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1月の唄:「南国土佐を後にして」原曲

★「南国土佐を後にして」原曲

鯨部隊作詞・作曲

南国土佐を後にして 戦地へ来てから幾歳ぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を
// 土佐の高知の播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た

月の露営で焚き火を囲み しばしの娯楽のひと時を
自分もじまんの声張り上げて 歌うよ土佐のよさこい節を
// みませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜

故郷の父さん室戸の沖で 鯨釣ったというたより
自分も負けずにいくさの後で 歌うよ土佐のよさこい節を
// 言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる
   よさこいよさこい



中国北部戦線で戦っていた、中国派遣部隊(四国混成部隊)の高知歩兵第236部隊(鯨部隊)の中で、「よさこいと兵隊」・「南国土佐節」と題して歌われていた。ペギー・葉山が歌って大ヒットした「南国土佐を後にして(武政英策が補作詞・作曲)」よりバンカラっぽさが色濃く感じられる。

「南国土佐を後にして」で思い出すのは、『狂った野獣』(1976・東映/中島貞夫監督)というプログラムピクチュアだ。その中で川谷拓三が濁声で唄う「南国土佐を後にして」を聞くと、兵隊に唄われてたという原曲に近い曲想をかきたたせてくれそうな気がする。

川谷拓三は、片桐竜次にひっぱられて銀行強盗をやったものの、失敗する。ほんとはビビリで、なりゆきでバスジャックしてしまった時も、人質のおばさんに怒鳴られただけでオドオドしてしまう。早い段階から「もうあきらめよう」と言うが、そうすると、強気の片桐竜次やもっとこわい渡瀬恒彦に煽られる。状況がかなり煮詰まってきて、ちっともいいことなかった自分の人生を思って歌いだす「南国土佐を後にして」は、胸に染み入ってくる。その唄に人質のチンドン屋さんが伴奏つけてくるシーンにも泣かされる。

1975年頃、東映の大部屋俳優たちが『ピラニア軍団』として売り出し、『大激突』『資金源強奪』『県警対組織暴力』『北陸代理戦争』(深作欣二監督)・『暴動島根刑務所』『大阪電撃作戦』『沖縄やくざ戦争』『狂った野獣』(中島貞夫監督)などの低予算のケッ作・問題作でエネルギッシュに怪演していた。

1976年、僕は大学の教養課程から専門課程に上がれなかった。つまり、留年をしていた。鬱屈しささくれだった、蒼いココロをそれらの映画のピラニアたちにシンクロさせ、発散させていた。それゆゑ、拓ボンの「南国土佐を後にして」を思い出すと、不思議な涙が出てきて、ドウニモトマラナイのだ!



@これで1月のエントリーは終わりです。
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日本のリベラリズムの危機③:「反リベラリズム」が、日本を息苦しくしている

★「日本のリベラリズムの危機」を考える③:「反リベラリズム」が、日本を息苦しくしている
 BY ジェフリー・キングストン :テンプル大学(日本校)教授

@天皇の父方の祖先は朝鮮半島から渡来

天皇の言葉に対する反応はメディアではあまり取り上げられておらず、どれほどの日本人がこの件を知っているのかはわからない。だが、それは珍しいことではない。2001年に、天皇の父方の祖先(桓武天皇の生母)が朝鮮半島から渡来したことについて天皇が発言した際、この発言を取り上げたのは朝日新聞だけだった。韓国の新聞が天皇のこの発言を賞賛すると、このことは日本でも大きく報道された。韓国メディアが日本を褒めるのは異例だからだ。

しかし、この時に韓国から好意的な反応があった理由を理解していたのは朝日新聞の購読者だけかもしれない。対外強硬主義的な他の新聞社は、読者の多くが読みたがらない記事をあえて取り上げるようとはしなかったからだ。この当時、日本と韓国は2002年FIFAワールドカップの共催国となることが決まっており、天皇のこうした告白は友愛と協力の感情を促進するために計画されたものと思われた。

天皇はこれまで模範的ともいえる程に、国民に対して慰めと慈しみを表してきたため、国民の天皇と呼ばれている。天皇は1月18日に4年ぶりに相撲を天覧したが、彼があいさつをすると全観衆が立ち上がって拍手をしながら喝采を送った。深い愛着の表れともいえるこの光景は、天皇に対する国民の尊敬を物語っている。

天皇の言葉は、安倍首相が主導する右傾化の流れと、その行末についての多くの日本人の懸念を代弁している。2014年12月の衆議院における自民党の勝利は、安倍首相に対する是認というよりも、むしろ反安倍派に対する告発だったが、安倍首相は今、自らの今後のイデオロギー的な見通しを認識せざるを得ない立場に立たされている。投票率は戦後最低の52%を記録し、世論調査では国民がアベノミクスに盛り込まれた景気回復の実行を求めており、憲法改正や日本の安全保障上の役割の拡大にはほとんど関心をもっていないことが示されている。この意味で、天皇は権力に対して真実を語りかけたのだと私は思う。

右派は痛ましい過去を考察することなく未来を手に入れようとしており、一方左派は、70年にわたり近隣諸国から日本を分断している過去を、悔恨をもって謙虚に理解することで前進しようと考えているように思われる。

@多くの日本人は中韓政府を恐れている

21世紀において、多くの日本人は戦争加害者であることに疲弊し、中韓政府が日本を歴史の鉄床に容赦なく打ちつけることを恐れている。未検証の過去の歴史問題を軽率にも葬り去ろうという日本の取り組みは、たしかに国家主義的な熱狂を焚きつけるファクターになっているが、皮肉にも近隣諸国に政治的・外交的なアドバンテージを与えていることも明らかだ。

日本のメディアは、たとえその結果が必ずしも示唆に富むものではないとしても、歴史問題についての議論に意欲的に取り組んでいる。このことは大きな強みだと思う。しかし、非常に息苦しくなっている。反リベラルの情勢下で、自分たちと相容れない意見を表明する人々を威圧し、攻撃し、時には暴力に訴えてまでその声を封じようとする恐ろしい集団がいる。そうした集団の標的になりたくないと、多くの記者は考えている。

1990年には、日本の戦争行為に関して昭和天皇に責任があると示唆する発言をしたことにより、長崎市長が襲撃された。したがって、このような恐怖には根拠があるといえる。保守主義の代表といえる政治家たちが、脅迫的な気分を助長している過激集団や犯罪集団とつながりをもっているという事実には当惑させられる。

安倍首相に対するブレーキ役となるべき民主党は、2012年選挙における壊滅的な大敗以降、混乱状態にあり、2014年選挙でも平凡な結果に甘んじている。

2009年選挙で、民主党は大勝利を遂げたが、これは主に広がり続ける格差に対する日本人の不安によるものだ。格差は、日本に浸透した平等主義の規範と価値にそぐわない状況であり、戦後の雇用の安定に対する重点的な取り組みと矛盾する。

自民党は、格差を助長し、雇用の安定を崩壊させた新自由主義的改革について責任がある。雇用不安の影響は、2009年のリーマンショック以後の年越し派遣村に表れている。年越し派遣村は厚生労働省前の路上から始まり、職を失った派遣労働者のための炊き出しが行われた。この運動は、日本のセーフティーネットがいかに機能を失っていたかを示していた。

自民党が掲げる自己責任の原則は、国民が窮地に立たされた時、それはその個人の責任だと突っぱねることを意味していた。民主党はこの状況を、景気回復の糸口を見いだせずにいた自民党を打ち破る勝機と捉えた。

鳩山由紀夫首相は就任に際し、2006年のロードマップを見直し、普天間基地を県外に移設するという沖縄県民への選挙公約を実現することを表明した。また、日本は米国および中国と等距離の関係を築く方向へ向かうべきだという見解も鳩山氏は示した。しかし、鳩山氏の構想は失敗に終わった。

今の民主党は政党としての独自性を見いだせずにいる。政策に対する意見は分裂し、党員が表明するイデオロギーは、左派から右派まであまりにも雑多だ。どの問題に関しても統一された立場を打ち出すことが難しいことは、代表選挙における岡田克也氏の決選投票での辛勝にも見て取れる。

岡田氏は民主党の中道的な立場を表明しているが、自民党との政策上の大きな不一致はあまり見当たらない。たとえば、岡田氏は集団的自衛権については制限をすべきだと考えているようだが、第9条の再解釈には反対していない。

民主党の左派メンバーは、歴史問題に関する議論についてもっとリベラルな立場を打ち出したいと考えているように思えるが、現在の世論の下では瀬戸際に立つ同党にとって決定的ともいえる反発を呼ぶ恐れがある。

尖閣・魚釣諸島についての二国間論争においては中国の主張にも一理あるとコメントした鳩山元首相がメディアから激しく批判されたことを思い出してみるとよい。2012年安倍内閣で防衛相を務めた小野寺五典氏に至っては、鳩山氏を国賊と呼んで批判した。南京大虐殺に関する和解についての鳩山氏の言動も日本国内では評判が悪い。

@民主党が進めようとしていたこと

民主党は日韓を対立させている重大懸案のひとつである慰安婦問題を解決しようと試み、これに関する協議はまとまりかけたが、2012年12月に決裂した。この合意条件の下では、金銭による賠償に加えて、在韓日本大使が存命の元慰安婦を訪問し、謝罪の手紙を届けることになっていた。

問題は、日本が植民地時代の残虐行為に対する法的責任を受け入れるか否かということだった。日本側は道義的責任を受け入れることは快諾し、償いと和解という人道上の意思表示を行ったが、法的責任を認めることは断固として拒否した。

最終段階でのこの協議決裂は双方による非難の引き金となり、裏切られたという感情を生じさせてしまった。非公式の情報によれば、日本の外交官は、協議がまとまりかけていたにもかかわらず、韓国側が法的責任を認めるよう求めるという土壇場での合意条件の変更を行ったことについて不満を漏らしていたという。

