FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

深刻な建設業界の人手不足(コピペ)

★五輪インフラにも影響 深刻な建設の人手不足~女性と外国人の活用拡大が喫緊の課題 
  by 安積明子氏(ジャーナリスト)

19.4兆円の経済効果を創出し、121万人の雇用を生み出す(森記念財団都市戦略研究所調査)ともいわれる2020年東京五輪。日本経済の牽引役として期待される一方で、深刻な問題が懸念される。施設建設に携わる労働者不足だ。

かつては本来の社会基盤整備機能のほかに、雇用の受け皿機能をも果たしてきた建設業だが、今やその実態は変容している。建設投資額は1992年度の84兆円をピークに、10年度には41.9兆円まで減少した。

大手ゼネコンで構成される日本建設業連合会(日建連)の有賀長郎事務総長は、その原因をこう話す。

「工事受注額が一気に落ち込んだのはリーマンショックのとき。そしてその後の民主党政権と重なる時期にどん底になった。そればかりではない。産業の空洞化で、製造業からの発注も減った」

建設投資の減少は建設業の労働環境を悪化させた。13年における建設業に従事する男性労働者の年間賃金総支給額は全産業男性労働者より26%も低く、社会保険や厚生年金の加入率も低い。29歳以下の若年労働者が全産業平均より少ないのも特徴だ。

最も深刻な問題は、鉄筋工や型枠工などの技能労働者の不足。こうした職種は短期間に技能を習得することが難しく、一人前になるまでに数年から10年はかかるといわれている。後継者不足は深刻で、97年に455万人いた技能労働者の数は、12年には335万人まで減少した。

@予備自衛官にも関心

そうした中で、建設業界からは「五輪施設の建設ははたして間に合うのか」といった声が漏れ聞こえるようになっている。

そもそも20年の五輪が東京に決定したのは、日本のインフラ力によるところが大きい。自民党五輪東京招致推進本部長を務めた馳浩衆議院議員はこう話していた。「20年五輪を東京に招致できると確信したのは、16年の開催地であるリオデジャネイロに視察に行ったとき。工事が大幅に遅れているのを見て、インフラ整備の重要性を痛感した。それができるのは日本だけ。だから東京しかないと思った」。

問題は競技場の建設ばかりではない。たとえば東京のインフラには課題が多い。都市計画道路の整備率は60%にすぎず、区部の混雑時の平均旅行速度は時速16.8キロメートルで、全国平均(時速35.1キロメートル)の約半分だ。インフラが十分に整備されず、円滑な輸送が行われないなら、国家の威信にかかわってくる。

そこで労働者不足を解消すべく、官民が一体となって取り組み始めている。国土交通省が13年度公共事業設計労務単価を全国平均で15.1%、被災3県で21%引き上げたのはその一例。大型車両の免許など建設関係の技能や資格を持つ予備自衛官にも「即戦力になる」として関心を寄せる。

建設現場での女性の活用も注目されている。大手総合建設会社における女性の比率は10%強で、うち技術職は4%にも満たない。そこで日建連は昨年11月に「女性技能労働者活用専門部会」を立ち上げた。女性を活用できる建設分野および女性を活用するための方策について検討を行い、技能労働者としての女性の活用に力を入れる。今年2月に中間とりまとめが行われ、同月下旬には報告書を発表する予定だ。

@目玉は外国人の活用

さまざまな施策の中でも目玉になるのが、外国人技能実習制度の活用だ。政府の産業競争力会議は昨年12月26日、「雇用・人材分科会」の中間整理を発表し、実習期間の延長などを提案した。具体的には3年の実習期間を5年に延長し、実習生の再入国を認め、「受け入れ企業の常勤職員総数の20分の1」の制限枠の拡大などで、不足する労働力を確保しようとするものだ。

だがこれには制約がある。同制度の本来の目的は、発展途上国の実習生に日本の技術を移転し、国際協力・国際貢献を図ることだ。日本国内の労働力不足を解消するためのものではない。習得に時間のかかる建設関係の技能労働についてはこれまでも期間延長を求める声が出ていたが、なかなか認められなかったのはこのためだ。

そこで緩和措置を被災地の復旧・復興事業や東京五輪関連施設の整備のための期間限定的なものにするなどの方法が検討されている。

五輪まであと6年だが、実際にはその前年のラグビーワールドカップがメド。そうなるとすぐにでも期間延長が必要だ。現場からは「実習生の準備期間を考えると、一刻も早く実施してほしい」と早期の緩和措置を切望する声が多く聞かれる。日本に受け入れる技能実習生を技能検定の合格者に限定し、受け入れる企業も優良と認められるものだけに限定する方法も有望だ。

こうした動きに先んじるのが、サブゼネコンの向井建設だ。同社は12年、ベトナムに職業訓練校を開設した。年間240人のベトナム人研修生が現地で選抜され、日本語を習得しながら高所作業、鉄筋、型枠、内装の4種業の指導を受ける。4カ月の研修を終えた後に日本で長期の技能実習に入る。

この職業訓練校は、日本滞在を経て本国に帰国した後も見据えている。日本企業がベトナムで施工する際のリーダーとなる人材を育成することを主眼としているのだ。

13年3月、日本とベトナムは建設分野での国際競争力強化を図るために人材育成の覚書を取り交わした。これを足掛かりに日本が目指すのは、6億の人口と1.8兆円の名目GDP(域内総生産)を擁するASEAN共同体だ。

12年7月31日に閣議決定した日本再生戦略で20年度には2兆円以上の建設業の新規海外受注を目指す日本のゼネコンにとって、来年誕生する同共同体は極めて魅力のある市場になる。東京五輪の後、国内の建設需要は沈むため、ASEANが重要になる。そのカギが研修生の受け入れ強化。これをしっかりできるかどうかが、日本のゼネコンの将来を決めるかもしれない。  

*****週刊東洋経済2014年1月25日号:核心リポート03を転載
スポンサーサイト

病状5尺8寸(3)

9時前には自宅を発ち雲仙観光ホテルには昼前に着き、そこのダイニングでおいしいランチを頂きました。雲仙観光ホテルは何度も建築関係のツアーで見学・食事に来たことはありましたが、宿泊したことがありませんでした。当日のランチでは昂揚した気分と病気への不安を中和させるために、ビール・ワインを飲んだのでした。・・・その夜9時頃、体温計をホテルのフロントから借りて測ってみると、「38度超39度近く」を示したのです。・・・すぐに救急車が呼ばれて、検査を受けてみると『肺化膿症』と診断されて、即「入院」という次第になったのでした。・・・一緒についてきた配偶者に対して恥ずかしい思いで一杯でした。。。

*****肺化膿症(はいかのうしょう):日本呼吸器学会

 肺化膿症(=肺膿瘍)は、肺の中で病原菌が増殖して、肺の組織が壊死(えし)して空洞となり、そこに膿(うみ)が貯まった状態です。

 症状は、程度の差はありますが寒気やふるえをともなう高熱、痰(たん)(黄~緑色、時に茶色の膿性)、咳(せき)、胸の痛みなどです。病気が進むと、体重が減ったり、呼吸が苦しくなったりします。

