スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大阪ダブル選:株式会社化する政治

★株式会社化する政治
***「内田樹の研究室 2015/11/27」より転載

大阪ダブル選では、政策的には候補者間に大きな違いはなかった。いずれの候補者も大阪の全方位的な長期低落傾向を嘆き、再活性化の喫緊であることを訴えていた。そして、結局「大阪都構想」が再び争点になった。
ふつう半年前に否決された政策が(特段の条件の変化があったわけでもないのに)再び争点化するということはない。ということは、この選挙のほんとうの「賭け金」が政策ではなかったということを意味している。
大阪の有権者が選択を求められたのは政策の「中身(コンテンツ)」ではなく、候補者の人間性あるいは手法という「容れ物(コンテナー)」だったと私は理解している。
維新・非維新候補の際立った違いは何よりも「一枚岩の政党」の候補者か「寄り合い所帯」の候補者かという点にあった。有権者たちはその違いに最も敏感に反応した。「街の声」でも、SNSに流れた感想でも、大阪維新のアドバンテージとして「話がわかりやすい」「言うことに一貫性がある」を挙げたものが多かったし、逆に、自民党・民主党・共産党が推した候補者たちはまさに国政において対立している政党の支援を基盤にしたゆえに、いったいどのような立場を代表しているのか「わからない」という批判に終始さらされた。
有権者は「一枚岩組織」のもたらす「わかりやすさ」を選好し、「寄り合い所帯」の「わかりにくさ」を退けたのである。
この「組織のかたち」についての選好のうちに私はこの選挙結果の歴史的な意味を見る。
現代人は「一枚岩」の、上意下達でトップの指示が末端にまで瞬時に伝達され、成員が誰も命令に違背しない、そのような組織を好む。そのような組織こそが「あるべき姿」であり、それ以外のかたち(例えば、複数の組織が混在し、複数の命令系統が交錯し、複数の利害が絡み合うようなかたち)は「あってはならない」ものだと信じている人がたぶん現代人の過半を占めるであろう。
以前から繰り返しているように、この趨勢を私は「株式会社化」と呼んでいる。
CEOが経営方針を決定するというのはビジネスマンにとっては「常識」である。従業員の過半の同意がなければ経営方針が決まらないような「民主的」な企業は生き馬の目を抜くビジネスの世界を生き抜くことはできない(そもそも存在しない)。ワンマン経営者は取締役会の合意さえしばしば無視するし、株主総会は事後的に経営の成否について評価を下すが、事前に経営方針の適否について判断する機関ではない。
株式会社はトップが独断専決することを許容するばかりか、しばしばそれを理想とさえする。
トップによる独断が許されるのは、なぜか。理由は簡単である。それは経営者のさらに上に「マーケット」という上位審級が存在するからである。
経営戦略の適否を判断するのは従業員でもないし、取締役会でもないし、株主総会でもない。それは「マーケット」である。
「マーケットは間違えない」というのはビジネスマンの揺らぐことのない信仰箇条である。
そして、ビジネスマンが「マーケットの下す判断」を愛するのは、何より「マーケット」では判断が下るまでに長い時間を要さないからである。経営政策の適否は、ただちに翌月の売り上げや株価として誰にもわかる数値として開示される。
ビジネスマンにとって(もっと広く「営利企業で働く人々」と言い換えてもいい)にとってはそれが「社会というもの」である。それ以外の組織のかたちを「生まれてから見たことがない」という人さえいるだろう。例えば、子供の頃はよい成績を上げて、よい学校に進学することが「家庭という企業」の製造する製品の質を示すことになると教え込まれ、学校を卒業するときには、有名企業に入り、高い年収を得ることが「大学という企業」のアウトプットの市場での評価を高めると教え込まれた子供がサラリーマンになった場合、彼は生まれてから「そういう組織」しか見たことがない大人になる。
当然、その人は「あらゆる社会組織は株式会社のように制度化されねばならない」と心から信じる市民となるだろう。
そのような人が政治を見ると、「マーケット」は選挙だということになる。
同業他社とのシェア争いが他党との得票率争いに相当する。たしかに「マーケット」における売り上げやシェア争いと同じように開票結果は一夜でわかる。政策の良否は選挙の勝敗によって示される。それで終わりである。「その後」はない。
ビジネスマンならそう言うだろう。
けれども、この「株式会社原理主義者」たちはたいせつなことを忘れている。
それは「政策は商品ではない」ということである。
さらに言えば、「国民国家や自治体は株式会社ではない」ということである。
どこが違うのかと言えば、責任の範囲がまったく違うのである。
株式会社にとって考え得る最悪の事態は倒産である。けれども、それで終わりである。株主は出資金を失う。それ以上の責任は問われない。株式会社は世にも稀な(というか唯一の)「有限責任体」なのである。
だが、国や自治体はそうではない。それは「無限責任体」である。
国や自治体に失政・失策があれば、そのツケを後続世代の人々は半永久的に払い続けなければならない。現に、福島原発はわが国の原子力政策の失敗だが、国土の汚染と住民たちの生業喪失と健康被害は東電が派手に倒産してみせたからと言ってまったく回復されることがない。そもそも私たちは70年前に私たちが選任したわけでもない政治家や官僚や軍人たちが犯した戦争の責任を今も問われ続けているではないか。この責任追求が私たちの世代で終わるという楽観的見通しに与する日本人はごく少数であろう。
だからこそ、先人は共和政という使い勝手の悪い政体を選んだのだと私は思う。
共和政という、複数の価値観や複数の利害が絡み合うことを常態とする政体ではなかなかものごとが決まらない。けれども、なかなかものごとが決まらずにいるうちに、歴史の淘汰圧に耐え得ない空疎な政策や組織が消え失せ、生き残るべきものが生き残る。適否の判断を「歴史という審判者」に委ねることを人々は選んだ。それほどには歴史の判定力を人々が信じていたのである。
「歴史の審判力を信じる」共和主義者は形式的には「マーケットは間違えない」と信じているビジネスマンと違わない。
違うのはどれくらいのタイムスパンでことの良否を判定するか、その時間の長さである。政治については、一夜ではことの良否はわからない。吟味のためには時間がかかる。まして、選挙で相対的に多数を制した政党の政策が、選挙結果だけを以て「正しい」ものであることが確定したなどということはありえない。
共和制的な合意形成には時間がかかる。けれども、その代価として、国や自治体にどのような致命的失政があっても、それについて「私には責任がない」「ほら見たことか」と言うような市民ができるだけ出てこないように抑制することはできる。
共和制は全員が多かれ少なかれ現状に責任があるということを認め合う仕組みだからである。
「全員が政策決定がもたらす成功の恩恵も失敗の責任も等しく分かち合う仕組み」というのは、言い方を変えれば、「全員が(ろくでもない)現状に同程度に不満であるような仕組み」のことである。
私はこれを先賢が知恵が振り絞って構想した政治の仕組みだと思う。けれども、残念ながら私たちの時代にはそのような仕組みに価値を見出す人は次第に少数派になりつつある。
スポンサーサイト

高村薫の「3.11後の言葉」

★「3.11後の言葉」高村薫氏

①『高村薫さんが語る “この国と原発事故”』NHK「ニュースウォッチ9」インタビュー
(2011年5月3日)

インタビュアー(大越健介NW9キャスター)
ナレーション:*

(大越キャスター)
一進一退が続く福島第一原発。今回の事故は私たちが原子力にどう向き合うべきかを考える上で、大きな分岐点になったとも言えそうです。これまで原発を題材にした小説を発表し、その脆さや、原発をめぐる社会の歪みと言う物を問いかけてきた大阪在住の作家、高村薫さんにインタビューしました。
 
高村)25年前のチェルノブイリ原発の事故をきっかけに、原発の持つ危うさに関心を持ってきました。その5年後に発表された小説「神の火」。原発の構造を徹底的に取材し、テロや戦争に対して脆弱だと警鐘を鳴らしました。しかし今回、恐れていた事態が津波で引き起こされた意味は重いと考えています。

大越)原発がやられたんだ、と知った瞬間、どんなことを思われましたか

高村)自分が生きている間に、こう言うことが起こるとはよもや想像していなかったので、この先も日本の国が、国としての形をちゃんと保って存続できるかどうか、それくらいの瀬戸際に立たされている大きな事故だと思うんですよ

*【何故、事故は避けられなかったのか。高村さんは、非常用のポンプや電源が屋外に設置され、対策が施されていなかったことに愕然としています。】

高村)『想定外』という言葉が使われていましたけれど、今回の場合にはそもそも想定しなければならないことが想定されていなかったという意味では、『人間のやることには限界がある』以前の話で『問題外の事態』だったとわたくしは思っているんですね。『これで大丈夫だろうか』という想定をするときに、非常に恣意的に自分たちの都合のいいように作ってきたという感じがします。ですからこれはわたくしは、『科学技術のモラルの問題』だと思います。

*【さらに、高村さんが厳しい視線を送っているのは「政治」です。原発推進の是非をめぐる対立。政治家が客観的データを元に論ずるより先に、原発を「政争の具」にしてしまったと感じています。】

