、3.8%の増加です。

*【日本の公的債務】2013/3Q : 国庫短期証券/162.1+国債・財融債/817.6+地方債/74.7+政府機関債/78.8=1133.4兆円

モノの本によると、過剰な公的債務の解決法は、1:経済成長 2:外貨導入 3:低金利 4:歳出削減 5:増税 6:インフレ 7:債務不履行 8:戦争 ということらしい。(以下の話では、日本の公的債務は1000兆円として数字を丸める。)

*****

「1:経済成長」はベストなやり方だが、少子超高齢化社会に進む日本にあって1000兆円におよぶ公の借金を購うだけの魔法のような政策があるだろうか? 「2:外貨導入」は1980年代のバブル期ならいざしらず、年成長率1~3%のわが国に一体何処の外貨が来てくれるというのだろう。「3:低金利」は既に事実上のゼロ金利政策を取っている。「4:歳出削減」についてイギリスの例を挙げれば、キヤメロン新首相は政権を奪取するや否や前政権を痛烈に批判して、4年間で10兆円の歳出削減し50万人の公務員をリストラする計画を発表した。このような大胆な政策は、わが国では発表された試しがない。

「5:増税」については、デフレ脱却及び日本経済再生を最重要課題として掲げた、アベシンゾウ政権は、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」の所謂「アベノミクス」を推進してきた。具体的には、「日本再興戦略」(2013年6月14日閣議決定)で明らかにされた民間投資を活性化するための税制措置等について、2013年10月1日に、消費税増税決定の対応策として与党が「民間投資活性化等のための税制改正大綱」を決定した。2014年4月に消費税がアップと並行して、総合的な経済対策が施行されるが、公的債務にどのような影響を与えるかは、「神のみぞ知る」といった所である。

*****

次の「6:インフレ」が現実的な選択肢という事になってくる。お金をたくさん印刷し、または日銀が吸収している資金を市場に供給して貨幣価値をさげ借金を0にしようと言う事である。かって竹中平蔵氏が提唱していた「インフレターゲット論」はこの理屈であるらしい。「ターゲット」というと計画的なようで聞こえは良いが、今の日本のような、まだアベノミクスの効果が出ないままのデフレ状況でこれをやると、ターゲット内に納まらず「ハイパーインフレ」に一直線という事になるらしい。

「ハイパーインフレ」とは、急激にインフレが進むことで、通常であれば、1年間のインフレ率は1パーセントから3パーセントですが、たったの1年間で物価が2倍(200%)や3倍(300%)になることが「ハイパーインフレ」と言われる所以です。なぜ「ハイパーインフレ」が起こるのかというと、国の借金が多くなり借金を返すことができなくなり、国の信頼がなくなったときにお金は大きく下落します。もともとお金とはただの紙切れで、実際には何の価値もありません。ですが、国という大きな存在が、そのお金に価値を持たしているわけです。そのお金の価値を保障している国の信頼がなくなれば、お金の価値はなくなり、ただの紙切れに変わるわけです。

「7:債務不履行(デフォルト)」直近の例を挙げると、アルゼンチンのデフォルトは国力に合わない為替政策がたたった、との見方が一般的です。 フォークランド紛争などで増えた借金がたたって1988年から1989年にかけて「ハイパーインフレ」が起きました。物の価値は1年間で50倍にもなり、アルゼンチンの経済は大混乱しました。結局、国家は破綻して、国民のお金もすべて紙くず同然となりました。「国民の60パーセントが当時はこじき同然になった」と聞きます。

アルゼンチンは1991年、対策として固定相場制を採用しました。90年代後半にアジア通貨危機の影響が南米にも及び、ブラジルは通貨レアルの価値を下げたが、アルゼンチンは固定相場を維持したのでした。輸出競争力が弱まり、経済が悪化。外貨の流出が止まらなくなり、約1400億ドル(約11兆円)まで積み上がった対外債務の返済が行きづまりました。

*****

実際にこのようなハイパーインフレは日本でも過去にありました。日本が第二次世界大戦で他の国と戦っていたときに、国家の収入の9倍程度まで借金をしました。国としては第二次世界大戦に負けて、お金を返すこともできなくなり、意図的に(?)お金(軍票も含む)を大量に作りました。そこで、お金が大量に出回ったので、お金の価値は下がり、一気にハイパーインフレにになりました。ハイパーインフレになれば、お金の価値は下がりるので、借金も簡単に返すことができます。

日本は借金もハイパーインフレのおかげで簡単に返すことができ、ハイパーインフレの混乱は、「預金封鎖」と「新円切替」で、うまく乗り越えることができたそうです。今の日本の借金は1000兆円で、一方の国の収入は50兆円です。なんと国の1年間の収入の20倍もの借金をすでに日本はしているのです。今は第二次世界大戦のときのように大混乱の中での借金ではないのですが、今なお借金は増え続けています。借金を返還する政策を採る気も今の日本を見ているとなさそうです。しかも、東日本大震災のため徐々に日本の借金を減らすことは不可能なほどの借金の額になっていきそうです。このように考えてくると、「公的債務を返す方法はあるのか」と思えてきます。