同様にオフレコでの発言だが、韓国の外交官は、法的責任を回避するために入念に計算された合意内容は、慰安婦や韓国国家の尊厳を回復するために十分な、最大限の意思表示と呼べるものではなく、この点で妥協できなかったのだと主張していた。そしてその後、安倍首相が政権に就任するとすべてが白紙にもどったのだ。日本国民は、こうした経緯も知っておく必要がある。

(構成:ピーター・エニス記者)

***「東洋経済オンライン 『アメリカから見た世界 2015-1/25』」より転載

日本のリベラリズムの危機②:歴史修正主義はアジアの分裂をもたらす 

★「日本のリベラリズムの危機」を考える②:歴史修正主義はアジアの分裂をもたらす
  BY ジェフリー・キングストン :テンプル大学(日本校)教授

@「吉田証言問題」は政治的な問題

慰安婦に関する20年以上前のわずかなレポートが、吉田清治による信頼性に欠ける証言に基づくものであったことを朝日新聞が認めたという事実は、この慰安婦システムの性質と程度に対して疑いを投げかけ、それによって最小化と否認の歴史観を推進するための口実に用いられている。

当然ながら、安倍陣営は朝日新聞の問題を政治的なアドバンテージとして利用している。結局のところ、この問題はジャーナリズムというよりもむしろ政治的な問題であり、保守主義者が日本のアイデンティティを自らの観点で再定義するために行った文化的闘争の一部なのだといえる。かねてから右翼主義者は、この文化的闘争において朝日新聞を主な敵対対象メディア、攻撃の標的としている。

朝日新聞の元記者とその勤務先の大学関係者に嫌がらせを行い、これらの元記者との契約を解除しなければ、釘を入れた爆弾を爆発させて学生に危害を加えるなどと脅迫したネット右翼の事例もある。在特会によるヘイトスピーチ運動においても、日本の在日コミュニティに対する嫌がらせと、殺害予告が行われている。安倍首相は、こうした狭量な行為を黙認し、反朝日運動の応援部長のように振る舞っている。

このような日本の現状は、多くの日本人にとって気分のいいものではなく、また、日本人の国家に対するアイデンティティにそぐわない。 そして、この文脈で考える場合、天皇の言葉は批難や警告として解釈することができる。

2015年は節目の年だ。安倍首相の修正主義的な歴史観により、彼が日本の戦争責任に関して夏に発表する予定の声明についてさまざまな憶測が飛び交っている。安倍首相は、アジア全体に大日本帝国がもたらした悲劇を過小評価し、また、それを正当化するような言動をとることによって、アジア地域の分裂を引き起こしかねない。

過去には、1995年に終戦50年決議が可決された際、安倍首相は国会を欠席しており、同年8月に発表された当時の首相による村山談話について安倍首相は不快感を示している。村山談話は、日本の戦争責任を認め、侵略による甚大な影響を広く謝罪した点で国会の終戦50年決議よりもはるかに明確な声明だった。

安倍首相は日本の植民地時代および戦時期の歴史に関する論争に与しており、2007年3月1日の国会では、日本帝国陸軍の性奴隷として若い女性や児童を動員した際の強制のレベルについて、こじつけとも言える議論を展開して韓国人の反感を買った。3月1日は、1919年の韓国で日本の植民地支配に対する独立運動が起こった日だったため、安倍首相は極めて不適切な時機にこのようなコメントを発したと言える。

2010年、韓国における日本の植民地支配開始から100年目を迎えるに際し、菅直人首相は、日本が韓国の人々の尊厳を傷つけたことを認め、反省の意を表する痛切な声明を発表したが、この際に安倍氏は、菅首相のこのコメントに憤りを露わにして不見識だと一蹴した。

@安倍首相が進める「歴史への干渉」

安倍首相は2006~07年の首相就任中に、愛国心教育を推進する法律「改正教育基本法」を制定した。この法律は、他のアジア諸国と日本が共有してきた過去の歴史観に変化をもたらし、日本の若者に国家に対する誇りを育もうというものだった。また、安倍政権時の文部科学省は、1945年の沖縄戦に関する記述について、日本兵が集団自決を扇動したとする表現を削除して修正するよう教科書出版社に圧力をかけた。これに対して、沖縄の人々からは怒りに満ちた反発が起こった。沖縄での集団自決は、目撃証言に基づく事実であり、沖縄の人々のアイデンティティにかかわる歴史観の重要な要素だからだ。

安倍首相の歴史への干渉はこれにとどまらない。2014年の初めには、文部科学省が教科書出版社に対し、議論の分かれる歴史問題については政府の見解または最高裁判所の判例に倣うよう促すガイドラインを発表した。また、同年末には在ニューヨーク日本領事館を通じて、日本政府が不正確だと考える慰安婦に関する教科書の記述を修正するようマグロウヒル(McGraw Hill )に要求した。マグロウヒルはこの要求を拒絶し、根拠を提示して、同社の記述には、それを裏付ける学術的なコンセンサスが得られており、日本政府が教科書の内容について要求すべきではないと主張した。

慰安婦問題や米慰安婦像の設置に関して安倍首相が抱える問題は、不誠実にも事実を無視したことによる自業自得の損害だ。1993年の河野談話は、慰安婦のシステムに対する国家責任についての日本の集団的記憶喪失とも言える時代の終了を象徴するものであり、これによって日本の評価は大いに改善された。それにもかかわらず、安倍首相は繰り返し河野談話に対する工作活動を行って日本の国際的な地位を著しく損ない、自らの思慮分別に対する疑問の声を招いているのだ。

2007年の米国下院決議(H. Res. 121)は、慰安婦に関する安倍首相の所見を批難する決議だったが、この決議は吉田証言に基づくものでも、朝日新聞の報告に基づくものでもなかった。H. Res. 121は、長年にわたって蓄積された、慰安婦システムへの日本軍と日本政府の関与を示唆する膨大な証拠資料に基づいていたのだ。

皮肉にも、米国の4つの街に慰安婦像を設置するきっかけをつくったのは、朝日新聞ではなく、安倍首相にほかならない。これらの慰安婦像の建設を呼びかけた朝鮮系アメリカ人は、慰安婦の動員に関して物議を醸した安倍首相の2007年の声明に反応したのだ。慰安婦像の設置を推進していた主要団体には、安倍首相の二枚舌とも言えるコメントを激しく非難した下院議決になぞらえて、「121」と自称する団体がある。

最近の安倍首相のスタンドプレーを見る限り、日本は慰安婦に対して与えた恐怖についての責任から逃れようとして、かえって国家の威厳を損なっているように思える。21世紀において、戦争中の女性への暴力は重大な国際的懸念だ。そしてその懸念は日本の市民社会団体が共有する懸念でもある。女性をだまし、性奴隷となることを強制することは、世界全体が抱える問題なのだ。日本はその責任をはっきりと認め、慰安婦女性たちの人生を破滅させたことに対して謝罪と法的な補償を公式に行い、いまなお続くこの問題に対処する国際的な取り組みをリードすることによって、地位を高めることができるかもしれない。

しかし、安倍首相はむしろこの問題に関して日本を国際社会から孤立させる言動をとっており、彼のあいまいなごまかしに関わりたくないと考える親交国もこの問題を扱いづらいと感じている。

@村山談話からの逸脱

天皇は道徳的な権威としての考えを述べている。1月5日に伊勢神宮で開かれた2015年第1回目の安倍首相の記者会見ではこのことがはっきりと示された。この会見で安倍首相は、天皇の所感に対する応答とも思える言葉を述べた。安倍首相は、戦後70年を迎え、反省の意を表す声明を発表し、日本が戦後の平和主義国家として果たしてきたアジア太平洋地域の平和と繁栄への貢献を強調する意向を示した。また、村山談話を踏襲するという従来からの約束を繰り返し述べた。

1995年の談話において、村山首相は、日本が植民地支配と侵略によってアジアおよび諸外国の人々に「多大な損害と苦痛」を与えたことを認め、「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を示した。この談話は第二次大戦に関する政府の公式見解となっており、1995年以来ことあるごとに呪文のごとく唱えられている。安倍首相は、世界平和への貢献に率先して取り組むという日本の意向にも言及する可能性があることも示唆した。だが、安倍首相の言う積極的な平和主義は、国家の軍事組織に関する憲法の制限を無視し、米国との安全保障協力を強化するための口実だと多くの日本人は考えている。

70回目となる終戦記念日の談話に関する懸念には、2013年8月15日の安倍首相の談話が関係している。この年の談話で安倍首相は、アジアにおける日本の侵略について反省の意は表明せず、戦争の放棄についても誓約しなかったのだ。

これら2点に言及しなかったことは、村山談話の方針から大きく逸脱するものであり、これによって安倍首相の意図に対する追求の目はさらに厳しくなった。たとえば、米国の議会調査局は、予想外の安倍首相の談話に関する報告書を発表し、安倍首相が村山談話から大きく逸脱するならば、未解決の歴史問題をめぐってアジア地域に敵意を呼び起こす恐れがあることを強調した。

村山談話からの逸脱は、韓国を交えた3カ国での安全保障体制を強化しようという米国の取り組みを妨げ、中国を不必要に刺激する恐れがあるのだ。

米国議会調査局は、慰安婦に関する1993年の河野談話がどのように編集されたかを調査するよう政府の諮問機関に委任した際の安倍首相の責任に言及した。この委任が河野談話を否定するための取り組みであるのは明らかだ。さらに議会調査局は、安倍首相が2013年の国会で「侵略」という言葉には再解釈の余地があることを示唆した発言を引用した。

2013年4月の国会で、安倍首相は「侵略」という言葉についてあいまいな答弁を行い、村山談話を全面的には支持しないと述べた。この詭弁にはアジア諸国から批判が集まった。日本軍が戦時中に行った行為をはぐらかすことによって安倍首相が戦争責任を回避しようとしているように映ったためだ。

したがって、伊勢神宮での発言において安倍首相は天皇の言葉の重要性を理解していることをある程度表明したものの、菅義偉官房長官は、安倍内閣が“基本的”には過去の内閣の歴史問題に対する立場を継承すると説明しながら、修正の可能性を否定せず含みを持たせたのだ。

(構成:ピーター・エニス記者)

***「東洋経済オンライン 『アメリカから見た世界 2015-1/24』」より転載

日本のリベラリズムの危機①:天皇は、なぜ「満州事変」に言及したのか?

