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7月の唄:労働賛歌

★7月の唄:労働賛歌
作詞:大槻ケンヂ
作曲:Ian Parton
歌唱:ももいろクローバー

1、2、3、4!

労働のプライドを今こそ歌おうぜ!
全員で叫べば勝てるかもしれないぜ!
ドンペリ開けてるセレブじゃねえんだぜ!
こちとら働いてナンボだ労働For You!

今や運命は 我らにかかった
上の連中は サッサと逃げちまった
立場だなんだありゃ そりゃそうするよな
君しかないからこっちゃ楽だぜ…

宇宙弾丸列車 作るくらい大仕事、
地球片隅で目立たない戦い
勝ち目はあるのかって?見くびられてんじゃないの?
やることやるだけさ 労働For You

働こう
働こう
その人は輝くだろう
働こう
働こう
生きていると知るだろう
ただじっと手を見ていたんじゃ
一握の砂さえこぼれるから

やれば出来る子って ママに言われたんだ
やるときゃやるよって ママに言い返した
だけど何のために、人は働くの?
人に使われたら 負けなんじゃないか?

難しいことは掘り下げないとさ、
わっかんないんだけどね
ああ、お仕事ForYou 誰かが絶対に
喜んでくれるじゃない?

働くと
働くと
君に会う時うれしいし
働くと
働くと
君の笑顔が見れるし
ただじっと手を見ていたんじゃ
一握の砂もこぼれる

働こう
働こう
ビッカビカに輝け!
働こう
働こう
必ず
誰かが
助かってくれてる
それがプライド
労働For You あ〜は〜ん

…1、2、3、4!
自分を試せるチャンスだ労働!
ボンヤリしてても過ぎてく一生!
試すか? (どうする?)
やめるか? (負けたら?)
こわいの? (なめんな!)
よっしゃ〜! Oi!
や〜ってやろうじゃねえのよガッツリ!!
そしたら全員叫ぶぜ!? 「オッケー!」
行くぞシュプレヒコール!
「時代はいつでもグールグルっ!」

もちろんいいことばかりじゃないがな
そんなの働いたなら言わずもがな
おこられ ぶち切れ トラブり あやまり
へこんでるやつらは大体友達
生きてる証だ君のため 労働!
お金がもらえるところも 重要!
労働For You!
みんなで一緒
オ〜回りゃいつでもグールグルっ!

働こう
働こう
その人は輝くだろう
働こう
働こう
生きていると知るだろう
ただじっと手を見ていてさえ
今それがチャンスだってわかる

働くぜ
働くぜ
バッチバチに輝け!
働いた
働いた
気持ちいい
ただじっと手を触れるだけで
一握の砂まで輝きだせ

労働の喜びを今こそ歌おうぜ!
全員で叫べば見えるかも知れないぜ!
プライドとハートでガッツリ労働For You & Myself
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自由と平和のための、私たちの民主主義

★「自由と平和のための京大有志の会」の声明文

戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるより終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人びとの四肢だけでなく、心のなかにも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思上った権力にくさびを
打ち込まなくてはならない。

・・・・・・・・・・・・・

★安保法案の阻止が私の民主主義  塔嶌麦太(東京都 アルバイト 19)
***「朝日新聞 『声』 2015/07/18」より転載

私は安全保障関連法案の成立を止めるため、国家前の抗議行動に参加する。デモにも行く。友達にも呼びかける。こうやって投書も書く。できることは全てやる。
 
「デモに行っても無駄」と多くの人は言うだろう。でも、私は法案成立を止められるからデモに行くのではない。止めなければならないからデモに行く。無駄かどうかは結果論だ。

私は間もなく選挙権を手にする。この国の主催者の一人として、また「不断の努力」によって自由と権利を保持していく誇り高き責務を負った立憲主義国家の一員として、この法案に反対し、この法案を止める。

声を上げるのは簡単だ。むしろ声を上げないことの方が私にとって難しい。なぜなら、私はこの国の自由と民主主義の当事者だからだ。戦争が起きてこの国が民主主義でなくなり、この国が自由を失ったとき、やはり私はその当事者だからだ。

何度でも言う。私は当事者の責任において、この法案を止める。それが私の民主主義だ。この投書を読んだあなたが、もしも声を上げてくれたならば、それは「私たち」の民主主義になる。

日本の貧困と格差(後篇) 

★日本の貧困と格差(後篇) 「風俗でも抜け出せない『独身女性』の貧困地獄」――*亀山早苗(ノンフィクション作家)***「週刊新潮 2015年4月9日号 掲載記事」より転載.

「女性の活躍」をめざす安倍政権下で今、独身女性の多くが貧困状態にある。晩婚化が進み、離婚率も上昇。働きつづけなければならない女性は増えているが、正社員など夢のまた夢。AVや風俗に身を投じたとしても、赤貧から抜け出せないでいる。
 
 ***

 東京のとある下町。駅から3分の場所にある女性専用シェアハウス。エリコさん(33)=仮名=はここに住んでいる。現在、スーパーと弁当屋でアルバイトをかけ持ちしているが、月収は約11万円だ。

「ここは光熱費込みで家賃4万5000円。だからなんとか暮らしていけるんですけどね」

 彼女の個室に案内された。いまどき珍しい3畳だ。座る場所にまごついていると、折りたたみマットレスの上を勧められる。小さなテーブルがひとつ。段ボールが5つほど重ねられ、小物や衣服はすべてそこにしまってある。

 地方の高校から東京の大学へ。卒業後は正社員として就職。そこまではごく普通の人生だったが、

「上司のモラハラがひどかった。今だからモラハラだとわかるけど、当時は自分がいけないんだと思い続け、ストレスから胃腸炎になって血を吐いて……。仕事は続けられなかったですね」

 3年で退職。だが実家には戻りたくなかった。子どものころ、継父から性的虐待を受けたことがあるからだ。継父は罪滅ぼしの思いからか、進学費用は出してくれたが、彼女は心の中で実家と縁を切っている。

「3カ月ほど失業保険をもらいながら療養し、元気になったので、いざ就職活動をと思って張り切ったけど、働く場所はなかった」

 数カ月で30社あまりを受けたが採用されず、派遣会社に登録。正社員への道を模索しながら仕事をしていたものの、派遣切りが社会問題になった6年ほど前、彼女も仕事を失った。

「自分は生きる価値がないのかと落ち込みました。それからは派遣会社に登録するのが怖くなって、アルバイトをかけ持ちしています。30代も半ば近くなってこのままでいいのかと、常に不安と焦りがある」

 シェアハウスには、人生を語り合える友人はいない。

「もう一度、正社員として働きたい。そのためのキャリアアップもしたいけど、今は余裕がない。マイナスのスパイラルに陥っていることはわかっています」

 役所に相談に行ったこともある。もっと努力するように言われたそうだが、

「どうやって努力すればいいのか、もうわからない」

 彼女は小さい声でそう言い、ため息をついた。

 2012年の国税庁の調査によれば、女性の平均年収は268万円。一方、男性は502万円で、男女の賃金格差は驚くほど大きい。今なお、女性の労働は「家計の助け」としかとらえられていないのだろう。

 だが、現実の社会では、晩婚化、非婚化が進むとともに、離婚率も上昇。女性も働きつづけなければ生きていけなくなっている。安倍内閣は「すべての女性が輝く社会づくり」を掲げている。しかし、収入が男性の半分しかなければ、女性が社会で活躍するとか、自立するとか、そんなことは不可能ではないか。

「小さな会社なので、年収は300万円に届きません。老後のためにとマンションを買ったけれど、手取り額が年々下がるので、ひたすら食費を切りつめてローンを支払っている。何のために働いているのか、わからなくなってきました」

 独身のマホさん(40)=仮名=はそう嘆くが、正社員だからまだマシだ。日本の女性は非正規雇用で働く人の割合が54%と高く、男性の2倍以上に当たる。しかも、エリコさんのように一度「正社員」の道から外れると、二度と復帰できないケースも珍しくない。

 したがって、働く世代の単身女性のほぼ5割が年収200万円以下。うち3割強の110万人は、114万円未満の貧困状態に置かれているというのだ。

 NPO法人「ほっとプラス」代表理事で、社会福祉士の藤田孝典さんは言う。

「日本の貧困率が上がった要因は、1985年に労働者派遣法ができ、それがいろいろな業種に広がっていったせいだとする説があります。それ以外にも、家族の形態が変わったり崩壊したり、会社の福利厚生が減少したりと、いろいろな要因があると思います。いずれにしても、日本人の貧困化は、明らかに10年前より進んでいて、まったく歯止めがかかっていません。特に独身の若い女性は、企業でパワハラを受け、精神疾患にかかって退社し、そこから人生が変わってしまうことが多いですね」

■AVでも稼げない

 かつて、AV(アダルトビデオ)業界が、貧困にあえぐ女性たちの受け皿になっている、と言われたことがある。だが、今やこの業界も厳しいと話すのは、モデルエージェンシー「ハスラー」社長のミュウさん。

「ここ数年、女優への応募は増えていますが、求められる容姿のレベルは年々上がっています。今では20代でも、『ちょっとかわいい』くらいじゃダメ。AVがだめならと風俗へ行っても、市場は同じなので、容姿がハイレベルでないと稼げません。人気のある子だって、AV1本に出演しても15万円くらいにしかなりませんから、仕事がコンスタントになければ食べていけません」

