FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「お天道さまは見ていない」

★もんじゅに日銀、日本「モラル大崩壊」が止まらない
***「ダイヤモンド・オンライン 9月29日(木)6時0分配信記事 」より転載

 高速増殖炉「もんじゅ」は廃炉が避けられそうにない。年末に決まるというが、遅すぎた決断だ。核燃サイクルは維持する、という。高速増殖炉はやめるが、高速炉はフランスと組んで新たに始めるらしい。廃炉という重い決断を下す時、つじつま合わせのような「生煮えの構想」を打ち上げるは、誠実な態度ではない。

 同じことが日銀の金融政策にも言える。「異次元緩和で物価を上げる」政策はもんじゅと同様、失敗した。公約が達成できなかった原因を、原油や消費税など「外部要因」になすりつけるのは責任転嫁で、見苦しい。

 原子力政策や金融政策という国家の大事な仕事を担う「偉い人」が、なぜこんなに不誠実なのか。「内心忸怩たるもの」があっても、「ここはすっとぼけてやり過ごそう」と思っているなら、国民はなめられたものだ。

 日本国は頭から腐りだしている。モラルの連鎖崩壊は止めるのはどうすればいいのか。

● 「バレなければ、やっていい」 地方議会でビジネス界で目立つ劣化

 富山県の県会議員が政務調査費を不正請求していた。領収書の「万」の桁に数字を書き加えた。よくある幼稚な不正である。投票で選ばれながら、ズルして小銭を稼いでいた。県会議員のさもしい姿は有権者をガッカリさせた。

 県会議員って何だろう。この人たちはどういう思いで議員をやっているのか。いつからこんなに卑しくなったのか。

 富山県民でなくても憂鬱になる。ウチの県議会や市議会は大丈夫だろうか。

 そう思っていたら、天下の電通がネット広告費をごまかして請求していた。インターネットの広告は、新聞みたいに掲載されたことが一目で分かるような仕組みになっていない。「運用型広告」とか言って、クリックするユーザーの属性やキーワードに反応してバナー広告を載せる。どこにどれだけ載ったか、クライアントは分からない。

 不正がバレたのはトヨタが調べたからだという。トヨタだから電通を「おそれいりました」と言わせる調査ができたのだろう。トヨタを相手に広告をごまかすとは、電通も大胆だ。ゴキブリ1匹、裏に100匹。他にもきっとある。電通が自社で調査したところ111件、2億3000万円の不正があった、という。果たして、これだけなのか。氷山の一角ではないか。不正やり放題の仕組みなら、すべてのクライアントが多かれ少なかれ、被害に遭っているのではないか。

 「どうせ分からないさ、やってしまえ」と過剰請求や偽造レポートを書いたとしたら、大企業のモラルは地に落ちた。「おてんとうさまが見ている」とは思わなかったのか。

「分からなければ、やっていい」。富山県の県議もこれだった。東芝の粉飾決算も同じである。社長から「業績を上げろ」「チャレンジ! 」と号令を掛けられ、経理部門が中心になって組織的な粉飾が行われた。

 三菱自動車の燃費データ改竄も「どうせわからない」から始まった。「それはダメだよね」と誰かが言えば止まったかもしれない。

 言いだせない空気を作ったのはトップの責任だ。三菱の場合、やり直し検査でも不正な方法で測定していた。不祥事が発覚しても体質が改まらない。

 三菱は日産グループに入ることが決まり、逃げ切れると思ったのではないか。モラルの緩みは益子会長に責任があるが、責任を取ろうという態度は全く見えない。

 売上はがた落ちで、従業員の給与を減らす。下請けへの発注も減り、経営難に陥る部品メーカーもあるという。

 消費者を騙し、役所を欺き、従業員を苦しめ、下請けを泣かす。それでもトップは、資本提携の大船に乗って「一件落着」とでも思っているようだ。これが三菱の経営なのか。

 ビジネスの世界で、経営者の劣化が目立つ。いつからこうなったのか。

● 20年目のもんじゅ漂流 官民こぞって責任逃れ

 モラル崩壊は「官」の周辺では以前から起きていた。

 「もんじゅ」の漂流は20年も続いている。「もはや廃炉しかない」と誰もが気づきながら、貧乏くじを引くのを避けてきた。

 責任者はだれなのか。見えない。事業主体の日本原子力研究開発機構に責任がある。安全管理をちゃんとやってこなかった。原子力規制委員会から昨年11月「新たな運営主体を半年をめどに探せ」と文科省は勧告を受けている。

 機構が組織としてガタガタなのか、もんじゅは機構の手に負えないほどガタガタなのか。いずれにせよ機構ではダメということだが、理事長の児玉敏夫氏は三菱重工副長から昨年4月1日、就任した。当時の朝日新聞にこう書かれていた。