 原因は肺炎からの進展や、口の中の物を間違って肺に吸い込んだ場合が多いのですが、時に歯科治療の後や歯ぐきの炎症に引き続いて起こることもあり、その場合に肺の病巣は多発することがあります。歯科治療などの後に上に挙げた様な症状が出ましたら、早めに呼吸器内科を受診しましょう。また、肺化膿症には肺がんや気管支拡張症、肺気腫などの肺の病気が隠れている場合がありますので、よく調べる必要があります。

 診断は、臨床症状と胸部X線写真による病巣の確認、そして血液検査で白血球増加や炎症反応増加などで行います。胸部CT検査も診断に有用です。

 治療は、抗菌薬をまず点滴で投与します。病巣が大きく膿が多量にたまっている場合や膿胸まで進展した場合には、胸壁の外から管を刺して膿を外に出したり、手術になることもあります。なお、治療期間は普通の肺炎よりは長くかかることがほとんどです。

*****

救急車が来た21時半頃は雲仙の島原寄りには霧がかかっていて、小浜の救急病院に連れて行かれました。そのうち左胸が痛くなってきました。レントゲンを撮るけれど、それらしい影は見えない。胸部CTを掛けて見て、膿の溜まった肺胞が確認されました。当直のDRに「発症は最近ではなく、かなり前からあったのではないか」と言われました。公立O病院に入院が決まり抗菌剤の点滴が休みなく施されて、翌朝を迎えました。呼吸器内科のDRから「どういう細菌に犯されているのか判らないので、あらゆる種類の抗菌剤を点滴します」と告げられました。

上記の「肺化膿症」の記述のように、「茶色の血痰?は吐く」は、、、「ブルブルと体は震える」は、、、でケッコウ重篤なカンジではありました。24時間点滴を続けないといけないのですが、ここ公立O病院では、点滴の袋が代わるごとに針を差し替えるのです。久留米の病院では一回血管に針を差し込むと、1週間程度「差し替え」はありません。針を差し込むのが苦手な看護師さんが担当の時など、失敗もふくめて1日7回「差し替え」がありました。呼吸器内科のDRは非常に感じのいいスポーツマンタイプの方だったのですが・・・。仕方ありません、自分の不徳の致すところでアリマス。というのも、霧が発生しないで島原の方に行けたなら、近代的な病院がいくつかあるので、そんな経験はしなくてよかったかもしれません。配偶者は小浜温泉の旅館に泊まりこんで、なにくれとなく僕の世話をしてくれました。・・・感謝でアリマス!

そして、8日目に症状が軽減し落ち着いたので、久留米の新K病院に転院しました。

悪夢をつれて「夜」が又来る(コピペ)

★治安維持法制定時の新聞を見て実感~この国はまた同じ時代を繰り返す

@議員会館前で反対の声をあげる市民たち

 永田町駅で電車を降りる。日時は2013年12月6日午後7時30分。議員会館前の舗道には、すでにおおぜいの市民が集まっていて、「特定秘密保護法絶対反対!」「安倍政権の暴挙を許すな!」「戦争のできる国にしてはいけない!」などと書き込んだ手作りのプラカードを掲げながら、シュプレヒコールを叫んでいる。安倍首相の写真をヒトラーになぞらえたデザインのチラシを手にしている年配の女性がいた。「これはどこで入手したんですか?」と訊ねれば、「自分で作りました」との答えが返ってきた。こうしたユーモアや(サウンドデモなどの)センスは、かつての安保や成田闘争などのデモにおいては、決定的に欠けていた要素だ。

 ……と書いたけれど、1956年生まれの緑川南京に、安保や成田闘争の実体験があるわけではない。あくまでも推測だ。そして同時に、少しやり過ぎなのでは、と思うことも事実だ。デモはどうしても過剰になるけれど、ナチスや大日本帝国への安易ななぞらえは、法案に反対する思想や意志を矮小化してしまうと思うのだ。少なくとも彼は、日本をまた戦争当事国にしたいとは思っていない。多くの人を苦しめたいとも思っていない。保守においても右翼においても、そんな人はまずいない。彼らは彼らなりに平和を求めている(はずだ)。ただその方法論と歴史観が問題なのだ。

 延々と続く人々の列に沿って参議院会館前から衆議院会館前までを歩いたけれど、列はまだ途切れない。この一角だけでも1000人以上はいるだろう。ただし(メディアからはデモ隊などと呼称されているが)行進するわけではない。だって今夜にでも参院で、ほぼ1週間前の衆院と同様に強行採決が行われるかもしれないのだ。つまり秘密保護法案は成立目前だ。ならばこの時点で法案の危険性や矛盾や不備を訴える相手は、もはや一般国民ではない。最終的に法案成立を決める国会議員たちだ。

 だから議員会館前に集結した市民たちは、通りを挟んだ国会議事堂に対して、必死に反対の声をあげる。世代的には圧倒的に年配者が多い。これも大学生が中心だった安保や成田闘争とは大きな違いだ。

 バッグからカメラを取り出した南京は何回かシャッターを押してから、しばらくその場に佇んでいた。とはいえ周囲の人たちと一緒になって声をあげるわけではない。昔から集団行動は苦手だった。周囲と同じタイミングで同じ動きができないのだ。どうしてもずれてしまう。だから子ども時代にはフォークソングが嫌いだった。自意識過剰過ぎるせいもあるのかもしれない。大学生のころに一度だけ母校の野球の試合を見るために神宮に行ったことがあるけれど、最前列に陣取った応援団から当然のように応援の声をあげることを強要されるので、嫌気がさして途中で帰ってしまったことがある。応援しながらでは試合に集中できないし、何よりも音痴なので人前で歌いたくない。

 でも今夜は帰らない。まだ帰る気にはなれない。人込みは苦手だけどここに来た。叫んだり歌ったりはできないし原稿の締め切りも抱えているけれど、とにかく今夜はこの場にいようと思う。

@結局、法案はこの日の深夜に可決された

 法案は結局、この日の深夜に可決された。その直後に配信された朝日新聞の記事をネットから引用する。

 国の安全保障の秘密情報を漏らした公務員や民間人に厳罰を科す特定秘密保護法が6日深夜の参院本会議で、自民、公明両与党の賛成多数により可決、成立した。秘密の範囲があいまいで、官僚による恣意(しい)的な秘密指定が可能なうえ、秘密指定の妥当性をチェックする仕組みも不十分だ。国民の「知る権利」が大きく損なわれるおそれがある。

 こうした議論は初めてではない。1985年の国会で自民党は、国家秘密法(スパイ防止法)案を議員立法として衆議院に提出した。ただしこのときは、日本社会党や公明党や日本共産党など当時の野党が強硬に反対を主張し、また自民党内で造反する議員も現れ、12月の閉会に伴って法案は廃案となった。

