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『カッパの駅』(田主丸駅)は卒業設計

1986年に帰郷してから5年間、「数奇屋」建築の棟数は多くはありませんでしたが、その設計の基本は父から教わりました。「数奇屋」といっても田舎のことなので、京町屋のようなタイトなスケール感はオーナーに嫌われることが多かった。しかし、広い敷地に合わせてゆったりとスケールを採ると、間延びしてしまい泥臭いものになります。そこで僕は父とは違えて、一軒間を6.3尺と決め、内法高は6尺・垂壁高は7尺・天井高を8尺を原則としました。1990年頃には、僕たちの地域では畳座の所謂「お座敷」と「続き間」のニーズが根強くありました。そこは冠婚葬祭・茶室など「晴れの間」として使われることが多いため、意匠は「歴史的先例」「数奇屋作家作品」の「写し」に徹底することにしました。オーナーにもその旨を説明すると、由来のあるデザインに興味を示され、喜ばれたものでした。

そうこうしている内に、平成の世になり1990年を迎えると、「ふるさと創生資金」を謳う『一億円』が各自治体に配布されました。これは1988年から1989年実施の政策事業で、竹下登首相(当時)が発案した公共事業。事業内容は地方交付税から交付団体の市町村一律に交付、その使い道について国は関与しないとされた。地方自治体が自ら主導する地域づくりということで、創意工夫し地域の振興を図る動きが各地で試みられたのでした。我が田主丸町(当時)は、新しく当選した町長が「町づくり」の起爆剤とするためJRの駅を改築することを、発表しました。これは磯崎新の由布院駅改築をまねした企画だと思われます。

設計の指名競争入札があり、『西村一級建築事務所』はメデタク設計入札を落札しました。設計作業に入る前に、地元の『U工業高校建築科』で「あなたならどんな田主丸駅をデザインしますか?」というアイディアコンペが、郡建築士会主催で行われたのでした。集まったデザインはカッパの直喩的なものがほとんどで、実施設計の外観デザインに反映させるのに頭を抱えました。カッパの『すがた・かたち』は可愛くないといけません。特に顔のプロポーションが大事になってきます。サンリオのテーマパークなどに行って研究するのですが、成果が上がってきません。

先ず、商業的ヴァナキュラーから導き出される、『看板建築』の考え方=外部と内部の表現の不統一を採用してみました。そして、形態のコンセプトをカッパの涅槃像としました。内部は町有林の杉・桧を使ったトラス+在来工法による山小屋風のインテリア。外部はカッパが寝そべっている姿。列車が構内に入ってくると「いらっしゃい」、出て行くとき「バイバイ」と手を振っているような姿を模しています。

いきさつや実務の内容を書くと、ナマグサクなるので、止めます。自分としては恥ずかしいサクヒンなのですが、皆さんに気に入られているみたいなので、望外の喜びです。『看板建築』は卒論だけだったので、『カッパの駅』は6年遅れの卒業設計のつもりで取り組んだモノでした。
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中国との終わりなき軍拡競争に突入する日本

★中国との終わりなき軍拡競争に突入する日本
                         ***東洋経済オンライン 2014/5/26 高橋 浩祐氏

 5月24日、尖閣諸島北方上空で起きた自衛隊機への中国軍機異常接近事件は、偶発的事故がいつ起きてもおかしくないことを、日本国民に印象付けた。中国の強圧的な攻勢は止まらない。安倍政権が尖閣諸島を含む南西諸島地域での防衛態勢を急ぐ中で、日本は中国との事実上の軍拡競争に突入しているのだ。

 中国の国防費は2010年度を除き、四半世紀の歳月にわたって2ケタのパーセンテージで伸び続けている。中国経済が今後も高水準で成長していくことが見込まれる中、中国の軍事費はさらなる拡大が予想されている。そして、日本はただでさえ、1000兆円にも及ぶ巨額の公的債務を抱え、財政上の厳しい制約を受けていることから、中国との軍拡競争にかないっこないとの見方がある。

 その一方で、中長期的には中国は一人っ子政策の影響もあり、日本以上の少子高齢化に直面。経済成長が鈍化し、2ケタの国防費の伸びをいずれ維持できなくなるとの見方もある。

 尖閣諸島の領有権をめぐって、挙げた拳をなかなか振り下ろせずに、チキンゲームを続ける日中。そして、中国を事実上の「仮想敵国」とみなして次々と手を打つ安倍政権だが、中国との軍拡競争で果たして勝ち目はあるのだろうか。

■ 南西諸島の防衛態勢強化を急ぐ安倍政権

 安倍政権は昨年12月、今年度から5カ年の防衛予算の総額を24兆6700億円とする次期中期防衛力整備計画(中期防)をまとめた。中期防の総額は2期連続で削減されてきたが、中国の台頭や北朝鮮の核ミサイル戦力の増強によって東アジアの安全保障環境が厳しさを増す中、防衛予算の増額が必要と判断。増額は3期ぶりとなった。

 安倍政権がとりわけ強化を急いでいるのが南西諸島地域での防衛態勢だ。中国の海洋進出をけん制する狙いがある。ここで防衛問題に詳しくない読者のために、自衛隊の主な離島防衛策をさらっとまとめてみる。

 まず、空では今年4月に航空自衛隊那覇基地に「空飛ぶレーダーサイト」と呼ばれる早期警戒機「E2C」4機からなる飛行隊を新設。さらに、2016年3月末までには那覇基地に配置している空自の戦闘機部隊も1個飛行隊(F15戦闘機約20機)から2個飛行隊に増やし、中国の領空侵犯事案に対応する防空能力を高める。

 陸上でも2015年度末までに、日本最西端の与那国島に150人規模の陸上自衛隊の沿岸監視部隊を配置する方針だ。この部隊は旧ソ連・ロシアと対峙してきた北海道稚内市にある宗谷岬の第301沿岸監視隊がモデル。稚内同様、与那国島にも沿岸監視レーダーなどを建設する計画だ。

 また、陸自では2018年度をめどに、奄美大島のほか、沖縄県の宮古島と石垣島にも、「現代の防人」となる各400人規模の警備部隊を配備することを検討している。ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリーでは、対馬警備隊をモデルにしたこれらの部隊をquick reaction force (QRF)、つまり、緊急即応部隊とみなしている。

 海では、機雷の除去や潜水艦探知を1隻で行う新型の多目的の護衛艦や多用途ヘリコプター(艦載型)の新たな導入を目指している。


 さらに最も目覚ましい動きとして、陸自の西部方面普通科連隊(長崎県佐世保市)所属の700人が米国など国内外で訓練を重ね、既に離島奪還が目的の水陸両用作戦を展開できる部隊に仕上がってきていることだ。今年4月初めに同連隊を視察した米海兵隊の幹部(大佐)は筆者の取材に対し、「既に事実上の日本版海兵隊」と目を見張っていた。

 別の米海兵隊の元幹部も「(同連隊は)ここ2年間で驚くべきほど速く、そして、スムーズに水陸両用作戦能力を習得した。陸上自衛隊はオーストラリアより数年後にその能力の習得努力を始めたが、すでにオーストラリアを追い越した」と話した。防衛省は同連隊700人を中核とし、将来は3000人規模からなる水陸機動団を新設する計画だ。