 「三菱重工はもんじゅの開発企業で利益相反の懸念があるため、外部有識者らによる第三者委員会を新たに設置し、透明性を確保するという」

 利益相反が疑われる立場の人が理事長になる。監視する第三者委員会が必要というのである。なぜ、そんな人が難しい組織の理事長になるのか。ここからおかしい。

なり手がいないのである。児玉氏は原子力の専門家ではない。重工の常務だった。退社する直前に副社長に昇格した。「箔付け」である。常務が理事長になるのでは具合が悪かったのだろう。「よそ者」がトップに座っても現場は変わらず、保安検査で重要な配管で点検不備が見つかった。「保安検査官もうんざりするぐらいの状況にある」と規制委の田中俊一委員長に叱責を受けた。

 人事を受けた児玉氏に責任はある。それ以上に、怒られ役か連絡役のような人を理事長に据えた文科省の責任である。当時は下村博文大臣だった。人事だけではない。文科省は宿題である「機構に代わる運営主体」を決められなかった。

 官も民も厄介者のもんじゅに関わりたくない。口では「核燃サイクル推進」と言いながら、みな腰が引けていた。無責任体制の中でもんじゅは朽ちて行った。

 再稼働させるのには5800億円とか8000億円とかが必要とされるという。もんじゅの建設が始まったのは1985年。当時としては最新技術でも30年たち、すでに陳腐化している。

● 核燃サイクルの断末魔 結論ありきの政治の無策

 見捨てるしかないと分かっていたのに、決断できなかったのは政治の責任だ。

 にっちもさっちも行かなくなり、地元に打診もなくいきなり「廃炉」である。福井県知事が怒るのも無理はない。手順というものがある。

 核燃サイクルを推進するなら、もんじゅ廃炉後の手立てを付けておく必要がある。すでに48トン溜まったプルトニウムの使い道を含め、これから青森県・六ヶ所村の再処理工場が稼働して産出される新たなプルトニウムをどうするか。その六ヶ所工場も事故続きでもんじゅの二の舞になる恐れさえある。

 核燃サイクルが必要なのか。もんじゅの廃炉は、ゼロから考え直す好機だった。

 先進国では原発離れが起きている。もんじゅや六ヶ所に注ぐカネを自然エネルギーの研究開発に向ければ新たなイノベーションが起こるだろう。自然エネルギーは原発や核燃サイクルより、製造・販売に加わる産業のすそ野が広い。20世紀の遺物のような原発を途上国に売って多国籍企業を利する産業政策がいいのか。政治家は真剣に考えてほしい。

 ところが政権は、経産官僚に丸投げしてしまった。安倍首相の側近である今井尚哉秘書官と世耕弘成経産大臣のラインで決まったというが、フランスの新型高速炉計画の実証炉(ASTRID)との共同開発が唐突に浮上した。同計画はまだ基本設計の段階だ。もんじゅが廃炉なら、何かで埋めなければならない、というだけで日仏共同開発へと動くほど原子力政策は軽いものなのか。

なり手がいないのである。児玉氏は原子力の専門家ではない。重工の常務だった。退社する直前に副社長に昇格した。「箔付け」である。常務が理事長になるのでは具合が悪かったのだろう。「よそ者」がトップに座っても現場は変わらず、保安検査で重要な配管で点検不備が見つかった。「保安検査官もうんざりするぐらいの状況にある」と規制委の田中俊一委員長に叱責を受けた。

 人事を受けた児玉氏に責任はある。それ以上に、怒られ役か連絡役のような人を理事長に据えた文科省の責任である。当時は下村博文大臣だった。人事だけではない。文科省は宿題である「機構に代わる運営主体」を決められなかった。

 官も民も厄介者のもんじゅに関わりたくない。口では「核燃サイクル推進」と言いながら、みな腰が引けていた。無責任体制の中でもんじゅは朽ちて行った。

 再稼働させるのには5800億円とか8000億円とかが必要とされるという。もんじゅの建設が始まったのは1985年。当時としては最新技術でも30年たち、すでに陳腐化している。

● 核燃サイクルの断末魔 結論ありきの政治の無策

 見捨てるしかないと分かっていたのに、決断できなかったのは政治の責任だ。

 にっちもさっちも行かなくなり、地元に打診もなくいきなり「廃炉」である。福井県知事が怒るのも無理はない。手順というものがある。

 核燃サイクルを推進するなら、もんじゅ廃炉後の手立てを付けておく必要がある。すでに48トン溜まったプルトニウムの使い道を含め、これから青森県・六ヶ所村の再処理工場が稼働して産出される新たなプルトニウムをどうするか。その六ヶ所工場も事故続きでもんじゅの二の舞になる恐れさえある。

 核燃サイクルが必要なのか。もんじゅの廃炉は、ゼロから考え直す好機だった。

 先進国では原発離れが起きている。もんじゅや六ヶ所に注ぐカネを自然エネルギーの研究開発に向ければ新たなイノベーションが起こるだろう。自然エネルギーは原発や核燃サイクルより、製造・販売に加わる産業のすそ野が広い。20世紀の遺物のような原発を途上国に売って多国籍企業を利する産業政策がいいのか。政治家は真剣に考えてほしい。

