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集団的自衛権、黒幕の米国が考えていること 

★集団的自衛権、黒幕の米国が考えていること : 日米安保体制はますます米国の思うまま
***「東洋経済オンライン 高橋浩祐氏:ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー東京特派員」 

おじいさんやおばあさん、子供たちなど「国民の命を守る責任」を掲げることで、集団的自衛権の行使容認を急いだ安倍晋三首相。日本国内では、これは安倍首相のリーダーシップによって行われた、という認識が強いようだ。

しかし、安倍政権はお釈迦様の手のひらの上にいる孫悟空のようなもの。黒幕は、あくまで米国だ。内実は、日本に対し、米軍支援拡大など軍事的貢献を求める米国からの長年の強い圧力がここにきて強まっていることが背景にある。

米国が日本に対し、一方的に軍事面での支援拡大を求めてくるのならば、それはおかしいと日本は主張すべきだ。シリアやクリミア問題をめぐって、米国の覇権力の低下や弱腰姿勢が指摘されるオバマ政権だが、今後も世界で指導的な役割を続けていくことを表明している。しかし、巨大な軍事力を支えてきた屋台骨の米国の財政事情は火の車。現在、国家予算全体の2割を占める国防費を今後10年間で約1兆ドル(約100兆円)も削減することが義務付けられている(2011年成立の米予算管理法)。

@米国は「集団行動」を強調

それでは、財政難にあえぐ米国は、どのようにして米主導の国際秩序を保っていくつもりなのか。オバマ大統領の5月末の米陸軍士官学校(ウエストポイント)での演説や、ライス大統領補佐官(国家安全保障担当)の6月11日の講演では、それを読み解くキーワードが何度も登場した。それは、「集団行動」(collective action)だ。

米国一極主義ではなく、同盟国や友好国を結集して、国際協調主義の下で「集団行動」をとっていくことをオバマ政権は表明している。そして、そのために、北大西洋条約機構(NATO)や日本など世界中の同盟国に安全保障面でのさらなる負担を求めている。つまり、米国はもう単独では国際秩序を維持できないということを白旗を上げて認めている。

同盟国を動員するこの「集団行動」のやり方は、第二次世界大戦後に同盟国と築き上げてきた「過去の遺産」を活用してやり繰りしようとしている側面もある。米国は自国の安全保障に直接影響を与えないような国際紛争については、後方支援に回った2011年のリビア空爆時のように、今後もNATOなど各地域の同盟国に問題の対処を徐々にアウトソーシングしていくとみられる。尖閣問題もその範疇に入るだろう。

@1970年代から続く「安保ただ乗り論」

安全保障面で日本に応分の負担をさせようとするのは、何も今に始まった話ではない。

米国は1970年代、ベトナム戦争で多くの犠牲を出して敗戦、国力が疲弊した。そんな中、日本は著しい経済成長を遂げて世界第2位の経済大国として台頭。日本の対米貿易黒字が大きくなると、「日本は安保にただ乗りしている」という日本フリーライダー論や日本アンフェア論が米国議会を中心に出てくるようになった。つまり、「米国が共産主義と戦ってきたなか、日本はアンフェアに金稼ぎに勤しんできた」と。

そして、冷戦の終結に伴い、イラクなどの「ならず者国家」が出没した。米国の要請の下、日本も専守防衛の域を事実上超え、1990年代以降、自衛隊の海外派遣に踏み切った。湾岸戦争終結後の海上自衛隊掃海部隊のペルシャ湾派遣(1991年)を皮切りに、イラクへの自衛隊の派遣(2003~2009年)、インド洋での給油活動(2001~2010年)につながっていった。

このように1990年代以降は、日本が軍事的な役割を拡大することで日米安保体制が安定するという歴史的な流れが続いている。集団的自衛権の論議もこの流れに沿っている。米国の強い圧力の下、実は、集団的自衛権の必要性に触れた有識者懇談会報告はすでに5回も出ている。最初が小泉内閣時代の2004年の「安保防衛懇」報告、次に2008年の第一次安倍政権下での「安保法制懇」報告、3度目が麻生政権時代の「安保防衛懇」報告、4度目が鳩山由紀夫-菅直人政権下の「新安保懇」報告。そして、直近の第二次安倍政権下での「新安保法制懇」報告だ。

集団的自衛権論議が続く中、「米国は日本を守るが、日本が米国を守らないのはおかしい」といった日本に対する安保ただ乗り論は今も盛んに米国から発せられている。最近、筆者が目にした主な意見をいくつか紹介してみよう。