 こうした日本の部隊の新編や精鋭化は、日本の抑止力を高め、中国に尖閣諸島を侵略したり、日本の領空領海を侵犯したりする気や意図を持たせなくする狙いがある。しかし、東シナ海上空で24日にも、海上自衛隊のOP3C画像情報収集機と航空自衛隊のYS11EB電子測定機が、中国軍SU27戦闘機2機の異常接近を受けるなど、中国の高圧的な姿勢は一向に変わらず、逆に両国間の緊張は張りつめたままだ。

■ 中国の軍事費増大を恐れる日米

 安倍首相は2012年12月の自らの第二次政権の発足以来、繰り返し、中国の軍事力増強、とりわけ軍事費の拡大に強い懸念を表明してきた。昨年9月には米保守系シンクタンク「ハドソン研究所」がニューヨークで開いたセ レモニーの場で、具体的な国名には触れなかったものの、「すぐそばの隣国」の中国の国防予算が20年以上、2ケタの増額を続けてきたことを指摘した。

 5月15日に公表された首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書の中でも、次のように中国の軍事費拡大について強い懸念が改めて示されている。安倍政権の中枢の危機感や焦りがにじむ内容だ。

 「中国の影響力の増大は明らかであり、公表国防費の名目上の規模は、過去10年間で約4倍、過去26年間で約40倍の規模となっており、国防費の高い伸びを背景に、近代的戦闘機や新型弾道ミサイルを含む最新兵器の導入とその量的拡大が顕著である。中国の国防費に関しては引き続き不透明な部分が多いが、2014年度公式発表予算額でも12兆円以上であり、我が国の3倍近くに達している。この趨勢が続けば、一層強大な中国軍が登場する」

 中国の急激な軍事費増額に懸念を示しているのは日本だけではない。米国も同様だ。5月14日に東京であった米中関係を議題とするシンポジウムでは、ブルッキングス研究所シニアフェローのマイケル・オハンロン氏は米国の国防予算の4分の1にまで増大した中国の軍事費について、「中国の兵力数は既に世界一だか、中国は軍事費の面からも優に世界第2位の軍事大国としての地位を確立した」と指摘、「わずか10年前までは中国の軍事費は日本やドイツ、英国、フランス、ロシアとそんなに変わらなかった。どの国も500億ドルから600億ドルの範囲内で収まっていた」と述べた。

 そのうえで、オハンロン氏は「中国経済が7%成長を続けると想定し、このまま中国が対GDPで2%の割合で軍事費を拡大すれば、10年後には軍事費が倍増する。中国は軍事費増額のペースを落とさなければならない」と中国側に促した。

 ちなみに、英シンクタンク国際戦略研究所(IISS)が発表した「ミリタリー・バランス2013」によると、軍拡を進める中国に対応してインドやパキスタンなど周辺国も連鎖的に軍備を増強。このため、2012年には初めてアジアの軍事費が欧州を上回った。
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それでは、中国の軍事拡大を下支えする中国経済はいつまで高度成長を続けるのか。

 海江田万里・民主党代表も5月21日付の朝日新聞の記事の中で、「確かに北東アジアの軍事的脅威は増大している。一方、中国の経済成長は減速し、長期的には日本以上に急速な高齢化を迎える。2ケタ台の国防費の伸びをいつまで維持できるのかという問題も出てくるだろう。世界情勢の変化を冷静に踏まえた判断が求められる」と述べている。

 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の瀬口清之氏は、都市化と、高速道路・高速鉄道のインフラ建設という中国の内需主導型の高度成長を支える2大要因が2020年前後まで継続すると予測。ただし、2020年以降は労働力人口の減少のスピードが加速し、高度成長にブレーキがかかり、その後は安定成長に入ると見込んでいる。

 中国が国防費を今後も大幅に増やし、尖閣諸島周辺での挑発行為も辞めない中、日米同盟を強化し、中国に対抗しようという安倍首相の積極的平和主義は一見、国民の目にもっともらしく映る。

 しかし、日本は巨額の財政赤字を抱えており、現状からの防衛費拡大は財政規律の悪化リスクにつながりかねない。さらに中国の軍拡路線に対峙するためには、社会保障分野など他の分野の予算を抑制しつつ、さらなる増税と厳しい緊縮財政を敷きながら、防衛予算を拡大させることになりかねない。防衛省はここ数年、防衛予算の確保を目的に、意図的に中国の脅威を強調してきている下心も見え隠れする。

■ 中国では内政上の危機が進行

 一方の中国も、民族対立など内政上の危機が進行し、予断を許さない国内事情を抱えている。

 日中関係は現在、古典的な「セキュリティ(安全保障)ジレンマ」に陥っている。つまり、ある国の国防力の増強が他国にとっての脅威となり、悪循環で軍事的緊張が高まってしまっている。これを断つためには、首脳レベルの対話を再開。尖閣問題を棚上げし、空や海での軍事衝突回避を目的にした、日中間の危機管理メカニズム構築の協議を始める必要がある。

 1921年のワシントン会議に日本首席全権委員として出席した加藤友三郎は次のように言っている。「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず。…国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず」。

 先の大戦で、なぜ日本は負け戦の中、戦線を拡大させていったのか。本来は「備え」であるはずの軍事を最重要視し、肝心かなめの外交努力を怠ったことも大きな要因ではないか。外交の出番だ。この加藤友三郎の言葉を今、かみしめたいものだ。

川内原発 ストップ再稼働! 鹿児島県庁へ行こう!

★鹿児島県川内原発 ストップ再稼働! 鹿児島県庁へ行こう!

 6.13県議会「再稼働させない」行動集会
 -要援護者の避難計画不備を問う-

日時 2014年6月13日(金) 第1部 9:00~  第2部  12:45~

場所 鹿児島県庁まえ (鹿児島県鹿児島市鴨池新町10-1) 

いま、伊藤祐一郎鹿児島県知事は、川内原発を巡る様々な問題に目をつむり、再稼働に突き進んでいます。とりわけ「、要援護者の避難計画は再稼働の要件ではない」という人権を無視した発言は、見過ごすことができません。

6月県議会で、再稼働の決定がなされるかもしれません。
その初日を、鹿児島県民、および全国民の「川内原発再稼働NO!」という声で包み込みます。

主催:ストップ再稼働! 3.11鹿児島集会実行委員会
共同代表:橋爪健郎、荒川譲、井上従昭、井上森雄、税所孝樹、宍道紀代美、下馬場学、鳥原良子、橋口孝久、松薗孝夫

「超高齢化」がもたらす日本のパラダイムチェンジとは

★近代化に邁進してきた日本が「多死社会」に突き当たるとき:「超高齢化」がもたらす日本のパラダイムチェンジとは

「藤さん、地震対策は予知ばかりでなく、減災が大事だよ」

 5月5日、13日と立て続けに首都圏で直下型地震が発生した(5日には東京都心で東日本大震災以来の震度5弱の揺れを感じた)。しかし、気象庁は「想定される首都直下地震と今回の地震は震源の場所や規模が異なることから関連性は低い」との説明を判を押したように繰り返すばかり。居ても立ってもいられず、角田史雄埼玉大学名誉教授に電話をしてしまった。

 角田氏は「今回の地震は、2011年8月の駿河湾地震(M6.2)を発生させた熱エネルギーの残滓が起こしたものだと思う。引き続き2017年頃と2020年前後に首都圏南部で直下型地震が起きるリスクがある」と、自ら提唱する「熱移送説」に基づいて明快に解説してくださった。そして上記の発言で、地震予知にばかり関心を持つ筆者の姿勢を正してくださったという次第である(角田氏は現在、埼玉県の地震想定に基づく地震減災対策の整備に尽力されている)。