 ところが政権は、経産官僚に丸投げしてしまった。安倍首相の側近である今井尚哉秘書官と世耕弘成経産大臣のラインで決まったというが、フランスの新型高速炉計画の実証炉(ASTRID)との共同開発が唐突に浮上した。同計画はまだ基本設計の段階だ。もんじゅが廃炉なら、何かで埋めなければならない、というだけで日仏共同開発へと動くほど原子力政策は軽いものなのか。

できるかどうか、これから検討する話である。あたかもその方向で進むかのような既成事実をつくることは、政策のミスリードでしかない。

● マイナス金利で銀行が悲鳴 日銀「新しい枠組み」のごまかし

 さて、日銀の金融政策である。「新しい枠組み」というが、ますます混沌、分かりにくくなった。

 「総括的な検討」といいながら、失敗を隠し、責任転嫁に終始したのが今回の金融政策決定会合だ。

 「2年で2%の物価上昇」が果たせなかったのは、原油価格が予想を超えて下落したこと、消費増税が景気の腰を折った、中国や新興国の成長にブレーキが掛かった。この3つの外部要因が災いした、というのである。よく平然と言えるものだ。

 こうでも言わなければ責任問題が生ずる。金融の量的緩和では物価は上がりませんでした、と素直に認めたら、「異次元緩和」を看板にした黒田総裁の責任が浮上する。それだけではない。就任早々、日銀が輪転機をじゃんじゃん回して国債を買い上げたらいい、と主張し、それに賛成した黒田東彦氏を日銀総裁に任命した安倍首相の責任が問題になる。

 黒田総裁の事情は分からなくはないが、だからといって「ごまかし」が許されるわけではない。「量的緩和は効いている」といフィクションを前提に政策が組まれると、さらに間違いを重ねることになる。

 日銀の人は頭がいいから、建前と本音を使い分けるだろう。

 「量的緩和はこれからも続けますよ」と言いながら「量を目標にしません。金利水準が新たな目標です」という決定を今回した。本音と建て前の使い分けが隠されている。

 世間向けには「年間80兆円の資金供給を続ける」と従来方針に変わりないことを強調しながら、「もう量はいい。長期金利は下げない。マイナスに据え置く短期金利との金利差を確保しよう」という政策に切り替えた。

 なぜこんなことをするのか。金融界から不満が上がっているからだ。金融機関は短期資金を集め、長期金利で運用し利ザヤを稼ぐ。分かりやすい例では、銀行(とくに貸し先が少ない地方銀行)は集めた預金(短期金利)を国債(長期金利)で運用して儲けている。

 マイナス金利政策で長期金利までマイナスになった。地銀から悲鳴が上っている。生命保険や財団、年金基金など運用益で成り立っている業種からも怨嗟の声が上がっていた。

黒田総裁は「銀行のために金融政策をしているわけではない」と発言して金融界の怒りを買った。「やはり大蔵官僚」という反応である。

 日銀は「金融村の村長」という立場が分かっていない。「村びとあっての村長だ」と銀行などは考えている。

 金利に誘導目標を置き、長短に金利差を設ける、という決定は「銀行の言い分」が通ったのだ。

● 量的緩和は実はもう限界 インフレ目標は「諦め」の境地へ

 事情はもう一つある。「国債買い入れ」が限界に近づいている。すでに発行済み国債の3分の2が日銀に集まった。無理して買い上げれば、長期金利が下がってしまう。残存期間の短い国債には限度がある。

 「国債買い入れ」は量の面からも手仕舞いが近づいていた。短期決戦しかできない作戦だった。市場をビックリさせる大量買入れを始めれば物価はピンと上がるだろう、上がったらサッと引く。そんな作戦だった黒田さんの考えは甘かった。

 「二年で」という目標は既に破綻している。4回変更されて「2017年度中」つまり2018年3月末までが今掲げている期日だが、今回それを撤廃した。

 「長期戦に変わった」とか「持久戦」などと言われるが、「諦めた」のである。好意的に見れば「努力目標」である。

 これでもか、とばかり国債を買っても、物価は上がらない。それどころか副作用が出て村人から不人気。買い入れも限度がある。

 物価目標を空文化し、量的緩和を修正する出口に備えよう、というのが今回の政策である。

 だったら、そう言えばいいのに「口が裂けても言えない」というのが日銀の現状だ。

 説明責任を果たさず、「国民や市場は黙って従え。我々はいろいろ考えているんだ」という態度である。そうやって失敗してきて、今なお失敗を語らない。本音と建て前がズレまくるから政策は、ますます分かりにくなる。

 日銀の独立性とは「身勝手」を許すことではないはずだ。

 いや「アベノミクスの踏み絵」で総裁人事を握られ、すでに「独立性」がなくなっていることがこんな事態を招いたのだ。
.
山田厚史
スポンサーサイト

ボクらの貧困連鎖

★25歳男性を苦しめる「貧困連鎖」という呪縛
***「東洋経済オンライン 9月26日(月)5時0分配信記事」より転載

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

 「この程度じゃぜいたくだって言われるかもしれませんが」

 「たいした話じゃなくてすみません」

 カツユキさん(25歳、仮名)は貧しかった子ども時代のことを話すとき、たびたびこう前置きした。

 小学校の給食の時間、カツユキさんがまず確かめるのは、欠席しているクラスメートがいるかどうか。欠席者がいれば、余った牛乳やパン、袋詰めの小魚などを持ち帰ることができる。家にはおやつのたぐいはほとんどなく、夕食だけではとてもおなかを満たせなかった。給食を持ち帰ることは禁じられていたが、「恥ずかしいとか、悪いことをしてるという意識はありませんでした。とにかく必要な食糧という感じだったので」と言う。