 でも今回は成立した。法案の内容はほぼ同じだ。だから南京は考える。この28年間で(つまり自分が20代後半から現在に至るまでのあいだに)社会の何が変わったのか。どのように変化したのか。法案成立の夜から数日後、教えている大学のジャーナリズム論の授業で、南京は学生たちに質問した。一人が手をあげた。

「インターネットです」

 なるほど確かに。ジュリアン・アサンジのウィキリークス事件が示すように、ネットを媒介にした機密漏洩リスクの増大は、国家にとって大きな脅威となっている。でもそれだけではない。ネットの影響は他のメディアにも及ぶ。

 28年前までは、テレビと新聞と書籍や雑誌の時代だった。今はそこに、パソコンだけではなくスマートフォンなどの携帯電話やタブレット型端末なども加わった。いわばメディアの身体化だ。この帰結としてメディアの競争原理が増幅された。広告収入の減少やマーケットの縮小に危機感を抱いた既存メディアは、不安や恐怖を煽る傾向をこれまで以上に加速させる。総体としてのメディアの影響力は、28年前とは比べものにならないほどに増大した。ところがリテラシーへの意識や関心はほとんど変わっていない……。

 ここまで説明してから、南京はふいに沈黙した。学生たちはどうしたのだろうというような表情で、じっと話の続きを待っている。大きく息をついてから、南京は再び話し始めた。メディアは今後も進化し続ける。ならば楽観的な要素はまったくない。間違いなく今後はもっと悪化する。

@この28年間で変わったもうひとつの要素

 この28年間で変わった要素のもうひとつは、テロという言葉や概念に対しての認識だ。1985年以前にもテロはいくらでもあった。ただしこの時代のテロリズムには、政治的弱者の最後の手段としての示威行為的な気配が残されていた。でも日本では1995年の地下鉄サリン事件(サリン事件がテロか否かであるかについてはとりあえず措く)、そして世界では2001年のアメリカ同時多発テロ以降、そんなニュアンスは綺麗さっぱり消えた。テロは何よりも卑劣であり、危険や邪悪の代名詞として使われるようになった。

 つまり絶対悪だ。

 だからこそテロ対策やテロ防止などを理由にされると反対しづらい。危機を煽るメディアの報道と相まってテロへの不安や恐怖ばかりが増大し、対策としての監視強化や管理統制が整合化される。治安や安全保障などの言葉をまぶした法律や委員会が雨後の筍のように増殖する。実際に秘密保護法成立の根拠として、テロ対策的なレトリックは頻繁に使われた。要するに「伝家の宝刀」だ。でもこの宝刀は抜きっ放し。テロ警戒中などの貼り紙やステッカーをいたるところで目にするようになった。街の監視カメラと同じように、増えれば増えるほど不安や恐怖が強くなる。こうして負のスパイラルが加速する。

@差し出された新聞の見出しに呆然とした

 授業終了後、早稲田大学の4年生で南京の授業をモグって聴講している杉森祐幸が、「先生これ見てください」と言いながら、手にしたスマホを南京の目の前に差し出した。何で学生のスマホを見なくてはならないんだ。僕の携帯はガラケーだからバカにしているのか。

「違いますよ。写真を見てほしいんです。治安維持法成立直前の新聞を大学の図書館で検索して、その見出しを撮影したんです」

 言われてしぶしぶ見た。次の授業の準備があるから忙しいのに。でも見ると同時に呆然とした。(1)の見出しは「世論の反対に背いて治安維持法可決さる」(朝日新聞 1925年3月8日)。そして(2)は「無理矢理に質問全部終了」(朝日新聞 1925年3月7日)。どちらもどこかで目にしたばかりのフレーズだ。思わず南京は訊いた。

「……本当にこれは当時の新聞の見出しなのか?」
「当時です」
「ここ数日の見出しと変わらないじゃないか」
「まだあります」

 言いながら杉本は、画面に当てた指をスライドさせながら次の写真を見せる。ガラケーしか持たない南京は、この気取ったような指の動きがどうにも憎らしいのだけど(しかも操作するときの顔も何となくドヤ顔に見える)、今はそんなことを言っている場合じゃない。(3)の見出しは「治安維持法は伝家の宝刀に過ぎぬ」。……伝家の宝刀? 一瞬だけ過去と現在がさらに入り混じったような感覚に襲われて混乱したけれど、続く小見出しの「社会運動が同法案のため抑制せられることはない」との記述で理解できた。要するに法案を拡大解釈して国民を縛ることなどありえないと(政権は)主張しているのだ。

@これを見て実感した。時代はまた繰り返す

 見出し(4)は「日露国交回復に火に『赤』の定義で押し問答」(朝日新聞 1925年2月27日)。治安維持法が成立した時期は、大正デモクラシーの全盛期だ。このときの首相は護憲派のシンボル的存在であり、ロシアとの国交回復の立役者でもあった加藤高明(憲政会)だ。だからこそ政府は、ロシアの無政府主義や共産主義思想の流入に神経を尖らせた。そうした時代背景をベースにすれば、(4)の見出し「日露国交回復の日に『赤』の定義で押し問答~定義はハッキリ下せぬが、この法案だけは必要だと言う治安維持法委員会」の意味はより明確になる。「アカ」(共産主義者)は当時、やはり国家に害を為す「絶対的な悪」の代名詞だった。ちょうど今の「テロ」のように。

 ……数秒だけ沈黙してから、「ここまで同じ状況だとは思わなかったな」と南京はつぶやいた。神妙な表情で杉森はうなずいた。

「いろんな人が日本はまた同じ時代を繰り返すって言っていたけれど、今ひとつピンとこなかったんです。でもこれを見て実感しました。この国はこの先どうなるのでしょう」
「……ボクはもう50代半ばを過ぎたから」
 南京が不意に言った。
「もし戦争が始まっても、もうさすがに前線に行くことはないはずだ」
 杉森は首をかしげる。南京が何を言おうとしているのかわからない。
「行くのはおれたち若い世代ということですか」
「そうなるね。仕方がないよ。この政権をあれほどに支持したのだから」
「支持したのは俺たちの世代だけじゃないです」
「選挙に行かないのが悪い」
「いや先生、今は誰が悪いとか悪くないとか論ずべきではなくて……」
「うるさいうるさい。とにかく悪いのはおまえたちだ!」

 そう言ってから南京は、両手両足を奇妙な仕草で振りながら教室を飛び出した。どうやらパニックになったらしい。その後姿を見送りながら杉森は、こういう人はいつの時代にも一定数いたのだろうなと考えた。ぎりぎりまではそれらしく頑張るけれど、最後の瞬間にだらしなく取り乱して保身に走る。あるいは忘れたふりをする。