 かつてはAVで当てれば、自分で店をもつことや事業を起こすことができたが、最近のギャラではとても無理なのだそうだ。

「AV女優のギャラが、1本2万円という話も聞きます。それでも仕事を受けてしまう子がいるから、どんどん価格破壊が生じているんです」(同)

 だが、安いギャラを受け入れたとしても、20代も後半になると活躍するのはむずかしい。「若さ」と「美貌」を売りにしなければやっていけない業界では、年齢が大きなネックとなる。

 AVがだめなら、最近増えている激安の性風俗はどうなのだろう。風俗産業は市場規模が5兆円、女性従業員(素人の援助交際は除く)が全国で約5万人にもおよぶと言われる。

 そこに7年前のリーマンショック以降、格安店が激増した。たとえば、「ブス、デブ、ババア」と謳って業界を席巻したデリヘル「鶯谷デッドボール」。客のみならず、仕事を求める女性たちが今、足を運んでいる。

「総監督」と呼ばれるオーナーは36歳で脱サラ、少ない資金で開業できるデリヘルを6年前に始めた。この業界、女性を集めるのが大変だと“修業”した店で実感したが、大変なのは女性の“レベル”を保つことであって、「だったら応募者をみんな雇ってしまえ」という結論に。身分証明書さえあれば、よほどのことがない限り誰でも雇い、彼女たちの個性を売りにする。

「女性に稼いでもらいたいし、私も儲けたい。とにかく貧困に陥っている女性は多いですね。うちは待機所としてマンションを借りているのですが、行くところがなくて、そこに住み込んでいる女性も何人かいます。自立を促すのですが、一度貧困に陥ると、なかなか脱することができない。それは実感しています」

 デリヘルでは初めて、へアメイクの専門家も雇っている。努力して自分を少しでもきれいに見せれば、客も多くつく可能性がある。

 彼の案内で事務所へと足を運び、待機所に住み込んで1年余りのAさん(44)と顔を合わせた。体型は太めだが、ハーフかと思うほど彫りの深い顔立ちで、若い頃はさぞ美人だっただろうと想像できる。ただ、表情がどこか暗い。最初は口数が少なかったが、ふたりきりになると徐々に口を開いてくれた。

■モチベーションがない

 関東某県で生まれた彼女は、10代後半で家出を繰り返し、19歳でできちゃった結婚。遠方へ移り住み、両親とは縁が切れた。

「子どもが生まれて親とも少し距離が近くなったけど、夫は仕事を転々として生活は苦しく、5年ともたずに離婚。ふたりの子は夫が手放さなくて、私は単身で関東に戻ってきました」

 26歳で再婚し、それを両親に知らせると、「親でも子でもない」と電話を切られた。再婚相手は暴力がひどく、数年で別れた。30代前半で再々婚をするが、またもDVに苦しめられ、36歳で独身に戻る。

 かつて女性にとって、結婚は生活するための術でもあった。「結婚が就職」と言われたゆえんだ。が、就職が終身雇用につながらなくなったのと同じように、結婚もまた終身続くとは限らない時代になっている。

 彼女はそれ以来、昼は近所の工場で梱包作業、夜はお好み焼き屋で働いてきた。それでも、手取りはせいぜい16万円程度。家賃5万円を払ってつましい生活を送っていたが、1年半ほど前、膝を悪くして働けなくなった。貯金も数カ月で底をついた。

「仕事を探したけど見つからない。そんなとき、友だちがここを教えてくれたんです。誰でも雇ってくれるならと面接を受けたら、雇ってもらえて」

 周りの女性たちに教わったり、客に教えてもらったりして技術を覚えた。お金がなかったから、仕事の内容に抵抗を覚える余裕すらなかったと言う。2時間かけて店へ通ったが、交通費はかかるし、夜遅くまで仕事もできない。そこで店に住み込むことにした。

「最初は月13万円くらい稼げていたけど、最近は6万円程度。ここにいると家賃も光熱費もかからないし、誰かしら食べ物を持って来てくれたりするので、がんばらなくても生きていけちゃうんですよね。総監督には先週も、思い切り説教されました。そんなに自分に甘いといつまでたっても自立できない、と。わかっているんです。貯金もないし、将来を考えると不安だらけ。だから、がんばらないといけないんだけど」

 ぽつぽつと語り、ときに目を赤く潤ませる彼女の気持ちが、不安定な収入でなんとか暮らしているバツイチ独身の私には、手に取るようにわかった。彼女は親とは縁が切れたまま。最初の夫のもとに残してきた子どもたちも、行方がわからない。「がんばるモチベーション」がないのだ。

 それでも彼女は、

「生活保護だけは受けたくなかった」

 と言う。だからこそ、この風俗に流れ着き、自立を目指したはずだ。生きる気力を奮い立たせるためにも、小さくてもいいから目標設定をしてみようよと、私は彼女に、祈るような気持ちで話しかけた。

「今日で5日、お客さんがついてない」

 そう言ったAさん、あれから、何か目標は見つかっただろうか。

 同じデリヘルで働くBさん(42)はどうだろう。昼の仕事をしていたが、病気になって透析治療を余儀なくされた父親を送り迎えする必要が生じ、時間の自由が利くこの仕事に移ってきたという。だが、

「がんばって、ひと月に平均30万円近くは稼いでいるけど、家賃を払いながら父と生活していくのはラクではありません。私の体調が悪ければ、とたんに収入は激減するし、何の保証もありませんし」

 客の指名が殺到するごく一部の「売れっ子」を除けば、今や思い切って風俗業界に身を投じても、貧困は解消しない。あるいは、業界に受け入れられたとしても、仕事を続けられないケースが多い。そこには別の問題も絡んでいる。

「貧困に陥っている独身女性の相談は増えていて、子どものころ親に虐待されたり、学校でいじめにあったりと、環境がよくなかった人が多い。全人的に認められた経験がないので、せっかく仕事に就けても、ちょっと優しくしてくれる男性が現れると貢いでしまったり、仕事を辞めてしまったりする。“毒親”という言葉が出てきて顕在化しましたが、親との関係が悪い人も驚くほど多いんです」(前出の藤田さん)

 結局、育った家庭環境の影響から自由になれないのだ。こうして社会が階層化し、男性と出会えたとしても、同じような境遇の人ばかり。いつまでも貧困から抜け出せない。

■生真面目な人ほど

 独り者の40代なら、まだ食べていけるかもしれない。だが、さらに年齢があがると、不安定な収入のまま、ひとりで親の介護まで担わなくてはいけない。

 50歳になるユカリさん=仮名=は、派遣で働きながら、母親とふたりで都内に暮らしている。母が受給する年金は国民年金のみ、それも月に4万円程度だ。ユカリさんの月収と合わせても、17万円ほど。狭いアパートだが家賃は8万円。光熱費を払うと、ぎりぎりの生活で貯金もできない。

「80歳の母は最近、あちこちが痛いと言うようになったけど、医療費を考えると病院にも気軽には行けません。せつないです。私も持病を抱えているので、これ以上は働けない。これでいざ介護となったら、どうすればいいんだろうと、不安でたまらない。親子ふたりで心中するしかないかもしれません」

 やはり、ユカリさんも生活保護は考えていない。不正受給が問題視される生活保護だが、多くの人は国に食べさせてもらおうなどとは思っていないのだ。つまり、生真面目な人ほど貧困から抜けられない。

 都会、特に東京は家賃が高い。衣食は切りつめることができても、家賃はどうにもならない。

「先進国では、所得が低い層に家賃を補助したり、公営住宅を提供したりするのが当たり前です。でも日本は、低所得層に分配するシステムが、生活保護を除いて整っていない。政府が大きく政策の舵を切って格差を是正していかないと、大変なことになる。個人の努力でどうにかなる時期はとっくに過ぎています」

 藤田さんの口調が熱い。

 若い女性、離婚して独身に戻った女性、未婚のまま熟年を迎える女性――。日本では今、あらゆる立場の女性にとって、貧困が他人事ではなくなっている。女性の労働が「家計の助け」だという意識を改め、男女の賃金格差を解消する。女性が安心して継続的に働ける社会にシフトする。そのために経済的支援も惜しまないことだ。そうしてはじめて、「すべての女性が輝く社会」が実現できるはずだ。

 3回にわたり、現代日本の貧困と格差について考えてきた。老年、子ども、女性。いずれの間でも社会の階層化と、貧困の固定化が進んでいた。また、昨日まで平穏無事な家庭生活を送っていた人が突然、貧困側に陥るケースも珍しくなかった。いったん貧困状態に陥ると、そこから抜け出るのは容易ではない。虐待やDVといった今日的な社会問題の多くも、実は、貧困と切り離せないことがわかった。今月から生活困窮者自立支援法が施行されるが、貧困問題の解決なくして、日本の社会の再生はない。そのことだけは明らかになったように思う。

 ***

*亀山早苗(かめやま・さなえ)
1960年、東京生まれ。明治大学を卒業後、フリーライターに。幅広く社会問題に取り組む中でも女性の恋愛や生活、性をテーマとした著作を数多く刊行。『女の残り時間』『救う男たち』など著書多数。