■新品の洋服や外食とは無縁の子ども時代

 中学校では、塾に通っている子どもたちや、地域のスポーツ少年団に入っている子どもたちの間でそれぞれにグループができたが、どこにも「所属」することができなかったカツユキさんは浮いた存在で、それがきっかけでイジメに遭ったこともある。テレビゲームとも、新品の洋服とも、外食ともほとんど縁がない日々。高校では、100円あまりのペットボトル飲料を買う小遣いがなく、友人たちの前でのどが渇いていないふりをするのに苦労したものだ。

 大学は、浪人はしない、進学先は学費の安い国公立だけという約束で受験。受験料を節約するため、確実に受かる水準の2校に絞って願書を出した。大学では、学費と生活費のためのアルバイトに追われ、短期の語学留学のために海外へ行く友人がうらやましくて仕方なかったという。

 カツユキさんに話を聞いた、ちょうどその頃、NHKが報じた「貧困女子高生」が「貧困のくせに1000円のランチを食べている」「ただの自己責任ではないか」などと激しくバッシングされていた。彼がその都度、言い訳のように「前置き」をしたのは、自分も糾弾の対象になることをよくわかっていたからだろう。しかし、教師やクラスメートの目を盗んでこっそりと給食の余りを持ち帰った体験のどこが「たいした話じゃない」のか。彼にそんな言い訳を強いる世の中の空気に、筆者は腹が立って仕方がなかった。

 物心ついた頃から、父親が働いているのを見たことがない。覚えているのは引き出しやタンスの奥をあさり、現金を探し出しては競馬や競輪に使ってしまう姿だ。生活は、嘱託職員として働いていた母親の月給約20万円が頼り。父親は暴力を振るうことはなく、母親に代わって最低限の家事はこなしていたが、両親の間ではおカネのことでいさかいが絶えなかった。ある晩、夕食用に刺身を買ってきた父親に対し、母親が「なんで、こんな高いものを」となじってケンカになったときのこと、2人が口論する姿は鮮明に覚えているのに、刺身の味は覚えていないという。

 なぜギャンブルをやめないのかと尋ねても、「だってしょうがないじゃないか」としか言わない甲斐性のない父親だった。いつだったか、インターネットの検索サイトに「働かない」「父親」と打ち込み、次いで「こ」と打ったとき、検索頻度の高い関連ワードとして「殺したい」が表示され、「同じように感じている人がいるんだな」と思い、妙に安心したという。

 そんな父親もカツユキさんが大学生のときに病気で他界。このときのことを「悲しかったです。でも、どこかでホッとしていました。母も“このまま生きていられたら、(ローンが払えなくなって)家を手放すことになったかもしれない”って言っていました」と振り返る。

■サービス残業と先輩からの嫌がらせ

 「欲しいものを買えたためしがない」という子ども時代を過ごしたカツユキさんにとって、就職は人生を変える節目になるはずだった。

 「大学のレベルを考えると、大手企業は望めなかった」と言うが、なんとか関東近郊のバス会社に就職。ところが、会社では同期からカツユキさんひとりだけが子会社への出向を命じられる。出向先では残業が月150時間に上ることも珍しくなく、このうち残業代が付いたのは半分ほど。有休を申請しても「この忙しいときに?」「最近の若い人は権利ばかり主張する」と嫌みを言われるだけだった。年収は約500万円だったが、後になって同期から、この子会社が、離職率が高く、自殺者も出ているいわゆるブラック企業だと教えられた。

 しかし、サービス残業よりはるかにつらかったのは、先輩社員らによる陰湿な嫌がらせだったという。仕事は事務職だったが、事故などでバスのダイヤが乱れると、終日ターミナル駅に張り付き、会社と現場の連絡役を務めることもあった。そんなとき、カツユキさんが電話で会社に報告を入れるたび、ほとんどの先輩が「わかりました」「了解」の一言を言わずに電話を切った。また、忘年会や新年会などがある日は、決まって定時では上がれない勤務ダイヤに組み込まれ、2次会に誘われることも一度もなかった。

 思い当たる理由はひとつ。この子会社がずいぶん前に本社の赤字路線を集めて分社化、設立された組織で、子会社社員と本社からの出向社員との間には給与や福利厚生の面で雲泥の差があったことだ。

