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2月の唄:裏窓

★2月の唄:裏窓

作詞:寺山修司
作曲:浅川マキ
歌唱:浅川マキ

裏窓からは 夕陽が見える
洗濯干場の梯子が見える
裏窓からは
より添っている ふたりが見える

裏窓からは 川が見える
暗いはしけの音が聞こえる
裏窓からは
ときどきひとの別れが見える

裏窓からは あたしが見える
三年前はまだ若かった
裏窓からは
しあわせそうな ふたりが見える

だけど 夜風がバタン
扉を閉じるよ バタン
また開くよ バタン
もうまぼろしは 消えていた

裏窓からは 川が見える
あかりを消せば未練も消える
裏窓からは
別れたあとの 女が見える





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米国離れが示す「新しい戦前」

★第2次大戦前夜にそっくり!米国離れが加速する世界情勢
***「ダイヤモンド・オンライン 北野幸伯 2016/02/23 配信」記事より転載 

ここ数年、世界各国のパワーバランスが大きく変化している。中東では、米国とイスラエル、サウジアラビアの関係が悪化。一方で、長らく足並みがそろっていた米国と英国の関係にも綻びが見られる。世界の最新情勢を眺めれば、もはや「米英」「欧米」という言葉が、「死語」になりつつあることが分かる。

@燃料欲しさで中東に口出ししてきた米国はシェール革命で手のひらを返した

 今回、いくつかの世界秩序崩壊を検討するが、まずは、最新事例を考えてみよう。つい最近まで、米国の中東戦略の要だった、イスラエルとサウジアラビアを巡る大変化である。

 2003年3月20日にはじまったイラク戦争は、なんとも理不尽だった。米国が開戦理由に挙げた2つ、つまり「フセインはアルカイダを支援している」「イラクは大量破壊兵器を保有している」は、共にウソだった。

 では、米国がイラクを攻めた「本当の理由」は何だったのか?FRBのグリーンスパン元議長は、こんな興味深い「告白」をしている。

<「イラク開戦の動機は石油」=前FRB議長、回顧録で暴露[ワシントン17日時事]18年間にわたって世界経済のかじ取りを担ったグリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長(81)が17日刊行の回顧録で、二〇〇三年春の米軍によるイラク開戦の動機は石油利権だったと暴露し、ブッシュ政権を慌てさせている。>(2007年9月17日時事通信)

 なんと、グリーンスパンが「イラク開戦の動機は石油」と暴露している。続きも、なかなか興味深い。

<米メディアによると、前議長は「イラク戦争はおおむね、石油をめぐるものだった。だが悲しいかな、この誰もが知っている事実を認めることは政治的に不都合なのだ」と断言している。ブッシュ政権は、当時のフセイン政権による大量破壊兵器計画阻止を大義名分に開戦に踏み切ったが、同兵器は存在しなかったことが後に判明。「石油資源確保が真の目的だった」とする見方は根強く語られてきた。>(同上)

 イラク戦争の理由が「石油」であることは、「誰もが知っている事実」だという。これは、「陰謀論者」ではなく、「神様」と呼ばれたFRB議長の言葉だ。米国が、「石油」を理由にイラクを攻めたとなると、「ひどい話」だろう。しかし、当時「米国の原油は、16年に枯渇する」と予測されていた。もし、自国の石油が枯渇し、さらに中東から輸入できない状況になったらどうなるだろう?

 エネルギーがなければ、世界最大の経済も、最強の軍隊もまわらなくなる。そう考えると、米国が理不尽な戦争に走った理由も理解できる。というわけで、「自国の原油が枯渇する」と信じていた米国にとって、資源の宝庫・中東は、戦略的に「最重要地域」だった。そして、イスラエルとサウジアラビアは、米国の特に重要なパートナーだった。

 ところが、状況は、意外な方向に動いていく。米国で「シェール革命」が起こったのだ。これで、米国は「近い将来資源が枯渇する」という恐怖から解放された。

@米国に捨てられるイスラエルとサウジアラビア

 それだけでなく、09年には「天然ガス生産」で、ロシアを抜いて世界1位に浮上。14年には、なんと「原油生産」でも世界1位になった。いまや世界一の「石油ガス大国」になった米国にとって、「中東」は「最重要地域」ではなくなった。

 このことは、米国の外交政策を大きく変えることになる。オバマ大統領は11年11月、オーストラリア議会で演説し、「戦略の重点を(中東から)アジアにシフトする」と宣言した。

 13年9月、米国はイスラエルとサウジにとって最大の敵と言えるイランとの和解に動きはじめる。イスラエルもサウジも、必死で米国の政策に影響を与えようとした。15年3月、イスラエルのネタニヤフ首相は、なんと「米国」議会で、イランとの和解を進めるオバマを痛烈に非難し、大さわぎになった。

 しかし「自国に石油ガスがたっぷりあり、中東は重要ではない」という事実の前に、ネタニヤフの必死の訴えは無力だった。こうして、米国は、事実上イスラエルを見捨てた。「米国内で、イスラエルは最強ロビー集団である」というのは、もはや「過去の話」になった。

 さて、米国と他5大国は15年7月、核問題でイランと「歴史的合意」に至る。16年1月、イラン制裁は解除され、2月には欧州向け原油輸出が再開された。

 サウジアラビアは、どう動いたのだろうか?原油価格は14年夏まで、1バレル100ドル前後で推移していた。同年秋から下がりはじめたが、12月サウジアラビアが「減産拒否」を発表すると価格下落が加速する。そして、15年末には、30ドル台に突入した。サウジが減産を拒否した理由は、「米国のシェール革命をつぶすため」といわれている(原油が安ければ、シェール企業は利益を出せなくなり、撤退に追い込まれるという戦略だ)。

 それが事実だとしても、米国の政策は変わりそうにない。今年年初、サウジアラビアは、シーア派の指導者ニムル師を、「テロに関与した」として処刑した。シーア派イランの民衆は激怒し、テヘランのサウジアラビア大使館を襲撃。サウジは、これを理由に、イランとの国交断絶を宣言する。

 スンニ派の盟主・サウジとシーア派の大国・イランの関係が悪化し、一触即発の状況になる中、米国の対応はきわめて「冷淡」だった。

<米国務省のカービー報道官は4日の記者会見で「我々はこの問題の仲介者になろうとしているかと問われれば、答えはノーだ」と述べた。>(読売新聞1月6日)

 ここまでの流れを見れば、米国がイスラエル、サウジアラビアを、もはや重視していないことは明らかだろう。

@盛り上がる「英中の黄金時代」英国の3度の裏切りが意味すること

 ここまでは、「シェール革命」という、米国にとって「ポジティブな現象」が引き起こした変化である。ところが、08年の「100年に1度の大不況」から顕著になった、「米国の衰退」と「中国の台頭」もまた、既存の秩序を変えた。

 08年以降、米国による「一極世界」は崩壊した。現在は、「米中二極時代」である。しかも、09~15年まで、明らかに「沈む米国、浮上する中国」という関係だった。現在、世界の国々は「米国につくのと中国につくのと、どっちが得だろう?」と考えて行動している。そして、去年までは明らかに、「勝つのは中国だ。中国についた方がいい」と考える国が多かった。

 米国と「特別な関係にある」といわれる英国はどうだろうか?実をいうと、「米英は一体化して動いている」というのも、いまや過去の話になっている。ここ3年間で、英国は米国を、重要な局面で3回裏切った。

 1回目は、13年8月である。オバマは、シリア・アサド軍が「化学兵器を使った」ことを理由に、「シリアを攻撃する」と宣言していた。しかし、英議会は13年8月29日、シリアへの軍事介入を拒否。オバマは孤立し、結局シリア攻撃を「ドタキャン」して大恥をかいた。

 2回目は、15年3月。英国は、米国の制止を無視して、中国が主導する「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)への参加を表明した。これで、「雪崩現象」が起き、「AIIB」参加国は、激増していった。結局57もの国々がAIIB参加を決め、その中には、欧州のほとんどの国々、オーストラリア、韓国、イスラエルのような親米国家群も含まれている。またもや米国を孤立させ、中国に大勝利をもたらしたのは、英国の裏切りだったのだ。