 「減災」とは、2006年半ば頃から使われ始めた用語だ。地震を正確に予知できない状況では、あらかじめ被害の発生を想定した上で、その被害を最小化する取り組みを行った方が現実的であるという考え方である。

@助け合いの精神でコミュニテイー復活を

 災害時の地域の弱点を事前に発見し、対策を講ずるためには、地域住民の協力が欠かせない。近年は、行政と地域住民が協働で地域の防災力を向上させる動きが活発になってきており、その一環として「共助力マップ」が注目されている。

 「共助」とは、地域の災害時に要援護者の避難に協力したり消火活動を行うなど、地域住民が助け合うことだ。「半径100メートルに何人いるか(その人の年齢による共助力を加味(40代男性を100とすると、60代男性で70、20代女性で30とする)」を数値化したものが「共助力マップ」である。これを見ると、古くからの住宅街などでは住民が高齢化していて、人通りが少なく、いざというときに助けてもらえる人がいないという「現実」が如実に浮き彫りになる。

 昨今、「孤独死」が問題になっているが、近代以降の日本は本質的に無縁社会だったのではないだろうか。「血」の意識が希薄だったから、経済発展とともに都市化が進むと旧来の大家族制はたちまち崩壊し、社会は「核家族」という最小単位のイエの集合体になってしまい、ワンルームマンションという日本独特の居住形式も発生した。

一方、近代以降の日本で新たにつくられた共同体と言えば、学校・会社・軍隊など、見ず知らずの他人が集まってつくるものばかりだった。つまり、最近になって社会の無縁化が進んだわけではない。孤独死が増えたのは、要するに高齢化のせいである。

 大妻女子大学准教授の石田光規氏によれば、日本人は「既存の息苦しい関係から逃れる自由がほしいと思う一方、それに伴う不安の払拭を中間集団(主に家族や大企業)に求める」というはなはだ身勝手な心性を有しているという。

 石田氏によれば、日本人の約1割が「孤立している」と感じているが、そのほぼ全員(93%)が家族と一緒に住んでおり、「家族は今後、経済的に豊かな層の『嗜好品』になる可能性がある」という。職場へのコミットメントも下がり、第三の中間集団である「地域」も盛り上がらないという「八方塞がり」の状況にあるのが現代の日本なのではないだろうか。

 片町光晴氏が2012年8月に創設した一般社団法人「日本お助け隊(以下『お助け隊』)」という組織がある。「お助け隊」はまさに21世紀版「駆け込み寺」である。

 片町氏は、「皆さまの回りにも、会社経営・ローン返済問題・相続問題・不動産問題その他様々な問題を抱え、解決策もなく思い悩んでいる方がいらっしゃると思います。彼らに皆様の『助け合い精神』でつながっていた日本的コミュニテイーを復活させ、誰もが希望を持ち、明るい明日を創造できる世の中を目指します」と言う。

 お助け隊は現在「お節介隊員(困っている人に『お助け隊に相談してごらん』と声をかける仲間)」を増やす活動をしている。また片町氏は自ら無料で、困り事相談についてアドバイスをするとともに、複雑な問題を解決するために弁護士・司法書士・行政書士・会計士・税理士などの専門家のネットワークを整備している。なぜ片町氏はこのような奇特な活動を始めたのだろうか。

 現在40代の片町氏は、30代前半でコンサルテイング会社を設立、六本木で大きな事務所を構えるなど日の出の勢いで急成長したが、その後、歯車が逆転。数十億に上る借金を抱え自殺を覚悟する事態に追い込まれた。その矢先にある人物を紹介されたが、その人物は瞬く間に片町氏が抱える難問を解決するばかりでなく、報酬を一切受け取らなかった。片町氏はその人物から受けた「ご恩」を「世間」にお返しするためにお助け隊を設立したのだと言う。

 日本のコミュニテイー復活のためには、このように人々が「助け合いの精神」でつながり、各々が抱える問題・不安を共有することが不可欠である。

 2014年4月10日に総務省が公表した調査結果によれば、6割の市町村が住民生活に支障を感じており、4分の1の地域で住民が中心となって生活支援サービス等の提供に取り組んでいるという。

 認知症の高齢者を地域ぐるみで見守る活動を10年続けてきた福岡県大牟田市は、2月に地域再生大賞(共同通信社等が主催)の最高賞に選ばれた。また、ITベンチャー企業のバズー(東京都港区)が「空き部屋を持った高齢者」と「親元を離れる学生」のマッチングサービスを提供する「下宿らうど」を開始したり、元気なシニアが他人の孫を育てる動きも広がるなど、「多世代交流」も始まっている。

 北大路欣也など3人のベテラン俳優が、世間にはびこる悪を一掃する様子を描いた「三匹のおっさん」がテレビ東京の金曜8時のドラマとして異例の成功を収めた(2014年1~3月の平均視聴率は約10%)。これは、高齢者が地域社会に「居場所」と「出番」を求めている証左だろう。

 しかし、高齢者が現役世代とともに社会を担っていくためには、その身体機能の改善・補助・拡張が不可欠である。この観点から「高齢者向けロボット」に脚光が集まっている。

 筆者は特に高齢者のコミュニケーション能力を補正して自立を支援するタイプのロボットに注目している。例えば、他人とコミュニケーションを取ろうとしなかった高齢者がアザラシ型のロボット「パロ」に癒やされ、性格が明るくなったというケースなどが相次いでいるからだ。

 ロボット技術の長足の進歩により、人間の判断に頼らず自動的に敵を攻撃する「ロボット兵器」の是非が国際的に議論されているが、鉄腕アトムからドラえもんに至るマンガ文化の中で培われた「人間とロボットの共生」の思想を、日本は世界に提唱する必要があるのではないだろうか。

@身近に語られるようになる「死」

 超高齢社会は多死社会である。日本の年間死者数は2011年に120万人を突破したが、ピークとなる2040年前後には約170万人になると言われている。

 戦後、先進国では「死」が公に語られなくなり、特に日本では「死の隠蔽化」の傾向が強いと言われてきた。だがここにきて、高齢女性が共同墓地など同じ場所に眠る者同士を「墓友」と呼び、生前から交友関係を築くなど、死を前向きに考えようとする動きが出始めている。墓は死を意味するため一般的に良いイメージがないが、それでも「友」という字を入れることにより、死後の未来を想定することで希望を持とうという発想なのだろうか。

 4月下旬、「霊性研究フォーラム―スピリチュアリティと公共性」が「唯物論の牙城」とも言える東京工業大学で行われ、その中で日本人の死生観の現状が報告された。それによると「あなたは生まれ変わりを信じますか」という問いに対して、日本人は42%が「ある」と回答している。OECD諸国の中ではメキシコに次いで2番目に高い比率である(年齢別に見ると、30代の女性が73%で最も高く、60歳以上の男性が20%と最も低かった)。

 アジア諸国では「輪廻転生」という概念が古くから存在するが、欧米諸国では19世紀後半に「リインカーネーション(再受肉化)」という、「魂」が自らの成長を求めて地上に戻ってくるという発想が生まれたという。最近の日本の「スピリチュアル」ブームにもこの要素が反映されているが、年を取ってから努力したことが「来世」に反映されるとなれば、高齢者の生きがい醸成に大きなプラスになることは間違いない。