 「(子会社社員の)ボーナスは僕の3分の2くらいだったはずです。仕事も半人前の新人が高い給料をもらっていると思われたんだと思います。でも、それは僕のせいじゃない」

 仕事で大きなミスはなかったが、かといって理不尽な格差を自ら乗り越えて交流を図れるような積極的な性格でもなかった。本社からの出向者はもう何年もいなかったため、愚痴を言い合える同僚もおらず、次第にクーラーが利いている部屋なのにびっしょりと汗をかいたり、脚に発疹が出たり、手の震えが止まらなくなったりといった症状に悩まされるようになる。食欲が落ち、気がつくと体重が10キロ近く落ちていた。

 何とか3年は勤めようと頑張ったが、結局、もったのは1年半。母親は勤めを続けてほしそうだったが、最後は、やせ細った息子を見て「身体を壊すくらいなら」と会社を辞めるよう言ってくれたという。

■正社員から契約社員へ一方的な「不利益変更」

 その後、社会保険労務士の個人事務所に正社員として雇われたが、1年も経たないうちに時間給の契約社員への変更を通告された。カツユキさんによると、上司の社労士は遅刻が多く、そのたびに彼が顧客をなだめたり、取引先との関係をとりなしたりしなくてはならず、そのことに不満を訴えると、今度は上司からメモの取り方やあいさつの仕方にダメ出しをされるようになったのだという。

 カツユキさんは「そりが合わなかったとしか言いようがありません」と落ち込む。一方的な不利益変更には納得できなかったが、契約社員の給与では生活していくことはできず、退職を余儀なくされた。

 話の前に「たいした話じゃなくてすみません」と前置きするのと同じように、勤め先で立て続けにうまくいかなったことについて、「僕の性格にも問題があったのかもしれません」と言うような気弱なところがある。また、仕事とは関係ないが、カツユキさんはよく「僕は見栄えもよくないんで」とも言っていた。小顔に180センチ近い身長と、恵まれたスタイルなのに、容姿にも自信が持てない様子なのだった。

 一方で、周囲と同じように塾に行ったり、進学先などの制約なしに大学受験に挑戦したりできていれば、もっと多様な選択肢があったはずだ、もっとまともな会社に就職できたはずだ、といった悔しさも捨て切れないという。カツユキさんの中で、あきらめにも似た自信のなさと、自分は「貧困の連鎖」の犠牲者であるとの強い憤りが複雑にせめぎ合っているようにもみえた。

 現在、カツユキさんは一般企業への就職活動はいったんやめて、社会保険労務士の資格を取るための勉強に専念している。わずかな貯金を切り崩しながらの生活で、高校時代から受けてきた奨学金の返済はまだ100万円ほど残っているが、収入が途切れてからは返済猶予の手続きを取ったという。

 カツユキさんの願いはただひとつ。「労働条件が守られたところで働きたい」。当たり前の望みなのに、時折、底知れない恐怖にさいなまれる。「新卒でもない。2度も就職に失敗している。こんな僕にはもう2度と働ける場所なんてないんじゃないでしょうか」。

 東京駅の周辺で話を聞き終わったとき、日はすっかり暮れていた。駅前の交差点。カツユキさんが、いわゆる「大手企業」が多く入るビル群の明かりを見上げながらつぶやくように言った。

 「僕には手の届かない世界です。あそこにいる人たちはみんな日本のために、誇りを持って働いているんでしょうね」

■苦しみ、戸惑い、自らの可能性を閉じていく

 彼の胸中に去来したのが、あこがれなのか、悔しさなのか。大企業で働く人々が皆、「日本のために誇りを持って働いている」のかどうか。どちらも私にはわからない。

 いずれにしても、手が届かなかったことや、かなわなかったことが、貧しさのせいだと言い切れるならまだいい。だが、多くはカツユキさんのように、どこまでが貧困のせいで、どこまでが自らの能力と頑張りの足りなさが原因なのか判然としないことに、苦しみ、戸惑うのだろう。彼らには、希望に向かって頑張るだけでよかったためしなどないし、それゆえに成功体験も少なすぎる。そして、中には、自分でも気がつかぬうちに「頑張っても無理」「できなかった自分が悪い」と自らの可能性を閉じていく人もいる。

 貧困の連鎖とは、静かなあきらめの連鎖でもあるのかもしれない。

 (藤田 和恵)

“反東電知事”を潰した「原子力モンスターシステム」

★“反東電知事”を潰した原発包囲網 暗躍する「原子力モンスター・システム」〈週刊朝日〉
***「dot. 9月15日(木)16時0分配信記事」より転載

 原発立地県の首長としてただ一人、原発再稼働へ“抵抗”を続けていた泉田裕彦新潟県知事(53)の挫折は、脱原発派、推進派ともに衝撃を与えた。あまりに不可解なニュースの裏で何が起きていたのか。泉田氏を包囲し、追い込んだ“原子力モンスター・システム”の正体とは──。