 村が二分され賛成反対に分かれて対立する不幸な歴史がずっと続いてきたわけですよね。その中で、本当の技術的な問題が結局誰も理解出来ないまま、あるいは正しい情報が出ないままになってきた

*【高村さんは2005年に発表した著作の中で、原発誘致に携わった政治家にこう発言させています。「電源多様化を名目に、わが国では代替エネルギーとしての原発増設に拍車がかかった。疾走する原子力事業に対して、政治は時々に正しい舵取りを成し得たのか否かだが、答えは少々心もとなかったと言わざるをえない」(高村薫:著「新リア王」より)】

高村)この日本の原子力政策が行われてきた半世紀は‘55年体制’と同時でしたので、原発の問題が常に賛成か反対かに分かれて、常にイデオロギーと一緒にされてきたんですね。それが非常に不幸なことで、わたくしたちが消費者あるいは国民として、イデオロギーや政党色を(脇に)置いて、まさに科学技術としてどのような技術的な評価が行われてきたのかを知りたいんですね。

*【そして、事故が起きた今こそ、判断に必要なデータがあると指摘しています。】

高村)この地震国で原子力発電をするときのコストを、もう一度冷静に計算する必要が絶対にあると思うんです。それは例えば、耐震化工事にかかる費用、あるいは事故が万一起きたときの保障や賠償の費用。その上でわたくしたちが、それでも原発を使うのか、それこそわたくしたちの選択にかかっていると思うんですね

*【最終的な選択を迫られるのは私たち自身だ、という高村さん。日本のエネルギー政策や暮らしのあり方が問われていると考えています。】

高村)わたくしたちが今できるのは、逃れられない現実に耐えてみつめ続けるか、あるいは目をそらしてなかった事にするか、逃げるか、なんですね。わたくしは逃げてはならない、と思いますね。現実に福島で、生まれ育った土地、仕事も家も子どもも何もかもある土地を追われて現実にきょう明日にも逃げていかなくてはならない方達がおられる。それをなかった事にして、時間が経てば元通りになるという根拠はどこにもない。

大越)これだけのことがあっても、今の豊かな電力供給を原発がになっている以上は、それに乗っかって生きていく道を無意識に選択している人達も実際多いですよね。

高村)これまでと同じように生きるという選択肢はないんだと思っています。わたくし自身は、今すぐには無理だけれども10年とかいうスパンで考えたとき、日本は(原発から)脱却をして次のエネルギー社会に進むべきだと思っています。原子力発電という技術を否定するものではありませんけれど、日本は地震国なので無理だと、そういう理由です。

大越)高村さんは、「自分は科学技術に対して全面的に信頼を持って育ってきた世代で、科学技術というものを前向きに評価している」ということでした。そこで、この震災を機に次世代のエネルギー社会を作るという夢を掲げて一歩抜け出すことを、日本は考えるべきではないかと話していました。原発を徹底的に取材して警鐘を鳴らしてきた作家の良心が、そう語っているように思えました。

◎文字起こしの引用先 http://akisadoor.blog118.fc2.com/blog-entry-102.html

②『巨大地震の衝撃・日本よ! 作家・高村薫さん』
「毎日新聞」(2011年3月17日付夕刊)から一部を紹介。

「いつも強く思うのは、原発の技術者と私たち一般人との認識の根本的なズレです。原発は実験室にあるわけではなく、一般社会のなかで住民の生命と隣り合わせで稼働している」。わが国の原発の歴史は約半世紀に及ぶ。「これほどの大事故がなかったのは奇跡です。安全性の根拠としていた格納容器に損傷の恐れが発覚した今回、私たちの社会常識の方が正しいことが明らかになった」。なぜ、「安全神話」は築き上げられたのか。「電力会社や国、政治家の責任は重い」と強い口調で訴える。

大阪府吹田市の閑静な住宅街に高村さんの自宅はある。ここで高村さんは1995年、6,400人が犠牲になった阪神大震災を体験した。以来、自然災害で失われた命について深く考え続けてきた。あれから16年。「教訓は、生かされていない。今、そう思います」

阪神大震災では、高層マンションが建つ地域で、地面が軟弱化する液状化現象が見られた。だが、東京の湾岸地域をはじめ名古屋や福岡など大都市では、タワーマンションが新たにそびえている。大阪も例外ではない。高村さんは「大阪の中心部には活断層があり、その上に主要な都市機能がのっている。東京も当然、首都機能の分散が進むと思ったら、逆に集中に向かっている」と指摘する。

国の地震調査委員会は首都直下地震について、阪神大震災(M7.3)と同規模の地震が今後30年以内に70%の確率で起きると予測、中央防災会議は最悪の場合は死者1万1,000人と予想する。

地下深く穴を掘り、建物を高層化する技術は日進月歩だ。「人間は、技術を開発すると必ず活用する。地下鉄もビルもその深さと高さを競ってきた。海抜0メートルのまちができたのも技術があるから。20世紀の文明はそのように進んできた」

高村さんは「私にはタワーマンションに住む人の気持ちがわかりません。エレベーターが止まったら、どうやって水を持ち運びするんですか。それが日本の現状です。地震に対する備えは、次の100年の暮らし方を考える一部なんです。被災していなくても、自分のことのように考えなければならない」。日本人の防災意識に疑問をなげかける。

<自分だけは大丈夫>

被災していない日本人は、自然の猛威に直面してもまた、根拠のない楽観に逃げ込もうとしているのではないだろうか。

「自然災害は人間の歴史の中では起こりうる。しかも、高齢化が進む21世紀という新しい時代は、高度経済成長期とは違う暮らしの価値観が必要だと思う。より人間のサイズに合った生活を選択する方が、より自然で無理のない社会ができる気がして仕方ない」

活断層の真上で暮らす日本人が、震災を人ごとで済まされるはずがない。島国である日本列島の海底には、多くのプレートがひずみをたたえながら潜んでいる。日本という国が存在する限り、地震という難から逃れるすべはない。

引用元 http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10880835385.html

③『原発を捨てられるか否か 未来への選択 決断の時』
北海道新聞夕刊(2011年4月20日)

未曾有。想定外。壊滅的被害。東日本大震災発生から1カ月余、私たちはどれだけこれらの言葉を繰り返したことだろう。地球規模の自然の前で人間の営みはときに為(な)すすべもないことを思い知らされてもなお、被害の大きさを捉えきれず、受け入れることもできない私たち日本人のいまの思いが、これら紋切り型の言葉に集約されている。

<中略>

今回の大震災では、福島第1原発の原子炉4基が冷却系の外部電源を失い、一部が炉心溶融に至るという最悪の原子炉災害が引き起こされた。水素爆発による原子炉建屋や、格納容器の損傷と、高濃度放射性物質の大気中や海への漏洩は、半径数十キロ圏の住民の生活を不可能にしたばかりか、飲料水や土壌、農畜産・海産物への放射性物質の蓄積が、周辺地域の生活経済を将来にわたって崩壊させようとしている。さらに、日本からの食料品の輸入禁止措置に踏み切る国が増え、観光客が消え、投資も縮小して、日本経済も当分冷えきってゆくだろう。原子力が安価な電源だというのは大嘘である。

この世界有数の地震国で、チェルノブイリと比較されるほど深刻な事故を引き起こした日本の商業原発は、もはやどんな理由をつけても、存続させるのは無理だろう。今回私たちは、原発が安全か否かという半世紀にわたる論争がいかに無意味だったかを学んだ。問題は、安全か安全でないかではない。そんなことは神しか知らないのであり、要は私たちが受け入れるか否か、だけなのだ。将来的に原発を捨てて電力不足に苦しもうとも、次の大地震と原子力災害に怯えて生きるよりはいいと思えるか、否か。いま私たちは、未来のためのそんな選択を迫られるほど決定的な地点に立っていると思うべきである。
 
このまま漫然としていては中途半端な復興と、経済の縮小衰退が待っているだけであれば、決断の一つや二つしないでどうするか。
 
私たちはいま、16年前とは比べものにならない厳しい未来を予感し、不安と不透明感に包まれている。欲しいのは小さな安心である。原発の不安が一つ取り除かれたなら、代替エネルギーへの転換に向けて多くの新産業が動きだす。それが希望を生み、被災地にも仕事をもたらす。折しも統一地方選挙が行われているが、政治家はいまこそそうした希望を語るときだろう。

引用元 http://hakodadi.iza.ne.jp/blog/entry/2271683/

④政官財界は「思考停止」高村薫さんが大阪で講演

作家の高村薫さんが25日、大阪市で開かれた関西プレスクラブの会合で講演し、福島第1原発の事故を体験しても原発から撤退しない政官財界を「思考停止している」などと批判した。原発事故の映像に「破滅の予感がした」という高村さんは「発電コストや電力の安定供給など、現実的な制約を全て勘案しても、国民の生命の安全という見地から商業原発から撤退する結論が出ると思った」。だが予想は裏切られ「当然あると思っていた『道理』がなかった」と失望した。(2011年07月25日)

引用元 http://www.47news.jp/movie/general_national/post_4626/

ふたつの講演会

★講演会を2つご紹介いたします。

①11月29日(日)午後2時からは、市民として憲法に従った民主政治を回復するため学者らの呼びかけで設立された「立憲デモクラシーの会」の地方講演会が、福岡市で開催されます。