「従来の憲法解釈では、日本の護衛艦が攻撃されたら米国は守るが、米国の艦船が攻撃されても日本は対処できない。日本が、北朝鮮から米ハワイなどに向かう弾道ミサイルを迎撃せずに無視するなら、米国民は『本当に同盟国なのか』と思うのではないか。」(6月6日付の朝日新聞記事でのケビン・メア氏=元米国務省日本部長の発言)

 「ワシントンは1951年以来、東京と相互的な安全保障条約を結んできた。しかし、日本は米国や米軍を守ることにコミットしていない。事実、日本軍は戦時であってもワシントンを支援することを禁じられている。たとえその戦争が日本の防衛のためであってもだ」(6月2日付のロイター通信のオピニオン記事での米国経済戦略研究所のクライド・プレストウィッツ所長の発言)

@元海兵隊大佐が語る日本への不満

日本戦略研究フォーラムのグラント・ニューシャム上席研究員(元米海兵隊大佐)は私の取材に対し、痛烈に日本に不満をぶつけた。米国の本音が垣間見えているため、少し長くなるが、同氏のコメントを紹介する。

「日本がわずかな不動産と少額な資金を提供することで得ているものを考えてみてほしい。日本を防衛するという(米国による)約束とともに、日本は(米軍という)世界最強の軍事力のサービスを受けている。これは、どんな国もかつて受けたことがないほどの『最良』の取引だ。私は日本がこのことをきちんと認識しているかどうかが分からない」

「ロンドンのロイズ(保険市場)に電話をして、このような保険について聞いてみてほしい。彼らは一通り笑い終えた後に、毎年約1000億ドル(10兆円)ほどの保険の見積価格を提示するだろう。これこそが日本が過去60年間、毎年享受してきた『防衛保険』の額なのだ。これだけの金額を日本政府は他のことに費やすことができたのだ」

「人々は日本の思いやり予算、つまり、ホスト・ネーション・サポート(接受国支援)が何百億ドルだと思っているかもしれない。しかし、実際はあきれるほどに少ない。せいぜい多くて50億ドル(5000億円)だ。日本の公共事業プロジェクトでの不正行為の額と同額程度だ。この額で日本は何を得ているのか。日本を守る米軍だ。全然悪い取引ではない」

「この種のアンバランスな関係はいつまでも続くものではない。日本は自らの防衛面でもっとやり始めるべきだ。それは、より対等な同盟国にもつながる」

「日本と米国のそれぞれの選択肢(オプション)を誰もめったに考えようとしないのは、驚くべきことである。日本は実際、米国以外にまともな同盟国を持っていない。核兵器に絡む選択肢も確実に有していない。日本は米国以外に同盟国がおらず、他に真の友人もいない。それでも、日本政府はしばしば良い選択肢があるかのように振る舞っている。米国は日本にある基地から相当な恩恵を受けている。それらはとても有益だが、代わりがきかないものではない。米国は常に別の国とうまくやっていける。米国はカムラン湾やフィリピンなど一つの場所で基地を失っても、他の場所で基地を開設できる機会を有している」

「日本が米国に便宜を図っているという考えはナンセンスだ。日本は防衛協力から何を得ているか直視すべきだ。米国は日本に代わって犠牲を強いられていることを認識している。日本はそのことを理解すれば上手くいくだろう。米国人に『ありがとう』と言うことがとても役に立つことだろう」

少し長くなったが、上記のニューシャム氏のコメントを読んで反感を持った日本の読者もきっと多かっただろう。日本は公表ベースでは2014年度6711億円もの在日米軍駐留関連経費を支出している。


日本に向けられるこうした安保ただ乗り論に対し、日本はどう反論したらよいのか。

ワシントンの軍関係者の中でよく使われる言葉に、「ティラニー・オブ・ディスタンス(Tyranny of distance、距離の過酷さ)」がある。この言葉を理解しておくと、米軍にとっての沖縄や横須賀をはじめとする在日米軍基地の戦略的・地理的価値がよく分かる。

このフレーズは遠距離恋愛のつらさを言う場合にも使われるが、米軍の世界戦略を論じる際、昔からよく米軍関係者の間で使われてきた言葉だ。しかし、日本では全然、使われていない。記事データベースの日経テレコン21で、過去記事を検索しても、一件もヒットしない。つまり、日本国内ではあまり意識されていない概念だ。

@日米安保に伴う米軍のコスト削減効果は莫大

ティラニー・オブ・ディスタンスの意味はこうだ。

米国から見た場合、日本は太平洋を越えた反対側にある。米国の西海岸から西太平洋の日本までは、地球の地表の50%以上を占め、16個のタイムゾーン(時間帯)をまたぐ。航空機でも片道十数時間、船では平均航行速度15ノット(約28キロ/時)で約2週間かかる。