★「日本のリベラリズムの危機」を考える①:天皇は、なぜ「満州事変」に言及したのか 
  BY ジェフリー・キングストン (テンプル大学【日本校】教授)

 ☆(平成27年新年に当たり)天皇陛下のご感想

昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。

また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。

本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。

この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。

 *

ジェフリー・キングストン氏は日本在住の政治学者でリベラルな視点を持つ識者として知られている。テンプル大学日本校で主にアジアの政治について教えている同氏は、天皇の1月1日の新年所感に注目した。「満州事変に始まるこの戦争の歴史」と、あえて満州事変に言及したからだ。

これまでも誕生日祝賀会などにおいて満州事変に言及したことがあるが、新年の挨拶でこのことに触れたのは今回が初めて。「これは政治的なことに立ち入らないよう配慮しながらも、安倍政権に対して牽制しようとする意思が込められているのではないか」とキングストン氏は推量している。

むろん、天皇の発言を政治利用することはあってはならない。メディアがことさら、その意味を詮索することも、政治利用の類である。しかし、天皇の発言は一般国民の認識、東アジアにおけるコンセンサスとかい離しているわけではない。そのため、天皇の発言を起点に戦後問題を考えることは有意義であると判断した。今回、3日連続でキングストン氏の論考を掲載する。今回はその第1回である。(東洋経済編集部)

 *

2015年の新年の所感で天皇が満州事変に言及した意図は、正確にはわかるわけではない。政治的な問題への天皇の介入を防ぐ憲法上の制限に違反しているという印象を与えないために、天皇の言葉は非常に曖昧なものになっているためだ。

鍵となるのは次の一節だ。「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」。

宮内庁は天皇の言葉を事前に注意深くチェックしているため、天皇が伝えようとしているメッセージの意図については文面から推測することしかできない。天皇がこの話題を取り上げた背景には、戦争責任とアジア全域における残虐行為について、過去四半世紀の間、日本の侵略の犠牲となった国々に対し天皇が行ってきた反省の意の表明という実績があり、満州事変への言及はこの文脈で考えなければならない、というのが私の意見だ。

@天皇が一貫して目指してきたこと

過去において、日本の政治家は、自国が与えた恐怖について、事実から目を逸らすことなく、深く悔いていることを示す努力をしてきた。だが、天皇はこうした多くの政治家よりも多くのことをしてきたといえる。現在、歴史修正主義の政治家や対外強硬主義のマスコミは、天皇の関係修復外交への努力を懸命に抑えこもうとしているようにみえる。しかし、明仁天皇はこれを昭和天皇が果たしえず自身が引き継いだ責務と考えている。そのため、天皇の限られた役割において、自分にできることを行うことにこだわっているのだ。

天皇のこれまでの記録を見れば、長らく行われてこなかった、誠意ある清算を天皇が奨励していることがわかる。1978年以後、昭和天皇が靖国神社の参拝を拒否していたのは、同年のA級戦犯合祀が原因だと明仁天皇は明言している。

また、2004年秋の園遊会では、東京都教育委員会の委員が天皇に話しかけ、教育現場において、起立し、国旗(日の丸)に向かって国歌(君が代)を斉唱するという規定を教員に遵守させることが自身の仕事だと説明したが、天皇はこの委員に苦言を呈した。天皇は国旗国歌について、これを強制するのは望ましいことではなく、個人の判断に任すべきだと述べた。2005年春の園遊会でも天皇は同様のコメントをしている。

宮内庁は天皇の発言は政治的な意味合いを持つものではなく、憲法上の権利が侵害されたと主張していた教員たちへの精神的な支えとなるメッセージを含んだものだと説明しているが、果たしてそうだろうか。

@石原莞爾が目指していたこと

今、満州事変に言及するならば、天皇は現在起こっている歴史的な論争に立ち入っていることになる。なぜならば安倍首相や、同様の歴史修正主義の立場をとる他の政治家は、日本の侵略を正当化し、それが西欧諸国の征服という圧力を解消することを狙った汎アジアの解放を目指す戦争だったと主張しているからだ。歴史修正主義者は、(アメリカ、イギリス、中国、オランダによる)ABCD包囲網と呼ばれる西欧列強からの圧力の高まりに対する防衛戦争だったとも主張している。

しかし、戦争の開始が1931年だったと明言したことにより、天皇は奉天市における関東軍の策略に原点を求めたことになる。

関東軍は、自ら南満州鉄道の爆破を実行しておきながら、中国人テロリストの仕業である、と主張。この事件を口実に全面的な侵略と満州鎮圧に乗り出した。この解釈は学者たちが十五年戦争(1931年~45年)と呼ぶものだ。十五年戦争は、中国における日本軍の侵略の拡大と、中国を征服するために必要な資源を確保するために東南アジアにおいても戦争を展開するという1940年の決定を指す。

満州事変を起点とする解釈は、日本の帝国主義を隠蔽する道具としてのアジアの解放というテーマを棄却するものだ。また、1931年の日本は包囲された状態にはなく、むしろ中国の一部に進攻し、独裁政治を推し進め、太平洋における覇権をめぐる米国との来るべき戦争に備えていたといえる。満州事変を計画した石原莞爾は、日本を率いる軍事戦略家だったが、第一次世界大戦の教訓を仔細に研究していた。総力戦は、勝利へ向けた無制限のアプローチを意味する。そこでは、市民が攻撃の対象となり、経済制裁が戦争上の武器となった。

第一次世界大戦におけるドイツの敗戦は経済制裁が原因であり、戦争の遂行に必要となる軍事力をドイツが失ったのは経済制裁のためだと石原は考えた。石原が満州を支配下に置くことを主張したのは、そのためだった。日本がその軍事力のために必要としながらも、国内では確保できない資源に満州は恵まれていた。

日本が独裁体制を推し進めた狙いは満州の資源を奪取し、来るべき戦いに備えることだったのだ。汎アジアというテーマは、今日の保守主義者にとってはさらに魅力的だ。というのも、汎アジアを持ち出すことによって、私欲を持たず他国の利益のために自らを犠牲にする国として日本を位置づけることができるからだ。だが一方で、満州の構想により、日本は他の帝国主義国家と同様、資源と市場を確保するために国々を侵略する強欲な略奪者のように映っている。

したがって、天皇が発した一見穏当な言葉は、歴史編纂の領域に大きく影響を及ぼすものであり、日本の侵略、そして安倍首相のような現代の歴史修正主義者を批判する彼の立場を浮き彫りにしている。歴史修正主義者は、戦時中の日本を復活させ、日本の価値を高め、自国を正当化する歴史観を主張しようとしている。

天皇の歴史観は、日本(そして他国)におけるコンセンサスとして長らく大勢を占めている考え方と一致するものだ。しかし、歴史修正主義者は、日本だけを批難するこの「マゾヒスティック」な歴史観に苛立ち、戦争を遂行した戦前・戦中の政治指導者を過大評価している。歴史修正主義者は、大勢のコンセンサスが極東国際軍事裁判(以下「極東裁判」という)の判決に基づいており、「戦勝国の正義」に立った歴史観によって歪められたものだと主張する。

たしかに極東裁判における司法手続きは実際に多くの問題を含んだものであり、有罪判決は予め決められていた。しかし、だからといって日本の軍部、すなわちA級戦犯と呼ばれる計画者たちが無罪だとはいえない。歴史修正主義者は、ラダ・ビノード・パールによる反対意見を日本の戦争責任を免れるための見解としてしばしば引用するが、現実にはパールはそのような意見は述べていない。彼の顕彰碑は靖国神社に隣接する遊就館にあるが、遊就館は日本の侵略に対する肯定的な歴史観を守る本拠地のような場所だ。

パールは、国際法における法的地位を欠き、根拠なく法の遡及適用を認めたという観点から極東裁判の判決を批判したが、日本による戦争犯罪があったことは認めており、同盟国が日本と共に判決を受けなかったことを批難し、それら同盟国にも責任を追求すべきだと指摘した。

極東裁判の判決は、確かに重大な不備を孕んでいたが、米国の占領を終わらせ、他の調印国と共に平和を築くために日本が調印したサンフランシスコ講和条約の本質に関係している。同条約の調印を以って日本は極東裁判の判決を受け入れたのだ。安倍首相は「戦後レジーム」からの脱却についてしばしば語るが、日本人の多くは戦後の体制を誇りに思っている。安倍首相は戦時中の日本に対する自虐史観と米国によって作成された憲法に不満を感じている。この2つはどちらも、戦後秩序の重大要素であり、日本に恥辱を与え、従属国としての日本の位置づけを維持するためのものだと安倍首相は考えているのだ。

@多くの日本人は憲法9条改正に反対している

安倍首相とは対照的に、天皇や大半の真摯な日本人は、20世紀後半における日本の模範的ともいえる功績が、償いを実行し、国家の尊厳を取り戻すための指針として役立つものだったと感じている。安倍首相は現行の平和憲法を批判するが、実際には、日本のアイデンティティの基準を担保するものとしてこの憲法を捉え誇りに感じている日本人も多い。第9条の改正への安倍首相の取り組みが不興を買うのはこのためだ。

集団的自衛権を認めるための第9条の再解釈を支持する日本人は極めて少数である。というのも多くの日本人は、集団的自衛権を認めることによって、米国政府が日本を戦争に引きずり込むことを懸念しており、見直しが行われた「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」がこの可能性を高めるものであることを理解しているからだ。

日米両政府がガイドラインの正式採択に至っていないのはまさにこのためであり、ガイドラインの採択が、選挙において自民党の不利に働くことを避ける意味もあったのである。

(構成:ピーター・エニス記者)