日本の貧困と格差(中篇) 

★日本の貧困と格差(中篇) 「『貧困の連鎖』から抜け出せない『子どもたち』」――*亀山早苗(ノンフィクション作家)***「週刊新潮 2015年4月2日号 掲載記事」より転載.
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 これからの日本を担う子どもたちの6人に1人が貧困に喘いでいるという。元来、子どもの可能性は無限大のはずだが、貧しく教育への関心が低い家庭で育つと、学力も自己肯定感も低いままになる。そうして「連鎖」する貧困が今、日本の未来に暗い影を落とす。

 ***

「週に2回しかお風呂に入っていない」

「ごはんは給食がメイン。夜は菓子パンひとつ」

「朝は食べない。夕飯はごはん1杯とふりかけだけ」

 これが18歳未満の子どもたちの声だと信じられるだろうか。21世紀の今、あなたの隣で現実に起きている事態だと想像できるだろうか。日本は今、18歳未満の子どもの6人に1人が貧困だと言われているのだ。

「今日はごちそうが食べられるんだ」

 ボランティアで子どもたちの勉強を見ているTさんに、中学1年のタダシ(13)=仮名=がそう言った。手には300円が握りしめられている。待ち合わせたファストフード店でハンバーガーとコーラを買い、うれしそうに食べ始めた。育ち盛りにそれだけでは足りないだろうと、Tさんが何かごちそうしてあげると言ったが、タダシは頑なに拒否。足りると言い張った。

 彼は幼いころ両親が離婚。母方の祖母とふたりきりで、6畳1間の木造アパートに暮らしている。祖母の年金は6万円弱。アパート代は叔父が払っている。ときおり実母が送金してくるようだが、食べるのがやっとの生活だ。本人は詳細を話さないが、Tさんによれば、

「給食がいちばんの栄養源だから、実際、夏休みは少し痩せていましたね」

 昼間は芝居の稽古、夜は居酒屋でアルバイトをしながら暮らすヨウコ(21)=仮名=もまた、父母が離婚し、母とふたりきりで貧しい生活を送ってきた。

「母は昼も夜も働いてましたね。夕飯はいつもコンビニで菓子パン買って食べてた。学校行事に母が来たことなんてない。私は学校でいつも『臭い』『汚い』といじめられてた。遠足のときだっておやつもなくて……、先生がおやつをくれたこともあったなあ」

 それでも、育ててもらってありがたいと思わなくちゃいけないんだろうけどね、と笑う。実際には、夜中に男を引っ張り込んで喘いでいる母が嫌でしかたなかった、とつぶやいた。

 悪い仲間とつるむようになり高校を中退、家出を繰り返した。夜中の繁華街をほっつき歩き、男とホテルへ行ったこともある。風呂に入れてごはんを食べさせてもらい、あげく小遣いをもらえるなら、「ウリ」も悪くないとさえ思った。家に戻っても貧しい暮らしが待っているだけだから……。

「私は小学校のころ、自殺願望がマックスだった」

 そう言うのはヤスコ(23)=仮名=だ。父は遠方に単身赴任、母のもとに生活費は送られてこなかった。

「給食だけが頼りだった。家で夕飯を作ってもらったことがなく、お腹がすいて野草を食べていました。いちばんおいしいのはクローバーの茎。友だちの家に行くと、キャットフードやドッグフードも食べてた」

 明るくそう話す彼女の顔を、私はまともに見ることができなかった。

 日本で格差社会が広く認識されるようになったのは1990年代のこと。そして2006年、経済協力開発機構(OECD)が対日経済審査報告書で、日本の相対的貧困率がOECD諸国中、アメリカに次いで2位だと報告した。政府は09年、相対的貧困率について初めて大々的に発表し、このときの調査で、子どもの6人に1人が貧困状態にあると推測されたのである。

 前回(日本の貧困と格差(前篇) 「年金では生きていけない赤貧の現場」)も書いたが、相対的貧困率とは、所得が国民の平均値の半分に満たない人の割合。12年の場合、2人世帯で可処分所得が173万円未満、4人世帯で244万円未満の世帯の子どもがそれに当たる。国立社会保障・人口問題研究所の社会保障応用分析研究部長である阿部彩さんは言う。

「大人の社会に格差が存在するなら、当然、子どもの間にも生じます。日本の子どもの貧困率は徐々に上昇していて16%になっている。この数値はOECD諸国の中でも高いことに加え、母子世帯の貧困率が突出して高く、特に母親が働いている母子世帯において高いと報告されたのです」

 日本の母子家庭では、母親の8割以上が働いている。この数字もOECD諸国の中で突出して高い。つまり父親や国からの援助が少ないのだ。日本では子どもの貧困は、そのままシングルマザーの貧困なのだ。現在、シングルマザーは108万人いると言われ、その平均年収は223万円。ちなみにシングルファーザーは380万円。子どもがいる世帯全体の平均年収658万円に対し、シングルマザーのそれは約34%で、シングルファーザーは約58%(11年母子世帯等調査)。シングルファーザーの世帯も経済的に苦しいが、シングルマザーの苦境は察するにあまりある。

■DVが絡んでいる

 もちろん、シングルマザーは以前からいるが、昔は今よりも、彼女たちを社会が支えていた。

「離婚した母親には、給食の調理員とか学校の用務員とかの仕事があったものです。社会がどんどん効率化され、そういう仕事がなくなってしまったんですね」(阿部さん)

 バブル直後に離婚が増加したとき、シングルマザーを積極的に採用する企業もあった。理由は「シングルマザーのほうが若い女性より一生懸命に働くから」だった。以前はそういう立場の女性を応援する社会の許容度が、今より高かったと思われる。しんぐるまざあず・ふぉーらむ理事長の赤石千衣子さんも言う。

「シングルマザーの7割が、生活が苦しいと言っている。母子家庭の半数が貯金50万円以下という状態。年金や健康保険に未加入の人も1割います」

 さらには、約8割が電気やガスを止められた経験があるというデータもあるが、どうしてそれほど生活が苦しくなるのか。親元へ帰ればいいじゃないか。我慢して離婚しなければよかったじゃないか。そう思った読者諸氏、実は、多くにDVが絡んでいるのだ。子どもがいて生活の見通しもたたないのに、単なる女性たちのわがままで離婚するケースは少数だといっていい。

 北関東に住むヨリコさん(35)=仮名=は、26歳のとき2歳年上の男性と同棲。すぐに妊娠して結婚した。

「優しかった夫が、気に入らないことがあると目の前でモノを壊したりするようになったんです。私が友人と連絡をとるのも嫌がって、携帯電話のメモリを全部消されたことも。最初に暴力をふるわれたのは些細な口げんかからでしたが、その後、なし崩しに殴ったり蹴ったりするようになった。一度はお腹を蹴られて流産しかかりました」

 彼女はある国家資格をもって働いていたが、流産の危機で入院。仕事も辞めざるを得なくなった。入院中に、夫が家にデリヘル嬢を連れ込んでいたこともわかったが、それでも「子どもが生まれれば変わってくれる」と信じていたという。

 だが、息子が生まれても夫はまったく世話をしない。あげく借金が発覚。それでも夫のギャンブルや浮気は止まらない。同時に暴力は加速し、ヨリコさんは常に全身打撲の状態だった。

「子どもを検診に連れていったとき、困っていることはないかと役所の方に聞かれ、夫に暴力をふるわれると話したんです。そこでDVについて教わってやっと、それがいけないことだとわかりました。姑に相談しても『夫に暴力をふるわれるのは嫁がいけないから』と言われ、私の我慢が足りないんだと思っていた」

 あとから、実は姑も舅から暴力をふるわれていたことを知った。それを見て育った夫は、女は力でねじ伏せればいいと思い込んでいたのだろう。

■貧困は連鎖する

 その後、仕事を辞めて彼女を見張るようになった夫から、「殺してやる」などと脅され、ヨリコさんは心身ともに追いつめられていく。ついにある日、10カ月にもならない息子を抱いて逃げた。気づいて追ってきた夫に後ろから蹴られ、玄関に置いてあったバットが息子に振り下ろされそうになったとき、彼女は必死に息子に覆い被さった。そしてバランスを失った夫を突き飛ばし、息子を抱いて飛び出した。走りながら携帯で110番に通報し、目についた一軒家に走り込んでかくまってもらったのち、警察に保護される。

「全身の写真を撮られ、アザだらけで肋骨も2本折れていました。その日は友だちの家に泊めてもらい、翌日、シェルターに行きましたが、入ったとたん、ほっとして涙が出ました」

 DVシェルターで2週間をすごし、隣県の実家におそるおそる戻ったが、両親はともに病気療養中。物心ともに頼るわけにはいかず、寮のある水商売へ。だが、DVの後遺症で、ものが壊れる音や男性の大きな声が聞こえると、耳鳴りや吐き気がひどくなる。フラッシュバックにも苦しみ、リストカットを繰り返した。

「接客することもできなくなり、困り果てて生活保護を受けたいと役所に伝えました。『資格もあるし、両親もいるから無理』と言われましたが、後日、友人が役所に付き添ってくれ、私の手首の傷を見せて、『自殺未遂を繰り返している彼女を見捨てるんですか』と」