過去と同じように、【国民の預金封鎖】(『国民の預金総額-ローン総額=1000兆円≒公的債務高』と妙に辻褄があう)と【ハイパーインフレーション】で財務省はこの「奇想天外な解決法」をひそかに考えているのでしょうか。

「8:戦争」の方法は「最低の方法」なので、いくらアベシンゾウ君といえども採らないでしょう。そう信じたい・・・です。地勢的に隣接する関係諸国を挑発して、超限定的な「事変」が勃発すると、前述したような第二次世界大戦後のような状況ができます。そうすると「奇想天外な解決法」がヤリヤスクナリマス。。。

格差時代の悲恋

日本映画「悪人」をDVDで再見した。

悪人と聞いて、すぐ思いつくキャラクターは、
今村昌平監督作品「復讐するは我にあり」で榎津巌を演じた、緒形拳。
「欲望」とは、他者を押しのけ亡き者にするほどのエゴイズムが基本である。
それに忠実に生きた榎津は、「欲望」の鬼神である。

旅館の女将役の小川真由美と絡むシーンは鮮烈だ。
さんざん世話になっていながら、足で物を蹴散らすように首を絞め、殺す。
目を見開いたまま息絶え、女は失禁する。

その映画が油彩なら、李相日監督作品「悪人」は水彩である。
その映画の背景が「戦後」なら、この映画のそれは「冷戦後の格差社会」である。

映画「悪人」を「格差時代の悲恋」と言い切ってしまおう。
「欲望」はインフレ時代の戦後なら膨張するが、今の時代はデフレである。
そんな時代の「愛」は、いろんな意味で、悲しく切ない。
湯布院温泉の高級旅館の息子(大学生)や佳乃はいやな奴だが、
榎津と比べると「悪人」とはいいがたい。
市場原理主義が暴力的に横行し、人々から道理や条理は勿論、「欲望」さえ奪ってしまった。

祐一(妻夫木聡)みたいな、意思をはっきりできない若い人は、建築現場にも多い。
俗に「仕出し屋」とよばれる人材派遣会社からやってくる若者たちだ。
祐一は存在証明のように金髪に染め、マフラー音の高い改造車を駆る。
猫背で肩を落とし、小さな声でボソボソと話す。
親からネグレクトされて、祖母に育てられたが、心に空白を持つ。
広大な広がりを持つ海を見ても、地の果てを思う、閉塞感。

光代(深津絵里)は真面目だが、うだつの上がらないオールドタイマー。
出会い系ネットに真情を求めようとする、ちよっとピントのずれた女。
バイパス沿いの乾いた街に居そうな、気のよさそうな女。
人のぬくもりに飢えている、恋少なき女。
同居している妹が男をつれこむ事に欲求不満を自覚する、その他大勢の女。

佳乃(満島ひかり)は光代と違って社交的な発展家、というか、多情な女。
保険外交員をしていそうな、上昇志向の強いドライなイマドキの女。
エンコウしていても、しれーっとした顔で結婚できる女。
家庭に恵まれていながら、その幸せが見えない女。
虚栄心が自分のプライドと、勘違いしている女。

祐一は女達とネットで知り合う順番が反対であれば、殺人は犯さなかったかもしれない。
ちよっとのタイミングの違いが禍福を分ける。
いや、そうではない。
殺人とひきかえに愛を手に入れたのかもしれない。

祐一と光代の逃避行は、やるせなく、うつくしい。
祐一は光代に、母、を求める。
光代は祐一を、暖かく、包み込む。
愛の時空を、灯台というシンボルに限定したのは作者たちの勝利だ。
その空間に、愛と孤独になやむ無垢の魂が交錯する。
光代に手をかけて、罪を引き受けようとする、祐一の優しさが心地よい。

妻夫木も、深津も、いい仕事をした。
意地悪で憎らしい役をこなした、満島ひかり、には驚いた。
光石研、樹木希林、余貴美子、松尾スズキなどの脇役がリアリテイを出していた。

僕の中に、静かな感動が広がっていた。
思いがけない涙が流れ、この二人のため、ひそやかに哭いた。

<すい>と<いき>

三年ほど前、配偶者とともに大阪-天神天満繁盛亭・昼席に上方落語を聴きに行ったことがある。東京にいた頃、東銀座・歌舞伎座での故・桂枝雀襲名公演に行った覚えがあるけれど、上方落語を寄席で聴くのは初めてだった。