 泉田新潟県知事は、これまで事あるごとに東京電力が目指す柏崎刈羽原発(新潟県柏崎市、刈羽村)の再稼働への動きに立ちふさがってきた。いわば東電の「天敵」だった。

 東電が再稼働を切望する柏崎刈羽原発は、現在6、7号機が原子力規制庁の新規制基準への適合審査を申請中。今秋にも規制庁が「ゴーサイン」を出すとみられている。しかし、泉田氏は「再稼働の前に福島第一原発事故の検証・総括が必要」という考え方で、県として独自に安全性を判断するまで再稼働を認めない姿勢を貫いていた。原発再稼働を国策とする安倍政権、東電にとって最大の障壁とみられていた。そんなキーマンが、再稼働を巡る攻防を目前にした時期に退場する。いったい何が起きているのか。新潟県政に詳しい関係者はこう語る。

「原発再稼働については、実は自民党内が慎重派と積極派に分かれている。前者の代表は菅義偉官房長官で、泉田氏が主張していた防災対策の整備などの手順をしっかり踏むべきという立場。後者の代表は麻生太郎財務相で、反対論はねじ伏せてでも早く再稼働すべきだという立場。財務省は電力関連の税収さえ入ればいい。国に意見する泉田氏は以前から麻生氏周辺に目をつけられており、今年に入っては猛烈な『泉田降ろし』が展開されていた」

 経産官僚を経て、2004年に当時の全国最年少の42歳で知事となった泉田氏は、10月に3期12年の任期を終える。2月には4選出馬を早々に表明したのだが、この頃から周辺では包囲網が粛々と敷かれていた。

 5月には県市長会と県町村会が、泉田県政の問題点26項目を指摘した文書を知事に提出。この時、市長会の会長を務めていた森民夫・長岡市長(当時)はその後、泉田氏の対抗馬として県知事選への出馬を表明する人物だ。前出の関係者がこう語る。

「当初、泉田氏の対抗馬にはNHK前キャスターで県立新潟高校出身の大越健介氏などの複数の有力者の名が挙がったが、皆、断られたそうだ。森氏は04年にも知事選への出馬を模索したが、泉田氏が自公の推薦を得たため断念したという因縁がある人物で、以降もたびたび機をうかがっていた。県内の自民党原発再稼働推進派を口説き、出馬にこぎつけたと聞いています」

 7月には県内で約6割のシェアを誇り、かねて“反泉田”的論調とされる新潟日報がフェリーの購入を巡る県出資企業のトラブルについて、泉田氏の責任を問う報道を本格化させる。連日のように大きく紙面を展開する同紙に呼応するように、県議会最大勢力である自民党は調査委員会を設置。8月5日には議会閉会中にもかかわらず委員会を開き、泉田氏や担当の県庁職員を呼び、計12時間以上、“疑惑”を追及した。

 泉田氏に、さらに追い打ちが浴びせられる。泉田県政の後見人と言われた自民党重鎮の県議、星野伊佐夫県連会長が失脚。7月の参院選で新潟の自民党候補が敗れた責任論が党内で噴出し、星野氏は8月6日に辞意を表明したのだ(後任は長島忠美衆院議員)。

「星野氏は田中角栄元首相直系の古参議員で、『越山会の三羽ガラス』と呼ばれた一人。他のベテランが政界から去り、星野氏に権力が集中する中で、泉田氏を守ってきた。県市長会、町村会の文書の件も星野氏の件も要は地元の権力闘争なのだが、新潟日報はいずれも知事サイドに厳しい視点で報じた。同社の小田敏三社長は以前から泉田氏には批判的で、今回の『泉田降ろし』キャンペーンは特に凄まじかった」(自民党新潟県連関係者)

 ちなみに、泉田氏は撤退表明後に後援会ホームページ上に公開した文書の中で、新潟日報について、

〈東京電力の広告は、今年5回掲載されていますが、国の原子力防災会議でも問題が認識されている原子力防災については、(中略)重要な論点の報道はありません〉

 と、同紙と東電との“蜜月”を指摘している。

 8月10日には、前出の森民夫氏が満を持して出馬を表明。泉田氏との一騎打ちの構図が生まれると、県医師会など4団体が早々に森氏推薦を表明。自民党も割れて分裂選挙になるとの見方が出ていた。

真綿で首を絞められるような包囲網に屈し、泉田氏が撤退したようにも見えるが、事実は違うという。3選の実績で県民からの支持率は高く、情勢調査でも4選に挑んでも十分に勝算はあったというのだ。泉田氏も「必ず勝てる。情勢が厳しいから撤退するという判断はしていない」と記者団に語っており、どうも腑に落ちない。本当の原因は何か。

「原発再稼働を望む勢力からのプレッシャーが日増しに強まる中で、仮に知事選で勝っても、その後も手を替え品を替え『泉田降ろし』が続くことは想像に難くない。それだけでなく、最悪、家族に危険が及ぶ事態まで想像されるような状況だったようです。知事は巨大な利権で政官財がつながる『原子力モンスター・システム』に完全包囲されてしまった。相当悩んだ末の決断だったようです」(前出の県政に詳しい関係者)

 環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長はこう語る。

「現在の東電は実質、経産省の管理下に置かれています。国は何としても柏崎刈羽を再稼働させて、少しでも東電に注ぎ込む資金を減らしたい。事故を起こしたのと同じ沸騰水型原子炉の再稼働はまだなく、ここで先例を作る意図もあるでしょう。知事交代となれば、公共事業の大盤振る舞いと引き換えに、再稼働を認めさせると思われます」