名称:立憲デモクラシーの会公開シンポジウム安保法制以後の憲法と民主主義」
主 催:立憲デモクラシーの会
共 催:戦争を許さない県民委員会、九条の会、Fukuoka Youth Movement
場 所:福岡明治安田生命ホール(明治安田生命福岡ビル8F) 福岡市博多区中洲5-6-20

13:30~ 受付開始
14:00~ 開会のあいさつ
14:03~ 連帯のあいさつ(福岡県弁護士会)
14:10~ 基調講演Ⅰ
演題:「安倍政権と立憲主義」
講師:阪口正二郎(一橋大学:憲法学)
要旨:安保法制の違憲性を今後どのような手段で追求し続けるか。
14:40~ 基調講演Ⅱ
演題:「政治学から見た 安保法制の問題点」
講師:中野晃一(上智大学:政治学)
要旨:今回の安保法制反対運動が日本の民主政治にもたらした変化を分析。この運動の成果を今後の闘いにどうつないでいくか。
15:15~ パネルディスカッション
コーディネーター:山口二郎さん(法政大学教授)
パネリスト:井芹美瑛さん(福岡県弁護士会・戦争を許さない県民委員会) 宮下 彩さん(安保関連法に反対するママの会@福岡)熊川果穂さん(Fukuoka Youth Movement) 石村善治さん(九条の会)
16:25~ 閉会のあいさつ 
16:30~ 終了

②12月7日(月)午後6時からは、福岡県弁護士会主催の安保法廃止を目指す市民集会が、福岡市で開催されます。

名 称:「安保法の廃止を目指す市民集会」
主 催:福岡県弁護士会
共 催:日本弁護士連合会
場 所:都久志会館大ホール 福岡市中央区天神4-8-10

17:30~受付開始
18:00~ 講演
演題:「何が危険! 安保法」
講師:半田 滋(東京新聞論説兼編集委員)
要旨:安保法が運用されることになったときの危険性を解説。

中学2年生男子生徒のアピール

★青柳メール 第1678目 [ 原発とめよう!九電本店前ひろば]
***「長谷川基子(キリスト者九条の会・北九州) さん投稿分」から転載

11/20日も3時~4時半、小倉駅前で「安保法案を廃案に・・」のシール投票をしました。だんだん関心が薄れているのが分かります。でも、今日はいい出会いがありました。中学2年生の男子生徒が、アピールをしてくれました。以下はその原文です。ぜひ皆さんにも読んでいただきたいと思い、本人の了解を得て、載せました。

「はじめまして。僕たちは先日、北九州市でSEAKとして立ち上がりました。
今日はSEAKとしてではなく、一人の学生として、話をさせてください。
一気に書き上げたスピーチなので聞きにくい点もあると思いますが、聞いてください。

戦争ってなんだと思いますか
軍と軍、国と国が戦って、殺し、殺されあい、兵士だけ死ぬようなものですか?
僕は、兵士だけ殺されるのはあり得ないと考えています。
今の中東紛争地域や80年、70年前の世界のように、兵士や国民など関係なく、
罪ある者だけじゃなく、罪のない普通の人だって殺されていく。
戦争は、他人事じゃないんです。

僕は、戦争をするのは嫌です。
そりゃ自衛隊に入らない限り武器を持つことはないと思います。
でも、銃弾が飛び交い、爆弾が落ちてくるような世界を見たくありません。
何もない世界を見たくありません。
赤い血で染まる世界を見たくありません。

同級生と話をしました。
安保法ってなんだろうって。
今の憲法の戦争をしないという事と矛盾しているのではないか。
よくわからないけど戦争するようなものなのか。

中学生でも自分の意思を持っています。
是非、あなたも自分の意思を持ってください。
言いたいことがなかなか言えない世の中だから、心で意思を持つのは大切です。
安保法は廃止だ!と思うのもよし、安保法はあったほうがいい!と思うのも良しです。
他人に流されず、自分の意思を持ってください。
安保法案は可決されて2ヶ月経ちました。この機会に、自分の意思を持ってみませんか」

元イチエフ作業員が告発する残酷体験

★今年に入って4人死亡! 元イチエフ作業員が告発する残酷体験
***「週プレNEWS 11月12・13日配信記事」より転載

防護服に全面マスク姿の元原発作業員A氏。胸の透明な部分に、APDと呼ばれるポケット線量計を入れて作業に向かう

福島第一原発では、レベル7の大事故から4年半以上がたった今でも、汚染水漏れが多発するなどトラブルが絶えない。

これは、収束工事の計画自体がずさんな上、被曝を伴うため熟練作業員の長期固定化が難しく、全国から集めてきた経験の乏しい作業員に頼るしかないことが大きい。

そんな折、過酷な収束現場の状況を告発しようとひとりの作業員が現れた。その話に耳を傾けると、大量被曝する高線量エリアに人を送り込みながら、給料や危険手当のピンハネは相変わらず日常茶飯事的に行なわれていることが明らかに…。

原発の再稼働を進め、事故は「アンダーコントロール」と公言する安倍首相だが、現場の実態は何も変わっていないようだ。

***

福島第一原発の作業員といえば、給料をピンハネされるのは当たり前。危険手当も十分にもらえないのに、被曝して働けなくなれば簡単に使い捨てにされる。あまりのヒドさに現役作業員が東電や元請け企業などを提訴するケースも起き、今年9月には被曝が原因でがんを発症したとして元作業員が訴えを起こした。

作業もキツイものが多く、死亡事故や熱中症で倒れる例も後を絶たない。今年1月には福島第二原発と合わせて2日連続で死亡事故が発生。8月にはバキュームタンクのふたに頭を挟まれた作業員が亡くなり、その1週間後には作業終了後に体調不良となった30代の男性が死亡している。被曝の危険性もあるのに待遇も悪いという点では“世界一のブラック職場”といってもいいだろう。

「廃炉作業の現場で、下請けの作業員は被曝しているだけでなく、立場的にも虐げられているのが自分で働いてみてよくわかりました」

怒りの口調でこう話すのは、今年2月から福島第一原発で下請け企業の作業員として働いたA氏(48歳)だ。A氏はもともと千葉県で農業などをやっていたが、未曽有の原発事故を目にし、復興事業に貢献したいと考えて作業員を志願した。

2014年夏にネットの求人サイトで福島第一原発の仕事を見つけるが、最初からいい加減で驚くことの連続だったという。

「条件の良さそうな下請け会社から作業員として採用され、全国から集まった作業員たちと一緒に福島の元請け企業へ挨拶(あいさつ)に行った時のことです。事務所に入ると、ヤクザ口調のおやじが出てきて、持参した書類に目を通すと『おまえらダメだよ。働けないやつが何人もいる』と。

どうも、仲間の何人かは年齢や健康状態などが原因で原発に行けないらしいのです。私たちを採用した下請け会社は、原発で働けるから呼び寄せたはず。訳がわかりませんでしたよ。その場で下請け会社の担当者とそのヤクザ口調のおやじが押し問答になりましたが、こちらは所詮、下請け。仕事を東電から請けている元請けのほうが立場が強い。この時は結局、全員が仕事にありつけませんでした」

その後、A氏は別の会社を見つけ、3ヵ月契約で第一原発に入ることになった。仕事の内容は、原子炉3号機内にたまった滞留水をくみ上げるためのモーターや電源の設置だった。

「元請け企業は原発プラントを製造する東芝で、その2次下請け会社の採用です。電源設置といっても、私を含めて一緒に入社した仲間たちは電気関連の技術なんか持ち合わせていません。だから力仕事専門に雇われたようなものです」

そこで待ち受けていたのは、ぶっ倒れてしまいかねない過酷な作業だった。

「長さ30mはあるとてつもなく重い電気ケーブルを10人ほどで肩に担いで運び入れ、数人がかりでそのケーブルの束をエフレックス管と呼ばれる保護カバーに差し込みます。それらをつなぎ合わせて長さ100m以上になったら、今度は人力で持ち上げて天井や壁に固定するのです。全面マスクのせいで息苦しい上、冬場でも体中から汗が噴き出してきます。夏など熱中症が心配で、日中にやるのは無理なほどの重作業です」

爆発した原子炉建屋内は汚染水の排出ポンプから出るホースやいろいろな装置の電源ケーブルなどがはい回り、足の踏み場もない。A氏は、ほふく前進したり、辺りをよじ登りながら作業を進めた。時折、頭上にボトボトと落ちてくる水滴もあり、汚染水かもしれないと恐怖を感じていたという。

装備も重装備だ。

「手には布手袋の上からゴム手袋を2枚、さらにその上に軍手をします。足には特別な安全靴を履きますが、靴下は軍足2枚履きです。防護服も2枚重ねで着用し、顔は全面マスクで覆います。これでは指も動かしづらく細かい作業は難しいし、呼吸も制限されて息苦しい。しかし、原子炉建屋の中でもさらに危険な場所に行く作業員たちは被曝防護のために、他に重い鉛ベストを着ていました」