***「東洋経済オンライン 『アメリカから見た世界 2015-1/23』」より転載

「自衛」を大義にして、人は人を殺し、戦争を起こしてきた

★「自衛」を大義にして、人は人を殺し、戦争を起こしてきた:森 達也 [映画監督、作家他]

@「テロとの戦い」で何十万もの市民が犠牲になった

 テレビのニュースを見ていた。イラク情勢だ。スンニ派の過激武装組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」と政府軍との戦闘は激化する一方で、拘束された政府軍兵士の多くが処刑されたという。とても憂慮すべき事態ですとコメンテーターが言う。今のイラクは国家崩壊の危機にある。そしてもしもそんな事態になったら、スンニ派とシーア派の争いはアラブ全域に連鎖する。

 イラクからの支援要請を受けたアメリカでは、空爆など具体的な手を打てないオバマ政権を、共和党が激しく批判している。ニュースを見ながらあきれる。そもそもこんな混乱をイラクにもたらした責任は誰にあるのか。共和党のブッシュ政権がイラクに武力進攻してフセイン政権を瓦解させたからじゃないか。

 このときブッシュ政権は武力侵攻の大義を、フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っているからと説明したが、その確たる証拠がまだないとして、ロシアと中国、フランスやドイツは激しく反対した。

 でもアメリカは武力侵攻に踏み切った。国連の場では多くの国が反対したけれど、テロとの戦いを支持する国もあったからだ。特に強く賛同を示したのはイギリス、オーストラリアとスペイン、そして日本だ。特に日本は態度を決めかねていた複数の非常任理事国に、アメリカ支持に回るようにとの裏工作まで行っている(結局はすべてに拒絶されているが)。

 時代は小泉政権。このときに北朝鮮の脅威を理由に、アメリカを支持することが日本の国益などと訴えた識者や大学教授の多くは、今は安倍首相の私的諮問機関である安保法制懇の主要メンバーとなって、集団的自衛権の導入を強く主張している。その理由として彼らが提示した仮想の状況は朝鮮半島有事で、日本のパートナーはアメリカ。論旨の骨格は11年前にブッシュ政権を支持したときと何も変わっていない。テロとの闘いを支持した帰結として、イラクでは何十万人もの市民が犠牲となり、現在の国家崩壊に近い悲惨な状況があるのに。嘆息するほどに同じことを繰り返している。

そんなことを考えながらニュース映像を見る僕に、横でテレビを見ていた娘が、「泣いているかもね」とふいに言った。
「誰が?」
「コーランを書いた人。誰だっけ。ムハンマド」
「正確には彼が書いたわけじゃないけどね。ムハンマドは読み書きができなかった。だから彼が受けたとする神の啓示を、その後に信徒たちが書き留めた」
「コーランは戦いを勧めているの?」
「微妙だけど勧めてはいない。異教徒との戦いの記述は何カ所かあるけれど、その後にはほぼ必ず、相手を寛容に扱えと書いてある。そもそもスンニ派にとってシーア派は異教徒じゃない。コーランには平和についての記述のほうが圧倒的に多い。例えばジハードを『聖戦』と訳す人は多いけれど、本来の意味は『神のもとで努力する』だよ。人を殺戮する意味じゃない」

 少し考えてから、「じゃあやっぱり解釈の問題ね」と娘は言った。なるほどと僕はうなずく。問題は解釈。確かにそうだ。それがすべての根源だ。

 これはイスラムだけの問題じゃない。たとえば十字軍や異端審問や魔女狩りの時代、きっとイエスは天空で、おまえたちは何をやっているんだと地団太踏んでいたはずだ。聖書を手にしたブッシュが悪を討つと宣言しながらイラクへの武力侵攻を決めたとき、ちゃんと聖書を読めよと泣いていたかもしれない。悲しいけれど言葉は万能じゃない。ニーチェは「事実などは存在しない。ただ解釈だけが存在する」と言った。赤という文字を目にしても、それによって思い浮かべるイメージは人によって違う。世界には人の数だけ赤がある。解釈によって意味はまったく変わる。

 でもだからこそ考えねばならない。この言葉はどんな意味で記されたのか。どんな思いを込められたのか。

@なぜこの世界には軍隊が存在するのか

 人から殴られそうになったら身を守る。腕などで顔や頭を防御する。これは当たり前のこと。誰もそこで「自衛権」などとは考えない。使う言葉は「自衛」で事足りる。「権」がつくからややこしい。しかもそこに「集団的」や「個別的」がつくから、さらにわからなくなる。

 つまり解釈の余地が大きくなる。その結果として過ちを起こす。

@考えねばならない。自衛の意識の弊害とそのメカニズムを

 アメリカで2012年に起きたコネティカット州の小学校乱射事件では、20人の児童と六人の教員が殺害された。その場で自害した犯人は、自宅で銃の持ち主だった自分の母親も殺していた。犠牲者追悼集会に参加したオバマ大統領は、再発防止に全力を挙げると決意を表明した。つまり銃規制だ。その後もアメリカでは、ほぼ毎週のように学校で銃の事件が起きているけれど、銃規制はいまだに実現していない。

 その大きな要因は、銃規制に反対する全米ライフル協会の存在だ。コネティカット州の銃乱射事件のあと、全米ライフル協会副会長は、「銃を持った悪人に対抗できるのは銃を持った善人だけだ」と発言した。全米の学校に銃装備した警察官を配置せよとも。多くのアメリカ国民はこの発言を支持して、事件後には銃を購買する人が急激に増加している。

「銃を持った悪人に対抗できるのは銃を持った善人だけだ」に同意する日本人は少ないはずだ。バカじゃないかと思う人が大半だろう。でもこの思想は実のところ、世界的なスタンダードでもある。

 軍隊の存在理由だ。

 我が国は他国に侵略などしない。でも世界には悪い国もある。その悪い国の軍隊が攻めてきたときのために、我が国は軍隊を常備する。兵器を所有する。

 つまり抑止力。自衛を理由にガザへの攻撃を続けるイスラエル軍隊の正式名称は国家防衛軍だ。アメリカはペンタゴン(国防総省)でイラクも国防軍。中国は人民解放軍で北朝鮮は人民軍。要するに世界中の軍隊は専守防衛だ。他国への侵略を目的とした軍など存在しない。でも誤射や乱射は起きる。その結果として戦争が起きる。だから考えねばならない。自衛の意識の弊害とメカニズムを。

この8月9日、米ミズーリ州で18歳の黒人少年が警官に射殺された。彼は武器など持っていなかった。両手を挙げていたのに撃たれたという目撃証言もある。しかし警察は過ちを認めず、「黒人に対する差別だ」と反発するデモ隊と警官隊との衝突が続いている。

 2013年に米南部サンフォードの住宅街で、17歳の黒人少年が買いもの帰りに街の自警団団長に射殺された。動きが不審だったとの理由だけで。しかし裁判では自警団団長の正当防衛が認められて無罪判決が下された。ちなみにこのときも少年は武器など持っていない。

 1992年にはルイジアナ州で、留学していた日本人高校生がハロウィンのパーティに出かけて射殺され、日本国内でも大きなニュースになった。射殺された理由は、訪問する家を間違えて、さらにフリーズ(動くな)の意味がわからなかったから。書くまでもないが日本人高校生は武器など所持していない。しかしこれも加害者は無罪になっている。

 銃社会アメリカでは、正当防衛の概念がとても広い。現在30州で適用されている正当防衛法では、生命の危険を感じたならば、(それが衝突を回避できる場合だったとしても)武器を使用することが許されている。つまり身の危険を感じたというだけで相手を殺害することが、社会の合意として認められていることになる。

@自衛の意識は簡単に肥大する

 自衛の意識は簡単に肥大する。解釈次第でどうにでもなる。かつて日本が戦争の大義にしたのは、欧米列強からのアジアの解放だ。ナチスドイツでさえ、最初の侵略であるポーランドへの侵攻を、祖国防衛のためと見なしていた。ユダヤ人虐殺はゲルマン民族を守るため。ベトナム戦争に介入するときアメリカは、共産主義の脅威から自由主義社会を守るためと宣言した。アメリカ同時多発テロを行ったアルカイダは、アラブ世界を欧米から守るためと犯行後に声明を発表した。そしてブッシュ政権のイラク侵攻も、大量破壊兵器を持つテロリストとアルカイダから世界の平和を守ることが大義だった。

 人の自衛意識はこれほどに強い。DNAに刷り込まれた本能なのだから、これを中和することは不可能だ。でも手段を抑制することはできる。武器を持っていては過剰防衛になりやすい。ならば武器を捨てよう。この国は70年前にそう決意した。ご近所はほとんど銃を持っている。だからこそ我が家は銃を捨てる。きっといつかはご近所も銃を捨てる。怖いけれどその先陣となる。だって現実には、誤射や乱射や過剰防衛のほうが、銃で脅されることよりはるかに多いのだから。

しかし解釈は時代と共に変わる。一度捨てたはずの武器を、この国はまた持ってしまった。でも過剰な防衛だけはしない。家には置いてあるけれど、外出するときは持ち歩かない。それは絶対に譲れない一線だ。そう決めていたはずなのに、さらに解釈が変えられようとしている。

@この国は加害の記憶に被害の記憶を上書きした

 昨年夏、ベルリン自由大学の学生たちと話す機会があった。話題が首相の靖国参拝に及んだとき、一人の学生から「8月15日は日本のメモリアル・デーなのですか」と質問された。

「その日は終戦記念日だから、メモリアル・デーといえると思います。ドイツのメモリアル・デーはいつですか。確かベルリン陥落は5月ですよね」

 僕のこの問いかけに、学生たちは「その日はドイツにとって重要な日ではありません」と答えた。

 ならば重要な日はいつですかと訊ねれば、数人の学生が「1月27日」と答える。でもそれが何の日かわからない。首をかしげる僕に、彼らは、「アウシュビッツが連合国によって解放された日です」と説明した。「それと1月30日も。この日はヒトラーがヒンデンブルクから首相に任命されてナチス内閣が発足した日です」。