 こうして半年ほど生活保護を受給したのち、もとの国家資格を生かせる仕事に復帰。だが、心身の不調は続き、何度も仕事を辞めざるを得なかった。子どもに食事を作ることもままならず、ご飯と具のない味噌汁で数日しのいだことも。息子の成長が同じ年の子に比べて遅いと思い込み、自身を責め続け、摂食障害になった時期もあった。

 子どもが4歳になったとき、とうとう彼女は児童相談所と話し合って息子を施設に預けた。まずは自分の心身を立て直すことにしたのだ。そしてこの春、ようやく子どもを引き取れるまでになった。

 DVを受けた期間は1年でも、その後、立ち直るまでに7年近い月日を要している。その間に貧困は定着していく。だが、シングルマザーの貧困は、その世代だけではおさまらない。

 学歴だけで人生は決まらないときれいごとを言っても、高校ぐらい出ていないと就職もできない。高校中退で正規職員になれないシングルマザーは教育費も捻出できず、子どももまた低学歴になる。

「その負の連鎖が怖い。しかも今、子どもを救わないと、経済的な損失が大きくなります。その子たちが大きくなったとき、きちんと税金を払えなければコストがかかるだけ。だから今、投資するべきなんです」(阿部さん)

■継続的に働ける社会を

 実際、取材を進めてみると、親が貧困状態で教育に関心がない家庭では、子どもも勉強する習慣をもてないことが多い。

「私がそうでした」

 と、アケミさん(25)=仮名=は言う。

「3歳のとき両親が離婚して、母と年子の妹の3人暮らし。父は気が向くとお金を送ってきたようですが、ぎりぎりの生活でした。なんとか食べることはできても、母は『女の子は勉強なんかしなくていい』と。地元の最低レベルの商業高校を卒業して、契約社員として大手企業に勤めました。すると周りの正社員は女性もみんな大卒。私は営業アシスタントの仕事だったけど、いつまでたっても仕事の内容がわからないし、周りの女性たちの話についていけない。いかに自分が勉強してこなかったかがわかった。それまでは同レベルの人たちとしか接してこなかったから、これでいいと思っていたんです」

 母と同じような人生は送りたくないと一念発起。仕事をしながらひとりで受験勉強を重ね、ついに3年前、大学に合格した。

「これでやっと貧困の連鎖から抜けられる。やはり人間は、基本として知識がなければ、自分を変えることはできないんだと思う。環境を変えるきっかけがあったのは幸せでした」(同)

 しかし、貧困家庭で育った、学力も自己肯定感も低い子どもたちの中で、アケミさんのように“貧困の連鎖”から抜け出ることができたケースは例外的だ。

 子どもたちを貧困から救い出すもっとも簡単な方法は、経済的支援だが、教育支援もまた重要だ。ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんが言うように、「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策」という面があるのかもしれない。

「公立の学校は高校まで無償化されたけど、それはあくまでも授業料だけ。制服、体操服、鞄、靴など、学校生活全般に意外と費用がかかるんです。母子家庭にはそれがきつい」

 前出の赤石さんが言う。

 シングルマザーたちの多くは、パソコンを買う余裕もないため、情報が行き届かないことも多い。

 現在、就学援助の制度を使えば給食費が出るし、さまざまな団体が食料支援をしている。月に何度か子どもたちを招いて無料で食事をさせる「子ども食堂」の輪も広がっている。塾に行けない子どものための無料塾も、自治体ボランティアやNPO、あるいは完全に有志によるものなど、さまざまだ。しかし、こうした救済ネットの存在を知らない人もいる。

「そうした情報を知っている人は、ちょっとおせっかいでも、知らなそうなシングルマザーに知らせてあげてほしい。また、シングルマザー側も、助けが必要なら声を上げてほしい」

 自身もシングルで子どもを育てた経験のある赤石さんが、切々と訴える。

「日本のシングルマザーの就労率は世界的に見ても非常に高い。年配の人たちは、ほんの少しでいいから温かい目を注いでください」

 そこには、非正規社員として働く女性たちの現実も見える。就労率こそ高くても、契約社員として働きながら日給が時給になり、収入は右肩下がりになる。あるいは、派遣社員として働くものの、年を追って仕事がとれなくなる。

 ある研究によると、社会経済的な階層の下位4分の1に属する子どもが、毎日3時間以上勉強して得られる学力は、上位4分の1に属してまったく勉強しない子どもの平均より低いという。こうして貧困の連鎖はやまない。

「本来は女性が継続的に働けて、賃金格差がない社会にならないといけない」

 赤石さんがそう言うように、貧困家庭の就労状況を改善し、加えて経済支援をすることが、子どもの貧困率を下げるうえで欠かせない。だが、今の日本の財政状況で、どこまで可能だろうか。放置された貧困は連鎖しつづける。それが将来の日本に暗い影を落とすことだけは間違いない。

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*亀山早苗(かめやま・さなえ)
1960年、東京生まれ。明治大学を卒業後、フリーライターに。幅広く社会問題に取り組む中でも女性の恋愛や生活、性をテーマとした著作を数多く刊行。『女の残り時間』『救う男たち』など著書多数。

日本の貧困と格差(前篇)

★日本の貧困と格差(前篇) 「年金では生きていけない赤貧の現場」――*亀山早苗(ノンフィクション作家)***「週刊新潮 2015年3月26日号 掲載記事」より転載.
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コツコツと働けば定年後は年金で相応の暮らしが、というのは過去の話だ。年金は引き下げられ、医療費や介護保険料は上昇。ひとたび不慮の事態が発生すれば、赤貧状態に突入する。もはや誰にとっても他人事ではない貧困と格差の現状を、3回にわたり報告する。

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 支給された国民年金からアパートの家賃を支払うと、お金はほぼ残らない。ガスも電気も止められ、野草を食べたり、ホームレスの炊き出しに並んだり……。そんな生活をしている70代男性を民生委員が見つけ、NPO法人「ほっとプラス」の藤田孝典代表理事の元へ連れてきたことがある。

「誰かが見つけてくれれば、まだ救われる。でも、無年金、低年金の人はこうした状態に陥るケースが多いんです。それは今後、ますます増えていくと思います」

 と藤田さん。国民年金を一生懸命払い続けても、老後に支給されるのは、月額6万円になるかどうか。とても暮らしてはいけない。

 70代になって自営の店を廃業。貯金と夫婦ふたりの国民年金でなんとかやっていけると思いきや、アルツハイマー病を発症、妻や子どもたちとトラブルを起こして離婚し、生活保護をもらっていたが、ついにひとりでは暮らせなくなって特別養護老人ホームヘ――。

 こんなケースも枚挙に遑(いとま)がないと藤田さんは言う。

 厚生労働省が行った平成24年の「国民生活基礎調査」によると、高齢者世帯の5割以上が「生活が苦しい」と訴えている。自分は会社員だから関係ないと思っている読者諸氏も多いかもしれないが、決して他人事ではない。今日、いつ誰が「貧困層」に堕ちても不思議はないのだから。

 老後破綻は大まかに言って3つのパターンに分かれる、と言うのは、経済ジャーナリストの岩崎博充さん。1つは前述のような無年金、低年金の人たち。ただ、当時の国民年金は「義務」ではなかった。老後の資金くらい自分で稼げると思っていた人も多い。

 働きに働いたものの、バブルで人生が狂ってしまった男性がいる。坂巻孝雄さん(73)=仮名=だ。

 サラリーマンになったことは、高校を出てから一度もない。百科事典や不動産の営業など、完全歩合制の仕事を転々とし、バブル期には月収が100万円近くあった。都内に購入した大きな一軒家は、近所でも有名な豪邸だったという。

「そのうえ、不動産に投資してさらに稼ぎたいと欲が出て、妻には内緒で、家を担保に銀行から5000万円を借りました。その当時は、自分の老後資金くらい自分で稼げると思っていたから、公的年金も払ってないし、ろくに貯金もしてなかったんですよ」

 ところが、バブルは弾けた。以前ほどの収入は得られず、一方、銀行からの取り立ては厳しくなるばかり。坂巻さんはついに、借金の存在を妻に打ち明ける。それが3年前のことだ。

「離婚騒動にもなりました。それはなんとか免れましたが、家を売る決意をしました。そのときは自殺まで考えましたね。苦労して手に入れた家を売る衝撃と悲しみは、他人にはわかってもらえないと思います」

 まだ1000万円の借金がある。今、坂巻さんは週6日、警備員のアルバイトをしている。収入は月16万円ほど、妻もパートで働いているため、なんとか暮らしている状態だ。ただ、年齢を考えると、いつまで働けるか……。

「老後破綻の2つめのパターンは、残った住宅ローンが払いきれなくなるケース。3つめは単身世帯のケースです。平成19年の『国民生活基礎調査』によると、65歳以上の女性全体における貧困率は28・1%。男性は22・9%です。ただし単身世帯にかぎると、女性は50%、男性でも40%が貧困層になるというデータがあるんです」(岩崎さん)

 貧困率とは、国民を所得順に並べ、順位が真ん中の人の半分未満しか所得がない人の割合、すなわち「相対的貧困率」のこと。単身者の場合、平成24年のデータでは122万円未満になる。今、日本の相対的貧困率は、OECD加盟国の中で第2位。すでに日本は世界でも有数の格差大国で、それは、とりわけ高齢者の間で開く一方だというのだ。