補足すると、原発内を飛び交っている放射線のうち、ガンマ線は厚い鉛やコンクリートぐらいでないと遮蔽(しゃへい)できない。つまり防護服を重ね着しただけでは効果がなく、Aさんら作業員の体は常時、放射線が突き抜け、被曝にさらされる状態なのだ。

それでも手袋や防護服を何重にもするのは、人体に放射性物質が付着し、作業後あちこちにまき散らさないようにするための「汚染拡散防止」のためだ。

1日に出るごみも相当な量に上る。防護服、布手袋、ビニール手袋、靴下、布帽子などは最低一日2、3着から多い時で10着程度を使い捨てる。長袖シャツと長ズボンの下着も今は洗濯しているが、原発事故から2年ほどはすべて使い捨てだった。福島第一原発だけで作業員は7千人ほどもいる。デュポンなど防護服の納入メーカーやごみの廃棄業者は、廃炉作業でめちゃくちゃ潤(うるお)っているはずだ。そうした莫大(ばくだい)な費用も税金から注ぎ込まれている。

危険な原子炉建屋の作業を請け負うA氏の被曝量は次第に増えていった。

「実働4時間ほどで、最初の1週間は日に0.01mSv(ミリシーベルト=10μSv〈マイクロシーベルト〉)程度の被曝でした。しかし、翌週はその10倍高い、日に0.1mSv、その翌週は多い時で日に0.3mSvに増えました。

3月に入ると、年度末で工期が迫ってきたこともあり、約1mSv(1000μSv)を浴びた日もありました。その日のことはよく覚えています。作業中に携帯しているAPDと呼ばれる線量計は、一定の線量に達すると段階的に警報音が鳴るのですが、この日はやけに早いのです。

おかしいなあ?と思っていると、人が入れない高線量の場所で作業をしているロボットが壊れてしまい、それを他の作業員たちが近くまで運び出してきていたのです。彼らは被曝除けに鉛ベストを着ていましたが、そんなことを知らない私たちは防護服だけ。

結局、汚染されたロボットから飛んできた放射線で予定以上に被曝してしまい、その日は作業を中止して引き揚げざるを得なくなりました。危険な場所での作業でもお互いの連絡もなく、作業員は本当に使い捨てなんだと痛感しました」

法令では、原発作業員の被曝限度を5年で100mSv、1年で最大50mSvと定めている(通常作業の場合)。ただ、元請け企業ごとに、これより低い限度を定めていることが多く、実際には年間15から20mSv程度だ。A氏はわずか2ヵ月でこの限度量に近づいてしまったわけだ。

「3月を終えた時の積算被曝量は12mSvを超えていました。東芝の定める上限が15mSvでしたので、それに近い数値です。うち10mSvほどは3月だけでの被曝。こんな大量被曝が体にいいわけはありませんが、年間の線量管理の区切りが年度末の3月で、4月からはゼロになるため、こうしたことも起きるのです。

もっとも、こんなことさえ考えず、初めから作業員を使い捨てるヤバい作業もあります。それが『ジャンパー』と呼ばれる仕事なのです」

原発事故処理作業員を「ジャンパー」と呼ぶことがあるが、ここで言うジャンパーは極めつきの危険作業を請け負う人たちのことだ。A氏が作業内容を明かす。

「一般作業員が入れない高線量の場所に進入し、通路に散乱する汚染瓦礫(がれき)を撤去して作業路を確保する。
倒れて動けなくなった偵察ロボットを起こしてくる。
超高線量の物質に遮蔽(しゃへい)板をかぶせてくるなど、危険だが誰かがやらないといけない作業の請負人です。

大量に被曝するため、5分、10分といった短時間で終わらせますが、それでも20mSvも被曝することがあります。
命をかけた仕事だから給料もその分良く、日当20万円のことも。
私たち作業員の日当が1万2千円から2万5千円ぐらいですから、それと比べると極めて高い。
でも、すぐ被曝限度に達してしまうので1日やったら終わりです。こんな仕事はまず公表されず、内々で募集されています」

A氏が話を聞いたのも、知り合いの作業員からだった。

「中堅元請け企業の東京エネシスが、このジャンパーの仕事をよく請け負い、その下請けが求人してくると話していました。
そこで働いていた人の話では、1日2時間の作業で被曝量は1.2mSv、日当は3万5千円。
これなどまだ被曝が少ないほうで、1週間限定で採用された人たちは毎日3mSvの被曝で6日働き、合計18mSvになったら終わり。
給料は30万円とのことでした。もっとヤバい作業も入ってくるというから完全に人の使い捨てです」

防護服に全面マスク姿の元原発作業員A氏。胸の透明な部分にAPDと呼ばれるポケット線量計を入れて作業に向かう

福島第一原発事故翌年の2012年、作業員の林哲哉氏が除染装置の修理のため、1時間に60mSvという超高線量の場所へ行かされそうになったことがある。
採用時に何も聞いていなかったとして、林氏が東京エネシスをはじめとする関連企業を告発し、マスコミが取り上げてニュースになった(参照記事→「福島第一原発作業員が実名告発!」)。
それから3年以上が経過しても、依然として危険な作業が残っているのだ。

A氏は3ヵ月の契約期間を終えた後も、原発作業員としての仕事をするために会社を移る。
今度の元請会社はゼネコンのS社で、契約を交わしたのはその2次下請け会社だった。

「ここの担当者も横柄で、上から目線で作業員を扱っていました。
契約は1ヵ月更新、さらに最大積算被曝量は40mSvも覚悟しておけというのです。
しかも、東電が増額した危険手当分は払わないというヒドさです。
仕事の内容は原子炉建屋周辺の汚染土をはぎ取り、それをトン袋と呼ばれる土のうのような袋に入れる仕事。

あたりは格納容器ベントをした時にいろんな核物質が飛び散っている危険な場所です。
これはえらい会社に来てしまったと思いましたが、今さら契約しないわけにはいかないのでサインしました」

東電は2013年12月発注分から、福島第一原発作業員への危険手当を日額1万円から2万円に引き上げることにした。
だが、下請け企業のピンハネによって作業員まで増額分が行きわたっていないといわれている。
そしてA氏はそれを目の当たりにすることになる。

実際、1月から働いた東芝の2次下請け企業では、日当は1万5千円だが、高線量手当は日額5千円しかつかなかった。
S社のやり方はさらに悪質だ。日額1万8千円の高線量手当を提示して批判の矛先をかわしながら、その分、日当をわずか6千円にと抑えていたのだ。福島県の最低賃金は時給689円。
8時間労働で5512円が最低日給となるため、A氏はほぼ最低賃金で世界一危険な原発収束作業をやらされていたことになる。

しかも、ここから日額2500円の寮費と食事代を会社に支払っていた。
その寮にしても「床が抜けそうな古い施設で、今年5月に火災事故が起きて死者が出た川崎市の簡易宿泊所と変わらないレベル」だったという。

廃炉までの道筋はおよそ40年。それまでには数十万人規模の作業員の力が必要となる。
しかし、被曝環境で作業をしているにもかかわらず、彼らは筆者が2012年に作業員として潜入取材していた頃と同じように十分な報酬や補償を受けられず、使い捨てのように扱われている。

今まで何人かの作業員が声を上げ、東電や元請け企業を相手取り、訴訟を起こしているケースもあるが、それでもA氏の声を聞く限り、現場の状況は何も変わっていない。結局、原発作業員は補充が利く消耗品ぐらいにしか見られていないのだ。

これでは事故現場が本当に「アンダーコントロール」されるまでに何十年かかるかわからない…。

映画『首相官邸の前で』11.29福岡上映会

★映画『首相官邸の前で』11.29福岡上映会

『単一民族神話の起源』、『<民主>と<愛国>』、『1968』などの著作で数々の賞を受けた歴史社会学者の小熊英二氏による初映像監督作品『首相官邸の前で』が、以下のように福岡でも公開されることになった。

日時:11月29日(日)、上映13:30~、トークシェア15:20~
場所:福岡市立中央市民センター視聴覚室
資料代:800円
主催:今を生きる会/玄海原発プルサーマル裁判を支える会
申込/問い合わせ:070-5276-1949(オオツ)



小熊英二監督 / オフィシャル・インタビュー

@原発事故後の東京を映像で残す

──まず映画を作ったきっかけは。

2014年の1月から3月に、メキシコの大学で講義をしました。そのときに、福島原発事故後の東京の状況を話しながら、インターネット上の映像を見せたんです。そうしたら、「とても興味深い」「全然知らなかった」という反応が多かった。それで、外国の人が観ることができる作品を作ったほうがいいな、と思ったんです。

──最初は外国の人に観せるために作ったと。

きっかけはそうです。しかし歴史家としていうと、日本では1960年代の出来事なんかも、断片的な回想記くらいしか残っていない。原発事故を東京で経験し、その後の経緯をみていて、これは記録しておかないといけないと当時から思っていました。だから社会学の立場から分析した本は、2013年に編纂して出しました。しかし、やはり映像は強いなとメキシコで実感したわけです。

──それで映像作品を作ったわけですか。

そうです。だけど、映画を作ったことはないし、映画を作りたいと思ったこともなかった。テレビ局とかが作ってくれていたら、やる必要はなかったんです。嫌味に聞こえるかもしれないけれど、「何で俺がこんなことをやらなきゃいけないんだろうな」と思っていました。