 3回目は、15年12月。英国は、米国の意志に反し、「人民元をSDR構成通貨にする運動」を主導した。時事通信2015年12月5日付を見てみよう。

<◇英国は「黄金時代」に期待  しかし、審査は5年前と異なる展開をたどった。 決定的な違いは、中国の経済力に魅せられた欧州諸国が早い段階から「元のSDR採用」に前向きな姿勢を示したことだ。  特にロンドンの金融街シティーを擁する英国は「中国寄り」を鮮明にした。 10月の習主席訪英では、バッキンガム宮殿で晩さん会を開き、キャサリン妃が中国を象徴するような赤いドレス姿で歓待。 キャメロン政権は「英中の黄金時代」の演出に力を注いだ。 この英中首脳会談でまとまった商談は、中国による英原発投資を含めて総額400億ポンド(約7兆4000億円)。 さらに、英国は元のSDR採用への支持を確約し、将来のシティーへの元取引市場の誘致に有利なポジションを手に入れたとみられる。>(同上)

@チャイナマネーの台頭が「欧米」を死語にした

 英国は、ここ3年間米国を裏切り続けてきた。特に、「AIIB問題」「人民元SDR構成通貨問題」では、はっきりと米国よりも中国への配慮を優先させてきた。もはや「米英」という言葉は「死語」になりつつある。そして、「欧米」という言葉も同様だ。

 日本人は、世界でもっとも強固な関係という意味を込めて「米英」という。そして、これも「いつも一緒」という意味で、「欧米」という言葉を使う。「欧」は「欧州」で、最強国家はドイツである。「ソ連崩壊」「米国発の危機」などを予測し、「予言者」をよばれるフランスの人口学者エマニュエル・トッドは、「EU」のことを、「ドイツ帝国」と呼ぶ。

 仮に、「ドイツがEUを実質的に支配している」と考えると、ドイツ(帝国)の経済力は、米国を上回る一大勢力になる。そしてドイツも、英国と同じように「中国についた方がよさそうだ」と考えていた。ドイツ在住の作家・川口マーン惠美氏は、「現代ビジネス」1月15日付で、ドイツが「いかに親中なのか」を詳しく記している。引用してみよう。

<去年の半ばぐらいまで、ドイツメディアはとにかく中国贔屓で、聞こえてくるのは中国経済が力強く伸びていく話ばかりだった。「中国はあれも買ってくれる、これも買ってくれる」、「それも千個ではなく十万個」といった竜宮城のような話だ。>

 いつからドイツは、親中になったのだろうか?

<中国詣でを熱心にやり始めたのはシュレーダー前首相で、十年以上も前のことだが、その後を継いだメルケル首相は、最初の2年ほどはダライ・ラマに会うなどして中国側の機嫌を損ねたものの、それ以後はシュレーダー首相を超えるほどの蜜月外交に徹し始めた。>(同上)

 独中関係は、急速に深まっていき、ついに重要度は日本を追い越してしまう。

<毎年、大勢の財界のボス達を伴って北京を訪問しては、自動車を売り、エアバスを売り、ヨーロッパでは放棄した超高速鉄道も売って、「中国はドイツにとってアジアで一番重要な国」と言った。主要国サミットのニュースで聞いた、「アジアの代表は日本ではなく中国ではないか」というアナウンサーの言葉を、私は忘れることができない。>(同上)

<当然のことながらドイツでは、中国に進出しなければ時流に乗り遅れるという機運が熱病のように蔓延し、産業界はずっと前のめりの姿勢が続いた。そしてメディアが、それらをサクセスストーリーとして報道し、同時に、中国と仲良くできない日本を皮肉った。>(同上)

 このように、ドイツと中国の関係は、明らかに日本とドイツの関係より良好だ。では、米国とドイツの関係はどうなのだろうか?ドイツも英国同様、米国の制止を振り切り「AIIB」参加を決めた。「人民元SDR構成通貨」問題でも、米国の反対を無視して「賛成」している。現時点で、中国とEU最強国家ドイツの関係は、米国とドイツの関係より良好といえる。つまり「欧米」という言葉も、すでに「死語」になりつつある。

@世界秩序の崩壊スピードの速さは第2次大戦前にそっくり

 ここまでで、最近まで「伝統的」と呼ばれた関係が崩壊している状況を見てきた。

 ・米国とイスラエル、サウジアラビアの関係は悪化している。 ・かわって、米国とイランの関係は改善している。 ・米国と英国の関係は悪化している。 ・英国と中国の関係は、良好になっている。 ・ドイツをはじめとする欧州(特に西欧)と米国の関係は悪化している。 ・そして、欧州(特に西欧)と中国の関係は良好になっている。

 しかし、この新しい関係は「新秩序」ではなく、非常に変化の速い「流動的」なものだ。大国群が「親中国」になっていたのも、「金儲けをしたい」という単純な動機に過ぎない。中国経済が急速に沈みはじめた今年、欧州各国の「中国愛」も冷めていくことだろう(前述の川口氏は、ドイツの報道が「反中」に変化してきたと語っている)。

 今の日本にとって大事なのは、「世界情勢」の変化をしっかり追い、理解しておくことである。1939年8月、時の総理大臣・平沼騏一郎は「欧州の天地は複雑怪奇」という歴史的迷言を残して辞職した。翌月から第2次大戦が起こるという局面で、日本の総理は何が起こっているのか、まったく理解していなかったのだ。

 日本が負けたのは、「当然」といえるだろう。しかし、現代に生きる私たちも、当時の人々を笑うことはできない。今起こっている世界の変化は、1930年代同様に速く、不可解で、油断するとすぐ「複雑怪奇」で「理解不能」になってしまうのだから。

貧困は本当に連鎖する

★「40才のおじいちゃんおばあちゃん」が子どもの貧困を生む:*田中俊英
***「ヤフーニュース 2016年1月8日 13時44分配信」記事より転載

■本当に貧困は連鎖する

貧困は本当に連鎖する。

具体的には、10代妊娠と出産はアンダークラスには当たり前のようにある。ミドルクラス以上で生活している国民の6割程度の方には実感がないかもしれないが、アンダークラスあるいはそうした層が中心を占める高校周辺では当たり前のようにある現象だ。

そのことを倫理的に責めてもまったく意味がない。教師やソーシャルワーカーができることは、いかに安心して安全な環境の中で妊婦生活を送り、いかに安全に出産し、その後いかに母子が守られていく環境を設定できるか、ということだ。

そうした事例を何件も聞いてきて僕が思うのは、「そうして10代出産せざるをえなくなったハイティーンの、その親たちは何を思いどう動いているのか」ということだ。

社会は、10代出産という目立つ事態をまずは問う。人によっては問い詰める。教師も当然問い詰める(あるいは放置する)。

僕がいいなあと思うのは、10代妊娠の倫理性は問わず、安全な出産のフォローに徹したアドバイスをしていただける先生なのだが、そうした先生は残念ながら少数派で、多くは保守派の先生だから、10代妊婦は問われてしまう。

また、役所の職員やNPO支援者の多くもミドルクラス以上の出身の人たちで、倫理的に責め立てることはないにしても、「無意識的表情」として10代出産に疑問を投げかける。

■ひきこもりが目立ってしまう

このような10代出産は派手な現象なのでその当事者がクローズアップされ、またその背景なども考慮されるもののどうしてもその若き母親予備軍が「主役」として描かれるため、10代出産という短期スパンのなかでこの現象は捉えられてしまう。

そうすると、10代出産は、そのまったくの当事者である若き母親予備軍の問題に焦点化される。

同時に、それを生み出した具体的問題、つまりは40才前後の「若きおじいちゃんやおばあちゃん」予備軍が背景化されていく。

僕はこの頃、階層社会が固定されて問題になるのは、「親の発信力」の格差だと思い始めてきた。ミドルクラスとアンダークラスでは、親のもつ「ことばの数」が違う。

たとえばミドルクラスの典型問題である「ひきこもり」と、アンダークラスの典型問題である10代出産と貧困の連鎖を比べてみると、「ことばが多い(発信力のある)」ミドルクラス親がやはり目立つ。