この広大な太平洋を渡る距離、船で片道2週間という時間を、米国は日本に米軍を置くことで節約できる。1日およそ100万ドル(約1億円)とされる空母の運用経費だが、横須賀を母港にとどめておけば、空母だけでも、太平洋横断経費の片道1400万ドル、往復で2800万ドルを節約できる。いちいち米西海岸のサンディエゴ海軍基地から空母を派遣しなくても済むのだ。

つまり、米国は在日米軍をきっちり維持することによって、中東と東アジアを結ぶ海上交通路(シーレーン)での有事の際、米国の陸軍も海軍も空軍も海兵隊も、時間や金、人員輸送を大幅に節約できる。そして、平時の際でも、アジア・太平洋でのアメリカの覇権を維持する軍事プレゼンスを保つことができる。米海兵隊が特に沖縄に駐留している価値について、沖縄の第3海兵師団の大隊長を務めたR・K・ドブソン中佐は、かつて以下のように述べた。

「東アジア・太平洋地域において、どこにでも航空機と海上輸送力を使って迅速に派遣できることにあり、沖縄の戦略的位置は、対応所要時間を減らし、米本土からの増援軍と、補給物資の輸送に必要な限定された戦略航空・海上輸送能力の規模が小さくすむようにさせている」

つまり、ティラニー・オブ・ディスタンスを克服するためにも、米国は沖縄や横須賀、佐世保などの在日米軍基地にこだわっている訳だ。

前出のニューシャム氏のような論客には、上記のような反論が可能だろう。つまり、「日米安保は片務的だ」というのであれば、日本は米国に対して既に戦略的に重要で広大な基地を貸している。これも片務的なものだ。もし本当に双務的な安保体制にするならば、嘉手納の見返りとしてグアムのアンダーセン空軍基地、横須賀 や佐世保の見返りとしてハワイのパールハーバーやサンディエゴを貸してくれ、と日本は主張すべきだ。

@外国の軍隊を置くことの重い意味

外国の軍隊が自国に存在する、という国家の独立心に関わる問題も忘れてはならない。これも日本が支払っている大きな負担だ。

ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリーの先輩記者、故・江畑謙介氏も以前、著書に記していたが、基本的にいえば、どんな国にも外国の軍隊と基地があるのは好ましくないものだ。軍隊と言うのは、国権を発動する一国の武力行使組織。そんな外国の軍隊と基地を自国内に受け入れた場合、自国の国家主権の制限や侵害の事態を生み、必ずトラブルの元になるからだ。古今東西、自国の地に外国部隊が拠点を設けた時の強い反発はいろいろな場所で見られてきた。安倍首相が本当にナショナリストであるならば、集団的自衛権の行使容認の後、米国優位・日本劣位の状況を克服するため、在日米軍基地の縮小を目指すべきだ。

日本は年末にまとまる日米防衛協力の指針(ガイドライン)改定に集団的自衛権の行使容認を反映させる方針だ。そして、改定ガイドラインでは米国の要求通りに、アジア太平洋を中心とする地域での安全保障の負担増を受け入れていく構えだ。しかし、「集団行動」の大義名分の下、米国からの軍事的な役割の拡大がますます求められることが予想される中、日本政府は納税者である国民の理解や国益を踏まえて、米国との交渉でやり合えるだろうか。

集団的自衛権の論議は確かに日本と米国が真の意味で対等の立場で協力していくためにはどうすればいいのか、を問うている。しかし、今は、日本側が言うべきことを言い、安保負担をめぐる国内世論と米国との認識ギャップを縮める努力をすることが急務のように思える。