 会議に参加していたカール・ベッカー京都大学教授は1992年に『死の体験─臨死現象の探究』という著書を上梓している。その中で、臨死体験から得られる知識は自殺防止や末期患者に対するカウンセリングに効果的だと主張している。さらに、かつて重視していた富や名誉などに関心がなくなり、代わりに寛容心・愛他的精神・人間や世界に対する関心が深まるなど、臨死体験者の価値観が大きく変化するという。

 医療技術の進歩と相まって、今後も日本で臨死体験者の数は増加するだろう。超高齢社会は「死」の体験に関する情報を体系的に収集・分析する価値が飛躍的に増大するのでないだろうか。

 「コミュニテイーの復活」「人間とロボットの共生」「死後の世界への接近」──。明治維新以降、ひたすら近代化に邁進してきた日本だが、超高齢社会の到来はパラダイムチェンジ(社会全体の価値観などが劇的に変化すること)の契機になることは間違いないだろう。

(参考文献)

・『孤立の社会学: 無縁社会の処方箋』(石田光規著、勁草書房)

・『死の体験―臨死現象の探究』(カール・ベッカー著、法蔵館)

*****「JBpress 『世界の中の日本』 2014.05.23(金) 藤 和彦 氏」より転載

大飯原発差し止め訴訟の判決要旨

★大飯原発差し止め訴訟の判決要旨 危険性が万が一でもあれば

関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた21日の福井地裁の判決要旨は次の通り。

 【主文】

 大飯原発3、4号機を運転してはならない。

 【福島原発事故】

 原子力委員会委員長は福島第1原発から250キロ圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討し、チェルノブイリ事故でも同様の規模に及んだ。250キロは緊急時に想定された数字だが過大と判断できない。

 【求められる安全性】

 原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故以外に想定しにくい。具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ。

 【原発の特性】

 原子力発電技術で発生するエネルギーは極めて膨大で、運転停止後も電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならない。その間、何時間か電源が失われるだけで事故につながり、事故は時の経過に従って拡大する。これは原子力発電に内在する本質的な危険である。

 施設の損傷に結びつく地震が起きた場合、止める、冷やす、閉じ込めるという三つの要請がそろって初めて原発の安全性が保たれる。福島原発事故では冷やすことができず放射性物質が外部に放出された。

 【大飯原発の欠陥】

 地震の際の冷やす機能と閉じ込める構造に欠陥がある。1260ガルを超える地震では冷却システムが崩壊し、メルトダウンに結びつくことは被告も認めている。わが国の地震学会は大規模な地震の発生を一度も予知できていない。頼るべき過去のデータは限られ、大飯原発に1260ガルを超える地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能だ。

 被告は、700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震への対応策があり、大事故に至らないと主張する。しかし事態が深刻であるほど、混乱と焦燥の中で従業員に適切、迅速な措置を取ることは求めることができない。地震は従業員が少なくなる夜も昼と同じ確率で起き、人員の数や指揮命令系統の中心の所長がいるかいないかが大きな意味を持つことは明白だ。

 また対応策を取るには、どんな事態が起きているか把握することが前提だが、その把握は困難だ。福島原発事故でも地震がどんな損傷をもたらしたかの確定には至っていない。現場に立ち入ることができず、原因は確定できない可能性が高い。

 仮にいかなる事態が起きているか把握できたとしても、全交流電源喪失から炉心損傷開始までは5時間余りで、そこからメルトダウン開始まで2時間もないなど残された時間は限られている。

 地震で複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり、故障したりすることも当然考えられ、防御設備が複数あることは安全性を大きく高めるものではない。

 原発に通ずる道路は限られ、施設外部からの支援も期待できない。

 【冷却機能の維持】

 被告は周辺の活断層の状況から、700ガルを超える地震が到来することは考えられないと主張するが、2005年以降、全国の四つの原発で5回にわたり想定の地震動を超える地震が到来している事実を重視すべきだ。

 過去に原発が基準地震動を超える地震に耐えられたとの事実があっても、今後大飯原発の施設が損傷しないことを根拠づけるものではない。基準地震動の700ガルを下回る地震でも外部電源が断たれたり、ポンプ破損で主給水が断たれたりする恐れがある。その場合、実際には取るのが難しい手段が功を奏さない限り大事故になる。

 地震大国日本で、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しだ。それに満たない地震でも冷却機能喪失による重大な事故が生じうるなら、危険性は現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設の在り方は、原発が有する本質的な危険性についてあまりに楽観的だ。

 【使用済み核燃料】

 使用済み核燃料は原子炉格納容器の外の建屋内にある使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれている。本数は千本を超えるが、プールから放射性物質が漏れた時、敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

 福島原発事故で、4号機のプールに納められた使用済み核燃料が危機的状態に陥り、この危険性ゆえ避難計画が検討された。原子力委員会委員長の被害想定で、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのはプールからの放射能汚染だ。使用済み核燃料は外部からの不測の事態に対し、堅固に防御を固めて初めて万全の措置といえる。

 大飯原発では、全交流電源喪失から3日たたずしてプールの冠水状態を維持できなくなる危機的状況に陥る。国民の安全が優先されるべきであるとの見識に立たず、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しで対応が成り立っている。

 人格権を放射性物質の危険から守るとの観点からみると、安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に初めて成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものと認めざるを得ない。

 【国富の損失】

 被告は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、議論の当否を判断すること自体、法的には許されない。原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失だ。

 被告は、原発稼働がCO2(二酸化炭素)排出削減に資すると主張するが、福島原発事故はわが国始まって以来最大の環境汚染であり、原発の運転継続の根拠とすることは甚だしく筋違いだ。

*****「福井新聞(2014年5月21日午後8時42分)配信記事」より転載

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『美味しんぼ』休載

★『美味しんぼ』休載 首相「風評被害」を強調、再開のメドなく

低線量被ばくによる鼻血を題材にして、政府や福島県の自治体などから批判を浴びた『美味しんぼ』が『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)の本日(19日)発売号で休載となった。同誌誌面で告知された。

 原発推進勢力が問題とする『美味しんぼ』は4月28日発売号。原発事故以降、鼻血が頻繁に出るようになったという井戸川克隆・前双葉町長が実名で登場するなどして大きな反響を呼んだ。

 佐藤雄平・福島県知事は記者会見で「極めて遺憾」と不快感を表明したうえで「正しい情報をしっかり発信していくことが大事だ」と述べた。

 原発推進の大元帥である安倍首相に至っては17日、福島を訪問してあくまでも「風評被害」であると強調した。

 訪問先で『美味しんぼ』について記者団から聞かれた首相は「政府としては根拠のない風評を払拭していくためにもしっかりと正確な情報を分かりやすく提供していく。国として全力をあげて対応していく必要がある」と答えた。

 佐藤福島県知事、安倍首相とも言論介入と受け止められる直接的な表現を避けているが、出版社や広告主に対しては第1級の圧力である。とりわけ最高権力者である首相の一言は大きい。

 NPO法人代表はこうコメントする。「『美味しんぼ』が政治権力から強い批判を浴びたことにより、鼻血の症状すら口にできない言論封殺の雰囲気ができあがってしまうのだろうか。」=ビッグコミックスピリッツ19日発売号より 

 小学館・愛読者サービスセンターによれば「元々『福島の真実編』はこの号で一度終了の予定だった。打ち切りではない」と説明した。再開のメドは「今のところついていない」という。政府からの圧力について聞くと「ない」と答えた。