上のような10代出産問題の当事者の1人かもしれない、「若きおじいちゃんやおばあちゃん」は 言葉豊富なミドルクラス親と比べて残念ながら発信力があまりないため、またこの問題の勉強会等への参加率も低いため、問題の深刻さのわりにはその深刻さが潜在化していき、ひきこもりに負けてしまう。

社会が中流社会であるうちは誰も異を唱えなかったが、国民の4割がアンダークラスになったいま、そうもいかなくなっている。

■40才前後の若い祖父祖母たち

が、相対的貧困者が2,000万人いるいま、当然10代出産も激増しているはずでその事実は現場支援者しか把握していないいま(これまた問題なのだが現場支援者は発信しない)、問題を「若き母親予備軍ハイティーンの個人的ヒストリー」の問題にしてはいけない。

問題は、そうしたハイティーン出産を準備してしまった周囲の環境、具体的にはその親(40才前後)と親周辺の人間関係と、その親達をとりまく経済環境と、その経済環境を準備してしまった国のあり方にいきつくはずだ。

僕が警戒しているのは、10代出産のような目立つ話題にはその出産する当事者に世間は飛びつき、その背景を捨象すること。

最大の問題は現代のグローバリゼーションを生み出した歴史そのものではあるが、それを言ってしまっても仕方がない。だから、これまた「個人」の問題にならないよう注意深く言葉を選んで言うと、やはりそこには「親」の問題がある。

親と言っても、貧困問題の場合、それはかなり若い。

親が子と同じように10代で出産していたとすると、まだ40才にも到達していない。

いま「ニート」の定義は39才までなしくずしにずらされてしまったため(大阪府)、日本の若者の定義は40才頃までになってしまったが、ここでいう10代出産の親のそのまた親たちのおじいちゃんおばあちゃんたち(ややこしくてすみません)もそうした「若者」と変わりない。

それら「若きおじいちゃんおばあちゃんたち」がたくさんの問題を抱えながら潜在化、見えない存在になっている。

つまり、階層社会の最大の問題は、「40才前後の若い祖父祖母たちが社会的に見えないこと」のように僕には思われる。

10代出産はその意味で、「子が10代出産に至ってしまった環境を用意せざるをえなかった40才前後の親問題」を焦点化する絶好のイシューだ。

*田中俊英:子ども若者支援NPO法人代表(02〜12年)のあと、2013年より一般社団法人officeドーナツトーク代表。子ども若者問題(不登校・ニート・ひきこもり・貧困問題等)の支援と、NPOや行政への中間支援を行なう。03年、大阪大学大学院「臨床哲学」を修了。主な著書に、『ひきこもりから家族を考える』(岩波ブックレット)ほか。京都精華大学非常勤講師「こころと思想」。13年、内閣府「困難を有する子ども・若者及び家族への支援に対する支援の在り方に関する調査研究企画分析会議」委員 、14年はユースアドバイザー講師(内閣府、広島ほか)。

人生のスタートから借金漬けになる学生たち 

★大学というブラックビジネス 人生のスタートから借金漬けになる学生たち 
***「*千田有紀のTokyo日記 2016年2月11日」より転載

体調を崩して大学を辞めたいという学生の奨学金の書類を見て驚いた。月々10万円、4年間で合計480万円を借りた結果、金利は3パーセントで、最終支払額が700万円を超えている。日本学生支援機構で借りた奨学金である。日本学生支援機構は、以前は日本育英会だった業務を引き継ぐ独立行政法人であり、大学生がまず奨学金を申し込むのは、ここである。

暗澹たる気持ちになった。就職先もなく、働ける見込みもないまま、結局700万円以上の借金を背負い、この学生の将来はどうなるのだろう。まさにマイナスからのスタートである。現在私が借りている住宅ローンは、変動金利とはいえ、金利が1パーセントを超えたことはない。住宅を購入するための金利をはるかに超える金利が、教育を受けるために課されている。驚くべきことではないか。もちろん成績優秀であれば、無利子で借りることも可能ではあるのだ。しかしそれだからこそ、有利子で借りる学生は「自分の力が及ばなかった」と自分を責めやすい。

教授会には、授業料の延滞者のリストが回ってくる。授業料の遅延者の氏名を知ったあと、どうするかは悩ましい問題だ。保護者のまったくのミスで授業料を払い忘れ、退学になった例もあるからである。しかし先生から、「授業料が振り込まれていないんだけど」とは言いにくい。毎回出てくる氏名には、気が付かないふりをするしかない。

かつて授業料を払えない保護者のために、大学がローン会社と提携して、紹介することになった。しかしすぐにそれはあまり意味がないことが判明した。大学の授業料を滞納する保護者の多くはすでに債務者であり、ローン自体が組めなかったのである。

考えてみれば当然である。親にとって、子どもの授業料はなにはともあれ払ってあげたいものだろう。それを滞納しているのだから、相当に行き詰っているのだ。

私自身は大学教育に意味があると思っている。それまでの教科書に沿った暗記が主となる授業とは違い、自分で考えること、批判的な精神、自由な想像力、そして一般的に教養と呼ばれるもの、そういうものを身に着けることができるところが大学である。もちろん、それは高校でも可能ではあるし、大学を出たからといってできるひとばかりではないだろう。それでも多くのひとが働いているなかで、4年間、いっけん「無駄」とも思える時間を過ごさせてもらうことは大切なことであると思っているのだ。そう思わなければ、大学の教員などやってはいない。

しかしこれほどの借金を背負ってまで行く価値のあるものかと問われると、歯切れは悪くならざるを得ない。以前のように高卒でも、きちんと職がある時代も終わった。大学を出ていたほうが、まだ有利ではあるだろう。しかし大学を出たからと言って、職があるという保証もない。この奨学金は、運よく一流企業に就職できたならば返還できる額だろうが、そうでなかった場合には、マイナスからのスタートである。まさに博打としか言いようがない。勤務校の名誉のために言っておけば、自分がかつて受けてきていないほどのきめ細やかな指導がなされているし、授業料以上の教育がなされていることは自負している。そこは自信をもって断言できる。しかし裕福ではない層にとって、大学進学自体があまりのリスクを抱え込むことになってきている。

私が大学教員になれたのは、日本学生支援機構の前身の日本育英会の奨学金のおかげである。借りた期間は短いものの、数百万円の奨学金を「貰う」ことができた。大学の先生という免除職につき、15年間連続して勤務した結果、返還義務がなくなったのである。かつての大学院の進学者を支えていたのは、この日本育英会の奨学金とこの免除規定である。しかし免除職の規定はなくなり、日本育英会もなくなった。小泉政権の「改革」の一環である。当時、「まだ公平な奨学金制度はなくすべきではない。社会の公正、格差の問題なのだ」と言ってはみても、「あんたみたいに貰い逃げする人間がいるから、無駄で不平等な制度だ」と周囲の反応は鈍かった。制度の改変とその結果の出現には、タイムラグがある。

近年は、「できる」学生は損得勘定をして大学院を選択しなくなってきた。優秀な人材が大学教員などにはならず、民間に流れる潮流は歓迎すべきことなのかもしれないが。

奨学金を貰ったあとの重苦しい気持ちは、いまでも覚えている。博士論文を書くときに逡巡したのは、論文内容よりもまず、博士号を貰ってしまい学籍を抜いてしまったあと、2年間で就職できるかどうかだった。2年間のうちに就職がなければ、免許規定が適用されず、職がないまま返還が始まってしまう。数百万円の借金を返還しながら、東京でひとり暮らしをしつつ、学業を続けていけるだろうか。心細さで、押しつぶされそうだった。働きたい気持ちはあった。でも就職先がない。