 学生たちの説明を聞きながら、僕は唖然としていたと思う。この違いは大きい。日本のメモリアルは被害の記憶と終わった日。そしてドイツでは加害の記憶と始まった日。どちらを記憶すべきなのか。どちらを起点に考えるべきなのか。

 結果としてこの国は、加害の記憶に被害の記憶を上書きし、さらに終わったことを起点に考えることを選択した。戦争の終わりはむしろ戦後の始まり。そこから日本の新たな歴史が始まる。戦後復興に高度経済成長。1968年のGNP(国民総生産)はドイツを抜いて世界第二位まで上りつめた。経済大国。ジャパン・アズ・ナンバーワン。強い国。豊かな国。脱亜入欧と富国強兵は、戦前も戦後も変わらない(ただし戦後は入欧ではなくて入米だけど)。

でもやがて、バブルがはじけて経済は停滞する。しかも中国や韓国が併走し始めている。2010年に中国はGDPで日本を抜いた。その翌年には、近代化や経済大国のシンボルだった原発が致命的な事故を起こす。右肩上がりの時代は終わったと誰もが思う。もはや急激な経済発展は望めない。これからはダウン・サイジングの時代なのだ。身の丈に合った成長。経済だけを指標にしない生活。ちょうどこのころ、ブータンの国王夫妻が来日した。貧しいけれどGNH(国民総幸福量)が世界で最も高い国。国王夫妻にこの国が熱狂した理由は、ブータンという国の在りかたに新しい道筋を感じたからではなかったのか。

 でも結局はそれも一過性。豊かさが恋しくなる。アジアのワンオブゼムになることを認めたくないとの気持ちが湧きあがる。やはり原発は必要だ。内心では中国や韓国の台頭も苦々しい。そんな思いが飽和しかけたときに領土問題が勃発し、自民党は「日本を、取り戻す」とのスローガンを打ち出した。

 誰からいつの時点の日本を取り戻すのか。そう質問したいところだけど、再び現れた強いリーダーに国民は熱狂する。週刊誌やタブロイド紙の多くには「舐めるな」と街場の喧嘩のようなフレーズが踊り、書店には嫌韓や反中の本が平積みとなる。

@何度でも書く。多くの戦争は自衛の意識から始まる

 何度でも書く。多くの戦争は自衛の意識から始まる。しかも国家は兵器を持っている。互いに過剰防衛になりやすい。守るつもりが害してしまう。こうして多くの人々が傷つき、焼かれ、キャタピラで踏みにじられ、殺害されてきた。

 その歴史を踏まえてこの国は、武器を持たないと宣言した。でもその解釈が、今変えられようとしている。多くの国民の賛同のもとに。一度変えたならもう戻らない。

 この流れに抵抗しようとする人の一部は、安倍首相や政権をヒトラーやナチス政権になぞらえながら、「彼らは日本を戦争ができる国に変えたいのだ」と激しく批判する。気持ちはわかる。でもそれは少し違う。安倍首相も現政権も、決して戦争を望んでいるわけではない。戦争の悲惨さはよくわかっている(と思いたい)。彼らは彼らなりに戦争を忌避しようとしている。

 ただし彼らの歴史認識は決定的に不十分だ。戦争のメカニズムがわかっていない。そして何よりも、「自衛を理由に殺し合いを続けてきた人類の歴史に対する絶望」が、まさしく絶望的なまでに欠落している。だから解釈を変えることに摩擦がない。目先の経済や支持率を優先する。この9月、経団連は5年ぶりに政治献金を再開する。その背景を思えば、この国の政治と経済に、やっぱり絶望したくなる。

帝國ノ存立 亦正ニ危殆ニ瀕セリ 事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲 蹶然起ツテ 一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ 

 引用したのは、1941年12月8日に昭和天皇が発した「大東亜戦争の詔書」の一部だ。つまり開戦した理由。現代語に訳せば、「帝国の存立も、まさに危機に瀕している。事ここに至って帝国は、今や自存と自衛のために決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外に道はない」ということになる。ちなみにこの詔書の最後は、「速ニ禍根ヲ芟除シテ 東亞永遠ノ平和ヲ確立シ 以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス(速やかに禍根を排除して、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄が保全されることをを期待する)」と締められている。

 そして以下は、1948年12月22日夜、自らの死刑執行の数時間前に、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の抜粋だ。

 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄しておらぬ証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。

『秘録 東京裁判』(中央公論新社)

 確かに自衛の意識をなくすことは不可能かもしれない。でも自衛の手段を制限することはできる。この国は戦後、身をもって世界から戦争を除くための理念を掲げた。不可能に挑戦した。不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は何よりも誇りに思っていた。

 ……とオリジナルでは、敢えて好きではない「誇り」という言葉を使いながら過去形で終わらせたけれど、今回ネットにアップするにあたり、(さんざん悩んだけれど)現在形に直すことにした。だってまだ、あきらめるのは早い。ぎりぎりではあるけれど、ここでギブアップはできない、だから今回の記述は以下で終わる。

 不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は今も、何よりも誇りに思っている。

****「ダイヤモンドオンライン 『リアル共同幻想論:2014-9/4」より転載

戦争責任はA級戦犯だけではなくすべての国民にある

★「責任はA級戦犯だけではなくすべての国民にある」:森 達也 [映画監督・作家他]

@打ち捨てられた英霊たちの墓石を訪ねて

 住宅地を少し歩く。細い路地を抜けると突然視界が開ける。異様な光景だ。敷地いっぱいに墓石が並んでいる。でも普通の墓石ではない。ほぼすべては高さ50センチメートルほどの小さな直方体(先端は少し尖っている)。台石は1枚だけ。すぐ足もとの墓碑には「陸軍歩兵加藤周一郎之墓」と彫られている。

 大阪市天王寺にある真田山陸軍墓地。徴兵令が初めて発令された明治4年、当時の兵部省が設置した日本で最初の兵士の墓地だ。当初の面積は2万8040平方メートル。そして今は1万5077平方メートル。

 ここには戦死した兵士だけではなく、兵役や訓練中に事故死や病死した兵士や軍役夫、さらには日本軍の捕虜となった外国人の遺骨も埋葬されている。墓碑の総数は5299。ただしそのほとんどは、西南戦争や日清戦争までの戦没者だ。日露戦争や第1次世界大戦、そして戦場で死んでも遺骨を持ち帰る余裕などなかった第2次世界大戦の死者たちは、大きな合葬墓に埋葬され、さらに遺骨や遺髪や(現場の)土などが入れられた小さな骨壷は、昭和18年に完成した納骨堂の棚にびっしりと置かれている。その数は8000超。

 墓苑への出入りは自由。でも膨大な数の墓のほとんどは、近年に線香や花が手向けられた気配はまったくない。要するに打ち捨てられている。線香台には枯葉が重なっている。墓石の多くは罅が入ったり欠けたりしている。

  「大阪の人もほとんど知りません」ここまでを案内してくれた大阪在住のエルネスト高比良さん(医療関係者で市民運動家)が言う。「僕もたまたま通りかかって驚いて調べたんです」

 確かにここに来るために2人で乗ったワンコイン・タクシーの運転手も、真田山陸軍墓地と言ってもわからなかった。実のところこうした陸軍墓地は、全国で80カ所もあるという。でもそのほとんどは打ち捨てられている。遺族ですらここに墓があることを知らないケースが多いらしい。納骨堂の整理に来ていた年配の男性が、「政治家たちは本気で慰霊したいのならここに来るべきだよ」と少しだけ腹立たしそうに言った。

@靖国をアーリントン国立墓地になぞらえた安倍首相

 昨年5月、アメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ(Foreign Affairs)』に、安倍晋三首相のインタビューが掲載された。靖国神社参拝について質問された安倍首相は、「(南北戦争当時の)南軍の将兵が安置されたからといって、アーリントン国立墓地に行くことが奴隷制度に賛成することを意味するわけではないではないか」と答えている。つまり戦犯が祀られている靖国に参拝したとしても、それは戦争に反対する思いと反目しないとのレトリックだ。
 そもそもはジョージタウン大学のキャビン・ドク教授がアーリントンについて言及したこの論理を、安倍首相は官房長官時代にも頻繁に引用の形で使っており、その後の国会答弁でも、やはりアーリントンを引き合いに出しながら日本の政治指導者が靖国に参拝することの正当性を強調している。

『フォーリン・アフェアーズ』はアメリカの政府関係者の多くが読んでいる。だから影響は大きい。10月に来日したジョン・ケリー国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官は、揃って千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れて慰霊のために献花した。2人のこの異例ともいえる行為をAFP通信は、靖国神社を米国のアーリントン国立墓地になぞらえた安倍首相に対する牽制であるとの見方を示している。実際に2人は参拝の意味を記者団に質問され、「日本の防衛相がアーリントン国立墓地で献花するのと同じように」戦没者に哀悼の意を示したと述べている。つまり彼らにとって日本のアーリントンは、靖国ではなく千鳥ヶ淵であるとのサインだ。それもかなり強い意思表示といえるだろう。だからこそ安倍首相の靖国参拝に対して、アメリカは「disappointed(失望した)」と表現した。

 神道系宗教施設である靖国神社への参拝についてまず指摘されねばならないことは、政教分離原則への抵触だ。あらゆる宗教を許容するアーリントンとは根本的に違う。さらに靖国は遊就館の展示が示すように(売店の推薦図書は特に露骨)、あの戦争は自衛戦争であるとのイデオロギーを流布するためのプロパガンダ装置でもある。ちなみに昨年行ったときは、田母神俊雄元航空幕僚長(この原稿執筆時においては都知事選立候補者の1人)の多数の書籍が売店で平積みにされていた。