日本一長い?と言われるアーケードからアプローチしての、北野天満宮門前の立地は素晴らしい。寄席内は飲食禁止で、東京の寄席とは勝手が違う。上方落語は江戸落語より歴史は古く、江戸落語の話が実は上方落語が元ネタだったという例は少なくない。NHKの朝の連続テレビ小説で有名な、上方の「ちりとてちん」は江戸では「酢豆腐」と言う話になる。

中入り前のトリは桂福団治師で、歌舞伎みたいに、客席から掛け声がかかる。師はあまり通らない声で、人情話を進めていくのだが、話が辛気臭い。松竹新喜劇でもそうだが、人情話が「修身」ぽくて、僕は好きではない。また、桂珍念師の話は、「スタンダップ・コミック」みたいな味があって、オモシロイ。そのほかに、笑福亭福笑師が印象に残った。

「東の粋(いき)・西の粋(すい)」というらしい。

『いきは粋と表記されることが多いが、これは明治になってからのことで、上方の美意識である「粋(すい)」とは区別しなければならない。「いき」は「意気」とも表記される。上方の「粋(すい)」が恋愛や装飾などにおいて突き詰めた末に結晶される文化様式(結果としての、心中や絢爛豪華な振袖の着物など)、字のごとく純粋の「粋(すい)」であるのに対し、江戸における「いき」とは突き詰めない、上記で解説した異性間での緊張を常に緊張としておくために、突き放さず突き詰めず、常に距離を接近せしめることによって生まれると言われる。』とウイキペディアにはある。

また、『江戸の「いき」は「意気・息」に通じていた一方、上方の「すい」は「吸う」に通じ、色々なものを吸収して「粋」を得る。江戸の「息」は吐くときの息で、「棄てる・こそぎ落とす」ことに美学を感じ「洒落」とした。上方の粋は、十二単のように美しいものを上へ上へと重ねていく。それに対して江戸の粋は、余計な物をどんどん脱ぎ捨てていく。』と、故・杉浦日向子氏は解説する。

江戸落語のサゲがストーンと暗転するのに対して、上方落語は余情が残る。
どちらがいいというのではないが、上方落語の方には僕が持つ古典落語のイメージと合わせてみると「違和感」が残る。(えらそうで、スイマセン!)
いずれにせよ、「江戸落語」「上方落語」を聴きこまないと<すい>も<いき>も判らない。

特定秘密保護法の強行可決に強く抗議します

★【「特定秘密保護法」の強行可決に強く抗議します】

 特定秘密保護法案は、憲法の定める基本的人権と平和主義を脅かす立法であり、日本の民主主義を戦後最大の危機にさらすものです。この法案に対して広く市民の間に反対や懸念の声がかつてなく広がったにもかかわらず、審議を尽くさないまま衆議院にひきつづき参議院においても強行採決が行われたことに、私たちは深い憂慮と強い憤りを覚え、この暴挙に対する抗議の意思を表明します。
 
 特定秘密保護法は、指定される「特定秘密」の範囲が政府の裁量で際限なく広がる危険性を残しており、指定された秘密情報を提供した者にも取得した者にも過度の重罰を科すことを規定しています。この法律によって、市民の知る権利は大幅に制限され、国会の国政調査権が制約され、取材・報道の自由、表現・出版の自由、学問の自由など、基本的人権が著しく侵害される危険があります。さらに秘密情報を取り扱う者に対する適性評価制度の導入は、プライバシーの侵害をひきおこしかねません。
 
 民主政治は市民の厳粛な信託によるものであり、情報の開示は、民主的な意思決定の前提です。特定秘密保護法は、この民主主義原則に反するものであり、市民の目と耳をふさぎ秘密に覆われた国、「秘密国家」への道を開くものと言わざるをえません。
 
 さらに、特定秘密保護法は国の統一的な文書管理原則に打撃を与えるおそれがあります。公文書管理の基本ルールを定めた公文書管理法が2011年に施行され、現在では行政機関における文書作成義務が明確にされ、行政文書ファイル管理簿への記載も義務づけられて、国が行った政策決定の是非を現在および将来の市民が検証できるようになりました。特定秘密保護法はこのような動きに逆行するものです。何が何でも特定秘密保護法を成立させようとする与党の政治姿勢は、思想の自由と報道の自由を奪って戦争へと突き進んだ戦前の政府をほうふつとさせます。
 
 いったい今なぜ特定秘密保護法を性急に立法する必要があったのか、安倍首相は説得力ある説明を行いませんでした。外交・安全保障等にかんして、短期的・限定的に一定の秘密が存在することを私たちも必ずしも否定しません。しかし、それは恣意的な運用を妨げる十分な担保や、しかるべき期間を経れば情報がすべて開示される制度を前提とした上のことです。行政府の行動に対して、議会や行政府から独立した第三者機関の監視体制が確立することも必要です。

 困難な時代であればこそ、報道の自由と思想表現の自由、学問研究の自由を守ることが必須であることを訴えたいと思います。そして「秘密国家」・「軍事国家」への道を開く特定秘密保護法案の強行可決に、私たちは学問と良識の名において強く抗議します。