■介護サービスも受けられず

 千葉県在住の浅田容子さん(56)=仮名=の母、栄子さん(80)=同=も、夫の死後は厳しい生活を強いられた。夫は福岡で会社を経営していたが、17年前に突然死。長男が後を継いだものの、不景気のあおりを受けて倒産した。あとには数千万円の債務が残り、連帯保証人になっていた栄子さんと容子さんは、自己破産するしかなかった。

「その後は母を千葉に呼び寄せ、うちの近くにアパートを借りました。母も清掃の仕事をしていたけど、月に7万円稼ぐのがせいぜい。そのとき、まったく年金にも入っていないことを知りました。家賃が5万ですから、私が面倒を見るしかありません」(容子さん)

 栄子さんは昨年、転倒して骨折。入院中に認知症も発症した。介護認定を受けたところ、要介護1。グループホームにも入れず、自宅で見るしかないという状態になっていた。

「夫は定年になって別の仕事をしていますが、うちも生活はかつかつ。お金がないのは本当にせつない。世の中、金持ちでないとじゅうぶんな介護さえ受けられないんだと、絶望的な気持ちになりました。病院に泣きついてソーシャルワーカーに話を聞いてもらったら、介護度認定見直しによって要介護2になって。さらにケアマネージャーを紹介してくれ、生活保護を申請するよう教えてもらいました。生活保護がおりれば、グループホームの費用もまかなえる。それを知って、ようやくほっとしました」

 今、生活保護受給の報せと、グループホームが見つかるのを待っている。

「自宅で母の面倒を見ていますが、私も仕事があるので、ずっと一緒にはいられない。認知症を発症した母は人格も変わり、怒ってばかりいます。食事を用意して出かけると、『エサを食べさせられている』と文句を言うし。先日も、『いっそ殺してくれ』と言うので、『殺せるものなら殺したいわよ』と言い返して号泣してしまいました」

 容子さんの目から涙がぼろぼろこぼれる。仕事に家事に介護。自分たちの生活だけで手一杯なのに、認知症の母の面倒を見なければならないつらさが伝わってくる。それでも、母をグループホームに入れるあてができただけ、まだマシなのかもしれない。

 千葉県船橋市内の在宅介護支援センターでソーシャルワーカーをしている関山美子さんは、同様のケースが増えていると話す。

「国民年金をもらえたとしても、それだけでは生活保護以下の生活しかできません。そこから消費税や保険料を払わなくてはいけない。結果、介護サービスは、それを受けるべき状態の高齢者が受けられない。貯金を取り崩しながらつましい生活をしている高齢者は本当に多く、生活保護基準以下で暮らしている例も少なくありません。けれども、多くは『御上の世話になるわけにはいかない』『生活保護だけは受けたくない』と頑(かたく)なにおっしゃる。『誰にも迷惑をかけたくない』『貧しいのは自分の責任だ』という言葉を聞くと、とてもせつなくなります。私の立場では、お金がないために病院に行けず、介護サービスも受けられずに命を落とすくらいなら、生活保護を受けたほうがいいとしか言いようがありません」

■厚生年金をもらっていても

 昔は経済が右肩上がりで、高齢者は医療費無料という時代もあった。いざというときには子どもたちが何とかしてくれた。だが、今は子どもたちも非正規雇用が増え、生活に余裕がない。長生きする親と、不安定な生活の子どもたち。そのうち老老介護となって共倒れになる恐れもある。

 実際、高齢の母と娘が同居しているケースも増えている。娘は非正規で働きながら、体の弱ってきた母を支えるしかない。高野美穂さん(51)=仮名=が力なく口を開く。

「短大を出て就職したけど、20年前、過労で体調を崩して退職。結婚を考えていた彼ともうまくいかなくなって……。療養後、再就職しようとしましたが、不景気だったので、正社員にはなれなくて。それ以来、アルバイトでしか働いていません。今は80歳の母の国民年金と私のバイト代、合わせても20万にならない。そこから家賃を払うと、残りは11万あるかないか。光熱費や健康保険料、介護保険料を払うと、食べるのがやっとです。母も、今はまだ自分のことはできるけど、この先、病気になったらどうしたらいいのか……」

 母親が病気になったりケガをしたりすれば、一気に生活は立ちゆかなくなってしまうだろう。美穂さんはときどき将来への不安に耐えきれなくなり、過呼吸に陥ることがあるそうだ。

 では、厚生年金さえもらっていれば生活は安泰なのかといえば、そんなことはない。人生は「まさか」の連続だ。

 都内在住の坂口亮一さん(69)=仮名=は、同い年の妻と息子(40)の3人暮らし。長女は結婚して北海道にいる。

 高校卒業後、とあるメーカーに就職し、60歳の定年まで無事に勤め上げた。大手企業ではなかったから給料は高くなかったが、妻もパートで協力、ふたりの子は大学を出してやることができた。退職金は1000万円ほど。うち500万は自宅のローンの支払いに消えたが、やりくり上手の妻は800万ほど貯金をしておいてくれた。そして、坂口さんは定年後も関連会社で、嘱託として働いた。

「60代後半になったら年金も入ることだし、仕事は週に3日くらいにして、夫婦で旅行をしようと話していたんです」

 だが、65歳になり、ようやく年金が入るようになると同時に、妻が倒れた。心筋梗塞だった。手術を3回もおこなって一命はとりとめたが、入院、転院を繰り返すことになる。

「妻が入っていた医療保険は給付額1日数千円と少なく、貯金を取り崩していくしかありませんでした。しかもその頃、結婚していた息子が離婚して、ひとりで出戻ってきたんです」

 息子は自宅に帰ってくるや、仕事もやめ、ひきこもるようになった。坂口さんは妻の看病に忙しく、息子の様子にまで気が回らなかったという。

「そのうち仕事を探すだろう、今は疲れているのだろうからそっとしておこう、と思ったのが間違いでした。息子は養育費を払うと言いながら、働いてもいないから払えず、結局、私が払うしかなくなったのです」

 妻が蓄えてくれた貯金は、みるみる減っていく。そのうち、家に置いてあったお金がなくなっているのに気づいた。息子である。坂口さんは、何度も息子に「仕事を探せ」「具合が悪いなら病院へ行け」と言ったが、息子はのらくらとしているだけだった。

「妻は今、リハビリ病院にいます。高額療養費制度などを利用していますが、それでも、あれこれ含めると月に6万円以上かかります。妻が倒れてからは年金だけの生活で、月に20万円になりません。息子が払うべき養育費が月に3万円。息子にせびられて1万、2万と渡すこともあります」

 小さな声で、坂口さんは話し続けた。妻が倒れて4年で、彼自身4キロも痩せたという。食事は自炊しているが、妻の料理とはほど遠い。安い米を手に入れ、閉店間際のスーパーで安くなった総菜を買う。60代とは思えないほど皺の多い疲れた表情に胸が痛む。

■相談することもできない

「息子との諍(いさか)いも増えています。『そろそろ働いたらどうだ』と声をかけると、『仕事を探しに行くから金を貸してほしい』と言う。『ちゃんと探しているのか』と叱ると、のそっと私の前に立つんです。今にも殴られそうでね。警察にも相談しましたが、誰かに危害を加えたわけではないので、いかんともしがたいと……。こんな息子になってしまったのも、私たちのせいなんだと思います」

 預貯金はすでに200万円を切っている。妻の病気が長引けば、坂口さんの生活が破綻するのは目に見えている状態だ。

「預金通帳を見るたびに心臓がどきどきするほど、不安でたまりません。妻は私が行かないと食事もとらない。少し認知症が入ってきているかもしれない、と医者に言われました。だけど、もう看病だけしてはいられない。元いた会社にすがりついて、半年前から関連会社で週3日、働かせてもらっています。月に7万円くらいにはなるのですが、それを知った息子にせびられて困っています」

 坂口さんは大きなため息をつくと、「どうしてこんなことになってしまったのか」とつぶやいた。1000万円を超える貯金があったとしても、夫婦どちらかが大病をすれば、あっけなくなくなってしまうのが現実なのだ。

 しかも、こういったケースでは、まだ生活が完全に破綻していないので、どこかに相談することさえできない。坂口さんも、妻が倒れてからは親戚づきあいをほとんどしていないし、病院の相談窓口に行ったこともないそうだ。

「他人に迷惑をかけたくないから」

 今まで社会を支えてきた人たちが、そうやって社会と縁を絶つように孤立していく。彼の場合、息子のことも頭痛のたねだが、誰にも相談できていない。

 厚労省が目安として発表している厚生年金の平均給付額は、約22万7000円。だが、総務省の調査によれば、高齢者世帯の消費支出の平均は約23万4500円にのぼる。最低限の消費支出に、年金がついていっていないのだ。

 しかも、高齢になれば健康を損ねる確率も高くなるし、オレオレ詐欺にあったり、投資だと騙されて預貯金を預けてしまうケースも増えていると、前出の藤田さんは言う。厚生年金だけでは、不慮の事態にはとても対処できない。