 渦中の『美味しんぼ・福島の真実編』最終回は、主人公・山岡士郎と海原雄山の反目しあう親子が手を取り合うシーンで終わった。作品の縦線を流れるテーマが親子の確執であったので、その「和解」を最後に持ってくることによって、いつ作品が完全に終了してもおかしくない表現になっている。

 いずれにしても『福島の真実編』はこれで終わる。もし『美味しんぼ』が再開されても、小学館側は原発事故を取り上げることに二の足を踏むだろう。

*****「田中龍作ジャーナル 2014年5月19日 」より転載

だから日本はズレている : 若者 vs. 『おじさん』

★若者 vs. 『おじさん』/理は若者にありそう

■若手社会学者 古市憲寿氏 

若手社会学者の古市憲寿氏の新刊(新書)、『だから日本はズレている』*1が面白いという話を聞いたので、早速、読んでみた。

古市氏のことは、私のブログでも、すでに何度か言及してきているし、気鋭の若手(当時26歳)社会学者の注目作として、非常に大きな話題になった『絶望の国の幸福な若者たち』*2については、早々に書評を書かせていただいた。当時はまだ氏に関する情報も少なく、歯に衣着せぬ率直な発言で場を煽る『炎上マーケター』の一人か? とまで思ったものだが、著書を読み込んでみると、着眼点がユニークで、語り口は淡々としているものの、論旨は意外にわかりやすい。そして、氏が切り取ってみせた問題は実に印象的で、その後ずっと私の頭から離れずにいる。

■恐るべき近未来像

今回の新刊では、そんな古市氏の当時の問題意識はそのままに、より一層、古市氏が相対する問題の全体像がわかりやすく提示されている、という印象を受けた。特に、「このままでは『2040年の日本』はこうなる」と銘打った最終章は、恐るべき未来像なのだが、古市流リアリズムの集大成ともいえる内容で、非常に興味深い。ご紹介方々、いくつかのキーワードをピックアップしてみる。

@相対的貧困率4割.。2030年で日本の人口は一億人割れ。 2019年、合計特殊出生率は1.0を割り込む。

@毎月一定の電子マネーを配布するベーシックインカム制度が導入される。プロザック抗うつ剤配布。

@2020年代からは中流層の海外脱出が目立つようになる。工場はほとんど海外に分散。

@ 世界中が都市の時代に移行。日本では東京と福岡がアジア地域の『中心都市』として、世界各国から優秀な人材を集める地域になって持ちこたえる

@地方はコンパクトシティ化して生き残りをはかる。限界集落は消滅。東京の繁華街はほとんどが老人

@ 専門性のない中高年がつける仕事は、移民相当職くらい。驚くほど賃金は安い。

@救急車や消防車はお金をはらわないと来ない。公立学校からは体育や音楽などの実技系の授業が姿を消す。(多額な教育費用がかかるわりに成果が見えにくい)

@福島第一原発は技術者不足で一向に処理がすすまない。海外の会社が原発の跡地を買い上げ、世界中の核廃棄物を集める最終処分場をつくる計画がある。

@2020年の東京オリンピックの時に新設されたスタジアムや競技場のいくつかは廃墟へ 。

まさに、『絶望の国』だが、意外にも多くの人が満足して生きる幸福な階級社会になるという。

こんな絶望の国なのに、多くの人が満足? そう、古市氏の『絶望の国の幸福な若者たち』の主題はそこにあったのだった。

■生活満足度が高い理由は『コンサマトリー』

増える一方の非正規雇用、低賃金のワーキングプア、格差の拡大と固定化、クレージーなほど厳しい就活戦線・・、古市氏が『絶望の国の幸福な若者たち』を書いた当時も、アベノミクスで好景気と言われる現在に至っても、この国の若者の置かれた環境が改善する兆しはまったく見られない。それどころか、厳しさはどんどん増している。今厳しいだけではなく、将来に夢を抱くこと自体がまた絶望的に激しい。古市氏が一貫して仮想敵とみなす、『おじさん』ならずとも、今の若者は『不幸』なのでは、と言いたくもなってくるだろう。ところが、古市氏は、内閣府の『国民生活に関する世論調査』のデータを参照して、20代の生活満足度が、バブル以降の日本の経済指標が悪くなって行くのに反比例して、どんどん高くなって来ていることを指摘する。(そして、なんとそれは78.4%にも達する!)

その理由の説明として、『絶望の国の幸福な若者たち』では、親と同居していてあまり貧しさを感じていないこと、インターネットを利用するお手軽なコミュニティは花盛りで手軽に承認欲求を満たせるようになったこと、自己実現欲求や上昇志向から降りることで小さなコミュニティの比較しかしなくなり不満が減ったこと(相対的剥奪)等もあがっていたが、今回は「その謎を解く鍵は『コンサマトリー』という概念にある」とズバリ指摘する。

社会学では、『今、ここ』にある身近な幸せを大切にする感性のことを『コンサマトリー(自己充足的)』と呼ぶ。何らかの目的達成のために邁進するのではなくて、仲間たちとのんびりと自分の生活を楽しむ生き方のことだ。

 若者たちの生活満足度の高さは、このコンサマトリーという概念によって説明することができる。高度成長期のように、産業化が途中の社会では、人は手段的に行動することが多い。「車を買うために、今は節約しよう」とか「家を買うために、がむしゃらに頑張ろう」とか。

 だけど、衣食住という物質的な欲求が広く満たされた社会では、人々は「今、ここ」の生活を大切にするようになっていく。特に1990年代以降、「中流の夢」が壊れ、企業社会の正式メンバーにならない人が増えていく中で、若者のコンサマトリー化は進んでいった。 

すなわち、生活満足度は国内総生産等の数値の上下より、基本的なマインドセットによるところが大きく、客観的な経済指標がどうあれ、コンサマトリー(自己充足的)なマインドを持つ人が増えるほど満足度はあがる、というわけだ。

もう少しだけ、定義にこだわってこの用語の解説を別のところからも引用してみる。

(コンサマトリー(化)とは)アメリカの社会学者タルコット・パーソンズの造語であり、道具やシステムが本来の目的から解放され、地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的(ときに刹那的)にその自由を享受する姿勢もしくはそれを積極的に促す状況のこと。対義語はインスツルメンタル(化)。非経済的な享楽的消費の概念を「消尽(consumation)」と呼び、非生産的な消費を生の直接的な充溢と歓喜をもたらすもの(蕩尽)として称揚したフランスの思想家・作家ジョルジュ・バタイユの考え方とも相通ずる現象解釈といえる。

■インスツルメンタル(化)

コンサマトリー(化)の対義語はインスツルメンタル(化)とあるが、このインスツルメンタル(化)こそ、明治期から高度成長期くらいまでの日本人の主要なメンタリティーであり、『空気』であった。そして、社会も中間共同体(会社等)もこのメンタリティーを一種の道徳として、同調圧力をもって強要した。『車を買うために、家を買うために、子どもをいい大学に入れるために、老後の蓄えをつくるために、会社が大きくなって安定するために・・・』皆のマインドはどこまで行っても手段、また手段だ。

その結果、日本人の貯蓄率は他国を圧倒して高くなった。老後に備えて蓄え、老後にも節約し、死ぬ時に、たしか平均2千万円くらい(正確な数値ではなく多少曖昧な記憶ではあるが)を残して死ぬ。(イタリアではほぼゼロ、すなわち、老後を楽しむために使い切るという話を聞いた記憶がある。)こんなメンタリティが骨の髄までしみているのが『おじさん』たちだ。