 ただし僕は、プロパガンダ行為そのものを批判するつもりはない。思想信条の表明は自由だ。問題はそのプロパガンダ施設に一国のリーダーが参拝することの意味だ。もしもアーリントンに展示施設が併設されていて「南軍の戦いは正しかった」とか「ベトナム戦争に大義はあった」などの思想信条を表明しているのなら、政治家は誰も足を向けないだろう。

つまり特定の宗教施設でプロパガンダ装置でもある靖国は、国家元首が慰霊のために訪れる施設としてはまったくふさわしくない。それはまず大前提。そのうえで考える。参拝後に安倍首相は、「戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、そしてリーダーとして手を合わせる。このことは世界共通のリーダーの姿勢ではないでしょうか」と述べた。

 この発言をテレビニュースで眺めながら、僕はとても嫌な気分になった。参拝したとのニュースに接したときよりも嫌な気分だ。だってこの発言はずるいのだ。明らかに焦点をずらしている。

 中国や韓国の政府やメディアは靖国参拝を批判するとき、必ず「A級戦犯を祀っている靖国神社に……」とのコンテクストを使う。つまり国のために死んだ人たちを慰霊すること自体を批判しているのではなく、日本を戦争に導いた戦犯を祀っている施設に参拝したことを批判している。「リーダーとして英霊の冥福を祈る」ことそのものを批判しているわけではない。実際にA級戦犯合祀以前にも多くの首相が靖国参拝しているが、この時期には中国や韓国からまったく批判は生まれなかった。

@靖国参拝にはもっと根本的な誤解がある

 参拝後に安倍首相は「(中国や韓国の)誤解を解きたい」とも言っている。「参拝と戦争肯定とを結びつけること」への誤解という意味だと思う。ならばそれも違う。解かねばならないもっと根本的な誤解がある。

 A級戦犯だけに戦争責任のすべてを押しつけることへの誤解だ。ただしこの誤解を抱いているのは諸外国だけではない。この国の国民の多くが抱いている誤解でもある。

 一部の指導者の意思や工作だけでは戦争は始まらない。騙した人と騙された人。煽った人と煽られた人。そんな二分はありえない。国民の多くが政策に熱狂したとき、政権を支持したとき、国家は大きな過ちを犯す。つまり国家と国民の相互作用だ。

その意味で僕は、一部の指導者にのみ戦争の責任を押しつけた東京裁判史観は間違っていると考える。
 この言説は、いわゆる「左側の」人たちからも叩かれる。でもこれは譲らない。一億総懺悔を蒸し返すのかと批判されたことがあるが、東久邇稔彦内閣が唱えたこの説は、開戦ではなく敗戦の責任を追及するもので、天皇への責任軽減を目的としたレトリックだ。意味がまったく違う。前回の連載で、「百人斬り」について触れた。もう一度当時の新聞記事から引用する。



 南京入りまで“百人斬り競争”といふ珍競争を始めた例の片桐部隊の勇士向井敏明、野田巌両少尉は十日の紫金山攻略戦のどさくさに百六対百五といふレコードを作つて、十日正午両少尉はさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した。
野田「おいおれは百五だが貴様は?」
向井「おれは百六だ!」
 ……両少尉は“アハハハ”結局いつまでにいづれが先に百人斬ったかこれは不問、結局「ぢやドロンゲームと致さう、だが改めて百五十人はどうぢや」と忽ち意見一致して十一日からいよいよ百五十人斬りがはじまつた。



 読み返す度に胸が悪くなる記事だ。でも絶対に忘れてはいけない。特に後世に生きる僕たちが考えるべきは、このエピソードが新聞の一面に何度も掲載されたという事実だ。

メディアはマーケットの欲求に抗わない。むしろ煽る。つまり市場原理だ。中国人を100人斬ろう。アハハ。ならば150人だ。こうした記事が一面に掲載されたということは、これを手にするほとんどの日本人が(嫌悪を感じるどころか)この記事に熱狂し、まさしく今のオリンピックのように兵士たちを応援していたということを表わしている。でもここで競われているのはメダルの数や色ではない。切ったり刺したりした人の生命だ。

 もちろんメディアから誘導されたという見方もできる。それは常に相互作用だ。こうしてメディアは社会の合わせ鏡となる。それは政治も同様だ。多くの人が戦争に熱狂した。鬼畜米英とか暴支膺懲などのスローガンを使いながら、正義の日本が悪い国を殲滅するのだと思っていた。

@この国でA級戦犯の責任がこれほどに肥大した理由

 もう一度書く。A級戦犯だけに戦争責任のすべてを押しつけることはできない。彼らもまた、相互作用の一つの要素でしかない。

 だからA級戦犯を合祀することについては(靖国でよいかどうかはともかく)反対はしない。ただしこの国でA級戦犯の責任がこれほどに肥大した理由は、天皇制を存続させるために「天皇を騙したり追い詰めたりした人たちがいた」とのコンテクストが必要になったからだ(ここにはアメリカの意向が強く働いている)。その歴史的経緯はもっと共有されるべきだ。

 いずれにせよこうして、A級戦犯を除く国民すべてが被害者となった。加害の意識が希釈された。同時にこの判決を援用して周恩来は、「我が国は賠償を求めない。日本の人民も我が人民と同じく、日本の軍国主義者の犠牲者である」と発言した。中国国民を説得するために。そして中国国民もこれに同意した。悪いのは一部の戦争指導者たちだったのだと。

 ならばその戦争指導者までも合祀した靖国に現在の政治指導者が参拝することに対して、今さらそれはないじゃないか、と彼らが憤ることは当たり前だ。

 それを踏まえたうえで言わなくてはならない。今さら本当に申し訳ないが、その解釈と認識は間違いだった。日本の人民は被害者であると同時に加害者でもある。責任は私たちすべてにあったのだと。

 確かに日本は東京裁判の判決を受け入れた(裁判そのものではない)。その後に復興と発展があった。今さらリセットはできない。でも法的な意味ではなく、意識レベルにおける再審請求を起こすことはできる。つまり戦争のメカニズムへの再考察だ。この国の指導者たちはそのうえで、世界に対して以下の宣言をするべきなのだ。

一部の指導者にのみ戦争責任を押しつけた観点において、東京裁判史観は明確な過ちを犯している。責任は(天皇も含めて)当時の国民すべてにある。だからA級戦犯も同じように祀る。そのうえで二度と過ちを犯さないことを誓うために慰霊する。戦争とは戦争を憎むことだけでは回避できない。戦争を起こしたいと本気で思う指導者や国家など存在しない。ところが戦争は続いてきた。なぜなら人は不安や恐怖に弱い。集団化して正義や大義に酔いやすい。歴史上ほとんどの戦争は自衛への熱狂から始まっており、平和を願う心が戦争を誘引する。指導者やメディアは国民の期待や欲求に応えようと暴走する。だからこそこれを縛るシステム(憲法)が重要なのだ。その歴史と意義をしっかりと記憶する。

 補足するが、企業が不祥事を起こせば社長や役員クラスが責任をとるように、指導者に対してより重い責任と処罰が科せられることは当然だ。それは大前提。でもだからといって、指導者だけに責任をすべて押しつけることが正当化できるはずがない。それは結局のところ過ちのメカニズム解明を放棄することに繋がり、歴史を歪曲するのだから。

 僕は後で悔やみたくない。自分たちは騙されたとか無理矢理に背中を押されたなどと言い訳したくない。結局は加担した1人になりたくない。時代の変化を後押しした多くの国民になりたくない。だから今は抵抗する。全力で時代に抗う。

・・・・・・・・・・・・・

 この日の日本列島は大寒波。寒さに震えながらしばらく手を合わせてから、僕たちは真田山陸軍墓地を後にした。就任中に物議を醸しながら靖国に参拝した歴代首相は、退任後も靖国で手を合わせているのだろうか(すべきだよね)。あるいは安倍首相や閣僚たちは、遺族ですら存在を忘れてしまった墓苑が日本中にあることを、多くの英霊の墓石が打ち捨てられたように存在していることを、せめて知っているのだろうか。

***「ダイヤモンドオンライン 『リアル共同幻想論:2014-3/6』」より転載

チェルノブイリ法の23年:ウクライナはどう補償したのか

★原発事故 国家はどう補償したのか ~チェルノブイリ法23年の軌跡~
***「『 ETV特集(2014-8/23)』 の書き起こし」

1986年4月26日、チェルノブイリ原発が爆発事故を起こしました。膨大な量の放射性物質が放出され、広い地域が汚染されました。ウクライナ政府が現在被災者と認めている人は213万人。被災者に対する補償はウクライナ政府によって続けられてきました。

補償の根拠となっているのが事故の5年後に制定されたチェルノブイリ法です。そこには「国が被災者の生活と健康を世代を超えて守り、被害の補償を続ける」と規定されています。チェルノブイリ法は事故後の長い議論を経て生まれました。しかし、チェルノブイリ法の制定から20年以上が経った今、被災者への補償は2割以下しか実施されない事態に陥っています。ウクライナ政府は内戦の前から深刻な財政難に陥り補償にあてる予算を捻出できなくなっていたのです。高い理想を掲げながら大きな壁にぶつかったチェルノブイリ法。その成立過程を明らかにする資料が去年初めて公開されました。

2013年10月、ウクライナのキエフで「チェルノブイリの経験をフクシマへ」と題されたワークショップが開かれました。これまで日本から多くの政治家や研究者がウクライナを視察に来ています。今回ワークショップを主催したのは元環境大臣ユーリ・シチェルバクさん。ウクライナが原発事故の被災者をどのように救済してきたのか報告されました。チェルノブイリ法の特徴は事故による被ばくが5年後の時点で年間1ミリシーベルトを超えると推定された地域を補償の対象としていることです。被災者をどこまで救済するかは、日本が現在直面している課題です。