 ……とにかく何とかしなければ。スマホをポケットにいれながら杉森は思う。だってここは他人の家ではない。自分たちが暮らしている自分たちの家なのだから。遠くで南京の悲鳴が聞こえる。どうやら階段から転げ落ちたらしい。

*****ダイヤモンドオンライン「森達也 リアル共同幻想論 2014-1/27」より転載

花となれ

 「花となれ」

この宇宙の野辺の花となれ
地球の上の九電本店前
そこに立つ人にとって上も下もない
はるか彼方の星たちの光を集め
遠い未来からやってきた
いのち輝く子どもたち
この星が生まれるまでの
漆黒の闇に
やっと灯った一条の光
それは原子力発電の灯火ではなく
あなたの笑顔の元にある
いのちのまんまのエネルギー
宇宙の野辺にサッとひと吹き
一陣の風を起こす
小さな小さな花となれ

「新しかつながりで新しか世界ば」

せっかく生まれたあらゆるいのちば
死への道連れにしよる
すでに死んぢょるあん人たち
生きる努力ば投げ出しよるこげん人たちの
巨大な廃虚んごとなっちょるこげん世ん中
放射能ばまきちらされちょる
ガレキん世の中から
わしら生きちょる者んは
新しかつながりで
新しか世界ば生み出すくさ

*****九電本店前ひろば「青柳メール1032・1034日目」:ギャーさん投稿分

九年目の自立循環型住宅

「自立循環型住宅」とは、与条件の下で極力自然エネルギーを活用し、居住性・利便性を向上させつつ居住時のCO2排出量を、2000年頃の標準的住宅と比較して半減させることが可能な住宅をいいます。その設計指針が2005年に発表されました。その温熱環境の研究の集大成が「パッシブソーラーハウス(以下PSHと略す)」というものに代表されると言ってよいでしょう。この言葉を耳にされたこと方もあると思いますが、「概念」を表すもので、「ある設備(たとえば、OMや太陽光発電器)を搭載した住宅」をさすものではありません。その頃、わが事務所が白蟻にやられて「建替」を検討していたのですが、「自立循環型住宅への設計ガイドライン」にしたがって車庫棟を「コンパージョン&リノベーション」しようと決めたのでした。

この建物は父が1995に「2*4+トラス+在来工法によるスケルトン」とも表現したいような無柱構法を、セルフビルド(父+僕+現場監督)したケース・スタデイ・ハウスで(当時仕事がなかった)、ある種のプロトタイプを想定し建築生産のプロダクト化を目指したものでした。父は熊大建築学科を卒業して、当時朝鮮戦争で景気のよかった佐世保の建築会社に勤務していました。「米軍の仕事が多かった」と言っていましたが、その頃綴ったノートを取り出して前記のスケルトンのアイデアをひねり出したのでした。ちょっと凝りまくってコストがかかり過ぎ、ローコストのプロトタイプは頓挫したのでした。2000年に父は亡くなりました。父の魂を継ぐべく「僕も、自分の独自性を前面に出して自立循環型住宅にトライしてみよう」と決意したのでした。

PSHのパッシブ・デザインを「特別な動力機器を用いず、自然の要素である太陽光・太陽熱・風・雨水・大地等の持つ性質を、建築的に利用・調節して室内気候の適切化を行なおうとするもの」と解釈して、事務所の再生は始まったのでした。南面の開口率は20%前後(1F;24%,2F;18%)採り、北面は立体通風を確保するため高窓を設けました。東面は階段室をバッファーゾーン(緩衝地帯)と位置ずけし、外壁に即して本棚を配置して、本棚の奥行き分を付加断熱としました。西面は無開口とし、断熱材の厚みを次世代基準以上としました。これで冬の備えはバッチリで、2FのLDに於いて2014-2/3~10:30AM現在で、陽が差してきて、外気温7度に対して室内は無暖房で19度ある。15:00頃は22度は確実に上回ります。(南面開口部のガラスはエアタイトペアガラス)

夏期の日射遮蔽対策として、2Fのバルコニーを120~150cm以上出しスノコ状の床を設え、即ち1Fに対しては庇とし、2Fではシャッターを掃き出しサッシの床面から30cmの位置まで下ろしてテントのオーニングを1M以上出すようにしています。通風を確保してそれでも熱帯の夜のように暑い時は、エアコンを使用します。暖房に比べて冷房エネルギーに対するCO2排出量は少ないので、我慢しないで使っています。その際、天井高の高い所にある暖気は換気扇で排除した上で、下降しがちな冷気の「振る舞い」を考慮してエアコンを使用しています。黒い寒冷紗や銀色の反射布を開口部を覆ったり(グリーンカーテンは世話が大変なのでパスしています)、まだまだ夏期対策は足りない所が多いので色々と工夫しなければなりません。

1Fは事務所に、2Fは住居として使っています。1F玄関入ってスグの応接コーナーに薪ストーブを据えて、直上に開閉式の吹き抜けを介して全館暖房用に使っています。エアコンであれ薪ストーブであれ冬場の過乾燥は避けられないものがあります。当然、薪ストーブには寸胴鍋をかけて湯気を立たせていますが、吹き抜けの上は「洗濯物干し場」になっていて室内に適度な湿度を与えてくれます。11月~翌3月で40%を下回ることは、殆どありません。薪ストーブの炎を見ていると情緒的に癒されるものがありますし、なにより化石燃料を使わなくていいことがエコの心を満たしてくれます。

「自然住宅」を目指して1996年から取り組んできた事業を総括的にまとめると、「温熱環境に考慮した自然素材住宅」という地点までは進化してきたという自負はあります。「もっとパッシブデザインの高みを目指すべきだ」とも思いますが、加齢に伴い情熱に欠けがちになるため、後進に道を譲ります。(加藤君・野池さん、、、アトハヨロシク!!)

電力会社が牛耳るメディア(コピペ)

★電力会社が牛耳るメディアは黙殺 汚染水ダダ漏れの衝撃~「日刊ゲンダイ2014年2月4日」 掲載

 先週末に発表されたショッキングな数値をどれだけの国民が知っているだろうか。東電は先月30日、福島第1原発の原子炉1号機について、「格納容器下部の破損配管から、1時間あたり最大3.4トンの汚染水が漏れていると推計される」と明らかにした。

 1号機はメルトダウンした核燃料を冷やすため、1時間あたり4.4トンの注水を続けている。その実に約8割が、格納容器の外に漏れ出しているわけだ。

 注入した水は当然、核燃料に触れて高濃度の汚染水となる。東電によると、漏れ出した汚染水の放射能濃度は1時間あたり最大237万マイクロシーベルトに達した。この数値はロボットなどを使った調査によって推計したもの。とてもじゃないが、人間は近づけない深刻な汚染レベルだ。