■バブルを期に正反対の方向へ

この『おじさん』たちも、バブル期には人が変わったように消費した。個人的な感想を言えば、これはコンサマトリー(自己充足的)というより、ジョルジュ・バタイユのいう蕩尽(非生産的な消費を生の直接的な充溢と歓喜をもたらすもの)の方がより近いように思える。バブルという時代は、まさにお祭りで、堰を切ったように今まで押さえつけられていた欲望が溢れ出し、皆が日常を忘れて狂ったように消費に耽溺した。

バブルが破裂した当初は、これまでのように経済を成長させていればまたバブルは戻って来ると『おじさん』たちは比較的楽観的だった。ところが、戻って来るどころか日本経済はどんどんおかしくなって、経済指標も悪化の一途をたどる。それを見て、『おじさん』たちもやっと我に返る。ふと周囲を見ると、中国や韓国のような新興国が強力なライバルとして浮上してきて、このままでは日本経済は奈落の底に転落してしまいかねない。俄然、インスツルメンタルなメンタリィがよみがえり、若者に対して経済成長を煽ることになる。このままでは日本人は再び貧困に沈むことになる。結婚も子育ても持ち家もできなくなる。だから、今を犠牲にしてでも猛烈に勉強して、猛烈に働いて、グローバルな競争で遅れをとらないようにしないといけない。そんなことは当たり前だろうとばかりに『おじさん』たちの信念は非常に強固で妥協の余地はない。

つまり、若者たちはバブル期以降、『おじさん』たちの路線からは降りて、『身近な幸せに幸福感を見いだすこと』を始めたのに対して、『おじさん』たちはむしろ、インスツルメンタル・マインドを再度強化しようとし始めた(本当にそうなのかって? そう思うなら『おじさん』の中の『おじさん』の集まりである経団連に注目して、会長始め会員企業のトップの発言の数々をチェックしてみるといい。きっと私の見解に納得してもらえると思う。)つまり、バブル期以降、若者と『おじさん』たちとはそのマインドにおいて、正反対の方向に向かったことになる。これでは両者が交わることは、それこそ『絶望的』に難しいだろう。そんな『おじさん』たちから見れば、若者は、イソップ寓話『アリとキリギリス』のキリギリスに見えてしまうはずだ。『今さえよければ』というようなことでは、やがて冬がくると困ることになるだけなのだから、もっとアリのように働けと言いたい『おじさん』は多いはずだ。

■『おじさん』のマインドの限界

では、客観的にみて、どちらが正しいのだろう。あるいは、この両者のバランスをとるような折衷案などあるのだろうか。正直この問に答えることは簡単ではない。だが、あえて言えば、私は若者ほうに、やや時勢の理があると思う。若者の基本的なスタンスをベースに、もう少し普遍性のあるモデルに昇華させていくことを模索するのが現実的だと考える。少なくともインスツルメンタル・マインド一辺倒には無理がある。そう考える理由は3つある。

1. もう額に汗するだけでは夢は叶わない

『おじさん』が強固に維持するインスツルメンタル・マインドが最も機能したのは、欧米という目標があって、得意な製造業で、『追いつけ追い越せ』と頑張っていた時代だ。成熟した今の日本では、いくら歯を食いしばって働いても、これ以上賃金や生活が向上するとは限らない。相対的にコストの安い海外に工場が移転することを押しとどめることも難しい。そもそも、もう、『汗』よりも『知恵』がなければ付加価値を増すことはできない。

2. 幸福になれない

インスツルメンタル・マインドに駆り立てられるほうが、人は働くかもしれない。長時間労働にも耐えるかもしれない。富国強兵や高度成長には機能したことは確かだろう。だが、インスツルメンタル・マインドは言い方を変えれば、『飢餓意識』だ。どこまで行っても満足できない。自分を常時他人と比べて、いつも不満と不安を持ち、その強迫観念を経済成長のエネルギーへ転化する。しかしながら、歯を食いしばって働くことで多少なりとも経済的に豊になったとしても、いつまでたっても満足度/幸福度は上がらない。

しかも、将来のために(将来出世するために、家を買うために)『今、ここ』にいる仲間や家族を犠牲にする/軽視するのは、特にこれからは、見合わない。会社はいつなくなってしまうかわからないのだ。会社の仕事だけではなく、家族や社会もバランスよく重視する姿勢のほうが幸福を長期的に維持できる可能性は広がる。

また、日本人は、アリとキリギリスの寓話を、『アリのように将来の危機の事を常に考え、行動し、準備をしておくのが良い』ということを語る教訓と読むが、一方、この寓話には、『アリのように夏にせこせことためこんでいる者というのは、餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を差し伸べないほど冷酷で独善的なけちであるのが常だ』という寓意もある。今の時代には、アリのようにせこせこためこんでも、世の情勢が急変して自ら困窮者の立場に転落してしまう恐れもおおいにある。そうなったら、アリのように餓死寸前の困窮者を助けなかった、独善的なけちには、誰も助けの手を差し伸べてはくれないだろう。

3.将来見通しに固執することのリスク

インスツルメンタルであるためには、ある程度見通せる将来があることが必要だ。ところが、これからどうなる、という、正確な将来の見通しを持つことは、今や誰であっても難しい。天才であってもだ。だから、将来見通しを持つのはいいが、そんなものはすぐにでも変わってしまっておかしくないくらいに考えておく必要がある。ビジネスで成功する秘訣も、どんなチャンスが来るかわからないから、何が来てもよいように『今、ここ』に最大限集中し、いざチャンスが来たら、そのチャンスを逃さずに全力を注ぎ、成功へと導くような姿勢が求められている。『将来はこうだから、今から何々をやって備えておく』ことは否定しないが、過度にコミットしてしまうような柔軟性のなさは命取りになりかねない。

■高次のコンサマトリー

それでも尚、『おじさん』は『コンサマトリー』の例を聞くと、『享楽的』『刹那的』というような、『反道徳』を想起してしまいがちだ。無理もないこととも言える。特に、現代の若者がSNSで意義ある討論を行うでもなく、だらだらと単なるつながり(つながりの社会性)に耽溺しているように見える様(典型的なコンサマトリーの一つ)には我慢ならないという人も多いだろう。

私が思うに、『コンサマトリー』にも段階があって、家族やごく近い仲間とだけに閉じて、場合によっては刹那的とも享楽的とも見える段階の上に、もう少し広いコミュニティ(あまり広げ過ぎはしないが)のために、今ここでできることに全力を尽くす、というような、高次の段階があるというべきだろう。

実際、古市氏も、『今、ここ』を大切にする若者たちはまた、社会変革の可能性も考えているようだという。内閣府の調査によれば、『社会のために役立ちたい』と考える20代は2013年で66%もいて、調査を開始した1975年以来最高の数値なのだそうだ。現代の若者は、他人と競争するよりも協調することを好み、身近な仲間たちとの関係を何よりも大事にするという。『今、ここ』で暮らす自分や仲間を大切にして、自分たちが生き易い環境をつくろうとすることが、抽象的な革命や一瞬のお祭り騒ぎで終ってしまうような『政治』より、余程社会を良くすることに寄与するという意見には、私も基本的に賛成だ。

古市氏はまた、『おじさん』は『今ここにないもの』に過剰に期待してしまい、『今ここにあるもの』に潜んでいるはずの様々な可能性を見過ごしてしまっているという。これはとても大事な視点だと思う。『今ここにあるもの』に潜む様々な可能性を最大限に生かして行くという意味での『コンサマトリー』にはよりレベルの高いやりがいと満足感がついてくるだろうし、これからの時代に社会を良くする秘訣も潜んでいると考えられる。