多くの学生に同じような気持ちを味あわせているとしたら――内心忸怩たる思いである。日本の大学の授業料の高さは、世界的にも異常である。ヨーロッパはほぼ無料に近い。しかも上昇を続けてきた国立大学の授業料を、私立大学並みにするという。日本の大学授業料の公費負担は32.2パーセントにすぎない。OECD諸国の平均は、72.6パーセントであるというのに(授業料や奨学金についての文部科学省説明資料はこちらを)。成績優秀な学生にひらかれていた、せめてもの進学機会すら、奪われようとしている。望ましい社会制度についての構想力を、私たち皆がもつ必要があるのではないだろうか。

【追記】幾人かのひとから、「金利3パーセントというのは理論上の話で、実際に適用される金利はもっと低いことが日本学生支援機構のHPに書いてあります。訂正してください」というお知らせをいただいています。私は実際に退学する学生の書類を見て、3パーセントの金利が適用されて返済額が700万円以上になっていることに驚愕し、むしろ後からHPで「確かに上限は3パーセントなのか」と確認しました。学生のプライバシーにかかわりますから具体的な状況は申し上げられませんが、複雑な事情のせいかもしれません。しかしもしも仮に金利が変動した場合の最大値が700万円越えだったとしても、困難な状況のなかで、印刷された書類で「その数字」を突きつけられた学生の絶望感は、想像してあまりあります。私も呆然としました。やはり奨学金というからには、無利子であることが望ましいという思いには変わりがありません。

【さらなる追記】日本学生支援機構に電話をしてたずねようと思っていたのですが、実際に勤務されていたという方からご連絡をいただき、ご教授いただきました(ありがとうございます)。貸与終了時の書類には、確かに利率3パーセントのケースが記入されているようです。なぜなら金利が変動した場合、3パーセントまで行く契約をしたのだという事実を踏まえ、最悪の可能性を伝えているということのようです。私も奨学金の専門家ではなく、書類をみて驚きました。実際にこれまでは最大利息の3パーセントが適用されてはいないということにホッとしたと同時に(過去ギリギリでも2パーセントを超えていないので)、誤解を招いたとしたら謝罪いたします。学生さんでも3パーセントの利息が適用されているとおっしゃっている方がいらっしゃいましたが、この書類をみれば、確かにそう思うかたもいるでしょう(仮に本当に3パーセントの利率が適用されることがないという前提に立てば)。ほかの民間の奨学金が3パーセントの利率をはるかに超え、留年した場合に返還の猶予もない(したがって成績優秀者以外は恐ろしくて推薦できない)ことに比較すれば、日本学生支援機構は「良心的」な奨学金ということが可能なのかもしれない。とまで書いて、やはり、そう書かざるを得ない日本社会の現状にため息をつかざるを得ない気持ちが正直なところです(2016.02.13)。



*千田有紀 :(武蔵大学社会学部教授)1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

「人は平等に命を救うべき」それは絶対的な正義なのか?

★高齢者は適当な時に死ぬべきなのか?
***「ダイヤモンド・オンライン 2016/02/09 by 竹井善昭」より転載

 今回は、人の「生き様」について考えてみたい。「生き様」という言葉は今の日本ではほとんど死語になってしまっていると思う。だが最近も、女性支援プロジェクトを通じて「女子とは、女性の生き様のことだ」ということに気づき、あちこちでその話をしているが、そんなときに決まってこんな質問をされる。「それって、女性の生き方とどう違うの?」と。

 簡単に言えば「生き方」とは生きるための方法論だが、「生き様」とはどう生きるかの表現論だ。「女子」とは「女性の、あるひとつの表現論」である。表現論であり表現スタイルであるので、年齢は関係ない。だから、50代女子とか60代女子というものも成立する。このあたりはいずれ詳しく論じたいと思うが、つまり今の日本では「生き方」と「生き様」の違いもわからなくなってしまっているということだ。

 しかし今の日本にこそ、この「生き様」という言葉を復活させるべきだと思う。高齢化社会がますます進むこの日本という国においてそれは重要な課題だし、もっと議論されるべきではないのか――。僕自身、そのことについてずっと考え続けていて、当連載でも何度か触れたことはある。だが最近、作家の曽野綾子氏の発言が話題(というか騒動)になったこともあり、今回改めて論じてみたいと思う。

 この騒動は、曽野氏が1月24日付の産経新聞で書いたコラムと、それを受けた形で週刊ポスト2月12日号に掲載された記事が発端となったものだ。産経新聞のコラムでは、曽野氏が「90代の高齢者がドクターヘリを要請した」という話を引き合いに出し、「何が何でも生きようとする利己的な年寄りが増えた」と指摘。それを受けて週刊ポストが付けた記事タイトルは、「高齢者は“適当な時に死ぬ義務”を忘れてしまっていませんか?」というものだ。

 この発言をめぐって、まるで「老人は早く死ね!」と言っているかのように捉えた人も多いようで、「Twitterでは批判続出」と報道するネットニュースもあった。一方、意外にも「2ちゃんねる」の関連スレッドでは曽野さんの発言に同感する発言が多いという印象。反対に、ブログには批判的な内容のものが多いように見える。

 ちなみに当記事では曽野氏の発言の是非は論じない。ただ、彼女の発言を批判しているブログにはある共通の(社会貢献の視点から見て)誤謬が見られるので、それはここで正しておきたいと思う。

@「人は平等に命を救うべき」それは絶対的な正義なのか?

 僕が指摘したいポイントは大きく2つある。

 まず1つ目は、曽野氏へ反論する人たちの論拠だ。おそらくその反論の背景には、「高齢者だろうが何だろうが、人は平等に命を救うべき」という思想があると思う。「それが絶対的な正義である」と疑ってかかったことがない、という印象だ。

 しかし、これは少なくとも欧米一般の考え方とは異なる。これについては以前に、当連載の第115回でもお伝えしたことがあるが、欧米ではいわゆる「寝たきり老人」がいない。それは生きる力をなくした老人は「殺してしまう」からだ。たとえば、イギリス、デンマークなどでは自力で食事ができなくなった高齢者に対し、延命のための胃ろうは施さない。スウェーデンも同様。また、肺炎を起こしても抗生剤の注射はしないという。ニュージーランドでは、ある年齢(たしか75歳だったと記憶している)を越えると病気になっても治療しないそうだ。つまり、「人間は死ぬべき時に死ぬべき」という考え方だ。

 こうした国では、90代の高齢者のためにドクターヘリを飛ばすのか飛ばさないのか、脳血栓で倒れた高齢者を救急車が病院に搬送するのかしないのか、そこまで詳しくはわからないが、前述した基本的な考え方から言えば、曽野氏の主張のようにドクターヘリや救急車の出動を拒否してもおかしくない話である。

 このようなことを書くと「かわいそう」という感情から反発する読者もいるかと思うが、「かわいそう」という感情は極めて主観的なもので、往々にして当事者の意向を無視して「自分の正義の押しつけ」になりがちだ。「高齢者のドクターヘリの要請を批判すること」に対して反論する人たちには、「人は誰でも生きたいと思っている」という認識がベースにあると思うが、それでは世の中にたくさんいるかもしれない「1日も早く死にたい」と考えている老人たちの苦しみについては全く視野に入っていないとも言える。

 曽野氏が引き合いに出したドクターヘリを要請した90代の高齢者にしても、ヘリを要請したのが一体誰だったのかは報道からは判別できない。当人は脳血栓や心臓麻痺で意識を失っていて、家族が要請したことも考えられるわけで、むしろ常識的に考えてその可能性のほうが高いだろう。もしそうであれば、ドクターヘリで搬送されたことが当人にとって本当にラッキーだったかどうかは、当人にしかわからないことだ。

@「社会に貢献していない人たち」という誤解

 そして、僕が指摘したい2つ目のポイントは、彼らの主張のなかにある「社会に貢献していない人は死ねと言うのか?」という点。これも「かわいそう」という「正義」による誤謬だ。ここで言う「社会に貢献していない人」は現役引退した高齢者だけでなく、障害者や引きこもりの人たちを想定していると思われる。そしてその根底には、「社会に貢献していない人たちはかわいそう」という感情が潜んでいる。しかしこれはある種の差別意識だし、このような当事者を無視した同情、憐みが、逆にひどい差別を生むこともある。