 泉田氏は後継を指名しない方針。だが、対抗馬の森氏がこれで安泰かというとそうではない。

 7月の参院選新潟選挙区では、野党統一候補の森ゆうこ氏が自民党現職の中原八一氏を、約2千票差という接戦の末に破った。再稼働反対派にも勝算はある。

 新潟日報は取材に対し、こう回答を寄せた。

「本紙の見解は8月31日付の紙面で発表しています。東電の広告などについてはお答えを控えさせていただきます」

 孤高の知事を退場に追い込んだ勢力は、日本中をのみ込んでしまうのか。(本誌取材班)

※週刊朝日  2016年9月16日号

「空気」に流され暴走しがちな日本人

★山本七平『日本人と中国人』の没解説
***「内田樹の研究室 2016/08/26」より転載

山本七平の『日本人と中国人』の文庫化に解説を書いてほしいと頼まれて書いたのだが、この本の著者はイザヤ・ベンダサンという架空の人物であることになっており、著作権継承者が「イザヤ・ベンダサンは山本七平の筆名」だということを認めていないので、誰が書いたのか曖昧にしたまま解説を書いてくれと原稿を送ったあとに言われたので、「そんな器用なことはできません」と言って没にしてもらった。
せっかく書いたので、ここに掲載して諸賢のご高評を請う。


「日本人と中国人」はかつて洛陽の紙価を高めた山本七平の『日本人とユダヤ人』を踏まえたタイトルであり、その造りも似ている。いずれも「日本人論」であって、タイトルから想像されるような比較文化論ではない。中国人もユダヤ人も、日本人の特性を際立たせるために採り上げられているだけで、主題的には論じられているわけではない(『日本人とユダヤ人』では、著者イザヤ・ベンダサンが「米国籍のユダヤ人」であるという虚構の設定に説得力を持たせるために、ユダヤ・トリヴィアがところどころに書き込まれていた。だから、「日猶文化比較論」として読むこともまったく不可能ではなかったが、本書は「日中比較論」として読むことはできないし、著者にもその意図はなかったと思う)。
読めば分かるとおり、中国のことはメディアから知れる以上のことはほとんど書かれていないし、そもそも著者は中国のことにはあまり関心があるようには思われない。彼が興味を示すのは日本人の思考パターンであり、伝統的に日本人の脳内に結像してきた「中国という幻想」なのである。これについては山本自身の言葉を引く方が話が早い。

「日本人が明確に隣国という意識をもちつづけたのは実は中国だけだと言ってよい。(・・・)日本が中国に対等であろうとするとき、そこに出てくるのは常に中国からの文化的独立という姿勢なのである。といっても、中国の影響力はあまりに決定的なので、中国文化を否定すれば自己を否定することになってしまう。こういう場合、(・・・)中国の隣接諸国への文化的支配の形態をそのまま自国に移入して、これで中国に対抗するという形にならざるを得ないのである。」(113頁)

中国の文化的支配力に対抗するために日本人が発明したのが「天皇制」であるというのが山本の創見である。こういうふうに天皇制を見立てた人が山本の他にあることを私は知らない。ことの当否は措いて、これまでに誰も言ったことがないアイディアを提出する人のリスクを怖れぬ構えに私はつねに深い敬意を抱く。
ご案内の通り、中国は中華思想に基づく華夷秩序のコスモロジーに律されている。宇宙の中心には中華皇帝がいる。そこから同心円的に世界に「王化の光」が拡がる。光は周縁部に行くほどに暗くなり、そのあたりの住民もしだいに未開野蛮なる「化外の民」となる。「文化的に君臨すれども政治的に統治せず」というのが中国の隣国への態度だと山本が書いているが「王化の光」が届くということが「文化的支配」である。それは政治的な実効支配をさしあたり意味しない。「化外の民」たち(もちろん「東夷」たる日本列島住民もそこに含まれる)はいまだ王化の光に浴していないだけであって、機会を得ればいずれ開化されて皇帝に臣従するかも知れないし、開化されないまま禽獣のレベルで終わるかも知れない。どちらに転ぼうと、それは「そちらの事情」であって、中華皇帝の与り知らぬことである。華夷秩序というのは、そういう考え方である。良いも悪いもない。そういうふうに考える人たちが隣国にいて、日本列島住民は久しくその圧倒的な文化的影響下にあった。
本書のオリジナリティはこの「東夷」のポジションが天皇制イデオロギーを生み出したという「発見」に存する。
天皇制はなかなか複雑な構造になっている。中華皇帝の支配を退けて、日本列島の政治的文化的独立を達成するというのがその最終目的である。そのために、国内的に対抗的に「中華皇帝のようなもの」を創り出す。これが天皇制である。ここまでの理路はわかる。わかりにくくなるのはその先である。天皇制とは「中華皇帝に見立てられた天皇」を「雲上に退ける」ことによって中国の支配をも「雲上に退ける」という仕掛けである。いわば藁人形を憎い人間に見立てて、それに釘を打ち付けて呪うという呪術と同質の機制である。