 破損箇所をふさがない限り、汚染水のダダ漏れは続く。東電は「格納容器の他の場所からも漏れており、今後もロボットを使って調査する」(広報部)と言うから、食い止めるのは遠い先の話。毎時3.4トンなら1日81.6トン、1カ月2448トン。これは1号機に限った量で、敷地全体では途方にくれるほど莫大な量の汚染水が日々発生していることになる。

 事故発生から丸3年近く経つのに、ひたすら大量の汚染水を生み出し、その処理に追われる堂々巡り。今なお「収束」と呼ぶには程遠い惨状を浮き彫りにするデータなのだが、驚いたのはメディアの対応である。

 今回の東電の発表をキチンと伝えたのは、民放キー局ではテレ朝のみ。NHKも発表翌日の早朝5時台のニュースで伝えたが、視聴者の多い朝7時のニュースのラインアップからは外した。全国紙はナント、「8割漏洩」を一行も伝えず、完全に黙殺である。

 評論家の佐高信氏は、「3・11後も電力業界は自民党議員にカネを配り、原発新増設を促す『模範回答』まで配布していた。メディアも同様です。3・11後も有力スポンサーとして君臨し金の力でメディア支配を続けている。電力会社に牛耳られたメディアに、原発の真相を伝える気概を求めるだけムリな話です」と突き放した。むろん、福島原発の現状を報じないのは、元首相コンビが「脱原発」を訴える都知事選の動向とも無関係ではないだろう。

メディアは怖いのだ。細川の支持が高まり、脱原発の世論が原子力ムラと一体化した既得権益を吹き飛ばすことを。その証拠に細川・小泉の演説内容をほとんど報じない。前出のNHK朝のニュースは都知事選の話題を一秒も伝えなかった。脱原発コンビの主張にフタをするため、意図的に都知事選報道を矮小(わいしょう)化しているようにも映るのだ。

 今のメディアは自分たちの利益のためなら、平気で権力と手を握る。戦前・戦中と同じように「不都合な真実」を国民に隠し続ける。こうして「報道の自由」を勝手に自滅させていくのだ。

病状5尺8寸(2)

2005年からまあまあ安定した体調を維持していましたが、風邪をまったく引かなくなった訳ではありません。2・5・10月には、酷い風邪になることが往々にしてありました。風邪が軽い時は売薬の葛根湯で対応ができますが、こじらせた時にはクラビット錠(500mg)を出してもらいます。5日間服用して(5日分がワンセット)安静にしていれば、だいたい平常の体調に戻っていました。従って「わざわざ地域医療の中枢を担う新K病院に通院するほどの所見は見当たらない」という事で、マチナカのクリニックに患者としてトレードされたのが2012年10月でした。

ところが、2013年になると体調不良が周期的にやってきてクリニックではどうしようもなくなり、新K病院にカムバックしました。以前の担当医は転勤になっていて、非常勤の女医氏が新しい担当医となりました。旧帝大系のQ大の医学部・医局を修了されていたので、すごく期待しました。しかし、5日間クラビット錠を飲んで安静にしても、7日後の血液検査では炎症反応があり、再度5日間クラビット錠を服用してやっと安定するという事が繰り返されました。

服用しているエリスロマイシンに耐性菌ができて薬が効かなくなったのかなぁ。。。加齢によって免疫力が低下したのかなぁ。。。耳鼻咽喉科にも通った方がいいのかなぁ。。。などと問いかけても「様子を看ていきましょう」と言うだけで、わが女医氏は次の一手をなかなか打ってくれない。僕は話が上手ではないけれど、女医氏もコミュニケーション力が足りないかったような気がします。今現在の知見から判断すると、「常套的な次の一手はなかったんだ」という事は理解できます。

じゃ慢性副鼻腔炎(蓄膿症)からヤッツケテイコウという事で、内視鏡手術の泰斗である大分市「佐藤クリニック」の佐藤公則先生に精密診断をお願いしました。すると「イワユル蓄膿症は手術するはど悪くはない。しかし、耳鼻科的処置はやるべきだ」という判断を示されました。鼻を開いてやる蓄膿症の手術の痛さを施術した友だちから聞いていたので、内視鏡による手術を希望していました。そのための大分行きだったのですが、大きな成果が得られて嬉しかったです。

2013年の夏も『狂熱の夏』と呼んでいいほど暑かった。僕は映画がとても好きで、ここ数年は50本以上は観ています。暑い外部で汗まみれになった体で(Tシャツはじっくり濡れている)そのまま冷房がギンギンに効いている映画館に入ると、悪寒のようなものが背筋を走ります。夏場に体調を崩すパターンで、それから風邪を引いてるようなそうでもないような中途半端な状態が続いていました。「涼しいところでユックリ休養すれば良くなるだろう」と考えて、雲仙観光ホテルのツインを予約しました。出発当日、僕は顔が青かったらしく、配偶者が「ホテルをキャンセルして家で静養して病院に行った方がいい」と、かなり強く反対したのです。女医氏の所に診せてもどうせ「様子を看ていきましょう」と言われるだけだ!、と思ったので配偶者の反対を押し切り出発したのでした。・・・それが配偶者に顔向けできない最悪の結果に。。。

石丸初美さんの意見陳述

僕は「3・11」を忘れないために、「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会/略称:玄海原発裁判の会」という長い名前の会の会員になり、以下の裁判の原告になっています。

①MOX裁判(「玄海原子力発電所3号炉」MOX 燃料使用差止請求事件)
②玄海2・3号機「仮処分」(玄海原子力発電所2号機、3号機再稼動差止仮処分命令申立事件)
③全機運転停止(九州電力玄海原子力発電所運転差止請求事件
④行政訴訟(玄海原子力発電所3号機、4号機運転停止命令義務付け請求事件)

2014-1/24に、訴訟団長の石丸初美(=ハツミ)さんが、④行政訴訟(玄海原子力発電所3号機、4号機運転停止命令義務付け請求事件)の第1回公判で行った意見陳述です。石丸さんは、普段は温厚な「おかあさん」といった風情のチャーミングな女性です。しかし、ゲンパツに対する怒りはハンパなものではない。「目を三角にして怒る」と言いますが、九電・佐賀県・玄海町の『権力』に対して、彼女はそれほどの『怒』を以って抗議している。その写真を拝見すると、「目を三角にして怒っている」姿が見て取れる。痩せてらっしゃるけれど、真面目で精神的にドッシリと構えたリーダーには『頼りがい』が感じられる。

・・・・・・・・・・・・・

 陳  述  書

私は石丸ハツミと申します。62歳です。

東京電力福島第一原発事故から3年が経とうとしていますが、今日も日本は「原子力緊急事態宣言発令中」なのです。被曝の脅威にさらされながらの収束作業と、放射能汚染水の流出は今も続き、15万人を超える避難生活者のいる現実を無視して、政府・電力事業者は再稼働へ向けた動きを加速させています。この国の政治は福島を見捨てるつもりでしょうか。国民の命を第一にしないのでしょうか。私達はこのことが許せず、原発政策の本丸である国を訴えることにしました。