■元『おじさん』に期待

古市氏の定義では、『おじさん』とは『いくつかの幸運が重なり、既得権益に仲間入りすることができ、その恩恵を疑うことなく毎日を過ごしている人』で、人は今いる場所を疑わなくなった瞬間に誰もが『おじさん』になるという。だから、そんなおじさんには、実は性別や年齢は関係ない。『おじさん』は自分たちの価値観を疑わない人のことであり、今の日本はそんな『おじさん』だらけだ。社会を変えること=『おじさん』が変わることなのに、確かにそれはものすごく難しそうだ。だから、日本の未来は、このままでは古市氏の描くような未来になる可能性がかなりあるように私にも思える。

ただ、年齢にかかわらず、『おじさん』になることを敢然と拒否する少数の人達はこの日本にもちゃんと存在すると信じたい。そんな人達もまだ、コンサマトリー/インスツルメンタルの思想対立には必ずしも決着をつけていないように私には見える。だから、せめて、私が指摘した、インスツルメンタル・マインドの限界については(必ずしも賛成ではなくても)、自分の頭でじっくり考えてみて欲しいと思う。自分を疑いはじめた『おじさん』は古市氏の定義では『おじさん』ではなくなるので、元『おじさん』とでも呼んべばいいのだろうか。今の日本を本当に変えることができるのは、そんな元『おじさん』だけだ。少なくとも私はそう思う。

*『だから日本はズレている』  (新潮新書 566) : 作者: 古市憲寿、出版社  新潮社

*****「 SeaSkyWind 2014年05月14日 09:00 記事」より転載

「美味しんぼ」についての井戸川克隆さんの言葉

★「美味しんぼ」についての井戸川克隆さんの言葉

今こんな気持です.夕べから今朝にかけて鼻血がいつもより多いですね。何枚も写真に収めています、美味しんぼの漫画に環境省が異常なほど反応していますがこれは彼らが福島で安心キャンペーンの嘘がバレるために躍起になって否定をしているからです、嘘をついていなければ漫画がどうしたと平静でいられるものです。

如何に福島は危ないかを証明しているのは今の環境省です。ウクライナ、ベラルーシでは福島のような高い放射性物質がある所には人は住んでいません。県民の避難を中断させたのは県民を守らなければならない県庁です、この非難を避けるために除染をすれば住めると言う事で収めようとしました。しかしこの効果が出ないと住民から苦情が出た時に中間貯蔵施設が出来ないからだとまた嘘をつきました。それも進まないから今度は住む基準を引き上げて帰還させて事故処理を終わらせようとしています、この事で県民の承諾を取り付けたのでしょうか?

原発事故前の災害対策計画書には統合対策本部がありそこで決めて対応することになっていました、本当の事故が発生したら県は県で、国は国で決めるようにしました。それは何を意味するかといえば被害者の町村を参加させると事故の責任者の国と東電のシナリオが通らないと判断して都合の悪い事は表に出さないようにしているのです。

その結果福島で囁かれる言葉は「頑張ろう、風評被害、発災」で県民が自己責任でこの世界最大の放射の事件を小さく解決させようとされているのです、県民の皆さんは被害者なのです、大きな損害の被害者です、自分で想定しましょう自分の損害を、決して小さくありません。国が賠償の範囲を決められません、公務員が個人の権利を冒してはならないのです。侵すと犯罪になります、このため賠償のエリアを決めれる人は存在しません。福島の人は(県外でも放射能の被害を請求出来ます)誰でもどこの人でも被害が有れば損害請求する権利が有ります。大事な事は事故前に人工放射能がどのくらい存在していたのか、事故後はどのくらいになったのか。記録は有ります知りたい方にはお知らせします。無かった物が存在していることが精神的な損害です、訳のわからない他人の学者がいくら安全だと言っても関係ありません。

福島の人は(県外でも放射能の被害を請求出来ます)誰でもどこの人でも被害が有れば損害請求する権利が有ります。大事な事は事故前に人工放射能がどのくらい存在していたのか、事故後はどのくらいになったのか。記録は有ります知りたい方にはお知らせします。無かった物が存在していることが精神的な損害です、訳のわからない他人の学者がいくら安全だと言っても関係ありません。

県内では発症するとかしないとかに目を奪われていますが関係のない話です、放射能があるために恐怖を感じればそれを他人が(行政や、企業が)いくら安全だと言っても主体者には成れません。美味しんぼの漫画は表現の自由です、取材を受けた者の内容を曲げて書くのはいけません。むしろ一般のメディアの方が私の意見を丸めてしまい伝えたい言葉になっていないことの方が多いですよ、私は事故当時から被曝の問題を多くの人やメディアの前で言い続けてきました、誰も取り上げようとはしなかっただけです、そのため苦汁を飲んで悔しい気持ちでいました。もっと早く大きな争点になっていればあのように多くの子供の甲状腺被害を少なく出来たでしょう。私にも甲状腺にしこりがあります。

もういい加減にしたらどうですか県庁どの、県民の前に立ちはだかり県民の損害を妨害しない方が良いのではないですか?今県庁が行っているのは県民の損害の請求権の妨害以外の何物で有りません。安心キャンペーンをすぐやめて非常事態宣言を出すべきです、国は責任者だから県民を守ることはしません。県民の人権を守るのは県庁の仕事でしょう。反論が有れば県庁は私に出して下さい。

火山リスク無視の川内原発再稼働に反対します

★火山リスク無視の川内原発再稼働に反対します

九州電力が1年365日、一日も休まずに、私達に電力を供給してくれていることには、深く感謝しています。

しかし、貴社がヤラセメール問題について、私達市民にきちんと謝罪をしてないことを忘れることはできません。さらに、新聞の報道によると、原発停止で赤字という一方で現在も麻生副総理にパーティ券という形を通して政治献金を続けているそうですね。このような企業姿勢はいつになったら改められるのでしょうか。このような腐敗した経営姿勢のままで川内原発や玄海原発を再稼働しようとすることに、私たちは強い不安を感じます。

川内原発の周辺には、「カルデラ」と呼ばれる巨大火山が林立(りんりつ)しており、大きな火山リスクを抱えています。現在活発に活動し、マグマが供給され続けている桜島を含む姶良(あいら)カルデラが約3万年前に巨大噴火をした際には、火砕流が川内原発の地点にまで達し、火山灰が日本中を覆いました。川内原発と桜島は54km、阿蘇とは135kmしか離れてないのに、8万年前の阿蘇カルデラ噴火の火砕流は200kmに及んでいます。数百度の火砕流は、新幹線並み速さで遠方にまで達し、瞬く間にすべてのものを焼き尽くしてしまいます。桜島は現在も噴煙を上げ続けている活火山なので、巨大噴火により川内原発が壊滅し、火山灰とともに放射性物質が日本中にばらまかれる恐れがあります。この件に関し多数の火山学者が懸念の声をあげています。

このような警告を無視して再稼働を目指す九電の姿勢は、津波の警告を無視して福島第一原発の稼働を続けた東電と同じではありませんか。あんなに大きな被害をもたらした福島第一原発事故から3年間、九電は事故から学ぶことがなく、一体何をしておられたのでしょうか。