 河合克義・明治学院大学社会学部教授は、根本的には、年金制度の水準が低いことが高齢者の貧困を深刻化させていると言う。

「年金額が実質引き下げられていますし、国民健康保険や介護保険など、払わざるを得ない保険料が、生活をさらに圧迫している。それを支える家族も、ぎりぎりの生活をしていることが多い。貧困状態にある高齢者は他者との交流が少なく、生きがいをもっていないケースがよくあります。人間は、ただ生きるだけではなく、たまには旅行に行ったりコンサートに行ったりするような生活をすべきなんです。それが憲法に謳われている『健康で文化的な最低限度の生活』のはず。今は、その権利が崩れ去っていると思います」

 高齢者の貧困問題は、まだまだ表層に出てきていない。しかし、ギリギリの生活に不安を抱えながら、黙って耐えている人が大勢いる。それは、明日のあなたの姿かもしれないのだ。

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* 亀山早苗(かめやま・さなえ)
1960年、東京生まれ。明治大学を卒業後、フリーライターに。幅広く社会問題に取り組む中でも女性の恋愛や生活、性をテーマとした著作を数多く刊行。『女の残り時間』『救う男たち』など著書多数。

寺田ともかさん(21)の緊急街宣アピール

衆院特別委員会で安全保障関連法案が強行採決された2015年7月15日、若者たち有志連「SEALDs KANSAI」の『寺田ともか』さん(21)が、大阪・梅田駅のヨドバシカメラ前で、緊急街宣アピールを行いました。

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「こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。

だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。

先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。

この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。

この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。

この法案を支持する人たち、あなたたちの言うとおり、テロの恐怖が高まっているのは本当です。テロリストたちは、子供は教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。

しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。

わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。

日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。

わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。

安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。

民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力がありす.あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。

安倍首相、今日あなたは、偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれど、そんな束の間の喜びは、この夜、国民の声によって吹き飛ばされることになります。

今日テレビのニュースで、東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったと見ました。足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが、暑い中わざわざ外に出て、震える声で拳を突き上げて、戦争反対を叫んでいる姿を見ました。

この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。

そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。

武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。

そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。2015年7月15日、わたしは戦争法案の閣議決定に反対します。今日の採決に反対します。ありがとうございました。

内田樹:『大衆の原像』の変遷

★大衆の変遷***「内田樹の研究室 2015/07/16」より転載

だいぶ前に吉本隆明の著作の解説に付した文章だが、「岸信介と60年安保」について言及した箇所があり、それが7月15日(註=「戦争法案」の衆院強行採決:ブログ主)のできごとに関連しているような気がしたので・・・

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「大衆」の変遷 

私自身は高校生のときから大学院生の頃まで吉本隆明の忠実な読者だったが、その後、しだいに疎遠になり、埴谷雄高との「コム・デ・ギャルソン論争」を機に読まなくなった。その消息については別のところに書いたのでもう繰り返さない。たぶんその頃、吉本がそれまで政治評論において切り札として使っていた「大衆」という言葉に不意にリアリティを感じられなくなってしまったからだろうと思う。それは吉本のせいではない。彼がその代弁者を任じていた、貧しくはあるが生活者としての知恵と自己規律を備えていた「大衆」なるものが、バブル経済の予兆の中でしだいに変容し、ついには物欲と自己肥大で膨れあがった奇怪なマッスに変貌してしまったことに私自身がうんざりしたからである。マッスに思想はないし、むろん代弁者も要さない。そんな仕事は電通とマガジンハウスに任せておけばいい。私はそんな尖った気分で吉本の「大衆論」に背を向けてしまった。

60年代に吉本隆明は「大衆の原像」というつよい喚起力を持つ言葉を携えて登場した。そして、戦前からの左翼運動が一度として疑ったことのない「革命的前衛が同伴知識人を従えて大衆を領導する」という古典的な政治革命の図式を転倒させてみせた。それはたしかに足が震えるような衝撃だった。

「庶民や大衆は、複雑な抵抗多い日常体験をもとにして、知識人、文化イデオローグ、思想イデオローグの優位に立つ可能性をもっているのが、日本の社会における特質であるということができる。」(「知識人とは何か」、『吉本隆明全集6』、晶文社、2014年、160頁)

政治的な言葉というのは、それまでは政治的知識人の専管物と思われていた。大衆がその固有の生活実感に基づいて語る言葉が政治的たりうること、そればかりか知識人よりも優位に立つ可能性を持っていると言い切った左翼知識人は吉本以前にはいなかった。

もちろん大衆の日常の身体実感のうちに潜む政治的エネルギーを功利的に活用しようとした思想家はいくたりもあった。というより、大衆の「複雑な抵抗多い日常体験」が分泌する情念をこそ日本のファシズムはその滋養としたのである。だから、誰が大衆の思想的代弁者なのかということはきわめて本質的な問いであった。戦前の左翼と右翼の間で争われたのは「大衆の思想的代弁者」を名乗る権利であり、その帰趨は周知のごとくである。

吉本の「転向論」は、なぜ戦前の左翼知識人たちがついに大衆の思想的代弁者たりえなかったのかを問うたものである。本来なら彼よりずっと年長の知識人たちが「自分の問題」として引き受けるべき問いを、吉本は転向経験を知らない世代でありながら、自らの問いとして引き受けた。

吉本隆明は敗戦の年に二十歳だった。彼よりもう少し年長の知識人たちは、戦前は「プロレタリア」の旗を振り、戦中は「八紘一宇」や「皇運扶翼」の旗を振り、戦後は「民主主義」の旗を振った。彼らはそのつどの支配的な言説になびいて生き延びた。草莽の臣として「大君の辺にこそ死」ぬことを本望としていたかつての軍国少年は敗戦をまたぐ彼らの「変節」につよい嫌悪を感じたのである。

吉本世代の経験は、喩えてみれば、生まれてからずっと閉鎖病棟の中で過ごしてきた子供が、ある日「この病棟で行われてきたことはすべて間違っていた。ここはもう閉院するから今すぐ出て行け」と言われたのに似ている。子供たちはその病棟で、少ない年数ながら、四季の移ろいを味わい、師友に出会い、恋人を思い、書を読んできた。それぞれの経験がもたらした感動は、誰が何と言おうと、本人にとっては唯一無二かけがえのないものだった。それらの経験すべてを「間違った治療行為がもたらしたものだったので、なかったことにしてほしい」と言われていきなり「なかったこと」にできるものではない。

戦後日本が「なかったこと」にしようとしている戦前の日本に吉本隆明は文字通り「自分の半身」を遺していた。それを切り捨ててしまったら、自分の半分は死んでしまう。戦前の日本に遺したわが半身をなんとか奪還し、戦後の半身に縫合しなければ、(戦場であるいは空襲で死んだかもしれない)二十歳までの自分が浮かばれない。だから、「草莽の臣」として首尾一貫していたおのれの少年時代と、プロレタリア知識人として首尾一貫していたおのれの青年期を思想的にも身体的にも架橋しなければならない。それが吉本隆明にとって個人的な喫緊の課題であり、転向論はそのための理論的基礎づけであった。

「転向論」は日本共産党の指導者であった佐野学、鍋島貞親の獄中転向の分析から始まる。吉本はこれを権力による脅迫によるものではなく、自発的なものと解した。 「むしろ、大衆からの孤立(感)が最大の条件であったとするのが、私の転向論のアクシスである。」(「転向論」、『吉本隆明全著作集13』、1969年、勁草書房、9-10頁)

佐野たちは「わが後進インテリゲンチャ(例えば外国文学者)とおなじ水準で、西欧の政治思想や知識にとびつくにつれて、日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている、田舎インテリにすぎなかった」。そして、転向とは「この田舎インテリが、ギリギリのところまで封建制から追いつめられ、孤立したとき、侮りつくし、離脱したとしんじた日本的な小情況から、ふたたび足をすくわれたということに外ならなかったのではないか。」(同10頁)

この時期の転向者たちは、獄中で仏教書や日本の国体思想についての書物を読んで、その深遠さに一驚して、一夜にして天皇主義者になるという定型を歩んだ。これを吉本は「日本的小情況への侮り」の必然的帰結と見なしたのである。 「この種の上昇型のインテリゲンチャが、見くびった日本的情況を(例えば天皇制を、家族制度を)、絶対に回避できない形で眼のまえにつきつけられたとき、何がおこるか。かつて離脱したと信じたその理に合わぬ現実が、いわば、本格的な思考の対象として一度も対決されなかったことに気付くのである。」(同、17頁)

「転向」は戦前の左翼に限られない。戦後日本においても、「転向」はその意匠を変えて繰り返されるだろう。戦後知識人たちも今はマルクスやフロイトやサルトルといった名前をちらつかせて、「日本的小情況」を軽々と乗り越えた気になっているけれども、その思想が「日本の社会構造の総体によって対応づけられない」ものにとどまる限り、いずれ「理に合わぬ現実」を突きつけられたときに、一気に転向するだろう。吉本はそう暗鬱に予言した。この毒のある予言にはっきり「否」と答えることのできる知識人はその当時の日本にほとんどいなかった。左翼知識人の多くはおのれの戦前の政治的経験を思想的瓦礫のうちに捨ててきたからである。「あれはなかったことにする」というのが彼らの暗黙の了解だった。その中にあって吉本隆明だけがその「擬制」であることを痛撃したのである。