私は2006年2月、古川佐賀県知事が「プルサーマル安全宣言」を発表するそのときまで、日本は四季に恵まれ安全な国だと、何も心配せず暮らしてきましたが、勉強会で原発の怖さを初めて知り、天と地がひっくり返るくらい愕然としました。

私達はプルサーマル計画の是非を問うべく県民投票条例制定を求める署名活動を行いましたが、佐賀県議会は49,609筆の県民の声をあっけなく否決。2009年12月2日、とうとう玄海3号機で日本初のプルサーマル商業運転が開始されてしまいました。私達はやむにやまれず、2010年8月9日、九州電力を相手に提訴しました。

2011年3月11日はここ佐賀地裁で第2回口頭弁論の日でした。私達は裁判所を出るや否や、それぞれ大切な家族や友人知人への安否確認の電話を入れていました。刻々と情報が入ってくる中、福島第一原発の状況がとても心配でなりませんでした。この日を境に私達は、反原発・脱原発しかないとの思いを強くし、同7月7日「玄海2・3号機再稼働差止仮処分裁判」と同12月27日「玄海1~4号機全基運転差止裁判」を次々に起こしました。

これまで国も電力会社も原発は「『五重の壁』で守られているから安全だ!」と言ってきましたが、3.11で原子炉建屋は吹き飛び、膨大な量の放射性物質が日常生活へ撒き散らされました。国が住民のパニックを恐れ情報隠蔽したことで、住民は無用の被曝を強いられました。原発は危険極まりないもの、ひとたび事故を起こせば筆舌に尽くしがたい甚大な被害を及ぼすものだと、国民の前に正体を曝け出したのです。原発は人体実験です。事故が起きたら「想定外」では済まされません。

3.11当日、政府は法律に基づき「原子力緊急事態宣言」を発令しました。私は座談会などでこの事を人に話す前に必ず規制庁に確認しています。何度かけたことでしょうか。昨日も「解除されていません」が答えでした。そうした中での、安倍首相の「日本の原発は世界一安全」という不条理極まりない暴言に心の底から憤りを感じています。3.11は三度目襲った核の脅威、誤った政治判断の人災です。日本経済のためとの理由で、今度は世界中に核を撒き散らす原発輸出は、罪をも犯す政策です。国民は決して望みません。

国の最優先課題は「被災者救済」「事故の収束と責任追及」です。この度の事故で、苦悩と不安を抱えている全ての被災者と正面から国は向き合うこともせず、経済優先の原発再稼働など言語道断です。

昨年11月18日、佐賀県議会原子力安全対策等特別委員会は原子力規制庁の担当者二人を参考人として招致し、その中で県議からの「規制基準は原発の安全性を保障するのか」との質問に、田口原子力規制庁課長補佐は「安全ですというと、安全神話になるので、そう言わない。リスクが常にゼロにならないというのを基本にしている。絶対安全な状態になるというのは永久にこない」と答えました。さらに、田中俊一原子力規制委員長も「完全な安全は保証しない」と発言しています。言い換えれば、「原発にリスクはあるから安全は保証しないと、再稼働の前からちゃんと説明していましたからね」と、国から国民は一方的に非道な宣告をされたのです。

翌12月13日、県議会に招致された井野博満東大名誉教授は「新規制基準は、まるで、壊れそうな船に救命ボートをたくさんつけているようなもの。玄海原発の過酷事故時には、炉心溶融を防ぐ手段がなく、対策はすべて『付け焼刃』。『完全に安全』に近づける努力もなしに再稼働は暴挙だ。」と証言しました。国の役割っていったい何でしょうか。国民の命を守ることじゃないのでしょうか。

3.11前から佐賀県や九州電力は「国が安全と言うから安全だ」と繰り返し、国は「原発事故の責任は事業者です」と言っています。市町村は「県の判断を待つ」という具合で、お互い責任のたらいまわしでしたが、3.11を受けてもなお無責任体制は変わっていません。

私達は地元玄海町の各家庭を一昨年、1年かけて訪問しました。

 「とにかく偉い人の言う通りにしかならん」

 「原発が安全と言うならなぜ、避難訓練や避難道路の拡張が必要なのか」

 「福島の放置された牛の映像を見て、自分も牛を飼っているが、なんとも腹立たしい」

 「孫達の将来を考えると、やっぱりないに越したことはなか」

 「うちは高台にある。事故が起きたら一直線で放射能が来るからもうおしまい」

これらは玄海町民の生の声です。日頃は近所同士で原発の話はできないそうですが、堂々巡りの胸の内を私達に話してくれます。話をしてくれた人も、してくれなかった人も、原発をすぐそこに見ながら暮らすみなさんが恐さを一番実感しておられると感じました。

事故直後、佐賀に来た福島の人が「佐賀は蛇口の水がそのまま飲めていいですね。佐賀に来て久しぶりに深呼吸をおもいっきりしました。日頃からなるべく空気吸わないようにと、していたんです」と言われました。私は、水の大切さ、そして全ての生き物は大自然に守られているのだと、やっと気付かされました。

今、日本中の原発50基全部が止っています。でも国が自ら「絶対安全な状態は永久にこない」と断言する原発が再稼働したら、私たちは不安を抱えながら「どうか原発事故が起きませぬように」と祈るしかないのでしょうか。福島の人達が、原発事故直後の生々しい事実や故郷を奪われ地域社会が丸ごとなくなるという、私達には到底想像もつかない状況を語っています。重ねて、原発は事故が起きなくても、ウラン採掘から廃炉・核のゴミ処理まで命を削る被曝労働と、核のゴミを未来の人々に遺すことになってしまいました。

私達が訴えているのは、特別な問題ではありません。人間として生まれ、大自然の営みに囲まれて成長し、子どもを生み育て、日々の暮らしを繰り返し、初詣には「どうか家族元気で過ごせますように」と、普通の生活を守るための訴えです。ただそれだけです。未来の人達にも動物や植物と共存しながら、生まれてきてよかったと思える普通の生活を送ってもらいたいのです。今を生きる大人の責務としてこの国の不条理を正し、私たち自身が再び原発事故の加害者とならないよう裁判に訴えました。政府は国民の声をまっすぐ受け止め、原発再稼働を止め、「脱原発」そして廃炉へと政治判断をされることを心から願います。

裁判長におかれましては、市民の良識を拠り所にしてご判断くださるようお願い申し上げます。

今日は貴重な場をいただきまして、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・                                   

警察国家を許さないために、国民はいま何をすべきか?(コピペ)

★「戦前型の秘密社会・警察国家を許さないために、主権者・国民はいま何をすべきか?─秘密保全(特定秘密保護)法案の可決・成立を受けて」

  ≪先ほど秘密保全(特定秘密保護)法案が参院本会議で与党(自民党・公明党)などの賛成多数で可決、成立した。 これで今日(2013年12月6日)という日が日本国憲法が停止・破壊され、 戦後民主主義が崩壊・消滅した歴史的瞬間として永遠に記憶される日となるかもしれない。 これからは、市民一人ひとりの覚悟と勇気が試されることになる。その意味でまさに正念場である≫