──それでも作ろうと思ったと。

ある種の義務感みたいなものはありました。まあ、歴史学者であり、社会学者ですから、記録はするべきだと思った。日本の人は自覚していないようですが、あの運動はNYのオキュパイ・ウォールストリートや日本の全共闘運動などよりずっと大規模でしたし、香港の雨傘革命や日本の60年安保闘争より成果をあげていた。それが記録されないまま忘れられるなんてことは、見過ごせないと思いました。

──「68年」より大きい運動だったとは意外です。

全共闘運動の最大の集会は、68年11月の東大安田講堂前で、2万人でした。同時期のベトナム反戦運動で最大のデモは、69年6月にべ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)などが主催したもので、参加者は7万人でした。数からいえば、20万人が集まった2012年のほうがずっと大きい。また組織動員もなく官庁街を埋め、首相と会談し、時の政権に政策を変えさせた運動など、世界にほとんど例がない。NYでも香港でも、できなかったことです。メディアが大きく報道しなかったので、それがよく知られていませんが、記録することは必要と思いました。

@誰もやらないなら、自分がやればいい

──どういう形で製作が始まりましたか。

メキシコから帰って、いまも毎週金曜にやっている官邸前抗議の主催者に相談した。彼らは協力すると約束してくれて、撮影と編集の石崎さんを紹介してくれました。それで石崎さんと2014年5月に会い、「映画を作ろうじゃないか。監督と出資は俺で、撮影と編集は君だ」と私が言って、すぐ話が決まった。

──初めての映像制作で、スタッフ総勢2名というのは不安がなかったですか。

なかったです。「これはできる」という確信は最初からあった。本を書くときもそうですけど、最初からヴィジョンが見えているときは、実際にできるものなんですよ。

──でも、学者が映画を作るなんて、と普通は思いますが。

私はバンドをやっていて、自分でCDの録音やミックスをやったり、ディストリビューターに売り込んだりしたこともあった。だから、誰かが作ってくれるのを待つより、自分でやった方がてっとり早い、という姿勢は元からありました。だいたい、「誰かが記録するべきなのに、誰もやらない。だから日本はだめなんだ」みたいな姿勢は、みっともないでしょう。「誰もやらないなら、自分がやればいいじゃないか」という方がすっきりして好きです。またバンドの経験から、人数を増やすと面倒が増えやすいし、スピード感も落ちると思っていました。

──自分で出資したんですか。

それも面倒が嫌いだったからです。誰かに出してもらったり、クラウドファンディングをやったりすると、関わる人が増えるし、時間もかかる。だったら自分で全部出した方が早い。それにインタビューとネット上の映像から作るとすれば、そんなにお金はかからないだろうとも思った。自分で録音をやった経験からいって、いまはいい機材が安いから、高いスタジオを借りたりする必要もない、とも考えましたしね。実際に、石崎さんの持っているカメラとPCで十分だった。

@フラットに歴史を記録する

──進行はどんなふうに。

まず2014年5月から6月にかけて、ネット上で映像を探しました。それをざっと構成してみたら、5時間くらいになって(笑)。それを削って1時間あまりにして、使う映像を確定した。そして映像をアップロードしていた人たちにメールを出して許諾をとりながら、2014年秋からインタビューを撮影していった。そしてインタビューと映像を構成したら、7時間くらいになった(笑)。それを削って、だいたい形になったのが2015年2月。それから微調整をしたり、音楽や英語字幕をつけたりして、2015年5月に完成しました。

──作業の分担は。

私がやったことはインタビューと、各種の渉外、そして「この映像の何分何秒から何分何秒までをここにつないで」とか指示することでした。石崎さんは、インタビューを撮影したり、映像提供者にメールを出したり、私の指示に応じて編集作業をすることだった。最終形になるまでに、何回も削ったり構成し直したりしたので、石崎さんは大変だったと思います。英語字幕は、私がとりあえずつけて、官邸前抗議に来ているネイティブの翻訳者に校正してもらいました。

──英語力がおありなんですね。

いいえ、とても褒められた英語字幕ではなかった。だけど、「ここまでは自力でやった」という姿勢を示すことが大切だと思ったんです。いきなり丸投げで「お願いします」ではなくてね。「一緒にやろうぜ。俺はここまではやったけど、君の力がどうしても必要だ」という姿勢を示すと、意外と手伝ってもらえるものだと思いますよ。

──構成で意識したことはありますか。

予備知識ゼロの人にもわかるように、ということは意識しました。外国ではもちろん、日本でもあと20年もすれば、原発事故の経緯を知らない人が多くなる。結果的に言えば、地理的にも時間的にも、現在の日本からは距離のある人々の視点に立って編集したということですね。

──たしかに、距離感があるというか、淡々とした映画ですね。

音楽をたくさん入れて扇情的にするとか、特定のメッセージを打ち出すとかは、できるだけやらなかった。学者の作る作品らしく、社会科学的な視点もまじえて、フラットに歴史を記録したつもりです。

──これまでのドキュメンタリー映画と違うと思いますか。

単純に、ネット上の映像を集めて作るというのは、10年前ならありえなかった。また普通は、誰か主役を設定して、その人の日常生活や人物紹介を映してから、事態の経緯と人間関係を描くことが多い。そういうやり方はしないで、志向や地位や出身地のちがう男女4人ずつから、集合的な経験と声が浮かび上がるようにした。それは私が社会学者であって、ドラマ作者の発想ではなかったからかもしれません。

@個人の力ではなく相互信頼の力でできた映画

──外国の人に観てもらったことはありますか。

縁があった外国の大学や学会で、上映会をやってもらいました。その時に多かった反応は、「とてもパワフルなヒューマン・ドキュメントだ」「ネット上の映像を集めてクラウドソーシングした手法が新鮮だ」といったものと、「日本人に親近感を持った」というものですね。日本人というと、感情や意見を表に出さず、何を考えているのかわからないイメージがあったけれど、それが変わったと。「これは、もう一つの『クール・ジャパン』だ」という声もありました。おそらく外国の人で、この映画を観て日本が好きになる人はいても、嫌いになる人はいないと思います。

──映像の許諾はスムーズにとれたんですか。

許諾のとれない映像は使わない方針だったし、実際に使えなかった映像もあります。だけど、みなさん予想以上に、とても協力的でした。何回連絡しても返事がないというのはいくつかあったけれど、明確に断られたのは一件しかなかった。きちんと趣旨を説明したら、たいてい快く協力してくれました。「もう誰も見なくなって埋もれてしまっているから使ってください」とか、「あなたが自腹で出資しているなら」とか、そういう反応が多かったように思います。

──そんなにうまくいくものなんですか。

ドキュメンタリー映画というのは、対象にした人々なりコミュニティなりに受け入れられて、スムーズに撮影ができるようになるまでに時間がかかるものです。だけどこの映画の場合は、インタビューした人はここ数年の出来事のなかで知りあった人たちが中心だったし、映像提供者も私のことを知っている人が多かった。その意味では、どこかの映画会社とかが、ゼロから同じことをやろうとしても、たぶんできなかったろうと思います。

──ある意味、美しい話ですね。

それはそう思います。これを言うと嘘くさく聞こえるかもしれないけれど、お互いにある種の信頼感があったと思います。映像を提供してくれた人も、インタビューに出た人も、英語字幕の校正をしてくれた人も、みんな無料で協力してくれました。この映画は、私個人の力ではなくて、そういう相互信頼の力でできた映画です。もしこの映画が人を感動させるとしたら、人間が持っているそういう力が、映っているからだと思いますね。

──映画を観た人に何を期待していますか。

観たあと、映画館で隣の人と話し合ってほしいですね。いろいろな見方ができる映画だと思います。会話を交わしてみると、感想がそれぞれ違うはずです。映画をきっかけにして、まったく知らない隣の席の人と、ふだんできない話をしてみるのも面白いでしょう。インターネットの時代でも、人間はじかに姿を見せあったり、じかに言葉を交わすことが、ほんらい好きなはずですから。

メディアが国益を意識し始めたらおしまいである

★メディアが国益を意識し始めたらおしまいである
***「シノドス 2015.10.22  池上彰×森達也 対談記事」より転載


@メディアと戦争、マスコミと「国益」という言葉 



――一九四五年の敗戦に至るまで、日本の国民は軍部や政治家、そしてマスコミにも煽られ、騙されていたと言われてきました。



森 半分は正しいけれど、マスコミが煽った理由は、国民が喜ぶからです。マーケット(国民)の支持がなければ、メディアは煽りません。結果としては国民が煽られることを望んだのです。煽り煽られという相互関係が前提です。



池上 メディアが視聴者や読者を増やすのは戦争報道です。日本放送協会というラジオ専門の放送局が戦前にありました。昔はラジオの受信機を持っている人は限られていて、受信機を持っている人が聴取料というのを払って、日本放送協会はその聴取料で成り立っていたのです。



日中戦争を報道すると、出征しているうちのお父さん、うちの夫、うちの息子たちは中国戦線でどうなっているのかと案じている人たちが聴きたがる。日中戦争の戦況を刻々と伝えるから、みんなラジオを持って、聴取料を払い、ラジオが普及していったのです。