2013年12月7日
            特定秘密保護法案に反対する学者の会

浅倉 むつ子(早稲田大学教授、法学)
池内 了  (総合研究大学院大学教授・理事、天文学)
伊藤 誠  (東京大学名誉教授、経済学)
上田 誠也 (東京大学名誉教授、地震学)
上野 千鶴子(立命館大学特別招聘教授、社会学)
内田 樹  (神戸女学院大学名誉教授、哲学)
内海 愛子 (大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター特任教授、歴史社会学)
宇野 重規 (東京大学教授、政治学)
大沢 真理 (東京大学教授、社会政策)
小熊 英二 (慶応義塾大学教授、社会学)
小沢 弘明 (千葉大学教授、歴史学)
加藤 節  (成蹊大学名誉教授、政治学)
加藤 陽子 (東京大学教授、歴史学)
金子 勝  (慶応大学教授、経済学)
姜 尚中  (聖学院大学全学教授、政治学)
久保 亨  (信州大学教授、歴史学)
栗原 彬  (立教大学名誉教授、政治社会学)
小森 陽一 (東京大学教授、文学)
佐藤 学  (学習院大学教授、教育学)
佐和 隆光 (京都大学名誉教授、経済学)
白川 英樹 (科学者・市民)
杉田 敦  (法政大学教授、政治学)
高橋 哲哉 (東京大学教授、哲学)
野田 正彰 (元関西学院大学教授、精神医学)
樋口 陽一 (東北大学名誉教授、憲法学)
廣渡 清吾 (専修大学教授、法学)
益川 敏英 (京都大学名誉教授、物理学)
宮本 憲一 (大阪市立大学・滋賀大学名誉教授、経済学)
鷲田 清一 (大谷大学教授、哲学)
鷲谷 いづみ(東京大学教授、生態学)
和田 春樹 (東京大学名誉教授、歴史学)
以上の31氏を含む3181名(2013年12月7日9時現在)
ほかに賛同者(院生・学生・市民):746名

*****「内田樹の研究室 2013-12/11」から抜粋転載

改めて言うまでもないことですが、この法案は、2012年暮れの衆院選でも、2013年5月の参院選でも、自民党の公約には掲げられていなかったものです。それがいきなり9月に提出されて、重要法案としては異例の短時間審議で、両院での委員会強行採決を経て、会期ぎりぎりに走り込むように国会を通過してしまいました。この原稿を書いている段階で、世論調査では80%以上が国会審議のありようについてつよい不安と不満を表明しています。

なぜ、これほど急いで、法案の外交史的意味についての説明も、運用上の懸念の解消のための説得もなされないままに法案が採択されたのか、わからないという声は議員自身からも、メディアからも聞こえてきます。僕はそれはいささかナイーブにすぎる反応だろうと思います。政権がこれほど強権的に法案採択を強行したのは、まさにこのようなものごとの進め方そのものがこれからデフォルトになるということを国民に周知させるためだったからです。政体の根幹にかかわる法律、憲法の理念にあきらかに背く法律の強権的な採択が「合法的だった」という事実そのものが法案以上に安倍政権にとっては「収穫」だったということです。彼らはみごとにそれを達成しました。もう、これからは何でもできる。

次の国政選挙まであと3年あります。その間に政権は解釈改憲による集団的自衛権行使(つまりアメリカと共に海外への軍事行動にコミットすること)をできれば実現し、その過程でのアメリカとの交渉や密約をすべて「特定秘密」として完全にメディアからブロックするでしょう。多くの人たちは前の民主党政権に対してしたように「自民党が暴走したら、選挙でお灸を据える」ということができると信じているようです。僕はそこまで楽観的になれません。そのような自由な選挙の機会がもう一度巡ってくるかどうかさえ、僕には確信がありません。

次の選挙までに日本を戦闘の当事者とする戦争が始まってしまったら、その結果、国内外で日本人を標的とするテロが行われるようなことがあったら、もう次の選挙はこれまでの選挙のような牧歌的なものではありえないからです。そして、現在の自民党政権は彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということを、今回の経験で学習しました。

安倍政権にこれ以上の暴走を許さないという国民の決意は「次の選挙」ではなく、今ここで、ひとりひとりの現場でかたちにする他ないと僕は思っています。僕のこの文章が「妄想的だ」という批判はあるでしょう。そして、僕はあと3年後に、この文章を読み返して、「なんて妄想的なことを書いていたのだろう。すべては杞憂だったのに」と自分が恥じていることをほんとうに心から願っています。

秘密保護法成立の陰で生活保護法が改悪!(コピペ)