 たとえば、昔の日本では障害者は「かわいそうな人たち」であり、そのような人たちを働かせることは「虐待」だと考えられていた。だから、障害者は家に閉じ込めて何もさせないことが正しいことだと考えられていた。だが、今は違う。ご存じのように、今の障害者支援のメインテーマは「障害者雇用」だ。障害者の人たちに、いかに多くの働くチャンスを提供するか、働く場を作るかがテーマだ。もちろんこれは、日本の労働力不足のために行政の都合でそうなったわけではない。障害者自身が働きたい、社会に役立つ人間になりたいと願うからこそ、そこを支援する人たちが増え、障害者雇用が障害者支援のメインストリームになったのだ。

 障害者支援の最前線を走る株式会社ミライロの垣内俊哉氏は、かねて「バリアフリーからバリアバリューへ」と提唱している。これはすなわち「障害者には特有の価値があり、その価値を高めていける社会にしよう」という主張だ。ここでいう「価値」とは、何かの形で社会に貢献できるということだ。障害者は健常者の庇護や支援を受けるだけの存在ではない。自らが何かの価値を生みだせる存在なのだ、という思想である。どのような人間にも価値はある。それは、「人は誰でも社会に貢献する力がある」ということだ。

 曽野氏を批判するブロガーの多くは「社会に貢献していない人は死ねというのか?」と怒るが、僕自身は社会に貢献できなくなったらとっとと死んでしまいたいと思っているし、これまでの社会貢献活動でわかったことだが、社会に貢献していないと思われている当事者のほとんどが「社会に貢献できる人間になりたい」と願い、そうなれない自分に苦しんでいる。

 社会貢献の本質は、尊厳を奪われた人たちが尊厳を取り戻すためのお手伝いをすることだと僕は思っており、それは高齢者に対しても同じだ。ちなみに僕の父親は75歳まで船乗りとして働いていたが、高齢のために引退した後、ボランティア活動をやろうとして近所の市民団体のボランティア募集に応募したのだが、高齢を理由に断られた。昔の男らしく、その話を淡々と語ってくれた父だったが、社会貢献を標榜して活動している僕はその話を聞いてとてもいたたまれない気持ちになった。なぜなら、自分の父親がまるで「あなたはもう社会からは必要とされてない人間です」と、こともあろうにボランティア団体から突き付けられた気がしたからである。

 と話がそれて恐縮だが、ともあれ後期高齢者だって社会に役立ちたいと考えている人間は多いし、人間はいくつになっても可能な限り社会に貢献して生きていくべきだ。たしかに曽野氏の今回の表現には、僕も多少疑問を感じる部分もある。大作家に対して僭越ではあるが、もっと違った伝え方をすればよかったのに、とも思う。「高齢者は適当な時に死ぬ義務がある」ではなく、「死ぬ覚悟を持て」と言っていれば、もっと真意が伝わったのではないだろうか――。

 しかしどのような表現であれ、それに批判するにせよ賛同するにせよ、言わんとしていることの本質を汲み取る「リテラシー」は必要だと僕は思う。

@「覚悟」をまっとうする最期を迎えるということ

 ちなみに、「生き様」ということに関して言えば、僕は昨年、父と母の両方を亡くした。父親は一昨年の夏、末期癌が発見され、余命4ヵ月と宣告された。昔の日本男子らしく恥を知っている父親は、自分がただ死を待つだけの存在になってしまったことを恥じて、病院のスタッフに恐縮しまくって入院生活を送り、医者の予告通り、ほぼ4ヵ月後の昨年正月に静かに息を引き取った。死ぬ前日、家族で見舞いに行ったのだが、そのときはもうほとんど意識がなかった。それでも、娘に対してかすかな声で「ありがとう」と言ってくれた。父親の最後の言葉である。

 母親も3年くらい前から認知症を発症し、自宅で転倒し腰を骨折したせいか、身体もすっかり弱り、ほとんど寝たきりの状態だった。父親が亡くなって以降、認知症は進み、身体もさらに弱った。昨年春頃からは自力で食事ができなくなり、点滴で栄養を補給。しかし、ついにそれもできなくなり、鼻に経管をしていた。認知症患者が経管をすると自分で外してしまうことがあるので、そうさせないために大きなミトン(手袋)をはめられていた。母親はそれを嫌がり何度も外してくれと僕や弟に懇願していたが、そうすると母親は栄養がとれなくなってしまう。なので、僕らはミトンを外せなかった。

 しかし、やがて経管も難しくなり、医者からは胃ろうを打診された。いろいろ悩んだが、胃ろうには問題も多いと聞いていたし、昔から母親は「チューブだらけの身体になってまで生きていたくない」と言っていたこともあり、医者と相談して胃ろうはしないことにした。そして、経管も外すようにお願いした。つまり、延命処置を拒否した。僕は、ある意味で母親をここで死なせよう、殺そうと決意したのだ。

 医者は苦渋の表情を浮かべながら、「(経管を外したら)もったとしても夏くらいまでかなあ」と言いながら、経管を外すことに同意してくれた。そのことを母親に伝えた時、ほとんど意識のなかった母親の目から涙が溢れてきた。その涙を見て、僕は自分の判断が間違っていないと確信した。たいした親孝行もできていなかった僕だが、最後に少しだけ親孝行ができたのではないかと思っている。親の死期を決めることが、親孝行になることもあるのだ。医者の予告どおり、母親も8月の暑い日に息を引き取った。仲の良い夫婦は片方が死ぬと残されたほうも後を追うように死ぬと言われるが、まさにそんな死に方だった。

 つまり僕は、今回の曽野氏のエピソードを借りれば、母のために「ドクターヘリを要請しなかった」ことになる。でも、それは正しかったと思っている。父も母も古き良き日本人の「覚悟」というものを持っていた人間だったからこそ、その覚悟をまっとうするような最期を迎えるための手助けができたという意味で。

吉森康隆さんの意見陳述書

★陳 述 書 : 2016 年 2 月 5 日  佐賀地方裁判所 御中  

住所:佐賀県唐津市       
氏名:吉森康隆

1. このたび、本法廷において意見陳述の機会をいただきました吉森康隆と申します。 68 歳です。1947 年吉森養蜂場創立の年に生まれました。 唐津市の山手に住んで、この 40 年間養蜂業を生業とし、生計を立ててまいりまし た。食べ物を作る、いわば第一次産業の立場からプルサーマルを含む、原子力発電に ついての私の思いをこの機会に述べさせていただきます。
養蜂場ではさまざまな蜂蜜を取り扱っています。春から夏にかけて菜の花、れんげ、 みかんの花や自然林の花、つまり樹木の花からミツバチは蜜を集めます。循環する農 業と里山によってこの仕事は支えられておりますが、一方、花粉交配によって農業を 支えている、とも言うことができます。つまり農業とは共存共栄であるということで す。近年環境破壊や農薬の影響によりミツバチは減少していますが、ミツバチの飛び 交う環境は、人間にとっても住みやすい環境である言って良いと思います。 私の仕事はこの緑の環境と水と農、それらを土台として成り立つものです。 日々の作業を続けながらこの地域が持続可能であり、この仕事がこの先も続けてい けるよう願いながらの毎日です。 東京電力福島第一原発事故では、その自然と農が壊されてしまいました。事故から 5 年が経とうとする今も、又、この先何十年にもわたって放射能の被害は続く事でし ょう。