【参議院本会議での採決の結果】投票総数212、賛成130、反対82。
※ 賛成投票は、自民党と公明党のみ。
反対投票は、民主党、共産党、社民党、生活の党、糸数慶子議員、山本太郎議員など。みんなの党・維新の会は欠席、一部議員は出席して反対投票(川田龍平、真山勇一、寺田典城の3議員)。

  上記は、昨日の深夜に秘密保全(特定秘密保護)法案の可決の一報を受け時の、その時点での私の偽らざる心境である。 国際環境NGOグリーンピース・ジャパンの佐藤潤一事務局長も、すでに特別委員会での強行採決がなされた時点で、 「日本の民主主義における歴史的な汚点」 「民主主義の基本を否定する愚行」 とする声明を発表している。

  この秘密保全(特定秘密保護)法案の成立によって、1年後には秘密保全法制が本格的に始動することになり、 一足先に設置され活動を始めていた国家安全保障会議(日本版NSA)と並んで、戦後日本の国家構造の根本が大きく変えることが決定的となった。 来年に予定されている集団的自衛権行使を正当化する国家安全保障法案や 「共謀罪」 を創設する組織犯罪処罰法改正案などと一体となって、 戦前の日本(あるいは9・11後に愛国者法が制定された米国)と同様のファシズム国家(戦争国家・警察国家)への道を、 加速させることになってしまう可能性はきわめて高くなった。

  しかし、言うまでもなく、日本はいまだ国民主権の民主主義国家であるはずだ。たとえ日本国憲法がこれまで何度も蹂躙されてきており、 戦後民主主義が虚妄という一面(「腐れた民主主義」 「疑似民主主義」)を持っていたことが事実だとしても、まだ完全に民主主義が死滅したわけではない。 こうした危機的な事態を招くことになった最大の要因は、 私たち日本国民(一般市民)の無知と無関心にあったと考えざるを得ない(もちろん、その原因・責任を一部の売国的な官僚や政治家、財界人、法曹人、 御用学者、あるいは巨大マスコミやアメリカに求めることは決して間違いではない。 むしろ、そうした事実関係を正しく知った上で、個別具体的な責任追及と批判・弾劾を行うことは必要である。 ただ、そこにすべての重点と起点を置くだけでは新たな展望が生まれることはない)。

  私たちは取り返しのつかないほどの大きな誤り・失敗を犯したかもしれないとはいえ、いまからでも遅くはない。 多くの国民は秘密保護法の本質と危険性に気付くのがあまりにも遅かったが、 法案の採決を目前に控えての終盤になってからの国民各層の反対の動きも盛り上がりやいまさらながらとはいえ、 一部の大手マスコミの懸念報道には一縷の望みを見る思いであった。

  孫崎 享(元外務省国際情報局長)氏は、ブログ(孫崎享のつぶやき 「秘密保護法の反対を述べるには今から遅いか。 遅くはない。将来につながる。」 2013-12-05 07:28) で 「本来秘密保護法の是非をもっと真剣に考えるべきであった。しかし、政府の案が決まったのが遅かったこともあり、反対の動きは緩慢だった。 しかし、今は違う。でも政府は通そうとしている。その時に今反対することは意義があるだろうか。ある。 第一に運用面だ。範囲が極めてあいまいだ。国民の反対の意識が高ければ運用に影響する。 第2にこの法案は集団的自衛権などと関係する。秘密保護法に疑問を持つ層は、集団的自衛権にも疑問を持つ可能性がある。 秘密保護法を自民党が強行採決しても、この法律を見極め、反対する意義は充分ある」 と指摘されていたが、本当にその通りだと共感を覚える。

  主権者である私たちが、改憲草案にも見られるいまの自民党の恐るべき本質を見抜けなかったというこれまでの自分たちの誤りとその責任を自覚して、 歴史の逆流に抗して生きることを選択するならば、現在の深刻な事態を克服する新たな道が必ず見えてくるはずである。 世論の高まりが今後の日本のあり方を決めることになるのである。 その意味で、天木直人(元外務省・レバノン大使)氏の、 「強行採決に踏み切れば安倍首相に対する世論の反発はその後の安倍首相の政策に対する反発に倍返しになって襲い掛かってくるだろう。 おまけに天下の悪法、欠陥法に政治生命をかけた愚かな首相という烙印が末永く語り継がれることになる」 という指摘は正鵠を射ていると思う (「特定秘密保護法案で墓穴を掘った安倍首相」 天木直人のブログ2013年12月05日)。

  秘密保護法は、根本的な欠陥法を多く含んでおり、違憲無効であることは明白である。 この法律は、憲法21条だけでなく、自由権規約19条で保障された表現の自由を侵害する違憲立法である。 国連の人権保護機関のトップ、ナバネセム・ピレイ人権高等弁務官が12月2日、参院で審議中の特定秘密保護法案について、 「政府が不都合な情報を秘密として認定するものだ」 としたうえで、「国「内外で懸念があるなかで、成立を急ぐべきではない」 と重大な懸念を表明して慎重な審議を促したことが注目される (「朝日新聞デジタル」 2013年12月3日01時37分)。

  また、参議院での委員会採決は、最後は、全く言葉も聞き取れない、議事録もないような状態での採決であり、手続的にも違法無効だといえる。 そのような稀代の悪法を絶対に認めるわけにはいかない。 確かに、秘密保全(特定秘密保護)法案の成立は、私たちにとって手痛い敗北の一つであったことは認めなくてはならない。 しかし、ここからこの法律の効力を停止させ廃止を求める活動を求める新しい闘いのはじまりである。

  私が尊敬する政治経済研究者の植草一秀氏は、ブログ 『知られざる真実』(2013年12月6日付) 「特定秘密保護法可決成立は日本民主主義の自死」 のなかで 「このような法律案を強行採決で成立させた安倍政権は、もはや、存立を容認できない存在となっている。 主権者がこの政権を打倒することに正統性が存在する」 とズバリ核心を突く重要な指摘を行っている。 また、いま国民目線での発言・行動を一貫して行って最も注目されている、 無所属の参議院議員である山本太郎氏の 「だから僕は、ここで希望だけを語るつもりはないです。この法案を絶対廃案に持ち込もう、 みんなで力をあわせようって言うのは簡単、でも、今この局面で考えなければならないのは、この法案が通った後、 僕たちがどのようにアプローチしていくか、運用されるまでに一年近く時間がある、 その間にこのとんでもない悪法の中身とそしてこれを推し進めようとした権力者たち、そういう存在があるということを今よりも何倍もの人たちに伝えて、 そして必ず2年後の統一地方選、そして3年後の参議院の改選で100倍返しにしなければいけないです」 という言葉は、 胸に心底から響く(「悪法成立したら100倍返し」 山本太郎 生きるため)2013-12-06。