★生活保護法が改正 何がどう変わるの?/秘密保護法の陰で成立
 ~THE PAGE 2013-12/21 配信

 特定秘密保護法の陰に隠れてあまり目立ちませんでしたが、秋の臨時国会では、生活保護法の改正案が可決成立しました。著名なお笑いタレントの親族が生活保護を受けていたことを国会議員が問題視するなど、生活保護制度については、様々な批判が寄せられてきました。法律の改正によって、生活保護制度はどのように変わるのでしょうか?
給付のハードルが上がる
 
 改正生活保護法では、保護を受けるハードルが従来に比べて格段に上がることになります。これまでは申請の意思さえ示せば、口頭でも申請の手続きを始めることができましたが、これからは原則、申請書の提出が必要になります(特別な事情がある場合を除く)。また親族などに対して生活状況の報告を求めることができるようになったほか、必要に応じて、親族の収入や資産などを金融機関に照会したり、申請者の雇い主に対して報告を求めることも可能となりました。

 生活保護は本来、困窮した人を助けることが目的の制度です。家族から暴力を受け着の身着のまま逃げてきた人や、軽度の知的障害などがある人、深刻なトラブルを抱えた人などが想定されていますから、申請にあたっては、むやみに親族や関係者に照会することはしないような仕組みになっています。

 しかし現実には、扶養できる親族がいる場合や、申請書をきちんと用意できない人は門前払いとなり、給付が認められないケースも多くなっています。今回の改正は、基本的によほどの状況でない限り、給付を行わないという現状を法律が追認した形と考えてよいでしょう。

@トラブル恐れて申請あきらめる?
 
 生活保護の不正受給が問題となっていますが、今回の改正でそれが防げるのかというとその可能性は低そうです。不正受給を試みる人は、組織的にこれを行うケースが多いといわれています。書類を完璧に揃え、照会があっても大丈夫なように関係者が十分に準備をすることになります。したがって目的を持って不正受給を試みられた場合には、改正法でも打つ手がないでしょう。

 一方、今回の改正によって給付金額の総額はある程度抑制されることになるかもしれません。例えば親族の間で問題を抱えているような申請者の場合、役所が親族に照会をかけたり、親族の資産や収入を調査することが分かれば、トラブルの深刻化を恐れて申請をあきらめる可能性が高いからです。勤務先に保護を受けたことを知られたくない申請者も同様でしょう。また役所が給付額の抑制のために、これまでと同様、申請書類を満足に準備できない申請者を門前払いする可能性もあります。

 もっとも生活保護の給付を受けている世帯の半数は高齢者です。日本は高齢化が進む一方、年金の支給開始年齢は引き上げられていますから、職を失い生活に困窮する高齢者は今後も増加することが予想されます。生活保護費の伸びを抑制することはできても、金額そのものを減らすことはかなり難しいでしょう。

(The Capital Tribune Japan)

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★なぜ経済大国・日本で「餓死者」が出るのか~「悲劇」を防ぐ手段はどこにある?
 ~弁護士ドットコム 2014-1/15 配信

結局のところ、食うにも困るような「生活苦」に陥ったら、途方に暮れるしかないのか?
電気、ガス、水道が止められ、冷蔵庫にはマヨネーズなどの空容器のみ……。そんな大阪市の団地の一室で昨年11月中旬、31歳の女性の遺体が発見された。死因は餓死か衰弱死とみられ、死後1~2カ月経っていたという。

報道によると、この女性は約4年前に生活保護の相談で区役所を訪れたものの受給には至らず、最近は「お金がない」と親族に訴えていたという。経済大国といわれる日本だが、餓死や孤立死などの悲惨なニュースは絶えることがない。生活保護に対する風当たりは強まり、行政による窓口対応の問題点も指摘されている。

結局のところ、食うにも困るような「生活苦」に陥ったら、途方に暮れるしかないのか。今回のような悲劇を防ぐには、どうしたらいいのだろうか。貧困問題に取り組む戸舘圭之弁護士に聞いた。

@憲法は「生存権」を保障している

「誰でも、さまざまなきっかけで貧困状態に陥ります。貧困は自己責任ではありません」

戸舘弁護士はこのように切り出した。自己責任ではない、となれば、誰の責任になるのだろうか?

「日本国憲法25条1項は『すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』を保障しています。いわゆる『生存権』です。

これは、貧困は自己責任ではなく、国の政策の失敗の結果であることから、すべての人に対して『人間らしく生きる権利』すなわち『生存権』を国家が責任をもって保障するという規定です。

生活保護は、この憲法25条に基づく国の制度としてあるのです」

努力によって貧困を避けられたケースもあるのでは?