それからいろいろな新聞が突然、イケイケドンドンになり、日本は中国大陸で勝っている、勝っていると囃はやし立てることによって部数が爆発的に増えていきました。戦争報道によって、メディアは部数を伸ばしてきたのです。



これは今も変わっていません。アメリカで一九八〇年にCNNという二四時間のニュース・チャンネルができたときは、「誰が見るんだ、こんなものは?」と言われました。実際、最初は苦戦していました。それが一九九一年に湾岸戦争が始まって、アメリカ兵が派遣される、あるいはピーター・アーネットが現地から伝えるということになって、CNNの視聴者が爆発的に増えていく。そこでCNNはようやく経営的に安定したのです。



森 日本だけじゃない。メディアと戦争はずっと蜜月です。



池上 どこも同じです。その後、一九九六年にFOXニュースという二四時間のニュース専門局ができました。CNNよりずっと右寄り・保守的・共和党寄りのメディアで、最初は相手にされていなかった。しかし、イラク戦争でアメリカがイラクを攻撃するときに、FOXニュースはアメリカ軍のことを「我が軍」と呼んだ。Our armyと言ったのです。CNNはU.S.army、U.S.air force。FOXはOur army、Our air forceだった。そこで一挙に視聴者数は逆転したのです。



それぞれの戦争報道でメディアは視聴者や読者を増やしてきた。今、日本にこれだけ新聞があるのも、過去にそういうことがあったからだということです。



森 あの時期、FOXはブッシュ政権の旗を強く振った。なぜならアメリカ国民の多くがこれを支持するからです。



池上 そうなんです。好対照だったのはCNNの姿勢です。CNNの報道の仕方で画期的だったのは、国際・外交問題をそれまではアメリカ国内のメディアではforeign affairsと言っていたのを、CNNは世界で展開するときに、「foreign(外国・他国の)という言葉を我々は使いません。international(国際的)と言います」と、変えたことです。foreignという言葉は、例えばアメリカのCBSやNBCなどの国内向けニュースでは普通に使われるけれど、CNNでは言いません。internationalを使います。これは、自国中心の視点を少しでも改めようという努力の一つです。



あるいは逆に、戦争を人気取りのために利用しなかったマスコミもあります。一九八二年にフォークランド紛争があったときのBBCです。アルゼンチンがフォークランド諸島を占領したといって、イギリス軍がフォークランドのアルゼンチン軍を攻撃した。これをBBCは「イギリス軍対アルゼンチン軍」と報道していた。そうしたら議会にBBCの会長が呼び出されて、保守系の議員から、「なんで〈我が軍〉と言わないのか? なんで〈イギリス軍〉なんて他人行儀な言い方をするのか? 〈我が軍〉と言うべきだ」と追及されました。それに対してBBCの会長はなんと言ったか? 彼はきっぱりと、「愛国心について、あなたからお説教される筋合いはない」と答弁しました。かっこええと思いました。マスコミとして毅然としていますね。



森 イラク戦争のときにもBBCは、ブレア政権が大量破壊兵器の存在について誇張したと批判した。それをめぐって政権と大喧嘩になって会長が辞めたけど、結果的にはBBCは正しかった。今の日本の公共放送と比べるとため息しか出ない。



池上 私がNHKに入った頃、政府が何かをやるときにNHKでは「我が国は」という言葉をニュースで普通に使っていました。ところがあるとき、突然「我が国は」という言い方をやめ、「日本は」「政府は」という言い方に切り替えますと、言い方を改めました。



森 池上さんが入った頃のことですか?



池上 そうです。私が入った当時、NHKはニュースで日本のことを、「我が国は」と言っていました。



森 そんな時代もあったのですか。



池上 ええ、昔はNHKニュースでは「我が国は」と言っていたのです。何年だったかな、入って地方で勤務した後に東京に戻ってきてからだから、入って十数年後、八〇年代だったと思います。その頃、突然、「これからは〈我が国〉という言い方はやめます、客観的に報道します」と方針が変わったんです。



森 言葉一つの問題ではなく、大きな転換ですね。



池上 ええ、大転換です。だから現在、NHKは絶対「我が国」とニュースでは言いません。もちろん、例えば自民党とかの発言を引くといった場合は言いますけど、NHKの地の文として「我が国」という表現は使わない。「日本は」とか「日本の政府は」と言う。ちょっとよくなったかなと思いましたね。



森 そういえば昔のNHKは、原発問題なども含めて、かなり政権と闘っていましたね。元NHKの小出五郎さんと対談したときに聞いたけれど、核兵器をめぐる番組で国会に会長が呼び出されたとき、会長は決して屈さずに現場を守り続けたそうです。政府が右と言ったものを左と言うわけにはゆかないと言った今の会長とは雲泥の差です。



スポンサーの意向云々という問題もあるけれど、市場原理がメディアには絶対働く。世界中そうです。だから公共放送は重要なんです。もっとNHKを支えるべきだといつも思っています。



池上 でも今の会長では……。



森 そうなんです。



――池上さんのご著書でアメリカのジャーナリスト、ウォルター・クロンカイトの言葉「愛国的であることはジャーナリストの任務ではない」を知りました。しかし、今の日本では、果たしてテレビでこういうことをジャーナリストが言えるのでしょうか?



森 「ジャーナリストの任務」で思いだした。テレビ東京の選挙特番です。候補者や政治家たちに池上さんが際どくて鋭い質問を繰り返したことで高く評価された。池上無双ですね。ところが池上さん自身はインタビューで、「自分がやったことはジャーナリズムでは当たり前のことで、もし評価されるのならば、ほかのジャーナリズムがダメなんじゃないの」といったことをさらりと言った。この「さらりと」が池上さんの身上です。このときは思わず拍手しました。



池上 今、メディアではさかんに「国益、国益」と言うでしょ。朝日の従軍慰安婦に関する報道について、「国益に反する」という言葉をほかのメディアが使うのは、天に唾する行為だと思います。国益を意識して、大切にしろとメディアが言い出したら、どうなるでしょうか? そもそも、その「国益」というのはいったい何でしょう? ということこそ、まず考える必要がある。



このことを考えるために重要な歴史的事件があります。かつて、ケネディ政権ができたばかりの頃に、CIAがキューバの亡命者を使ってキューバに攻め込ませる、ピッグス湾事件というのが一九六一年に起きました。あのとき、『ニューヨーク・タイムズ』は一週間くらい前に、その作戦の存在を嗅ぎ付けて書こうとしたら、政府から「国益に反するからやめてくれ」と圧力を受けて、結局、書かなかったのです。その結果、ピッグス湾事件が起きて、CIAが支援していたキューバの亡命者部隊があっという間に負けて、作戦は大失敗、政権への評価もボロボロになりました。そのときにケネディは、この侵攻作戦について「私は知らなかった」と言った。実際に、ケネディが大統領になる前から進んでいたプロジェクトでした。そして、「もし『ニューヨーク・タイムズ』が報道してくれていれば、こんなことにはならなかったのに」と、ケネディは言ったのです。



それ以来、『ニューヨーク・タイムズ』は「国益」という言葉に大変神経質になりました。政府にとって何か不都合なことを報道しようとすると、必ず政府は「そんな報道は国益に反する」と言ってくる。しかし、だからこそ、その報道が本当に国益に反するかどうかは、我々が考えなければいけない、と考えるようになったのです。ピッグス湾事件の経験があったから、ベトナム戦争の発端となったトンキン湾事件に関する極秘報告書、ペンタゴン・ペーパーズ(注)を入手したときも、国益に反するから掲載をやめろと言われたけれど、それをはねつけて報道しています。



(注)一九七一年、ベトナム戦争開戦のきっかけになったトンキン湾事件についてのアメリカ政府の秘密報告書。これを入手した『ニューヨーク・タイムズ』が内容を報道したことも大きな注目を浴び、アメリカ政府は掲載差し止め請求を起こしたが、連邦最高裁はこれを却下。ほとんどのアメリカのマスコミは『ニューヨーク・タイムズ』を支持した



メディアは国益を意識し始めたらおしまいなのです。事実を伝えることがメディアの役割です。「国益に反する」というのは、そのときの政府が何かやろうとしていることが、うまくいかなくなることです。



政府は自分がやることに支障が出れば、「国益に反する」と言うに決まっている。客観的に見て、本当に国益に反することもあったりしますが、そうではない場合がほとんどです。それは、後にならないとわからなかったりする。メディアは「国益に反するから、その報道はやめろ」と言われたときに、「そうだよね。それでは口をつぐみましょう」と従うのではなく、事実を伝えるということは、長い目で見れば、結果的に国益に資するということを肝に銘じなければいけません。噓を言ったり、知り得たことを隠したりしてはいけないということです。それがジャーナリズムのあり方です。「国益に反する」という言葉を安易に使うことは危険なことだと、私は思います。




@日本のメディアの転換点 



森 日本のメディアの歴史において大きなメルクマールの一つは、一九七一年の沖縄密約問題(注1)です。同じ年にアメリカではウォーターゲート事件(注1)があり、前年にはペンタゴン・ペーパーズのスクープがありました。いわばメディアが政権の不正行為を暴いて勝利した。