それゆえ、吉本の転向論はリアルタイムにおける「知識人と大衆の対立」の二元論としてではなく、むしろ「戦勝国の知的・言説的支配下にある日本国民」と「忘れ去られ、誰も弔う人のいない大日本帝国臣民」の対立のうちに読むべきではないかというのが私の仮説である。

戦争が終わったとき、「大日本帝国臣民」の名において戦争の責任を引き受けると宣言したものはいなかった。戦争指導部の人々でさえ、開戦は自分の本意ではなかったという見苦しい言い訳を口にした。あの戦争には主体がなかった。戦争の主体がいないのだから、敗戦の責任者がいるはずもない。当然にも「私が帝国の統治システムの瑕疵や政策決定プロセスの欠陥について自己検証し、戦後の日本のあるべき政体を設計する」と名乗りうる戦後日本の再建主体もいるはずがない。「一億総懺悔」とはそのことである。

戦前の日本をあたかも汚物のように、悪夢のように組織的に切り捨て、忘却して、戦後の言説空間に滑り込んだ知識人たちに対して、吉本隆明はあくまで「大日本帝国臣民としての戦争責任の取り方」にこだわった。むろん、このようなスタンスでの異議申し立てをなしたのは吉本ひとりではない。大岡昇平も鶴見俊輔も江藤淳も、それぞれのしかたで「戦前に遺した半身」を戦後の我が身に縫合するという困難な仕事に取り組んだと私は思っている。

吉本の思想的オリジナリティは「日本国民」対「大日本帝国臣民」という時間軸上の(出会うことのなかったものたちの)対立を、現代における「知識人」対「大衆」の(いま出会いつつあるものたちの)対立に「ずらして」みせたことにある。

「誰が真の大衆の代弁者なのか?」という問いが切迫した政治的問いとなるのは、そのような文脈においてである。それは言い換えると(吉本自身はついに口にしなかったが)、「誰が大日本帝国臣民の日常的経験と日本国民の日常的経験を架橋し、二つの声域で同時に語ることができるか?」という問いだったからである。60年安保闘争の思想的賭け金はまさにそこにあったと私は思う。

岸信介首相は国会を取り巻くデモについてのコメントを求められて、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』が聞こえる」と言ってのけた。永田町で展開している激烈な政治闘争をよそに、銀座で買い物をし、後楽園で野球を楽しんでいる大衆はまさにその政治的無関心によって自民党政府に無言の信認を与えている。岸はそう述べて、「政治的にふるまわない人々の政治性」を政権の側に奪い取ろうとした。吉本の「大衆の原像」論は、この岸の「『声なき声』はステイタス・クオを支持する声だ」という命題をまっこうから切り立てた。

政治闘争に背を向けて、銀座で買い物し、後楽園球場で歓声を上げる人々は、果たしてその政治的無言を通じて何を言わんとしているのか。それは岸が言うように「パンとサーカス」が提供されるなら独裁も対米従属も受け入れるという退廃のシグナルなのか、それともかつて満州国経営で辣腕を揮い、戦犯として収監されながらアメリカの「エージェント」として奇跡的な復活を遂げた政治家の策謀に対する棘のある無関心なのか。果たして大衆は無言であることを通じて何を言おうとしているのか。その「無言の翻訳者」の任に誰が就くべきなのか。権力者か庶民派の詩人か、いずれがこの「非政治的大衆の無言」の代弁者の資格を占有できるのか。そのしのぎを削るような戦いこそが戦後政治思想の最前線なのだと見通した点に吉本隆明の天才性は存する。

吉本が洞察したのは「知識人」というポジションにとどまる限り、「大衆の代弁者」の地位を要求することはできないということであった。それができるのは、生活者として大衆でありながら、その日常体験を掘り下げ、汎通性のある思想の言葉に変換できるだけの知力をもった人間だけである。吉本隆明にはその責に堪えるのは自分の他にいないという自負があった。それは彼が現時的にプロレタリアであったからではない。彼は比較的富裕な下町のブルジョワの子弟であり、高等教育を受けた知識人だった。でも、彼は「戦前に半身を遺している」という点において、他の知識人に対して大きなアドバンテージがあった。彼がみずからを「ただの生活人だが胸三寸に鉄火を呑んでいる大衆」(「大衆的芸術運動について」、『吉本隆明全集6』、209頁)として任じ得たのは、「十五歳から二十歳までのあいだ太平洋戦争中、わたしはひとかどの文学青年だったが、この戦争で死んでもいいと思っていたし、またそれは平気であった」(「退廃への誘い」、同書、405頁)からである。かつて草莽の臣であったという一点において、そして、自分がそのようなものであったことを受け入れ、その意味どこまでも掘り下げようとしているという点において、吉本隆明は「大衆」と「知識人」を止揚し、「大日本帝国臣民である自分」と「日本国民である自分」を縫合するという知的冒険の先頭走者であることができたのである。

吉本隆明が政治的ヒーローであった時期に、今私がしているような言葉づかいで吉本のアドバンテージを説明した人はいなかったように思う。けれども、吉本自身は政治的前衛の崩壊という戦前の出来事とのかかわりの中でしか現在の政治状況を語ることはできないと繰り返し語っていた。

「きみはきみたち自身と歴史的にたたかったことはない。これはいいかえれば、現実をかえるために、現実的にたたかったことはないということを意味している。」(「頽廃への誘い」、『吉本隆明全集6』、403頁)吉本が革共同の学生を対話相手に想定して語ったこの言葉にある「自身と歴史的にたたかう」という言葉にこめられた深い含意に、このテクストを読んでいた当時の私は気づかなかった。

今ここに現象している空間的な対立は、歴史的な推移の中で「新たに登場してきたもの」と「姿を消しつつあるもの」の時間的な対立と置き換え可能だ、吉本はそう考えていた。彼自身がそう語っている。「歴史というもの、歴史の過去というものは、同時に地域の相違に移し変えることです。そして、逆にまた、地域の差異は、同時に時代の差異に移し変えられるということが、歴史を見ていく場合にひじょうに重要なことです。」(『南方的要素』)

大衆とは、政体の変遷にも、知識やイデオロギーの盛衰にもかかわりなく、その生活者としての揺るがぬ身体実感と経験知に基づいて「その日常的な精神体験の世界に、意味をあたえられるまで掘り下げる」(「日本ファシストの原像」、『吉本隆明全集6』、199頁)ことのできるもののことである。そのような大衆しか「戦争体験と責任の問題に対処できる」主体たりえない。「この方法だけが、庶民を、イデオローグや、イデオローグの部分社会にたいして優位にたたしめ、自立させる唯一の道である」(同書、199頁)。吉本はそう書いた。

たしかに、そう書かれると「大衆」というのは歴史的条件の変化にかかわらず相貌を変えることのない超歴史的「常数」のようなものだと私たちは思ってしまう。けれども、それはやはり違う。吉本のいう「大衆」もまた歴史的形成物であることに変わりはないのである。「戦争体験と責任の問題に対処できる」主体たりうるような「大衆」はある種の歴史的条件が整ったことによって登場し、その歴史的条件が失われたときに消失してゆく。

吉本は大日本帝国臣民という仮想的な立ち位置から戦後思想を撃つというトリッキーな戦術によって一時期圧倒的な思想的アドバンテージを確保した。しかし、吉本のアドバンテージもまた歴史的条件によって規定されたものである以上、時間の経過とともに消失してゆくのはやむを得ないことであった。日本人のほとんどが「大日本帝国臣民である生活者」たちの相貌についての記憶を失った1980年代に、日本人は吉本隆明の「大衆」という言葉が何を指示しているのかしだいにわからなくなった。そのとき吉本隆明の政治思想の批評性がその例外的な「切っ先」の鋭さを失ってしまったとしても、それは歴史の自然過程という他ない。

内田樹:「戦争法案」強行採決を承けて

★東京新聞(7月17日)掲載のインタビュー記事
***「内田樹の研究室 2015/07/17」より転載

世界平和を求めるとか、平和憲法を維持するとか、「きれいごと」を言うのはもうやめよう―。そんな不穏な心情が法案成立を目指す安倍政権を支えている。「結局、世界はカネと軍事力だ」と言い放つような虚無的な「リアリスト」の目には立憲主義も三権分立も言論の自由も法の支配も、すべて絵空事に見えるのだろう。

七十年前の敗戦で攻撃的な帝国主義国家日本は一夜にして平和国家にさせられた。でも、明治維新以来、琉球処分、朝鮮併合、満洲建国と続いてきた暴力的で攻撃的な国民的メンタリティーはそれくらいのことで消えたわけではない。抑圧されただけである。

表に出すことを禁じられたこの「邪悪な傾向」が七十年間の抑圧の果てに、ついに蓋を吹き飛ばして噴出してきたというのが安倍政権の歴史的意味である。彼らに向かって「あなたがたは間違ったことをしている」と言い立てても意味がないのは、彼らが「間違ったこと、悪いこと」をしたくてそうしているからである。