チェルノブイリ原発の西120kmにあるコロステン市には、チェルノブイリ法が補償の対象とした地域があります。被災者には年1回、症状に合わせた保養所の旅行券が支給されます。また両親が被災者であれば事故後に生まれた子供も被災者として認定されます。コロステン市社会保護局イゴーリ・エシン局長は「旅行もできるし薬も無料、歯医者も無料、公共料金にも免除があり、全部合わせれば国は住民をとても助けていると思う」と言っていました。年間被ばく線量が法律を制定した時に1ミリ~5ミリシーベルトのこの地域では住民に移住の権利が与えられました。チェルノブイリ法は移住しなかった住民への補償を次のように定めています。

・毎月の補償金(給料の1割分を上乗せ)
・年金の早期受け取り
・電気代やガス代など公共料金の割引
・家賃の割引
・公共交通機関の無料券
・医薬品の無料化
・毎年無料で検診が受けられる
・非汚染食料の配給
・有給休暇の追加
・サナトリウム(保養所)への旅行券
・大学への優先入学制度
・学校給食の無料化

それでも、この街からの移住を決断した人は4000人にのぼりました。当時、教師だったビクトル・ホダキフスキーさんは法律制定後すぐに移住を決めました。低線量の放射線は大人にとっては何ともなくても、子供にとっては危険かもしれないと思ったからです。そして新しい家、新しい仕事も補償されるということだったため移住を決めたと言います。移住を選んだ住民に対して国は、移住先での雇用を探し、住居も提供しました。また引越しにかかる費用や、移住によって失う財産の補償も行われました。

ソビエト連邦から独立したウクライナは1996年、新たな憲法を制定しました。そこにはチェルノブイリの被災者を救済することは国家の責務であると明記されました。チェルノブイリ原発で事故が起きたのは旧ソビエト時代の1986年です。原子炉が爆発し、おびただしい放射性物質が拡散しました。しかし、国民に放射能汚染の情報は知らされず事故から5日後にはソビエト全土でメーデーのパレードが行われました。コロステン市でも屋外でメーデーのお祝いが行われました。ソビエト政府はその後も放射能汚染の情報を隠し続けました。冷戦時代、社会主義諸国の盟主だったソビエトにとって原発事故の情報は西側に知られたくない国家機密とされたのです。

そんな中、ソビエト連邦の15ある共和国の一つウクライナから批判の声が上がりました。被ばくによって病気になったと訴え出たのは原発で事故処理にあたった作業員たちでした。チェルノブイリ原発の事故処理にはソビエト全土から兵士、消防士、警察官など80万人が動員されたと言います。放射線に対する知識もなく不十分な防護服で原子炉の消火や瓦礫処理にあたりました。人々はゴルバチョフ書記長に窮状を訴えました。やがて事故処理の作業員とウクライナの市民が一丸となってソビエト政府に抗議するように。この運動を率いたのがユーリ・シチェルバクさん。真っ先に求めたのは事故の情報公開でした。

事故から3年後、ソビエト政府はようやく汚染の情報公開にふみ切りました。汚染は北西部にまだらに広がり、原発から110km離れたコロステン市にまで届いていました。コロステン市では体の不調を訴える住民が相次いでいました。事故の翌年に始まった住民検診で9人に甲状腺がんが見つかりました。ウクライナだけでなく隣国のベラルーシでも子供たちから甲状腺がんが次々と見つかりました。汚染地域の住民から次々に寄せられた強い要求にウクライナ政府はモスクワの指示を仰ぐことなく独自に被災者の救済に乗り出しました。当時のウクライナ最高会議レオニード・クラフチュク議長は被災者救済の法律を作る決断をしました。1990年6月、12人の代議員でチェルノブイリ委員会が結成され法案作成がスタート。法律の完成までには8ヶ月の時間を要しました。いかなる議論が繰り広げられたのでしょか?

去年、初めて委員会の議事録が公開されました。委員会が最初に取り組んだのはソビエトが決めた被災地の範囲を見直すことでした。事故後、ソビエト政府によって汚染レベルの高いエリアの住民は強制的に避難させられていました。そして年間の被ばく線量が5ミリシーベルトを超える地域は被ばく量を下げる対策が必要とされていました。この方針を決めたのはソビエト科学アカデミーのレオニード・イリインさんです。イリインさんは放射線学の権威で、ソビエトの政策決定に大きな影響力を持っていました。イリインさんが住民対策の基礎にした被ばく限度量は事故後1年間は100ミリシーベルト、2年目は30ミリシーベルト、3年目は25ミリシーベルト、それ以降は年間5ミリシーベルト。これは平常時の値として生涯350ミリシーベルト、70歳まで生きるとすると年間5ミリシーベルトが限度だとしたからです。イリインさんたちは被ばく線量とがんの関係を計算して、その結果それ以下の放射線量なら自然に発生するがんの範囲内におさまると結論付けました。しかし、当時世界には放射線の被ばく限度量について異なる見解も存在していました。1985年に国際放射線防護委員会(ICRP)が平常時の被ばく限度量を年間1ミリシーベルトとすると声明を出していたのです。ウクライナのチェルノブイリ委員会は被ばく限度量をどこに定めるのか討論を行いました。基準を5ミリシーベルトから1ミリシーベルトにすれば、被災者と認定する住民の数は100万人以上膨れ上がります。将来にわたる補償の規模が大幅に変わる問題でした。

委員会発足から8ヵ月後、チェルノブイリ法は採択されました。その第1章第1条には「放射性物質の汚染地域とされるのは、住民に年間1ミリシーベルトを超える被ばくをもたらし、住民の放射線防護措置を必要とする地域である」と記されています。法律の冒頭に被ばく限度量を年間1ミリシーベルトとすることが明記されたのです。チェルノブイリ法に基づきウクライナの被災地は4つの区域に分類されました。

【強制避難区域】
事故直後から住民を強制的に避難させた汚染レベルの高い区域

【強制移住区域】
年間被ばく線量が法律制定時に5ミリシーベルトを超える区域

【移住選択区域】
年間被ばく線量が法律制定時に1~5ミリシーベルトの区域

【放射線管理区域】
年間被ばく線量が法律制定時に0.5~1ミリシーベルトの区域

チェルノブイリ法が施行されて20年以上が経ちました。今、その運用はどうなっているのでしょうか?
コロステン市の人口は6万2000人。そのうち5万8000人が被災者として登録されています。コロステン市にはウクライナ政府からチェルノブイリ法のための予算が配布されています。去年は日本円で5億円が配布されました。現在、無料検診、無料給食、公共料金の割引などは引き続き行われていますが、給付金はインフレのため大幅に目減りしています。

2011年にウクライナ政府がまとめたチェルノブイリ事故の報告書の中でチェルノブイリ法の運用について検証しています。チェルノブイリ法で支出すべき予算のうち、実際にどれだけ実現されたのかです。1996年に57%だった実施率が2010年には14%にまで落ち込んでいます。現在ウクライナで被災者として登録されている人は213万2251人。人口の5%にあたり政府は補償と財政の板ばさみになっています。ウクライナの国家予算は2000億グリブナ(1兆6000億円)ですが、チェルノブイリ法で定められた補償を完全に実施すると800億グリブナ(6600億円)もかかります。これは国家予算の40%にのぼります。去年、実際に予算を組めたのは110億グリブナ(900億円)でした。法律制定当時、ウクライナのチェルノブイリ委員会では財源についてどのような計算がなされたのでしょうか?

実は当時ソビエト政府はチェルノブイリ事故の対策に特別な予算を組もうとしていました。予算の主な配布先は汚染がひどかったロシア、ベラルーシ、ウクライナです。それらへの対策費として総額150億ルーブル(3兆7000億円)必要としていました。この試算に基づきソビエトの閣僚会議はチェルノブイリ対策費を検討。その結果、103億ルーブル(2兆5000億円)を投じることを決定しました。しかし、チェルノブイリ法制定の時、世界は大きく動き始めていました。

1989年にベルリンの壁が崩壊し、東欧の社会主義諸国で民主化が広がり、その波はウクライナにも及びました。チェルノブイリ法制定から半年が経った1991年8月24日、ウクライナは独立を宣言。ソビエト政府の財政も危機的状況にあり1991年12月にソビエト連邦は崩壊。その後誕生したロシア連邦はソビエトの方針を引き継がないことを表明。チェルノブイリ関連支出に関しては今後各国が自ら支出するようにと通達しました。

こうしてチェルノブイリ法実施の費用をあてにしていたウクライナの目論見が崩れたのです。自らの予算でチェルノブイリ法の遂行を担うことになったウクライナ政府。初代大統領のレオニード・クラフチュクは予算の配分に頭を痛めました。そして彼は教育や科学への予算よりもチェルノブイリ法の予算を優先させました。しかし1990年代後半、世界的な経済危機がウクライナにも波及。国の財政難から被災者への補償は当初の予定の3割しか支給できなくなりました。政府は今も補償と財政の狭間で苦しみ続けています。

経済危機の中、去年のくれから始まったウクライナの反政府運動。2月には首都キエフ中心部での銃撃戦に発展。大統領は国外に逃亡しました。新たに就任したポロシェンコ大統領ですが、内戦の収束、経済の建て直しなど難題が山積しています。新政権はチェルノブイリの被災者に対し、これまで通りの補償を行っていくと表明しています。

自滅する「表現の自由」

★サザン桑田氏、抗議団体が問題にしない部分まで踏み込み謝罪
***「田中龍作ジャーナル 2015-1/16」より転載

「不敬か、表現の自由か」をめぐる問題は、サザンオールスターズの桑田氏側が謝罪する格好になった―

 昨年末、横浜アリーナで行われたサザンオールスターズのステージで、リーダーの桑田佳祐氏が紫綬褒章をオークションにかける真似をしたことなどが、ごく一部の人々から不敬だと批判されていた。 

 日章旗を掲げるグループは11日、サザンオールスターズが所属する事務所アミューズ(渋谷区)の前で、桑田氏の謝罪を求める街宣活動を繰り広げた。

 街宣活動のあと、彼らはステージでの演出の真意などについての説明を求める公開質問状をアミューズあてに出した。回答の期限は5日以内だった。

 期限切れ目前の15日夕、アミューズと桑田佳祐氏は連名で事務所のHP上に謝罪文を掲載した。

 謝罪文の“充実”ぶりには驚くばかりだ。日章旗を掲げたグループが問題にしていない所にまで踏み込んでいるのだ。

 グループは桑田氏がつけた「チョビヒゲ」や「ステージ上で上映されたデモなどのニュース映像」については触れていない。グループがこだわったのは「国体」と「不敬」なのだ。