(注1)一九七二年、戦後長らくアメリカの統治が続いていた沖縄が日本に復帰になったが、実は沖縄返還にはニクソン政権と佐藤栄作内閣の間に密約が交わされていた。アメリカが支払うべき沖縄現状復帰費用四百万ドルを日本が負担、さらに有事に際しアメリカ軍が沖縄の基地に核兵器を配備すること等が含まれていた。「沖縄返還密約」とも。



(注2)一九七二年、アメリカのワシントンにあるウォーターゲートビル内の民主党全国委員会本部に盗聴器が仕掛けられようとした事件。実行犯の背後には共和党政府高官、そしてニクソン大統領の関与まで疑われる大事件に発展。ニクソンの圧力に司法・マスコミが抗し、ついに現職大統領の辞任に繫がる。この事件を追及した『ワシントン・ポスト』の取り組みは国際的に有名になり「大統領の陰謀」として映画化もされた。



ところが日本では、沖縄密約文書を入手した西山太吉さんは被告人になって有罪判決を受け、記事を掲載した毎日新聞は国民に謝罪した。有罪判決の理由は情報を漏洩したということですが、自民党のスタンスは「密約などありません」なのだから、存在しないはずの密約の情報を漏洩した容疑で有罪になっている。子どもが考えてもおかしな判決です。そしてつい最近まで歴代の自民党政権は、密約はなかったと言い続けていました。民主党政権になってやっと密約があったことが認定された。アメリカの公文書館では、日本政府から口止めされたという資料まで展示されているのに、自民党政権は密約はないと言い続けた。国民を騙し続けたわけです。



アメリカでは、ペンタゴン・ペーパーズやウォーターゲート事件を報道したニール・シーハンやボブ・ウッドワードは国民的英雄です。一方で西山さんは有罪判決で記者を辞めています。まったく同じ時期に起きたことですが、その結果には明らかに大きな違いがある。



池上 当時、毎日新聞の記者だった西山さんが、入手した情報を社会党議員(当時)の横路孝弘さんに渡して、国会で追及させたことは残念でした。でなかったら、違った展開になったかもしれない。彼は毎日新聞に小さく書いているけど、本来は毎日新聞の一面トップで展開するべき話です。



森 その問題は確かにあります。さらに、ニュースソースである女性事務官を守らなかったことも間違いです。そうした要素は確かにあったけれど、自民党政府が国民に対する不信行為をおこなったことは事実なのに、なぜメディアは追及しきれなかったのか。日米の差異の最大の要因は、国民の意識の違いです。アメリカでは、国民が『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』を応援した。政府の不正を暴くべきと世論が高まった。ところが日本では、「情報漏洩」に関わったとされた西山さんと外務省女性事務官の不倫問題にみんなが関心を向けた。



池上 ペンタゴン・ペーパーズの場合は、まず『ニューヨーク・タイムズ』が書いて、裁判所に差し止めされたら、すぐ『ワシントン・ポスト』が追っかけて報道する。今度は『ワシントン・ポスト』も差し止めをする。マスコミが次々に声を上げた。あれは凄かったですね。



森 アメリカのメディアは、思想信条が違っても、公権力に対して闘うときには連帯する。だってメディアの最大の任務は権力監視ですから。でも日本では、昨年の朝日バッシングが典型だけど、連帯どころか足を引っ張り合う。



池上 アメリカでは新聞社どうしライバルだけど、ちゃんと互いをジャーナリズムとして認めている。今、日本で見られるような他紙に対する批判のように、『ワシントン・ポスト』が『ニューヨーク・タイムズ』を批判するようなことはしません。



森 これもまた、日本ではジャーナリズムよりも企業の論理が前面に出てきている証左の一つだと思います。要するにジャーナリズムの原理よりも競争原理なのです。



■ 本記事は『池上彰・森達也のこれだけは知っておきたいマスコミの大問題』から一部転載したものです。



池上彰・森達也のこれだけは知っておきたいマスコミの大問題

著者/訳者:池上彰・森達也

出版社:現代書館( 2015-09-25 )

定価:¥ 1,512

原発輸出・原子力外交で復活する原子力ムラ

★安倍政権の原発輸出 原子力外交で復活するムラ
***「ダイヤモンドオンライン 山田厚史の[世界かわら板] 2013年5月9日」 より転載

安倍首相はアラブ首長国連邦(UAE)、トルコを訪れ原子力協定を結び、原発輸出を約束した。フクシマの惨事は原因さえ究明されていないのに。放射能汚染水は大量に漏れ収束とほど遠い。安全神話が招いた未曽有の事故はなにひとつ責任が問われないまま、原発推進体制は海外から復活する。

@「パッケージ型輸出」に原発を組み込む

「原発輸出」は6月の成長戦略に盛り込まれる。原発を前面に押し出すかどうかは未定だが、「パッケージ型輸出」という表現になるという。原発の設計・建設から運転・メンテナンスまで一括して受注する。場合によっては原発で起こした電気を使って鉄道を走らせたり、都市開発をパッケージにして途上国に売り込もうという算段だ。

 鉄道や道路など海外のインフラ建設は、それが日本が供与する円借款つきでも中国や韓国にさらわれるようになった。困難になった受注を回復すべく、街作りや事業運営など付加価値をつけ、構想段階から日本が関与する「パッケージ型」に活路を求め、そこの原発を組み込もうというのである。

 フクシマ第一原発の事故が起こる前、民主党鳩山政権でも原発推進は表舞台に上がっていた。地球温暖化対策としてCO2を大量に発生させる石油火力に代わり、2030年にはエネルギー構成の50%を原発で賄う、という方針が決まった。併せて原子力技術を日本の得意分野に育て、技術を海外に売り込む戦略が練られた。

 当時、仙谷由人官房長官を中心に官民一体の輸出体制が組まれた。キーマンが二人いた。一人は経産省事務次官から内閣官房参与になった望月晴文氏、もう一人が仙谷氏が知恵袋として重用した国際協力銀行(JBIC)の執行役員・前田匡史氏だ。望月氏は資源エネルギー庁長官を経て事務次官を3年務めた原発政策の実力者、前田氏は資源外交のプロで、海外に独自のネットワークを持っている。エネルギー政策の門外漢だった仙谷氏はこの二人を頼り、言われるがままに原発大国化へと踏み出した。

3・11が事態を振り出しに戻す。首相の菅直人は原発輸出をご破算にした。一歩間違えば首都圏壊滅という事態に肝を冷やした民主党政権は、もはや他国に原発を売り込むなどという選択の余地はなかった。

 自民党政権が復活し、喉元過ぎれば熱さは忘れる、ということか。安全は脇に置き、途上国に原発を売って日本は成長を目指すというのである。

 フクシマでは16万人が自宅に戻れない。メルトダウンした核物質はどこにあるのか分からない。地下水や海に放射能が今日も流れ出ている。爆発で屋根が飛んだ4号機の3階に、1533本の核燃料棒がプールに沈んでいる。取り出すことも、十分な補強工事も出来ないまま放置され、燃料棒が崩れ落ちれば東京は首都機能を失う恐れさえある。

@原発を巡る日米連合

 危機は隣り合わせにあるのに、何ごとも無かったかのように輸出が再開される。推進役は「原子力複合体」である。電力会社・原発メーカーなどに政治や行政が絡み合った利権システムである。

 原発メーカーといえば、米国のゼネラルエレクトロニクス(GE)とウエスティングハウス(WH)が世界の2大勢力だった。GEは沸騰水型、WHは加圧水型の原発を開発し技術で世界をリードしていた。だが米国で製造業が衰退する中で、WHは06年に東芝に買収され、GEは日立、三菱重工と技術提携して日米連合が形成された。

 ライバルはフランスのアレバ、ロシアはアトムエネルゴブロム、韓国には斗山重工がある。どこも国営で一国一社。日本は東芝・日立・三菱の三社が米国と緊密な連携で途上国市場をうかがう、という構図だ。限られたメーカーが世界市場を目指す中で、日本は原発の立地拡大、輸出ドライブという政策を打ち出した。

 半導体、コンピュータ、家電などで後退が目立つ日本の電機メーカーは重電で生き残りをかけ、米国の肩代わりともいえる原子力分野が期待を持てる、と経産省は考えた。米国との連携で貿易摩擦の心配はなく、むしろ後押しが期待できると見たからだ。

@巨大企業と政府を結ぶ「官民一体体制」

 米国副大統領だったゴアが旗を振る「温暖化対策」は、日本政府が原発推進に舵を切る絶好の口実になった。

 こうした流れは経産省内部の勢力関係を変えた。電力自由化を主張するグループが排除され、電力独占体制護持・原発推進のグループが力をつけ巨額の予算がかかる六ヶ所村の原子力燃料サイクルが強行された。

 地域独占で資金と政治力を持つ電力会社、業界の後押しで自民党内で政策を仕切る族議員、電力会社や原子炉メーカーに天下る官僚機構、そして周辺の御用学者、といった強固な権力構造が原発推進へと動き出したのが2000年代である。