  そして、生活の党・小沢一郎代表が、 「特定秘密保護法を覆すには総選挙で勝つ以外ない」 と 定例記者会見(2013年12月2日) で、語っているのが注目される。

  いずれにしても、このまま安倍政権の暴走によって改憲にまで一挙に行き着き 「戦前統制社会が始まる」 「12・6は “あの日が歴史のターニングポイントだった” と、10年後に指摘されることになるだろう」 という日刊ゲンダイが懸念しているような悪夢を現実化させないためにも、 そして民主主義を再び取り戻すためにも私たち一人ひとりが反対の声を上げ続けるしかないのである。

2013年12月7日 戦争前夜の中で真珠湾攻撃記念日を明日に控えて

*****ブログ「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」木村 朗氏(鹿児島大学教員、平和学専攻)

☆付録:辺見庸ブログ より

  「いまは正直どんな季節だろうか。あの底なしの阿呆どもにあらがい、あらがうということの、途方もない徒労と、 それを徒労とばかり思い込んできた狡猾な錯視と徒労のくりかえしに、しばらく耐えるべき、じつにかくべつの季節ではないのか。 おもえば、あまりにしたたかに惨めなのである。 しかし、いまはそういう季節なのだ。たったあれしきのことをおまえが 「テロ」 と呼ばわるのであれば、 おおさ、血も凍るテロリズムをおまえたちこそが着々と用意していることを、これから諄々とおしえてやろうではないか。 いまはどんな季節だろうか? ずるっと戦時がきたのである。秘密保護法を、たとえ採決されても、みとめてはならない。」(2013/12/03)

  「秘密保護法をわたしは永遠にみとめない。秘密保護法のある、戦争を前提し、もっぱら戦争の脅威によりつきうごかされ収斂される、 いびつな社会の究極の未来像は、この法案の策定者らにさえまったく見とおせていない。 見とおす知も感性も理念もない。なぜならこの政権は、戦争国家実現のために無類の愚者だけがあつまった “無思考マシーン” だからだ。 怖気だつべきである。」(2013/12/04)

病状5尺8寸(1)

僕には「気管支拡張症」という持病がある。それに「慢性副鼻腔炎」が絡んで「慢性気管支炎」が日常的に存在している。それが、身長5尺8寸(175.7cm)の僕が置かれている、現在の病状だそうである。

日本呼吸器学会によると・・・
「気管支拡張症(きかんしかくちょうしょう)とは気管支が拡がって元に戻らない病気で、生まれつき(先天性)、あるいは小児期の肺炎、肺結核などの感染症のため気管支の壁が破壊されることにより起こります。気管支の一部のみで起きることもあれば、広範囲に生じることもあります。気管支は空気の通り道というだけでなく、吸い込んだ異物から体を守る働きもあり、一度破壊されると容易に細菌などの感染の場となり、感染と破壊の悪循環に至ります。気管支拡張症の主な症状は咳や痰、ときに血痰を生じることがありますが、自覚症状が全くない場合もあります。細菌感染症により黄色~緑色の痰(膿性痰)が出ることもあります。また炎症を繰り返すと気管支の周りの血管が増え、血痰や喀血(気道から血を吐くこと)の原因となります。ときに副鼻腔炎(蓄膿症)を合併します。胸部X線写真やCT検査で円筒状や袋状に拡張した気管支を認めることで診断します。かぜなどをきっかけとして起きる増悪期には、発熱や膿性痰が増加し、呼吸困難を伴うこともあります。
 
無症状なら、治療をしないで経過を観察することもあります。また、病状が安定している時期の治療として、吸入療法や去痰薬の内服、痰を出しやすい体位をとること(体位ドレナージ)などの理学療法を行います。

さらに、症状の軽減や炎症を抑えることを目的に、一部の抗菌剤(マクロライド系)を長期内服する場合もあります。発熱や膿性痰の増加する増悪期には、感染の原因となった細菌にあった抗菌剤を使用します。血痰に対しては止血剤の投与を行い、喀血が大量の場合や続く時には、血管を塞ぐ治療(気管支動脈塞栓術)や外科的手術を行う場合もあります。

基本的には、定期的な診察と適切な治療の継続、そしてかぜ予防など体調管理が大切です。」
・・・と解説している。

*****

2013年11月以降、「呼吸器内科」に1回/6週と「耳鼻咽喉科」に1・2回/週、通院中。『内服療法』としてマクロライド系抗菌剤(クラリシロマイシン)・去痰薬他(ムコトロン・エンピナース)・漢方薬(辛夷清肺湯=しんいせいはいとう)を定期的に服用し、風邪をひいた時には酷くさせないために、葛根湯を用意しています。喉・鼻のため『吸入療法』と『鼻洗い』を施してもらっています。インフルエンザ予防接種は毎年受けて、手洗い・うがい・マスクの励行は必須です。・・・と万全の備えなのですが。。。体の好不調の波が激しく、とまどっている今日この頃です。

小さな頃からイワユル『虚弱児童』で、体育の授業は「見学」が多く、小学校の通信簿の成績は「1」だった。集団検診では「レントゲンに不確定な影が見られる」と判断され、毎年春先には保健所に精密検査に遣られた。しょっちゅう風邪を拗らせ、その度ペニシリン注射をお尻に打たれていた。「20世紀における偉大な発見」と言われるペニシリンがなかったら、今年、僕は還暦を迎えられるようにはならなかっただろう。1964年・東京オリンピックの頃(小学校5年生)に「21世紀の僕」という題の作文を書かされた事があったが、「21世紀まで生きていられるのかな・・・」と考えて作文は提出しなかった記憶があります。

持病がもとで肺炎に罹った事が、1970年・1979年・1987年・2005年と4回あり、中年以降患った2回分は入院する羽目になってしまいました。2005年に入院したK病院21で、マクロライド系抗菌剤(エリスロマイシン)・去痰薬他(ムコソルバン)の長期服用を勧められ、1回/8週の定期健診に通うようになったのです。それ以降、割と体調が安定してほどほどのQOLを保っていました。担当医の転勤とともに、系列の新K病院に転院しました。「耳鼻咽喉科」にも並行して通院すればモアベターだったのですが、耳鼻咽喉科は時間がかかり仕事に支障をきたしそうで実行できませんでした。

さて、2013年を迎えて母の認知症がひどくなり「徘徊」「幻覚」を訴えるようになりました。そのストレスもあったのかもしれませんが、節分を越えた頃からよく風邪をひくようになったのです。持病のコントロールに苦慮するようになってきました。微熱が続き、しょっちゅう風邪を引いてる感じで、悪寒がしたり急に発汗したり・・・そして、7月下旬に避暑で行ったつもりの旅先で入院する次第に。。。
プロフィール

としとんどん

Author:としとんどん
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。