明らかに憲法違反である法案が強行採決されたベースにはそのような無意識的な集団心理がある。一部の日本人は「政治的に正しいこと」を言うことに飽き飽きしてきたのである。ただ人を傷つけるためだけのヘイトスピーチや、生活保護受給者への暴力的な罵倒や、非正規労働者のさらなる雇用条件の引き下げなどは「他者への気づかい、弱者への思いやり」といったふるまいが「胸くそ悪い」と言い放てるからこそできることである。

生身の人間として戦争を経験して敗戦を迎えた世代には、平和と繁栄という「敗戦の果実」をありがたく思う身体実感があった。占領も、属国化も、基地の存在も、「戦争よりはまし」という比較ができた。でも、そういう生活実感はもう今の人はない。平和憲法が敗戦国民どれほどの深い安堵をもたらしたか、そのリアリティがわからない。だから、憲法がただの「空語」にしか思えないのだ。

安倍首相が「戦争できる国」になりたいのは、戦争ができると「いいこと」があると思っているからではない。それが世界に憎しみと破壊をもたらすことを知っているからこそ戦争がしたいのである。彼は「悪いこと」がしたいのである。

国際社会から「善い国だが弱い国」と思われるよりは、(中国や北朝鮮のように)「嫌な国だが、怖い国」と思われる方が「まだまし」だという心情が安倍首相には確かにある。これは安倍首相自身の個人的な資質も関与しているだろうが、明治維新から敗戦までは大手を振って発揮されてきた日本人の「邪悪さ」が戦後過剰に抑圧されてきたことへの集団的な反動だと私は思う。

法案が成立すれば、海外派兵は可能になる。それでも、米国がただちに自衛隊をイラクやシリアに配備するとは私は思わない。短期的には米国にとってそれが一番利益の多い選択だが、もっぱら米国の権益を守るための戦争で自衛隊員が日本に縁もゆかりもない場所で無意味に死傷者を増やして行けば、日本国内での厭戦気分が反米感情にいきなり転化するリスクがあるからだ。

「なぜアメリカのためにこれほど日本人が死ななければならないのか?」という問いに安倍内閣が説得力のある回答ができるとは思われない。リスクを抑えて自国益を守るために、自衛隊員が死傷しても日本国民が「納得」するような用兵でなければならない。国防総省はいまそれを思案中だろう。

「戦争法案」強行採決はアベ政権によるクーデターだった!

★あれは安倍政権によるクーデターだった/石川健治氏(東京大学法学部教授)***「ビデオニュース・ドットコム 2015/07/18-23:10 配信記事」より抜粋転載

 あの日、日本でクーデターが起きていた。そんなことを言われても、ほとんどの人が「何をバカな」と取り合わないかもしれない。しかし、残念ながら紛れもなくあれはクーデターだった。そして、それは現在も進行中である。

 安倍政権は7月15日の衆院の委員会で安全保障関連法案の採決を強行し、翌16日には本会議を通過させた。国会の会期が9月27日まで延長されていることから、仮に参院が法案を議決しなくても、衆院通過から60日後には衆院の3分の2の賛成で法案は可決する。衆院では自民、公明を合わせると3分の2以上の議席を得ていることから、16日の衆院の通過を持って、事実上法案の成立は確実になった。

 これは一見、民主主義の正当な手続きを踏んでいるように見えるが、決してそうではない。今回日本の政治に起きたことは、後世にまで禍根を残すことになるだろうと東京大学法学部教授で憲法学者の石川健治氏は言う。

 その理由として石川氏は今回、安倍政権が、憲法を改正しないまま、長年にわたり憲法によって禁じていると解されてきた集団的自衛権を容認する法解釈と法整備を強行したことによって、「法秩序の連続性が切断された」と考えられるからだと説明する。

 元々安倍政権は憲法9条を改正して、日本も軍隊を持ち戦争のできる「普通の国」にしたいという野望を抱き、それを公言して憚らなかった。しかし、それを実現するために必要な国民の支持がないことがわかると、今度は憲法改正を困難にしている憲法96条を改正し、現行の3分の2から国会の2分の1の賛成で憲法改正を発議できるようにしたいと言い出した。

 憲法の条文を改正する手続きを定める憲法96条は、憲法の中では他のすべての条文よりも高い位置にある。それを壊す行為は憲法そのものを転覆させる行為であり、これを法学的には「革命」と呼ぶが、「革命」が成功するためには国民の支持が必要だ。しかし、日本国民は憲法96条の改正を支持しなかったため、「革命」は失敗に終わった。

 ところが安倍政権は今度は、国民を置き去りにしたまま、政府レベルで法秩序の連続性の破壊を図った。内閣法制局長官を集団的自衛権容認論者にすげ替え、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、政権与党のみで法案を国会を通してしまった。国民から支持を受ける「革命」に対し、国民を置き去りにした状態で法秩序の連続性を破壊する行為を、法学的には「クーデター」と呼ぶのだと、石川氏は言う。

 石川氏は今回日本が失ったものの中で、最も大きかったものは「理屈が突破されたこと」だったという。参考人として呼ばれた3人の憲法学者にことごとく違憲の烙印を押され、憲法学者はもとより世のほとんど学者も、歴代の内閣法制局長官も、こぞってこの集団的自衛権を認めるこの法案は違憲であると主張していた。こうした主張に対する政府・与党側の反論は、集団的自衛権とは何の関係もない砂川事件の最高裁判決で集団的自衛権は禁止されていないという、およそ屁理屈にもならないようなお粗末なものだった。また、今回の法整備によって日本の抑止力が高まるという政府の主張も、根本的な部分に誤謬があることも明らかになった。

 理屈の上では安保法制をめぐる安倍政権の主張は完全に敗北していた。しかし、にもかかわらず論理的に破綻している法案が閣議決定され、7月16日の衆院通過で事実上の成立が決まってしまった。

 理が通らない政策が数の論理によって押し切られてしまったことで、日本が「法秩序」を失ったことの影響は大きい。今後、この法案がもたらすであろう個別の問題を考えただけでも目眩がしそうだが、より高次元で日本の法秩序が破砕されたことの影響は恐らく安全保障分野だけにとどまらないだろう。われわれの多くが、日本という国の政治の頂点で、「理」が「無理」によって押し切られるところを目撃してしまった。これによって戦後われわれが大切に育て、守ってきた「公共」空間が壊されてしまった。

 ここに至るまで安倍政権は、解釈改憲を実現するために内閣法制局長官をすげ替えたほか、アベノミクス実現のための日銀総裁人事にも介入した。また、メディアへの圧力を強める一方で、NHK会長人事にも介入してきた。こうした行為もまた、憲法96条改正の通底するところがある。最終的に法秩序を破壊するような行為を行う上で、まず邪魔になる障害を取り除くために首相の権限をフルに活用する。法律で委ねられた権限を行使しているだけとの見方もあろうが、そもそもそうした権限が内閣に委ねられているのは、そうした個々の機関の暴走を防ぐためであり、首相の権力を私物化するためではない。それを自身の権力や権限の拡大のために利用する行為は、権力の目的外利用であり、権力の濫用に他ならない。

 今回の安保法制の事実上の成立で日本が失ったものとは何なのか。今後その影響はどこで表面化してくるのか。われわれはそれにどう対抗していけばいいのか。知性主義も立憲主義も否定したまま自身の目的達成に向けて突っ走る安倍政権と、われわれはいかに向き合っていけばいいのか・・・(後略)・・・

『お東さん』の「戦争法案」反対声明

★安全保障関連法案に対する宗派声明発表

このたび、国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、真宗大谷派では5月21日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。

**

    日本国憲法の立憲の精神を遵守する政府を願う 「正義と悪の対立を超えて」

 私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、強く反対の意を表明いたします。そして、この日本と世界の行く末を深く案じ、憂慮されている人々の共感を結集して、あらためて「真の平和」の実現を、日本はもとより世界の人々に呼びかけたいと思います。
 私たちは、過去の幾多の戦争で言語に絶する悲惨な体験をいたしました。それは何も日本に限るものではなく、世界中の人々に共通する悲惨な体験であります。そして誰もが、戦争の悲惨さと愚かさを学んでいるはずであります。けれども戦後70年間、この世界から国々の対立や戦火は消えることはありません。
 このような対立を生む根源は、すべて国家間の相互理解の欠如と、相手国への非難を正当化して正義を立てる、人間という存在の自我の問題であります。自らを正義とし、他を悪とする。これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。
 今般、このような愚かな戦争行為を再び可能とする憲法解釈や新しい立法が、「積極的平和主義」の言辞の下に、何ら躊躇もなく進められようとしています。
 そこで私は、いま、あらためて全ての方々に問いたいと思います。

 「私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか」、「過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の願いを踏みにじる愚行を繰り返してもよいのでしょうか」と。

 私は、仏の智慧に聞く真宗仏教者として、その人々の深い悲しみと大いなる願いの中から生み出された日本国憲法の立憲の精神を蹂躙する行為を、絶対に認めるわけにはまいりません。これまで平和憲法の精神を貫いてきた日本の代表者には、国、人種、民族、文化、宗教などの差異を超えて、人と人が水平に出あい、互いに尊重しあえる「真の平和」を、武力に頼るのではなく、積極的な対話によって実現することを世界の人々に強く提唱されるよう、求めます。
 

2015年5月21日
              
真宗大谷派(東本願寺)宗務総長  里雄康意

 
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