 朝日新聞に連載中の「プロメテウスの罠」によると2011年2月、原発関連企業や電力会社のトップによる「原子力ルネッサンス懇談会」が発足した。会長は元東大総長で原子核物理学者の有馬朗人氏、座長が日本原子力産業会長で新日鉄社長や経団連会長を務めた今井敬氏。そして座長代理が経産次官を前年に退いた望月氏だった。原子力に群がる巨大企業と政府を結ぶ「官民一体体制」である。

 電力会社など原発業界が頼りにしてきた政治家は甘利明氏である。自民党商工族の重鎮で原子力行政に深く関与してきた。2006年第一次安倍内閣で経産相に就任、エネ庁長官だった望月氏を次官に引き上げたのは甘利氏である。甘利大臣・望月次官の時に新潟県中越沖地震が発生、柏崎刈羽原発で火災が起きた。東京電力は適切な情報開示をしなかったが、経産省は東電の勝俣社長に引責辞任を求めなかった。甘利・望月体制による甘い措置がフクシマへの導火線となったともいわれる。

 政官財一体となった原発体制は民主党政権にも引き継がれ、福島第一原発の事故で幕間に隠れたが、自民党の政権復帰で再び舞台に上がった。

 甘利氏は経済政策全般をまとめる経済再生担当相になり、望月氏は日立製作所の社外取締役に収まっている。

@米主導の核管理体制の中でビジネス

 ゴールデンウイークに大勢の財界人を引き連れて海外歴訪した安倍首相は、トルコでは原発2基を受注、UAEでも受注への下工作を行った。日本は既にヨルダンとも原子力技術協定を結んでいる。

 この地域は核開発疑惑が問題になっているイランの周辺国だ。原発建設は表向きは平和利用だが、核開発への転用が可能であることから深謀遠慮が渦巻いている。

 日本が原発に力を注ぐのは、いつでも核兵器を製造できる核燃料プルトニウムと原子力技術を持つ「潜在的核保有国」であることに狙いがある、ともいわれている。

 かつてシリアが建設中の原発をイスラエルが空爆して破壊したのも、原発技術が核に転用されることを怖れたからだ。緊張が増す中東でUAE、ヨルダン、トルコまでも原発に頼るのは「潜在的核保有」と無縁ではない。

 イスラム国家に核技術が流れることを米国は警戒している。放置すればロシアや中国が核技術を提供しかねない。そこで日本に出番が回ってきた。日立・東芝・三菱はGEやWHの現場監督のような役回りである。日本勢は米主導の核管理体制の中でビジネスをしているのが現状だ。

 核技術や核物質の監督はIAEA(国際原子力機関)の仕事だが、国家が意図的に隠そうとすれば完璧な調査はままならない。日本勢が建設から運転までを担えば情報管理はやりやすい。

 日本が成長戦略として原発輸出に励む背後には、米国が望む核不拡散=世界核支配体制の堅持という大きな絵があるということだ。

@あっけらかんとしたセールスマンぶり

 田畑も山も川も海も汚され、作物は売れず、健康まで脅かされ、暮らしは破壊された。原発はもうこりごりと思う人は少なくないが、首相は「日本の原発は世界で一番安全」と売り歩いている。「原発被害なんて早く忘れて」といわんばかりのあっけらかんとしたセールスマンぶりだ。

「原発の電気が一番安い」という幻想が崩れ、「原発を止めると電気が足らなくなる」というプロパガンダも、人々は信じなくなった。今度はアベノミクスの成長戦略にのせて「景気をよくする原発輸出」という宣伝だ。

 脱原発への流れを押しとどめようと、まず海外から外堀を埋める。よその国がこんなに頼りにする原発を、なぜ日本の皆さんはダメだというのですか、というキャンペーンである。

 原発を早く再稼働したい電力会社。投資を回収するため原発を作り続けたいメーカー、資材や部品を供給する関連企業群、原発事業を職場とする労働組合、原発産業に寄生する政治家や政党、原発を推進し天下り先を頼ってきた官僚組織、核戦略に日本の政府とメーカーを組み込んだ米国……。

 どれも半端ではない力を持った勢力が、フクシマを忘却の彼方に押しやろうとしている。

 首相は好調な支持率に乗って、ここぞとばかり時計の針を戻そうとしている。参議院選挙までは慎重に、当分は景気回復に邁進、と自らに言い聞かせているらしいが、予想外に好調な滑り出しで、憲法改正ばかりか原発復活まで持ち出してきた。

 猪瀬都知事はたったひと言で五輪誘致を失速させた。史上最高得票が自信を与え、慢心を生んだ。434万票をとった人とは思えない浅はかな言葉が、知事の馬脚を露わしてしまった。

 政治家・安倍晋三は、フクシマをどう考えているのだろう。忙しい首相の日々で、深く考えるゆとりもないのかもしれない。原子力事故は人類の教訓でもある。復活を急ぐ周囲の振り付けに乗って、無邪気に先を急ぐ政策は被災者の心を逆なでる恐れさえある。油がのっている時こそ滑り易いのが政治家である。

子どもの未来のために私たちができること

★子どもの未来のために私たちができること
チェルノブイリとフクシマから学ぶ、生命(いのち)を守るために知っておきたいこと。

●12月6日(日) 14時~16時(開場13時30分)
●ご予約1000円 当日1500円(中学生以下のお子様同伴無料、同室いただけます)
●〒803-0814 福岡県 北九州市小倉北区大手町11-4
  男女共同参画センタームーブ 5F小セミナールーム
●定員 60名 先着順

☆予約はこちらから→http://kokucheese.com/event/index/352557/

~~~~~

チェルノブイリ事故から29年たった今も、ウクライナやベラルーシでは国家予算をかけて子どもたちの長期保養を行っています。放射能はDNAを破壊。二世代、三世代にわたり、健康被害を起こしており、法律で子どもたちの避難や保養の権利が保証されています。
福島の子どもたちの甲状腺がんはすでに137人と、通常の50~70倍の発生率で、緊急に保養が必要と言われています。
また、福島から遠く離れていても、放射能は食べ物から取り込まれ、「内部被曝」を起こし、がんや心筋梗塞など、重大な健康被害の原因となります。
日本に生きるすべての人々が放射能と向き合わなければいけない時代、チェルノブイリの知見から「生命(いのち)を守るために出来ること」を一緒に考えましょう。

◆野呂美加さんプロフィール
「NPO 法人チェルノブイリへのかけはし」代表
29年前に起こったチェルノブイリ原発事故被災児童を、空気や水のきれいな日本で保養させる活動を1992年に始める。子どもたちを日本に招待し転地療養させることによって健康回復をはかる”保養里親運動”をはじめ、被災地に対して様々な救援活動を行なっている。2011年の福島原発事故後は、福島の子どもたちの保養にも取り組んでいる。
2005年、国際交流基金より「地球市民賞」受賞。

日本で一番わかりやすい「戦争」の本:「14歳からの戦争のリアル」

★日本で一番わかりやすい「戦争」の本:雨宮処凛「14歳からの戦争のリアル」
***書評 BY 冨塚元夫(たんぽぽ舎ボランティア)

◎おそらく、日本で一番わかりやすい「戦争」の本です。
 雨宮処凛さんが、イラク戦争、太平洋戦争、アフガン戦争で“戦場”を経験した人たちに聞きました、それぞれのリアルが伝わってきます。
 目次をみていただけばきっと読みたくなります。
1.イラクに行った元兵士の告白-元アメリカ海兵隊員、ロス・カプーティさんに聞くイラク戦争のリアル
2.24歳が体験した太平洋戦争-俳人金子兜太さんに聞くあの戦争のリアル
3.戦争の現場で起きていること-ボランティア活動家 高遠菜穂子さんに聞く戦場で生きる人々のリアル
4.戦争を終わらせる方法-紛争屋 伊勢崎賢治さんに聞く各国紛争地のリアル
5.月収13万円、料理人、派遣先・イラク-ジャーナリスト安田純平さんに聞く戦場出稼ぎ労働のリアル
6.徴兵拒否でフランスに逃げた若者-亡命者イ・イェダさんに聞く韓国徴兵制のリアル
7.集団的自衛権ってなに-元自衛官 泥憲和さんに聞く自衛隊のリアル
8.女優が見た戦争-女優 赤木春恵さんに聞く戦争のリアル

◎「おわりに」から抜粋
  「昭和17年に似ている」最近、新聞記者の人と話していて、そんな言葉を聞いた。現在70代後半以上の女性から、このところやけに聞く言葉だという。
 昭和17年。1942年。その前年12月に真珠湾攻撃があり、戦争が始まった。17年当時、戦争は「この国に住む人にはあまり実感がないもの」だったようである。
 残念ながら、・・「戦争が実感のない、遠い国のもの」だった時代は終わった。
  そして国内には今、「戦場出稼ぎ労働者予備軍」ともいえる人々が膨大に存在する。貧しい人を大量に必要とする戦争は、世界で最も大規模な「貧困ビジネス」だ。
 「戦争ができる法整備」を進める権力者たちは、決して自らが戦場になど行かない。行くのは、他に選択肢のない貧しい人々だけだ。
 ―長年、貧困問題に取り組んできた雨宮処凛さんの分析です。
プロフィール

としとんどん

Author:としとんどん
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。