「従って、中国も天皇も、政治から遠いほどよいのであって、天皇は、北京よりもさらに遠い雲上に押し上げられねばならない。
このことは日本の外交文書を調べれば一目瞭然で、国内における天皇の政治的機能を一切認めない人びとが、ひとたび外交文書となれば、やみくもに天皇を前面に押し出し、日本は神国だ神国だと言い出すのである。」(114頁)

だから、日本における天皇制イデオローグたちは天皇その人の政治的信念や人間性には一片の関心も持たない。彼らが服従しているのは「雲上に押し上げられ」て、純粋観念と化したせいで、取り扱いが自由になった「みずからの内なる天皇」であって、現実の天皇ではない。これによって「内なる天皇」を抱え込んだ者は日本社会のみならず、隣国をも含んだ世界秩序の頂点に立つことになる。

「尊皇思想に基づく『内なる天皇』を抱くその者が、あらゆる権威と権力を超えて、その思想で天皇自身をも規定できる絶対者になってしまう。そしてこの権威を拒否する者がいれば、究極的には、それが天皇自身であっても排除できることになるであろう。」(281頁)

だから、二・二六事件の将校たちは天皇の任命した高官を射殺し、天皇の統帥権を侵して無断で兵を動かすこともすべて「天皇への絶対服従」を証す行動だと信じることができた。自分たちの処刑を望んだ天皇を獄中から呪った二・二六事件の磯部浅一や、終戦の「ご聖断」を退けてクーデタを企てた宮城事件の畑中健二少佐らにおいても発想は変わらない。自分たちの心の中に本籍地を持つ「内なる天皇」の方が現実の天皇よりも上位にあるからこそ彼らは「内なる天皇」に嬉々として従ったのである。
ここから日本人の外から見るとまったく理解しがたいさまざまな集団的行動が導かれる。集団的妄想としての「内なる天皇」「内なる中国」と現実としての「外なる天皇」「外なる中国」というまったく別のものが同一名詞で指称されることによる混乱である。
足元に土下座し、とりすがり、泣訴して、自らの誤りを懺悔したかと思うと、一転してその相手を足蹴にし、唾を吐きかける。この態度の急変の「トリガー」になるのは感情であって論理ではない。それまで許しを請い、拝跪し続けていた者が、土下座の屈辱感がある閾値を超えると、いきなり凶悪な相貌に変じて殴りかかってくるようなものである。外から見ていると気が狂ったとしか思えない。
山本はかつて日米開戦のきっかけを作ったのは戦争指導部内の「空気」だったという卓見を語ったことがある。「空気」でものごとが決まるというのは、論理がないということである。本書においても、日本は軍国主義だったかという問いに山本は否と答える。

「戦前の日本に、はたして軍国主義(ミリタリズム)があったのであろうか。少なくとも軍国主義者は軍事力しか信じないから、彼我の軍事力への冷静な判断と緻密な計算があるはずである。」(39頁)

だが、日本の戦争指導部には何の判断も計算もなかった。

「こういう計算は、はじめから全く無いのである。否、南京攻略直後の情勢への見通しすら何一つないのである。否、何のために南京を総攻撃するかという理由すら、だれ一人として、明確に意識していないのである。これが軍国主義(ミリタリズム)といえるであろうか。いえない。それは軍国主義(ミリタリズム)以下だともいいうる何か別のものである。」(40頁)

 ドイツの周旋で日中の停戦合意が成ったあとに、日本軍はそれを守らず、南京を総攻撃した。和平の提案を受諾し、ただちに総攻撃を命令したのである。問題はこれが周到に起案された裏切りではなく、この決定を下した者が、実はどこにもいなかったという「驚くべき事実」の方にある。
日本が受諾した和平の提案を日本が拒絶した。それは政府の停戦決定を国民感情が許さなかったからである。山本はこれを「感情の批准」と呼ぶ。感情という裏付けのない条約や法律は破っても空文化しても構わない。なぜ、それほどまでに国民感情が強大な決定権を持つのか。それは上に述べた通り、日本人においては、敬愛の対象がたやすく憎悪の対象に、嫌悪の対象が一転して崇敬の対象に「転換」することが国民感情の「常態」だからである。ひとたび「排除」に走ったら、ひとたび「拝跪」に走ったら、もう誰も感情を押しとどめることができない。人々は「空気」に流されて、どこまでも暴走する。
それが日本人の病態であることを山本七平は対中国外交史と天皇制イデオロギーの形成を素材にして解明してみせた。
決して体系的な記述ではないし、推敲も十分ではなく、完成度の高い書物とは言いがたいが、随所に驚嘆すべき卓見がちりばめられていることは間違いない。何より、ここに書かれている山本の懸念のほとんどすべてが現代日本において現実化していることを知れば、読者はその炯眼に敬意を表する他ないだろう。
プロフィール

としとんどん

Author:としとんどん
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。