2. 私の働く現場から玄海原発が見えています。経済、そしてエネルギー優先の光景が、 棚田という、人が遠い時間をかけて作りあげてきた風景の向こうにそびえたっていま す。 福島原発事故後、福島では野菜農家が自ら命を絶ちました。そして私と同じ畜産農 家のひとりもまた同じ運命を辿りました。同じ食べ物を作る立場である私にとって他 人事とは到底思えません。直接的には我々農家が影響を受けることになるのでしょう が、その影響は食べ物を通して日本のみならず世界中に広がってしまうことになりま す。 食べ物によって取り込まれた放射能はその種類によって体の各部位に蓄積します。 放射能を含んだ落ち葉がそこにあったとしても通り過ぎれば、その場では被曝は少な くて済むかもしれませんが、放射能がいったん口や鼻から体に取り込まれると、一定 期間体のその場にとどまり、至近距離で放射線を出し続けます。 放射線が染色体や体の細胞を傷つけ、さまざまな疾患の原因になることは今や広く 知られているところです。子供たちへの影響は大人の数倍とも言われさらに重大さを 増して行くことでしょう。

3. 1986 年のチェルノブイリの事故後、日本のさまざまな食品流通機関により放射能 が水際でチェックされていたのを、我々は忘れていません。 風や水といったものだけではなく、市場原理によっても放射能は拡散することを 我々は見てきました。汚染食品が安く買い叩かれ流通してしまうこともありうること でしょう。産地が偽装されたり隠されたりしていた事実も報道されておりました。 さて日本での現状はどうでしょう。 水道水は福島原発事故前の放射線量が、0.00004Bq/L(※)だったのに対し、 10Bq/L(25 万倍)が基準とされ、お米は事故前の放射線量が0.0124Bq/L だ ったのに対し、事故後100Bq/L(8300 倍)が基準だと、国民が知らないうちに決 められていました。こんな状態で毎日の買い物ひとつにも産地は一体どこなのか、と 神経質にならざるを得ません。 命を軽んじた経済復興に何の意味があるのだろう、というのが私の率直な思いです。

4. 最近、仕事での技術交流のためアジアに行く機会を得ました。印象深かったのは日 本にも影響が及んでいる大陸の公害の霞がヒマラヤも覆い隠すほどアジア全体を覆 っていることでした。翻ってわが国の福島原発事故の対処、その後のあり方に思いが 及び呆然としました.福島では多くの放射能が太平洋に落ちました。偏西風を通じ、 又海流を通じて他の国に迷惑をかけ続けているのが現状です。他の国をとやかく言え る立場ではありません。

5. 玄海原発で事故が起きれば、私の生きる基盤である唐津の海、山、大地は奪われて しまうことでしょう。私はこれからもみつばちを伴侶として暮していけるよう願って います。地道に農に生きる者の人格権をどうぞ守ってください。
私は今、司法のみがこの国を立て直すことができると信じています。どういった力 にも影響を受けず歴史を立て直す判断の力です。それは生命の側に寄り添った、やさ しくも力強いものに相違ありません。 自然と農、すなわち命のための判断を下されるようお願いして、陳述を終わります。

(※)セシウム 137 の値。福島原発事故前は明確な基準値がなく、全国の食品のセシウム平均値が示されている。
事故後は厚生労働省の平成 24 年度基準値。 出典:日本分析センター平成 20 年度事業報告書 http://www.jcac.or.jp/uploaded/attachment/57.pdf

都会に生きる「路上料理人」に見る覚悟と現実

***「ヤフー!ニュース 2月4日(木)14時55分 配信記事」より転載

東京有数の歓楽街「新宿」。その周縁に位置する公園に、彼は暮らしている。いや、正確に言うと暮らしていた。そんな一人のホームレスを「現代の狩猟採集民族」と題して最初に報じたのは、かのニューヨークタイムズだった。ホームレスが私たちよりも充実した食生活を送っているとしたら驚くだろう。路上料理人と呼ばれる、一人のホームレスの日常を追った。(ノンフィクションライター中原一歩/Yahoo!ニュース編集部)

@「路上料理人」と呼ばれる男

午前5時。ホームレスのサトーの朝は、公園に備え付けられている水道で5合の米を研ぐことから始まる。歳の頃は60過ぎだろうか。前掛けをして慣れた手つきで炊事をこなすその立ち姿からは、彼が路上生活者であることは全く想像できない。短く整えられた毛髪。健康的で血色の良い面立ち。足元こそ使い古された運動靴であるが、彼は路上を根城とする者特有のすえた臭いを微塵も感じさせない。

サトーは仲間から「路上料理人」と呼ばれている。なぜならば、境遇を同じくするホームレスのために1日2回、食事を提供しているからだ。その腕は街場の料理人にも劣らないと評判だ。サトーには日課がある。それは「お品書き」を書くことだ。取材に訪れたある日はこんな具合だった。

7月×日晴れ
 朝食「ごはん」「あさりの味噌汁」「おでん」「納豆」「浅草のり」
 夕食 「ごはん」「刺身・タイ、中トロ、ブリ」「タラバガニの味噌汁」「ホウレン草の胡麻和え」

何しろそのお品書きのレパートリーには驚かされる。「すき焼き」や「鍋焼きうどん」、洋食の定番である「コロッケ」や「ビーフシチュー」なんて日もある。食事は朝と夕の1日2食で300円。働きに出ていることを条件に、周囲で暮らし、境遇を同じくするおよそ10人の食事の面倒をみている。

「昔はよう、ここにも大勢の仲間がいたから発電機たいて天ぷらやったり、みんなで餃子を包んで焼いたり、焼肉なんかはお手の物だったな」

驚いたのは自ら書いたお品書きを片手に自転車で行く食材調達だ。サトーはそれを「エサとり」と呼んで笑う。

「俺らはよう、金はないから食材はもらってくるんだ。肉は焼肉屋。魚は居酒屋。酒は某居酒屋のチェーン店。もう長い付き合いだから、まだ食べられる材料を取っておいてくれる。東京の街は冷たいとか言う人もいるけど、捨てたもんじゃないよ」

ここから先は勘弁して欲しいと歓楽街の入り口で別れた。しばらくして、ポリ袋いっぱいの食材をもったサトーが姿を現した。面白いのは、サトーの手に渡るものは、魚であればタイとかマグロなどいずれも「高級魚」だということだ。

「ここ最近、ずっと景気が悪いでしょ。年末をのぞくと、いつも高い魚が売れ残る。時にはウニとか、鮑とかもらうこともあるよ。年寄りだから、本当はサバとかイワシとか、庶民的なものが好物なんだけどなぁ」

ポリ袋の中身を覗くと脂が乗った上等なブリの切り身だった。値札には「1180円」の文字。こうした生鮮食品は閉店と同時に廃棄される。この日のブリは、ブリ大根に化けた。サトーの食事を食べている60代のホームレスの男性は、献立の豊富さに、まるでデパートの大衆食堂のようだと舌をまく。

「自分の境遇を卑屈に思わない日はない。とくに一人で、賞味期限の切れたパンなど冷たい飯を食べる時にそう思う。けれども、ここでは毎日の食事が楽しみで仕方がない。味だって、そこらへんのお店に負けてないと思うよ」

@「生活に必要なものは全て路上にある」

次に向かったのは個人経営のスーパーマーケット。ここではちゃんと買い物をする。調味料のほか、路上料理人には欠かすことのできないあるものを購入するのだ。

「拾った鍋でも、包丁でも丹念に磨けばピカピカになる。けれども、カセットコンロのガス、そして、冷蔵庫代わりの『かち割り氷』。この二つだけは絶対に路上にはない。だから貴重品なんだ」

生活必需品の情報は空き缶拾いに出る仲間が教えてくれる。サトーの「エサとり」に同行して驚くのは、ゴミとして廃棄される食品の半端ない量である。調理に必要な鍋やフライパンなどの道具はいくらでも路上で手に入る。それらは、まだ使えるにもかかわらず、私たちが廃棄処分したものばかりだ。サトーには、路上で生きる上での覚悟がある。

「俺らは地べたに捨ててある生ゴミには一切手を出さない。ゴミ箱も漁らない。ホームレスというだけで、汚いと偏見を持つ人がいるけれども、保険証がない我々にとって健康は第一。下手なものを食べるとそれこそ命取りになる」