「生活保護は、生活に困っている人ならば誰でも、困窮に陥った原因を問うことなく無差別平等に利用できる制度です。したがって、生活に苦しくなり、毎日の食事にも困るような状態になれば、当然に生活保護を利用し、生活費や住宅費、医療費等の支給を受けることができます。

努力することはいいことですが、誰でも努力できるわけではありませんし、そもそも努力するためにも最低限の経済的な基盤は必要です。現に貧困状態にある人に努力などを要求して保護を拒絶することは、その人に不可能を強いることであり、『努力しない人間は死んでもかまわない』と言っているに等しいと思います」

@「生活保護制度を遠慮せずに利用しましょう」

そういう制度があるのに、現実には餓死や衰弱死が存在するのは、なぜなのだろうか?

「現実には、生活保護を申請しようと役所(福祉事務所)の窓口に行っても、『まだ若いから働きなさい』『親族に扶養してもらいなさい』『ホームレスは生活保護を受けられません』『住所がないからダメです』『他の制度を利用してください』などと告げられ、追い返されるケースが後を絶ちません。

しかし、こういった口実は、生活保護の申請を受け付けない理由にはなりません。このような役所の窓口対応は『水際作戦』と呼ばれ、明らかに違法なのです。

こうした問題は、生活保護に詳しい専門家に相談することにより、解決することが可能です。弁護士、司法書士による無料相談窓口としては首都圏生活保護支援法律家ネットワーク(http://www.seiho-law.info/)などがあります」

たとえば、周囲に裕福な親族がいる場合にも、生活保護は受けられるのだろうか?

「親族の援助、扶養を受けることも、生活保護を受けるための要件ではありません。

昨年、生活保護法が一部改正されましたが、憲法25条に基づく最低限度の生活を国の責任で無差別平等に保障するという基本的な考え方は全く変わっていません。

とにかく生活に困ったら、生活保護制度を遠慮せずに利用しましょう」

【取材協力弁護士】
戸舘 圭之(とだて・よしゆき)弁護士
民事事件、刑事事件、労働事件等に取り組みながら、ホームレス、生活保護などの貧困問題や追い出し屋対策などの住まいの問題にも取り組んでいる。
第二東京弁護士会、首都圏追い出し屋対策会議事務局長、ホームレス総合相談ネットワーク、青年法律家協会弁護士学者合同部会副議長、首都圏青年ユニオン顧問弁護団
事務所名:代々木総合法律事務所
事務所URL:http://www.yoyogi-law.gr.jp

・・・・・・・・・・・・・

軍靴の響きが聞こえてくる・・・

「10年は一昔」と井上陽水は唄うが、時の流れは早い。僕は今年、丙午の60歳を迎える。一巡りしたので還暦と呼ばれるオメデタイ年男だが、大厄男でもある。10年前の2004年は小泉政権の絶頂の頃で、イラク戦争が泥沼に入った時期だった。10年前には超限定的なミニバブルの昂揚があったが、その10年後、僕たちの目前に10年前の「想定外」の悲惨な光景が広がっている。あの頃、内橋克人氏たちが口をきわめて批判していた新自由主義については、批判をする者もなくなり、非正規の比率が40%になっている。格差社会は批判の対象ではなくなり、不満を言ってもどうしようもない不動の現実になった。批判語としての「ワーキング・プア」も消え、「ワーキング・プアがマジョリティになろうとしている」。そして1000年に一度の津波がやって来て、世相は一気に反動の方向に走り始めた。

この10年間右に振れ続けていた振り子が、新自由主義化・右翼化への進行が途中で一度停滞し、逆方向に振れていた時期があった。2007年からの民主党の動きであり、小沢一郎氏の「国民の生活が第一」の政治である。2009年に政権交代を果たすまでの3年間は、それなりに希望を持つことができる時間が続き、特に2008年にリーマン・ショックが起きた後は、新自由主義を否定する気分が世の中に充満、マスコミもその論調で固まった時期があった。急激な市場原理主義の「光と影」について議論された。安全保障の方も、小沢一郎氏が「第7艦隊以外は無用」論を唱え、鳩山由紀夫氏が「東アジア共同体」構想を語り、ようやく日本もリベラルな国民国家の方向をめざすのかと期待を抱ける時期があった。

それがまた、再び一転して反動の方向に振れたのが、2010年の鳩山由紀夫氏の失脚と菅直人氏のクーデターのときだった。今から4年前になる。4年間、勢いよく反動の方向へスピードが加速し、特に「2011-3/11」を奇貨とした「ショックドクトリン」でもう元に戻らなくなり、正常な方向に戻るという可能性が見えなくなった。マスコミの言論は相変わらず「記者クラブ」中心の談合的画一的な論調である。事実を報道していているのは、ネットの世界で身銭を切ってニュースの現場から発言するフリージャーナリストの諸兄だけである。特定秘密保護法によりこれからどのようになっていくのか?

リベラルな政治勢力の姿は全く見えなくなった。「自由・平和・博愛・民主主義・・・」などという言葉は嘲笑の対象になり、軍靴に踏みつけにされるような恐ろしい時代がやって来るのだろうか?

