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安倍首相の目指すモノ(コピペ)

★内田樹氏:赤旗日曜版のインタビュー

3月16日付け、『赤旗日曜版』にインタビューが掲載されました。こちらには少し加筆したロングバージョンを転載しておきます。

安倍晋三首相は本音はもちろん改憲して、憲法9条を廃棄したい。だが、それはアメリカ政府の強い抵抗があって実現がむずかしい。それゆえ、アメリカの軍事活動を支援するという、アメリカから正面切って反対できない口実を掲げて、解釈改憲による「集団的自衛権」の行使容認を持ち出してきたのです。

しかし、日本が集団的自衛権を行使するというのは、政治史的に見てありえない想定です。集団的自衛権は、同盟国が武力攻撃を受けたとき、国連が介入するまでの緊急避難的な措置として認められた権利ですが、実際にそれを行使したのは軍事的超大国ばかりです。米ソのような超大国が自国の勢力圏で起きた反政府運動、独立民主化運動を弾圧するためにこの権利を行使しました。

これまで集団的自衛権が行使された実例を見ればわかります。1960年代に始まったアメリカによるベトナム戦争、ソ連によるハンガリー(56年)、チェコスロバキア(68年)、アフガニスタン(79年)への軍事介入など、大国による勢力圏への武力干渉の事例ばかりです。日本のような「勢力圏を持たない」国が行使するような筋のものではありません。

本当に日本が集団的自衛権を行使しても「アメリカを守りたい」というのなら、まず日米安保条約を双務的なもの変えるのがことの筋目でしょう。日本が攻撃されたらアメリカが助けに来てくれる。それが片務的で恥ずかしいというのなら、アメリカが攻撃されたときに日本が助けにゆけるように日米安保条約を改定すればよろしい。

日米安保条約を「日米相互防衛条約」に変える。難しいことはありません。現行の安保条約第五条の「日本における、日米いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し」の「日本」を「日米」に一字書き換えるだけでよい。

そうすれば、アメリカ国内への武力侵攻にも日本がただちに援軍を出すことができます。でも、そのためにはまず米国内に自衛隊基地を展開する必要があります。自国だけ米軍基地で守ってもらって、相手の国土には自衛隊基地を置かないというのでは双務的な防衛条約とは呼べないでしょう。

片務的な日米安保を放置しておいて、集団的自衛権を行使するというのは法理的に矛盾しています。アメリカに「手伝いに来い」と呼ばれたときだけ自衛隊を出すという約束なら、それは「集団的自衛の権利」の行使ではなく、「集団的自衛の義務」の履行と呼ぶべきでしょう。言葉は正確に使ってほしい。

安倍政権の政体改革は行政府への権力の集中をめざすものです。特定秘密保護法は立法府が国政調査権を制約される点に三権分立上の大きな問題点があります。世界史を見ればわかるとおり、独裁というのは行政府が重要な政策を立法府の審議に委ねず、閣議決定だけで実行してしまう政体のことです。行政府への権力の過剰な集中のことを「独裁」と呼ぶのであれば、安倍政権はあきらかに独裁を志向していると言わざるを得ない。

民主主義というのは意思決定に長い時間のかかる仕組みです。それが非効率だから権限をトップに委ねて「決められる政治」を実現しようと言う人々がいます。彼らは統治システムを株式会社のような組織に改組しようとしている。しかし、民主制を株式会社のように制度改革することはできません。「文句があるなら次の選挙で落とせばいい」というのは企業経営者なら言えることですが国の統治者が口が裂けても言えないことのはずです。

株式会社は有限責任ですからどれほど経営上の失策があっても、株主の出資額以上のものは失われない。でも、国家は無限責任ですから、失政によって私たちは国土も国富も生命までも損なうリスクがある。だからこそ時間をかけた議論と合意形成が必要なのです。安倍首相は政治とビジネスの違いが理解できていないようです。

*****ブログ「内田樹の研究室 2014年03月16日 」より転載

社会人大学生:『卒業論文』

社会人大学生四回生時は前半に「一級建築士の学科受験」と「卒業研究」が重なってしまい文献研究が予定ほど進まず、卒業前の半年は建築事務所のアルバイトは休み卒研に集中することにしました。当時、工学院大の「卒業研究」はAタイプ:「『卒業論文』+『卒業設計』」とBタイプ:「『卒業論文』のみ」の、2パターンがありました。設計にあまり自信がなく、内発するテーマとモチーフを見つけ出せず、僕はBタイプを選択しました。

卒論のタイトルは「看板建築:大正のポストモダン」という、若気の至りというか、気障な冠を被せたシロモノです。神田・神保町の街並にある意匠に特徴的な看板建築を選び、間取りを採り、そこに「大衆的想像力」を考察しょうとしたものです。「昭和モダンに継承される、日本の資本主義勃興期の大正ロマンが商業的空間に職人の技量を通して開放された『市民』の(限定されてはいるが)自由な意思の発露」と捉えて推論をしました。

ただ初田先生があとから調査したところによると、間取りが全く違っていて、先生の研究の一助にはならなかったみたいでした。言い訳になりますが、フィールドワークを僕一人でやっていたため、神保町の住民の方々に相当警戒されました。それでも、やっと、話を聞けた家でもあがって間取りの採寸をするということは断られました。未成熟な建築学徒が聞書きで間取りを採ったので、不正確極まりないものになっていたに違いありません。グループでやるべき研究だったのですが、二部の卒論生は僕一人しかいませんでした。

なんのかんのあったものの、1986年3月に無事卒業。それから、『日建学院』の「設計製図」の日曜講座と集中レッスンに通い、異なった課題で100枚以上の「設計製図」をこなしました。おかげでその年の「設計製図試験」に合格して、晴れて『一級建築士』となった訳です。「あと一年以上東京で『武者修行』ができる」と喜んでいると、田舎の母から「お父さんが緑内障に罹って目が見えなくなってきていて、図面もかけなくなったと言っている」との連絡がありました。知人の医師にこの病気の事を聞いたら「緑内障は深刻な病気で、一刻も早く手を打った方がいい」とアドバイスを受け、トルモノモトリアエズ、東京を引き払い帰郷したのでした。

しかし、これがトンダ茶番劇で、同じ目が見えない病気でも「緑内障」ではなく「白内障」だったのです。一級建築士をとってしまったので、「息子たちは東京に居付いてしまうのではないか」と心配した両親が一芝居を打ったわけです。

それにマンマと乗せられた僕は大馬鹿野郎でアリマス。
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