@「木の下の自慢のマイホーム」

サトーの家は、公園のはずれにある桜の木の下にあった。桜の幹を利用してロープをひっぱりテントの要領で3畳ほどの住居にしている。この一帯には8棟のビニールハウスがあるがサトーの家はその中でも一番貫禄がある。

中に入ると手前にキッチン。フライパンや鍋などの調理道具に交じってしょうゆやみりんなどの調味料が整然と並んでいる。足元にはじゅうたんが敷かれ、一番奥に布団。氷の入った発泡スチロールの箱が冷蔵庫代わりだ。

「味噌も毎日同じだと飽きるから何種類もあるよ。酒は焼酎だけどもっぱらお湯割り。ここでの生活の楽しみは競馬と懐中電灯片手に読む時代小説かな」

そういえば、ラジオからは四六時中、競馬中継が流れている。どうやら競馬歴は路上生活よりも長いらしい。サトーは賄(まかな)い夫仕事で、1日3000円程度の収入を得る。1カ月でおよそ9万円。そこから生活用品を差し引いた4万円程度が自由になる現金だ。サトーはそのほとんどを競馬につぎ込む。

@「仲間の食べ物の好き嫌いを献立に反映する」

サトーはホームレスになる前の境遇を決して口にはしない。そもそもサトーというのが本名なのかどうかも分からない。知り得た情報として、大手運送会社に勤めていたが、バブル崩壊で社内の大リストラのターゲットとなり職を失った。それがきっかけで家族と離別し路上へ。母親が料理上手だったので幼い頃から一緒に台所で手伝っていたそうだ。路上に出て15年。もう、昔を知る縁はない。 
数カ月に一度、行政の担当者が生活保護を申請しないかと訪ねてきて「路上からの脱出マニュアル」という小冊子を置いてゆく。けれどもサトーは、自分がホームレスとは思っていない。事実上の「家」もあるし、家族同様の仲間もいる。健康のことだけ心配だが、路上を脱しようとは思わないと語る。

「人の世話になる歳ではなくなった。それに、あいつらに飯食わせてやんなきゃならない。お金と家さえ手に入れば人間は幸せなのか? そうでないことは、路上生活をはじめて初めて身にしみたよ」

サトーのキッチンには、面倒をみるホームレスの好き嫌いを記したメモが貼られている。そして、食事を届ける度に仲間の生活の様子や健康状態を気遣い相談に乗る。サトーは仲間思いなのだ。

@公園は孤独のふきだまり

ホームレスを取り巻く現実は厳しい。

手配師と呼ばれる日雇い仕事のあっせん業者も減り、身寄りのない中高年に加え若年層のホームレスも急増した。休日ともなれば100名を超えるホームレスが、市民団体が行う炊き出しに列を作る。支援者の一人は言う。

「先の見えない孤独と不安。それらを紛らわすため酒に溺れアルコール依存症に陥るホームレスが多い。路上で死んでも身内に連絡する術もありません」

しかし、サトーの周りには不思議と悲そう感は漂わない。ホームレスとして路上で生きると覚悟を決めているからだ。それに彼を慕って訪ねてくる客人が多いからだ。

「近くで事件が起きると警察の兄ちゃん。競馬仲間はもちろんの事、公園の清掃係の人がまだ使えるものを届けてくれるよ。それから取材陣。そうそう、ある有名なタレントもロケでやってきて、カレー食べて帰ったな」

公園で暮らしていると家出をして無一文になった若者や派遣切りで職を失って放浪する元OLにも出くわす。そんな時サトーは彼らにそっと声をかけ、場合によっては相談に乗ることもある。

「このテントから公園を眺めていると何か抱えている人間はすぐわかるよ。人間は生きる上で必ず悩みを抱えている。中でも、三度の飯が食えないっていうのはつらいよな」

夕方5時、サトーは仲間の帰宅時間に合わせて調理を済ませた二つの鍋を温め始めた。

「よーし、今日も夕食にしよう」

今日のお品書きは「カレーライス」「サバと大根の煮物」「キムチ」だ。

「仕事がないからといって酒に溺れていてはダメ。働いて、そうしたら旨い飯でもたべさせてやっから。この界隈の仲間はみんなやせるどころか太っちゃってしょうがないよ」

@住む場所を追われたホームレスはどこへ?

路上料理人とのつきあいはこうして始まった。3年前のことだ。ところが昨年の春、突如、サトーの姿が見えなくなった。いや、サトーばかりでなく、この公園に50人ほどいたホームレスの集団が、ブルーシートのテントごとこつぜんと姿を消したのだ。

公園管理事務所に問い合わせると思わぬ理由が判明した。2014年夏。70年ぶりとなるデング熱の国内感染者が発生したニュースが駆け巡った。以来、その推定震源地である公園がある新宿区は、デング熱の媒介となるヤブ蚊の駆除の対応に追われた。その際、長年、公園を不法占拠し、無断で煮炊きを行っている彼らがやり玉にあがったという。公園の清掃に従事する関係者はこう証言する。

「話し合いに応じ、自主的にこの公園を後にした者もいたが、一部の話し合いに応じないホームレスに対しては、強制的にテントごと公園の敷地外へ退去させる『行政代執行』が適用された。ヤブ蚊の駆除というのは名目であって、やはり行政としては排除したかったのだろう。これまでホームレスがデング熱に感染した噂は聞いたことがない」

いずれにせよ、この公園で暮らしていたホームレスは生活の場を奪われた格好となった。サトーはどこへ消えたのか? 休日の度に足繁く通っていた場外馬券売り場にもその姿はなかった。公園管理事務所によると、この公園で暮らしていたホームレスの多くは、生活保護を申請し、都内のいくつかの簡易宿泊所で暮らしているそうだ。

@私たちにとっての「居場所」とは?

厚生労働省の発表(2015年4月)によると、日本のホームレスの総数は6541人、うち東京都は1498人。この調査は、各地の社会福祉事務所が、都市公園、河川、道路、駅舎などで日常生活を送らざるをえない人を、目視でカウントした数字だという。

しかし、現代の「ホームレス」の風体は様々であり、必ずしも「ホームレスのような人」ばかりでない。仕事を求めてカプセルホテルやネットカフェを転々とする者もいるし、車上生活者だって存在する。年齢も10代から80代と幅広い。

ホームレスとは、その言葉がさすように「家がない人」である。しかし、だからといって、彼らにないがしかの住む家を与え、生活保護を受給させれば、それで全てが解決するとはとても思えない。人間には寄って立つ「居場所」が必要だ。それは自分以外の他者との関わりの中でこそ成立する。

「食」とは食べる喜びと食べなくては生きて行けぬ辛さ、その両面を兼ね備えている。悲喜こもごもの人間模様が交差する大都市・東京の周縁に漂う、あの夕餉の香りが懐かしい。サトーがどこへ消えたのかは分からないが、きっとこの街のどこかで今日も仲間のために「賄い夫」として腕をふるっているに違いない。(了)



中原一歩(なかはらいっぽ): 1977年生まれ。ノンフィクションライター。「食と政治」をテーマに、雑誌や週刊誌をはじめ、テレビやラジオの構成作家としても活動している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』など。

昨年12月の日印首脳会談を どう評価するか?