☆★☆★☆「安倍政権は国民の目線をそらそうとしている」 : *加藤典洋(かとうのりひろ)氏

12月に成立した特定秘密保護法をめぐっては、日本各地で大規模な抗議活動が行われた。反対した人の多くは、これが1925年に日本政府が制定した「治安維持法」を想起させることを理由に挙げた。「治安維持法」が成立したとき、日本はまだ関東大震災の被害の中でもがき苦しんでいた。現在、日本は依然として2011年の東日本大震災とそれにより引き起こされた原発の問題の影響を受けている。

特定秘密保護法の通過後、人びとはツイッターなどのSNSで、安倍内閣のこの行為はナオミ・クライン氏の「ショック・ドクトリン」であると評した。ショック・ドクトリンとは政治家の常とう手段の一つで、自然災害などの大きな事件を利用して、論争のある政策を推し進めるというものだ。この評価は言い得て妙である。

東日本大震災および原発事故、沖縄県の普天間基地移設問題、消費増税、日中・日韓関係の悪化、安倍首相による靖国参拝。これら日本の世論が注目する“逼迫した”問題の中で、特定秘密保護法はその一つにすぎない。実際のところ“逼迫した”ということに何の理由はない。消費増税はもう少し後らせてもよいし、中国との領土問題で声を荒げる必要もない。特定秘密保護法を強行採決する必要もない。日本政府がやるべき逼迫した問題は、原発の除染と国民に長期のエネルギー政策を示すことである。これは誰もがわかっていたことだ。

その意味から言うと、2011年からの局面をショック・ドクトリンと評するのは半分しか当てはまらない。日本政府は人々の混乱に乗じて、論争のある政策を推し進めてきたが、全体を見れば、たとえ無意識とは言え、メディアや社会もその片棒を担いできたと言えるからである。

フランス人はこのような状況を「前に逃げる」と呼ぶ。厄介な問題から逃げようと絶えず新しい問題を作れば、それは前に逃げることになるというのだ。日本は本当の問題から目を背けている。東日本大震災からの復興は途方もない時間と資金が必要になるが、日本政府はまだ正式な予測を発表していない。政府は常に前へと逃げ続け、メディアと社会はそれにぴったりと付いていっているのだ。

*加藤典洋氏:早稲田大学教授・文芸評論家。1948年生まれ、山形県出身。 東京大学文学部仏文学科を卒業。国立国会図書館員、明治学院大学国際学部教授を経て、現職。 現代文学、文化表象、思想史、政治、歴史認識と幅広く発言する 1985年に『アメリカの影』(講談社)で著者デビュー、1997年『言語表現法講義』(岩波書店)で第10回新潮学芸賞、1998年『敗戦後論』で第9回伊藤整文学賞評論部門、2004年、『テクストから遠く離れて』と『小説の未来』で第7回桑原武夫学芸賞を受賞するなど、各種さまざまな賞を受賞している。 近著に『ふたつの講演――戦後思想の射程について』『3.11――死に神に突き飛ばされる』(岩波書店)など。

*****「2014年1月6日、米紙ニューヨーク・タイムズ」より転載

映画と原発鬱(8)

★「コクリコ坂から」雑感・・・・・2011-8/4

で、さて、われらがジブリである。 東日本大震災への宮崎駿氏の発言があったりしたので、期待して『コクリコ坂から』の封切を待っていた。この物語は1963年の横浜が舞台である。「1963年の横浜が舞台」と言えば、浅丘ルリ子と石原裕次郎の快作『赤いハンカチ』(舛田利雄監督作品)が思い出される。「ルリ子+裕次郎」のドラマとパラレルに、「俊」と「海」の純愛物語がその時代に存在したと考えると、コシラエ物と判っていても、楽しい。黒沢明監督作品『天国と地獄』のように、「坂」の上下は階層の格差を表現するのに、タダシイ「もちーふ」なのだが、俊と海の青春は軽やかに自転車でそれを乗り越える。ちょうど、相米慎二監督作品『セーラー服と機関銃』のように・・・。

7/16(土)に『コクリコ坂から』は封切だったが、その前にBS3で田坂具隆監督作品『乳母車』を見ていた。で、「俊」は石原裕次郎で、「海」は芦川いづみというイメージでみてしまい、日活青春映画を思い出してしまいました。カルチェラタンを守る自治会活動の描き方が、旧制高校的というか、石坂洋二郎的というか、ナンカ牧歌的なのよ。(石坂原作+田坂監督の『陽のあたる坂道』には、「家族会議」などという、エセ民主主義的なキモチ悪いシーンが出てくる。)

オイラは1963年だと9歳と子供だったが、当地筑後地方では1960年「総資本対総労働の対決」と言われた三池闘争の影響が残っていて、時代の気分はそんなに明るくなかったと思う。敗戦を迎え朝鮮戦争を経て、戦後直ぐの「青い山脈」的理想がなし崩しにされつつある時代だった。人々はその失意をテレビや洗濯機や冷蔵庫などの「モノ」で埋めていった。「1960年代は、希望に溢れていて、貧しかったけれど助け合って生きていた」などと過剰に持ち上げるのも、閉塞感に満ち溢れた現在を鑑みると仕方ないような気もするけど、イカガナモノカ?