君はフランシーヌ・ルコントを知っているか

★思い起こす「坊主のバーベキュー」 集団的自衛権に抗議か
         *****「田中龍作ジャーナル 2014年6月29日 19:41 投稿記事」より転載

 きょう午後、新宿南口の横断橋で中年男性が焼身自殺を図った。集団的自衛権に抗議しての自殺との見方もある。

 歩道橋近くのビルのガードマンが事件のもようをモニター画面で見ていた。ガードマンによると事件が起きたのは午後1時頃。

 男性は高さ3m近くある歩道橋の橋げたに登り、トラメガで何かを訴えていた。「集団的自衛権、反対」を叫んでいたともいわれている。

 警察官が駆けつけ男性を橋げたから降ろそうとしたが、男性は制止を振り切って自分の体に火をつけた。

 消防が男性に水をかけ、救急病院に搬送した。容体は不明。

 事件をツイッターで知った女性(50代)が、白菊の花束を手向けに訪れた。女性は現場近くで商店を営む。

 女性は「集団的自衛権に反対して自殺を図ったと聞いたので(花を手向けに来た)」と話す。

 「アメリカに加勢してよその国に行って戦争をする。それが集団的自衛権だと知り仰天した。そんなことが許されますか?」。女性は訴えかけるようだった。

男性は上部の橋げたに登り自殺を図った。現場には事件を知った青年が駆けつけ「9条壊すな」と書いたプラカードを掲げた。

 抗議の焼身自殺で思い出すのはベトナム戦争だ――

男性は上部の橋げたに登り自殺を図った。現場には事件を知った青年が駆けつけ「9条壊すな」と書いたプラカードを掲げた。

 1963年6月、サイゴンで、政府の非道を訴えるべく一人の僧侶が焼身自殺した。マスコミを事前に集めアメリカ大使館前で行った覚悟の自殺は、全世界に衝撃を与えた。

 宗主国フランスに次いでベトナムの後ろ盾となったアメリカ。1955年に傀儡政権を樹立した反共主義者でキリスト教徒だった南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領は戒厳令を敷き、共産主義者のみならず仏教徒をも弾圧した。

 ところが大統領実弟の秘密警察長官夫人で、実質的ファーストレディだったマダム・ヌーはそれを見て「坊主のバーベキュー」と言い放った。あまりに非道な物言いに世界はきびしい批判を浴びせた。

 米国は当初傀儡として使っていたゴ・ディン・ジエム政権を最後は見放した。

 ジエム大統領とマダム・ヌーの夫(秘密警察長官)はどうなったか。2人はその年の秋にクーデターで政権を追われ射殺体で発見された。

 もし安倍政権や世論が、今回の焼身自殺を嘲笑い、真摯に向き合わなければ、結果として何を招来するだろうか。歴史の教えるところは明白だ。

・・・・・・・・・・・・・

★君はフランシーヌ・ルコントを知っているか
              *****「裏・21世紀の歩き方大研究 2004/11/14」より抜粋・転載

・・・(前略)・・・今日たまたま、昔のレコードを見ていたら、ドーナツ盤のジャケットの中に、色あせた新聞記事の切り抜きがはさまっているのを見つけた。1969年の、たぶん朝日新聞の記事を、僕が切り抜いてとっておいたもので、おそらく僕の手元にある最古(?)の切り抜きだ。

それは3月30日朝のパリで、フランシーヌ・ルコントという30歳の女性が、焼身自殺をした、というベタ記事である。この女性は、ベトナム戦争やナイジェリア内戦に心をいため、自殺した時は、ビアフラの飢餓についての切り抜きを持っていたという。

フランシーヌ・ルコントという遠い国の、見知らぬ女性の死に、心を動かされた日本人がいた。作曲家の郷伍郎氏と、作詞家のいまいずみあきら氏だ。二人はこの事件から受けた感動を、たちまち一つのフォークソングに書き上げた。

「フランシーヌの場合」

作詞:いまいずみあきら、作曲:郷 伍郎、唄:新谷のり子

1 フランシーヌの場合は
  あまりにもおばかさん
  フランシーヌの場合は
  あまりにもさびしい
  (*)三月三十日の日曜日
     パリの朝に燃えたいのちひとつ
     フランシーヌ

2 ホントのことを言ったら
  オリコウになれない
  ホントのことを言ったら
  あまりにも悲しい
  (* 繰り返す)

 (セリフ)
  Francine ne nous reviens plus.
  Pauvre carriére l'enfant perdu.
  Francine s'est abandonnée
  À la couleur de fraternité
  Au petit matin du 30 mars.
  C'est dimanche.
  Une vie s'enflamme pour son éternité
  À Paris, Francine

 (日本語訳)
  フランシーヌはもうわれわれのところに戻ってこない
  この子はかわいそうな人生を終えた
  3月30日の何ということもない朝、フランシーヌは友愛の旗印に我が身をゆだねた
  それは日曜日のことだった
  パリで一つの命が永遠に燃え尽きた
  フランシーヌ。

3 ひとりぼっちの世界に
  残された言葉が
  ひとりぼっちの世界に
  いつまでもささやく
  (* 繰り返す)

4 フランシーヌの場合は
  私にもわかるわ
  フランシーヌの場合は
  あまりにもさびしい
  (* 繰り返す)

焼身自殺で何が変わるわけでもないことは、フランシーヌ・ルコント自身が一番よく知っていたに違いない。にもかかわらず、彼女の死は、いつまでも僕たちの心に残り続けている。

世界がますます悪い方向に向かっているいま、フランシーヌの死の意味を考えてみるのも、決して無意味ではないだろう。
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