火山の噴火を心配する私達の会の質問に対して、九電の久留米支店は、「日本電気協会に規準があり、その通りにやってきた。変更しなくていい。」と13年9月26日に回答されました。元九電社長の鎌田迪(みち)貞(さだ)氏が会長である、この日本電気協会の規準に、火山学者の意見は反映されていますか。反映されていれば、この時期に火山学者が懸念を表明するはずがありません。

九電は、巨大噴火の前兆が現れれば原子炉を止め、核燃料を運び出す準備を始める、と主張しておられます。しかし、火山予知連会長の藤井敏嗣(としつぐ)東大名誉教授は、巨大噴火を観測したことがない、どのくらいの前兆現象が起きるか誰も知らない、と言っています。また、仮に前兆をつかむことができたとしても、核燃料をすぐに運び出すことができますか。どこに運び出すのですか、その移動先はありますか。

私達は、九州電力が全国の電力会社の先頭に立って脱原発を決め、私たちと共に原発に依存しない新しい社会を日本にもたらす先駆けになることを強く求めます。

2014年5月10日            さよなら玄海原発の会・久留米総会参加者一同

『原発ホワイトアウト』覆面作家の告発

★事故後も電力業界は変わっていない~『原発ホワイトアウト』覆面作家の告発

電力会社と政治家、官僚による癒着の中で原子力政策が進められていく様を描いた小説『原発ホワイトアウト』(講談社)が話題になっている。15万部を超えるベストセラーだ。著者は若杉冽(れつ)という覆面作家。東京大学法学部卒業、国家公務員1種試験合格、現在霞が関の省庁に勤務していることだけが明らかにされている。内部告発だけに具体的に政官財の癒着の闇に迫っている。特に官僚の振る舞いに関しては記述が細かい。若杉冽氏に執筆の狙いなどを聞いた。

Q どんな立場で原子力政策に関わってきましたか。

若杉冽氏(以下、若杉):霞が関で働いていますから、直接的にも間接的にも様々なことを見聞きする立場にありました。

 昨年末に政権交代した後から執筆を考えました。自民党政権が原子力発電所の再稼働にどんどん進んでいく中で、民意とはずれているなと。本当にこのままでいいのかと疑問を持っている人は多いと思います。2回の選挙を経たとはいえ、(原発に対する)国民の考えは変わったのでしょうか。7月の参院選挙の1カ月前には原稿を書き上げていました。

Q 告発本ではなく、小説の形にしました。

若杉:私が直接聞いた話を流せば国家公務員法の守秘義務で問題があるかもしれません。間接的に聞いた話は裏がないと誰も書かないですよね。でも裏がない話はすべて嘘かというとそれは事実ではない。真実と報道の間に大きな段差があり、そこに落ちている情報がたくさんある。合法的な範囲でそれをお伝えしたいと考えて、小説を書きました。

 原発事故後、各メディアが努力して情報をとっています。役所の中でも(原発推進に)おかしいなと思っている役人(官僚)がいるので、役所の情報が流れてくるわけですよね。私も形を変えてそういうことをしているのかもしれません。

Q 電力会社が利権で政策を動かす様子を描いています。どの程度事実なのでしょうか。

若杉:私が見聞きした事実はそうでした。もしかしたら違うかもしれません。そういう抑止力を示されて、そうだと思っている役人がいるのは事実です。直接、間接で見聞きしたことをつなぎ合わせた情報を書きました。役人同士なら情報交換はしたりしますよ。裏を示して下さいと言われると、ある人から聞いただけだから、その人が否定したら裏はなくなってしまうでしょう。役人はみんな生活者ですから、現状の政策に反対するような主義信条を持っている人はいますよ。霞が関の中でも改革派と守旧派のせめぎ合いがずっとあります。

 私も直接ハンドルしたわけではないので分かりませんが、電力が金で政治を買っているすごさ、手法はお伝えする価値があると思います。小説ではそれを「モンスターシステム」と呼んでいます。これを読んだ人は無力感を感じるかもしれませんが、人が作った仕組みですから変えられるはず。競争している会社の政治献金ならまだ分かるのですが、地域独占会社に不透明な政治献金を認めたらモンスターシステムが生まれてしまう、という問題提起です。

Q モンスターシステムを壊す手段は何でしょうか。

若杉:いくつかあります。1つは(グループ内で会社を分ける)法的分離ではなく、(発電と送電をまったく別会社にする)所有権分離が必要です。2つ目は送配電網について、発注は競争入札で、お金の流れが1円単位で分かるようにすること。3つ目は政治資金規正法を改正して、政治へのお金の流れが1円単位で分かるようにすることです。役人は出世したいから与党議員の顔色ばかりを伺っています。

Q 小泉純一郎元首相が脱原発を訴えています。

若杉:彼は原子力を止めなかったと言われていますが、もともと自然エネルギーに関心があって原子力に懐疑的な人だったと思います。(原発について)即ゼロというセンスがいい。常識人は即ゼロとは言えません。民主党政権だって言えなかったんですから。

 私としては小泉発言の波紋が広がってほしいと思います。国民が原発再稼働を受け入れる準備ができていないのに、政治が突き進んでいるように見えます。

Q 安倍晋三政権は東京電力をほぼ今のままの姿で存続させる一方、除染などに国費を投入することになりそうです。東電改革はどうすべきだと考えていますか。

若杉:民間の株式会社だと事故対策に費用を出し惜しむメカニズムが働きます。汚染水対策などでそれが証明されてしまいました。原発事故前から今まで経済産業省や東電は変わっていません。

 具体的には福島処理会社を作った方がいいと思います。東電は破たん処理をして、株主には責任をとってもらうしかありません。東電の中にもずっと配当できない会社になるならいっそのことを潰してくれと思っている人はいるはずです。

 事故処理は税金より電気料金で賄う方がいいかもしれません。東電管内の消費者は福島第1原発の電力を使っていたわけですから。現場の作業員に対して明らかに待遇を良くしてあげないと過酷な作業を続けるのは難しいのではないでしょうか。

 社外取締役の働きかけなどでコスト削減の取り組みは進みました。東電で成功した取り組みを他の電力会社に横展開すべきです。(原発事故後に)電力値上げをしている会社の保養所に行ったことがありますが、全室スイートルームのようでした。温泉もありました。問題の根源は競争はないこと。何かと打ち合わせなどに人が出てきて無駄が多い。役人との会話はすべて記録しているのではないでしょうか。

Q 新潟県の泉田裕彦知事は住民の避難計画の重要性を訴えています。

若杉:彼を説得するのは非常に難しいと思います。彼は柏崎刈羽原発の事故に備えて実効性のある避難計画を作るべきだと訴えています。

 今のままだと仮に避難計画を作ってもそれを運用できない恐れがあります。例えば住民が原発のメルトダウンが始まったというニュースを聞いて、自家用車で一斉に逃げる可能性があります。小説では(渋滞で身動きがとれなくなるなどの)問題点を書きました。

 実際には自家用車を使ってはいけないと法律で住民を抑え込まないといけません。そして誰かがバスで住民を迎えにいかないといけない。日本で死ぬ覚悟があるのは、自衛隊と警察、消防だけですよね。彼らに出動してもらうためにも法改正が必要です。

 柏崎刈羽原発については、六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場と同じ構図に見えます。電力会社はそのうち動きますと言い続け、工事を続けて、金融機関の融資を受け続けるという方法です。地元が反対できないとたかをくくっているのではないでしょうか。電力業界のメンタリティーは震災前から変わっていません。

*****「日経ビジネスオンライン:『著者に聞く by 大西孝弘氏』-2013年12月13日」より転載
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