まあ、今より活気があったとは思うけど、オイラには生きにくかったネ。『ALWAYS 三丁目の夕日1・2』『コクリコ坂から』を見ると、「1960年代はもう歴史になっちゃってる」と感じる。大島渚監督作品『日本の夜と霧』浦山桐郎監督作品『キューポラのある街』あたりを押さえた上で、アニメ的ロマン(ファンタジー)を作り上げて欲しかった。


ところで、西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」は1960年安保闘争を語るとき、時代を彩った歌として挙げられる事が多い。石原裕次郎「赤いハンカチ」は、元歌に対する返歌(アンサーソング)ではないかとオイラは思っているのさ。特にツーコーラス目にグッと来てしまう。テレビの歌番組などでは割愛される事が多い。
          
                    アカシアの  花の下で
                    あの娘がそっと  瞼を拭いた
                    赤いハンカチよ
                    怨みに濡れた 目頭に
                    それでも泪は  こぼれて落ちた

                    北国の  春も逝く日
                    俺達だけが  しょんぼり見てた
                    遠い浮雲よ
                    死ぬ気になれば  ふたりとも
                    霞の彼方に  行かれたものを

                    アカシアの  花も散って
                    あの娘はどこか  俤(おもかげ)匂う
                    赤いハンカチよ
                    背広の胸の  この俺の
                    こころに遺るよ  切ない影が

           *蛇足であるが、「あの娘」とは「樺美智子」を極私的にイメージする。

・・・・・・・・・・・・・

★移民の歌・・・・・2011-8/15記

8/11、東日本大震災から5ヶ月目、日田市「リベルテ」で「『ソウルキッチン』:A」を見てきた。この映画を見終わった後で、あの「『そして、私たちは愛に帰る』:B」のファティ・アキン監督がこのファンキーでポップな映画を作った、と知ってビックリした。だって~、移民のドラマであることは共通しているけれど、Aのユルイ構成に比べてBの構成は時系列・地理的位置などが恣意的に練り上げられたものになっていて、とても同じ人による脚本・監督とは思えましぇ~ん。

Bはドイツとトルコで暮す3組6人の親子の人生が微妙に交錯する、人生ドラマです。ブレーメンに住むトルコ移民の父・アリとその息子の大学教授・ネジャット。ブレーメンで娼婦をしながら娘に学費を送金する母・イエテルとイスタンブールで反政府活動をする娘・アイデン。反政府運動の成り行きで、ドイツに不法入国したアイデンと知り合いレズビアンの関係になる、ロッテという娘とその厳格な母・スザンヌ。これらの、3組6人。

物語は、アリが娼婦であるイエテルと同棲契約?を結ぶ所から始まる。同棲生活でのささやかな行き違いからアリはイエテルを殺してしまう。ドイツに不法入国したアイデンは、ロッテと母・イエテルの行方を捜す。その最中に警察に捕まり、アイデンはトルコに強制送還される。ロッテはアイデンを助けるためにイスタンブールに渡る。ドイツへの不法入国前、アイデンは反政府運動の騒動の中でピストルを入手し、秘密の場所に隠しておいた。ロッテはアイデンにそれを回収することを依頼する。しかし、イスタンブールのストリートチルドレンに引ったくりに合い、もみ合っているうちにロッテは彼らに殺される。

ストーリーはもっと込み入って複雑で、時系列や地理的位置が意識的にばらばらに微分され、ある種の価値観で統合され、配置されている。章立ては「イエテルの死」「ロッテの死」「天国のほとり」となっていて、「『ふたつの唐突な死』が残された四つの人生をどのように再生し救済するか」というテーマが展開し収斂していく。その背景には、クルド人への弾圧やEU加盟に揺れるトルコ国内事情が見て取れる。

Aは、料理のテイストが入った『音楽映画』として楽しく見た。ノリだけで見たので、細かいツッコミはナシ。ギリシャ人やらトルコ人やら不法入国者やら、交じり合っていて、なんか新しい可能性が開けそうな気がするナア、、、ドイツっていう国は。R&B、ソウルミュージックの(曲名はほとんど不明)センスがよく、ゴキゲン! こんな店が、わが町=久留米にも、できないかな~。
あと、主人公がギックリ腰になって、腰痛体操したり民間療法で腰を引っ張ったりするシーンには、笑える。僕自身も腰痛持ちで、3月下旬にいわゆる「オカマを掘られた」交通事故にあって、「腰痛悪化」で施療中です。毎日、腰痛体操をやっています・
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