 だが桑田氏側はわざわざ「チョビヒゲに他意はない」「ニュース映像は緊張が高まる世界の現状を憂い」などと説明しているのだ。

 桑田氏の演出意図はともかく「チョビヒゲ」がヒトラーと安倍首相をかけたものと“解釈”できる。

 ステージで上映された中韓の反日デモは、安倍政権のタカ派的姿勢に反発するものだ。

 ゆえにだろうか。桑田氏側の謝罪文は、安倍政権に配慮し過ぎた内容なのである。

@右翼や政治家からの圧力なし

 安倍政権の好戦的な姿勢を揶揄したとの指摘がある「ピースとハイライト」の歌詞についても、アミューズの広報担当者によれば、批判的な意見が電話で何件か寄せられたという。

 普通の人々が「ピースとハイライト」の歌詞について、わざわざ事務所まで抗議の電話を入れたりするだろうか? ネトウヨであることは容易に察しがつく。

 前出の広報担当者によれば、右翼や政治家からの圧力はなかったという。だとすれば桑田氏と事務所は、安倍政権の意向とグループの抗議を忖度し過ぎたことになる。

 桑田氏ほどの大物が、取るに足りぬ揚げ足取りに屈したことの影響は小さくない。他のアーチストの表現の自由が、この先奪われないことを祈るばかりだ。

***(参考)

☆桑田氏の14分にわたる謝罪コメント(ほぼ全文書き起し)

 お正月休み、いただいていたんですけども、私、ネットとかやらないものですから、世間の話題に疎いといいますか。最近になってご批判をいただいていることを知りました。1月3日と先週の放送も3日に収録したものだったんですけども。その時点では私自身気付いておりませんで、ノーテンキで申し訳ございません。対応が遅くなって申し訳ないんですが。

今週の木曜日(15日)にお詫び出させていただいたいたんですが、それについて私の口からご説明させていただきたいと思います。

(ファンからのメールを読み上げる)『オークションギャグはやるべきじゃなかった。客観的に見ても批判されても仕方がないかな、と思いました』

(続いて桑田がネット上で批判された内容などについて状況と経緯を説明)

(1)紫綬褒章をポケットから取り出した件

 年越しライブの4日間のライブの中で、4日間ともお客様にお披露目しようとする場面を(ステージで)いたしました。3日間は木箱に入れて、白い手袋をしたスタッフが私に丁寧に手渡してたんですが、4日目のライブだけは、紅白と年越しというのがありまして。すでに言い訳になってしまってますけども、時間調整に舞い上がったりしたのもあり、段取りを間違えてあのように扱ってしまいました。

 大変反省しておりますし、心より、心よりお詫び申し上げます。

(2)天皇陛下のモノマネを披露した件

 昨年秋の(紫綬褒章の)皇居での伝達式の話をみなさんにお話する時に、伝達式の陛下のご様子を皆さんにお伝えしようとしたというとこが…私の浅はかなところで。大変失礼にあたり、私自身、大変反省しております。

(3)紫綬褒章をオークションにかけるギャグ

 オークションのパロディーはジョークにしたつもりだったんですけども、軽率。こういう場面で下品なじょうだんを言うべきじゃありませんでした。

 うちの神棚から紫綬褒章を持ち出す時も、家内が「大丈夫?」なんて言ってたんですが、家内の杞憂が現実になってしまいました。

(4)紅白出演時につけていたちょびヒゲ

 アドルフ・ヒトラーという人もいたようですが、ヒットラーのつもりは全くありません。31年ぶりに紅白出させていただくというということで、緊張しておりまして、笑いをとりたいな、と。本当ははげヅラかぶろうかな、と思ってたんですが。結局、ちょびひげを頼んでおいたんです。

 ちょびひげというとコントの定番なんですが、そこをヒトラーと結びつける人がいるということに驚いております。

(5)「ピースとハイライト」の歌詞について

 これについていろいろな方がネットで私の意図とは違う解釈をされていることに驚いておりまして。この曲、一昨年の夏に発売して、歌詞は春に作ったのかな。集団的自衛権とかも話題になる前だったと思うんですけども。東アジア全体で起こってる問題として作った歌詞なんでございます。二度と戦争などが起きないように仲良くやっていこうよ、という思いを私は込めたつもりなんですけども。

 たかが歌ですのでたいした力はないかもしれませんけども、希望の苗を植えていこうよ、地上に愛を植えていこうよ、というメッセージをね。平和を願う者として今後も時折こういうメッセージを発信していきたいと私は思っております。

 ※ここで「ピースとハイライト」をオンエア。

 ◆ここで改めてファンへ。

 今までもいろんなことを言われたり書かれたり、語られたことはあるんですけども。大衆芸能を生業にしてると、誤解とか曲解とか避けて通れない。今後ともよろしくお願いします。

 昨年の年越しライブの一部の内容についてお詫びを説明させていただきました。いい年して失敗したり、相変わらずのおっちょこちょいなことをやったりしてますけどもね、これからもサザンオールスターズをどうぞよろしくお願いしたいと思います。

 不愉快極まりない思いをさせた方々には、ごめんなさいとか申し訳ないじゃ済まないと思うんですけども。ファンの方がとても温かくて、頑張れよ、とかどんまいどんまいというメールやお手紙をいただきまして。きちっと反省するところは反省して、気持ちを切り替えてアルバムとツアーに、サザン、舵を切らせていただけたらと思うわけでございます。

「不敬か、表現の自由か 」

★「不敬か、表現の自由か」 サザン桑田氏***「田中龍作ジャーナル 2015-1/11」より転載

 昨年末、横浜アリーナで行われたサザンオールスターズのコンサートが波紋を広げている。

 「(リーダーの)桑田佳祐氏が紫綬褒章をオークションにかける真似をしたのは不敬にあたる」などとして、日章旗を掲げたグループが、きょう、抗議活動をした。

 グループはサザンオールスターズの所属事務所が入る渋谷区のビルを訪れた。敷地内には入れなかったため、路上からの抗議となった。

 現場には在特会界隈のヘイトデモに参加しているメンバーの姿もあった。

 トラメガのボリュームをあげ彼らは叫んだ―
 
 「在特会が不敬罪の復活に取り組んでいるが、不敬罪は日本人の中に脈々と息づいている・・・」

 「ピースとハイライトの歌詞の問題ではない。紫綬褒章を賜ったような人間が天皇陛下を揶揄する、そのような言動はおかしい。陛下に対する不敬、日の丸バッテン、魚釣島の表記は国体破壊である」

 天皇陛下は新年にあたって「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」とのお言葉を述べられている。

 桑田氏も話題曲「ピースとハイライト」の中で「20世紀で懲りたはず」として、先の戦争の教訓に学ぶべきだと唄っている。

 むしろ桑田氏は天皇陛下の歴史認識に近いのではないだろうか。

 日章旗を持ったグループが強調したのは―
「桑田氏の行為は表現の自由ではなく、国家の基本的理念、歴史、伝統、文化を著しく傷つけた国体破壊である」という点だった。

 国体という概念自体が戦後憲法のもとでは存在しない。「不敬罪」も存在しない。彼らは「国体」「不敬」というアナクロな言葉に かこつけて 非難を浴びせた。

 非難を浴びたアーチストは次回から自由な表現がしにくくなるだろう。日本はこうして重苦しい社会になってゆく。

***(参考)

☆天皇陛下のご感想 (平成27年新年に当たり)

昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。

また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。

本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。

この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。

福岡サウンドデモ裁判勝訴

★福岡サウンドデモ裁判勝訴★

昨日1月14日(水)にあった「福岡サウンドデモ裁判」は、僕ら原告側が勝訴しました!
http://demosaiban.blog.fc2.com/blog-entry-53.html

2011年5月8日の脱原発サウンドデモで福岡県中央警察署からサウンドカーが止められ、デモを妨害されたことによって、起した国賠訴訟です。このデモでは誰も逮捕されてはなく、こちら側から撃って出る裁判に加えて、弁護士なしの本人訴訟でした。国家権力とケンカするという国賠訴訟では、負けるのが殆どと言っていいくらい。そのなかで勝訴というのは、いやー、正直嬉しいです。

判決要旨(長い判決文をまとめたもの)から部分的に抜き書きします。



「野上警部補(交通課窓口の警察官)の誤教示及び同人による文書の破棄が、サウンドデモを行うための期待権を侵害したとの限度で理由がある。いかなる態様でのデモ行進を行うかは、それが社会通念上相当性を欠く態様のものでない限り、表現の自由の範疇に属するものとして法的な保護をに値するというべきであるから、たとえデモ行進の実施自体が妨げられたわけではないとしても、上記のような期待権の侵害により、無形の損害が生じているというべきである」



「期待権を侵害した」って、すごくないですか?国家賠償請求訴訟とは、お金という形で被害を訴えて、裁判所がその金額を決めますね。今回の判決では、僕ら原告が請求した満額でないのが残念ではありますが…。デモ申請者の福岡地区合同労組に(請求満額の)1万円の損害賠償が認められました。とても小さな額ですが、とても大きな成果だと感じています。

で、みなさんにお願いです。この事実をみなさんの御友人やブログ、SNSなどを使って広めていただけませんか?判決言い渡しを取材してくれるように事前に記者会見も行いましたが、当日取材はゼロでした…(涙)。

戦争の足音や原発再稼働の動きが聞こえて、市民がもの言えない空気になりつつあります。そこに、表現の自由を勝ち取った事実を広めるのは、自分たちの未来を守ることにもつながると信じています。どうぞよろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・『いのうえしんぢ』氏からのアピール文
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