★昨年12月の日印首脳会談を どう評価するか?
***「 『原子力資料情報室通信』第500号(2016/2/1)」より転載

 昨年12月12日、インドを訪問した安倍首相はモディ・インド首相と首脳会談をおこない、インドへの原発を輸出する際に前提となる原子力協力協定を締結することを確認する「覚書」を締結した。日印原子力協力協定の問題点は本誌436号、485号、498号などで繰り返し取り上げてきたが、あらためて、今回の首脳会談と覚書の意味を考えたい。

@核兵器保有国インド

 インドとの原子力協力協定を検討する上でもっとも特徴的な点は、インドが核不拡散条約(NPT)・包括的核実験禁止条約(CTBT)に加盟していない核兵器保有国であるということだ。インドは核兵器の廃絶を訴えながら、NPTを不平等条約であるとして否定し、また、CTBTについても未臨界核実験が認められる点などが問題だとして批准していない。その一方で、インドは1974年と1998年に核実験を実施した核兵器保有国でもある。特に1974年の核実験に使用されたプルトニウムはカナダと米国が平和利用目的で提供した原子炉などを用いて生産された。
 インド核実験は世界的な非難を浴び、2008年にインドが自発的核実験停止、核兵器先制不使用などを約束し、米印原子力協力協定やインドが民生用だと宣言した核施設への国際原子力機関(IAEA)の査察などを容認するIAEA追加議定書が締結されるまで、国際的な原子力開発から孤立してきた。
 現在もインドは、プルトニウムや高濃縮ウランなどの兵器用核物質の製造を継続し(インド以外にはパキスタン・北朝鮮・イスラエルのみ)、核兵器の近代化にも邁進し、NPTにもCTBTにも加盟する姿勢を見せていない。

@日印原子力協力協定締結が持つ意味

 日本がインドと原子力協力協定を締結することには大きく2つの意味がある。1つはインドの核兵器保有国としての地位向上、もう1つはインドの原子力開発の進展だ。
 インドは核兵器を保有しているが、国際的な核不拡散体制上、核兵器国だとは認められていない。しかし、2008年以降、米仏露などの国々がインドを核兵器保有国と知りながら、原子力協力協定を締結してきた。さらに、戦争被爆国として核軍縮・不拡散を訴え続けてきた日本が、核軍拡を続けるインドと原子力協力協定を締結すれば、インドの核兵器国としての地位を更に強固なものとする。
 2008年以降インドでは、フランスのAreva、米国のGE日立、Westinghouseがそれぞれ6基、またロシアのRosatomが8基の原発を建設する計画が策定されていた。しかし、現在、ロシア以外の輸入原発の建設は進んでいない。 これには2つの理由がある。まずインドの原子力損害賠償法の特殊性だ。一般的な原子力損害賠償法は原子力事業者に対して責任を集中させることとなっているところ、インドの原子力損害賠償法は原子力事業者が原発メーカーに対して損害を求償することを可能にしている。そのため損害賠償リスクから、原発メーカーは建設に二の足を踏んでいる。また、日印原子力協力協定が締結されず、日本の原発機器が輸入できないことも理由の1つだ。たとえばインドは信頼性の高い日本製原子炉圧力容器を求めているといわれている。この2つの要因が絡み合ってインドで輸入原発の建設はほとんど進んでいない。
 なお、インドは使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、高速増殖炉で利用する計画を長年保持しており、日本に対しても日本製原発機器から出た使用済み燃料の再処理を容認するよう要求し、日本も応じると見られている。これを認めた場合、日本は原子力輸出国側として初めて使用済み燃料の再処理の実施を認めることになる。

@日印首脳会談の評価

 では、昨年12月の日印首脳会談をどのように評価するべきだろうか。
 両国首脳は共同声明の中でインドと日本は核兵器の究極的な廃絶という価値観を共有し、核兵器用核分裂性物質生産禁止条約交渉の早期決着を求める。さらに日本はCTBT早期発効の重要性を指摘した(CTBTの発効要件国であるインドに対して早期に加盟を要請するもの)。その一方、両国首脳は「技術的な詳細が完成した」後に原子力協力協定を締結することを確認した。また、インドが原子力供給国グループなどの国際輸出管理グループのメンバーとなれるよう協力することを確認した。
 安倍首相は12月14日の講演で、日印原子力協力協定締結について、核実験実施時には協力を停止する、インドを核不拡散体制の外側に置いていては「核廃絶とか言っていてもですね、これはまさに実効性のあるものにはならない」と述べ、この協定の意義を強調している。この停止措置について共同通信(12月17日付)は核実験実施時、日本の輸出原発機器から出た使用済み燃料の再処理を即時停止する手続きを明文化すると報じている。
 一方、インドのジャイシャンカル外務次官は14日の記者会見で、例えば「インドのNPT加盟は大きな問題とならない」、「使用済み燃料の再処理はインド長年の立場であり、いかなる結論もこの方針に一致する」、「(核実験による停止条項について)世界の多くの国はインドの自発的核実験停止を信用している」と回答し、安倍首相の会見とは異なる印象をあたえる。インドの有力紙The Hindu(12月14日付)が川村泰久外務報道官のコメントとして、日本は最近の交渉で「いかなる無効化条項」も要求していないと述べていると報じていることも気になるところだ。
 インドを核不拡散体制に取り込むために原子力協力協定を締結するというロジックは、米国が2008年にインドのIAEA追加議定書を容認するよう各国政府を説得した際と全く同じロジックだ。しかし不拡散体制に取り込んだはずの2008年以降もインドは核軍拡に励んでいる。その一方で、NPT体制は近年さらに弱体化が進んでいる。
 核不拡散体制が弱体化する一方で、例外を認めることは、核廃絶を大幅に遠のかせる。政府は、日印原子力協力協定が夏の参議院選にあたえる影響をおそれ、今国会に提出しない方針を固めたと報じられている。しかし、いつ提出されようと、この協定の持つ問題は解決されない。断じてインドとの原子力協力協定を締結してはならない。現在、日印原子力協力協定に反対する国際署名を募集中だ。是非協力をお願いしたい。  

(松久保肇)

電力を通じて、未来を選ぶ

★「電力を通じて、未来を選ぶ」
***「自然エネルギー財団 連載コラム 2016年1月25日 田口理穂」より転載

1996年より北ドイツのハノーファーに住んでいる。ドイツは電灯の明るさも控えめで、倹約とろうそくが好きなためか、日本と比べて暗い印象がある。しかし、自動販売機や24時間営業のコンビ二がなくても不便はなく、暮らしやすい。

ドイツ人と電力供給会社の関係は、日本に比べて対等にあるように思われる。ドイツの人々は、1998年の電力市場自由化により電力供給会社を選べるため、会社の方針に同意できなければ別の会社を選ぶことができる。

ドイツには約1000の電力供給会社があり、自然エネルギーに特化していたり、値段が安かったりさまざまである。電力供給会社の比較サイトはいくつもあり、郵便番号を入れると数百の候補が出てくる。「料金」や「自然エネルギー」など、条件を指定して検索できるため便利だ。

ドイツでは電力料金の精算は年に一度である。毎月一定額を払うのだが、年に一度メーターをチェックし、使用量に応じて追加料金を払うか、払い戻しを受ける。メーターの確認は自分でするので、検針や毎月の料金計算のコストが省ける。
それを元に新しく算出した電力料金を、その後1年間支払うことになる。ガスや水道も同様である。私は南ドイツの「シェーナウ電力会社」から電力は購入しているが、メーター確認は地元のハノーファー電力公社に報告している。

以前は地元の電力公社から普通の電力を買っていたが、シェーナウ電力会社に変更したのである。変更は簡単で、新しい電力供給会社のホームページで申し込みの手続きをすると、これまでの電力供給会社との解約手続きをしてくれ、2週間程度で乗換えできる。しかし、電力を選んで買っている人はまだまだ少数派である。

シェーナウ電力会社は、1986年のチェルノブイリ原発の事故をきっかけに反原発運動を始めた市民が、自分たちの理想を実現するために市民有志でつくった会社である。当時は、電力市場は地域独占だったため、自然エネルギーを使いたいと思ったら、起業するしかなかったのである。2度の市民投票を勝ち抜き、ドイツ全土から寄付を募って送電線を買い取り、1997年に供給にこぎつけた。当初はシェーナウ市内1700世帯だけだったが、現在は全国に16万人以上の顧客を誇る。エネルギー共同組合であり、市民電力のシンボルとなっている。原発に反対しており、自然エネルギーを推進すべくさまざまな活動をしている。会社のポリシーを明確に打ち出すことで支持を受け、顧客獲得につながっている。

このようにドイツでは電力を通じて、自己の意志を表現することができる。エコロジカルな世界を望むのか、安ければいいのか。原発の電力を買う人がいなくなれば、原発は自然淘汰される。自然エネルギーを買うことは、個人でできる脱原発なのである。

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