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社会人大学生:『師匠』

僕は「建築」の出発が遅かった。1979年鹿児島大・海洋土木工学科を卒業して、東京・中野にある下水道コンサルタントで働きだして4年目(28歳)に結婚しました。結婚後、両親とシンネリムッツリ話をする中で、課題となっていた「家業の工務店継承」問題が出て来たのでした。それからイロイロドタバタドロドロあって、「5年後に、一級建築士の試験に合格して、帰郷する」という事になりました。働きながら建築の勉強をするには、大学二部に学士入学するのが前大学の履修単位が生きてくるので、一番カシコイ方法ではないかと考えました。勤務先に近い新宿にある工学院大・建築学科二部を選択・受験して、幸いにも、合格することができました。29歳の「大学生」の誕生です。

しかし、大学への編入試験の受験を告げると、イヤミのように、会社から埼玉の事業所へ出向の話が持ち上がりました。学業を優先させたかったので、アッサリ退職することにしました。トリアエズ、失業手当をもらいながら、昼間は亀戸職業訓練校・建築設備科に通う事にしました。(建築家・中村好文氏が品川職業訓練校・木工科に在学していた事が頭の隅にありました)学士入学は二回生に編入されますが、本格的に専門が始まるのが三回生からなので、二回生の一年間は「一級建築士試験合格までの5年間をどう乗り切るか」を考える有意義な助走期間でした。

三回生になると研究室を選ばなければなりません。わが西村工務店は【数奇屋風住宅】の設計施工がウリで、卒業したらすぐ即戦力となることが期待されていました。いわゆる近代数奇屋を勉強したくて「近代建築史」の研究室を選びました。「近代建築史の数奇屋建築の大きな流れが頭に入っていれば、自ずから手本になる建築家が見つかり、おかしなデザインをすることはないだろう」と判断したからです。僕が好きな建築家の石山修武氏(氏の代表作の『幻庵』はW・モリス的数奇屋建築)も建築史研究室の出身だ、という事もありました。

そこで、初めて研究室を持つ事となった初田先生との出会いがあり、初田研究室(二部)は初田先生と僕の二人三脚の「処女飛行」を始めるのでした。僕は初田先生と7歳しか違わないけれど、歳の離れた兄のような先生を『師匠』と思うようになりました。

参考までに、師匠・初田先生の専門領域や来歴を下記の通り示します。

*****第10回建築家フォーラム:「近代和風建築を探る」*初田亨氏・・・2001-12/12

初田氏は1947年生まれで、現在、工学院大学教授だが、工学院大学出身の建築史研究者は初田氏が初めてである。まだ周囲に田園が残っていた葛飾に生まれ、職人だった父親によく夜店に連れていってもらったこと、その楽しさなどが、後日、建築史研究者としてとして都市の繁華街の研究に入っていった動機だそうである。

 15年前、ギリシャのパルテノン近くで交通事故にあい九死に一生をえた。横断中に車にはねられ、そこでは手術できないためチャーター機でパリに運ばれ手術を受けた。その前後はまったく覚えていないという。そんな大病したにもかかわらず、「10年に10冊、それも一流出版社から著作を刊行するという快挙に、研究者仲間は瞠目するばかり」(近江氏)だという。

 初田氏は最初はカフェ、喫茶店、百貨店といった都市を構成する繁華街の研究から入って、職人の世界にいき、最近では近代和風建築が研究テーマとなっている。共通しているのは、ともすると抜け落ちてしまう庶民の視点から都市生活をとらえていることである。

 「近代和風建築は、近代建築研究でぬけていた空白の分野だった。そのために若手研究者と研究会をつくって勉強した。20年前は近代和風建築という用語はなかったが、いまは定着していて和風モダンともいっている」

 「日本の近代を理解する時、近代和風は重要なキーポイントとなる。近代建築はヨーロッパで成立し、それが全世界に広がったが、問題は、それと日本の近代は同じかということである」

 「これからの建築をどうするかといった時、日本やアジアの近代はヨーロッパと同じに歩んできたのかと問うことが大事になってくる。その時、ヨーロッパで影響を受けた日本の近代だけで解明できるかというと、そうではない。日本の伝統を咀嚼しつつ、日本独自の近代をつくった点を明らかにすることである。その意味で、近代和風は日本の近代化とはなにかと問う時、重要なものとなってくる。だから近代和風を、もう一度注目しなくてはならないのである」
こうした視点から初田氏は、近代和風建築の流れを解説した。

 「近代和風建築とは、幕末・明治以降、近代につくられた和風建築のことである。それが伝統的な建築と異なるのは、そこから大きな影響を受けながらも、なんらかの形で江戸時代以前の建築と異なる内容をもっていることである。そこで大事なことは、新たな視点をもつとともに、いかに伝統的なものを伝えてきたかである」

 「和風建築という概念は西洋建築は明治に入ってきて、それまでの建築が相対化、意識化されてからのものである。明治20年代になり、伝統を自覚した和風建築がつくられるようになる。伝統が失われていく危機感からである。

 その方向は2つあった。伝統的建築を継承していくことに価値観を見出していくものと、積極的に新しい様式をつくっていこうとする方向である。前者は伝統建築のもっている枠組みを大切にし、そのなかで新しい要素を取り込もうとしたこと。後者は、それらにこだわることなく、西洋文化を積極的に取り入れ、新しい日本にふさわしい建築様式をつくっていこうというものである」

 「その後、昭和初期になると、合理主義をとなえる建築家によって、新しい和風建築がつくられてくる。意匠も伝統建築の形や要素でなく明快性や単純性、簡素さといった空間概念に通ずる特性に伝統を見出していく」
 
 初田氏は、これたの作品として奈良駅、奈良ホテル、旧奈良県庁、明治神宮宝物館、旧日向邸、八勝館御幸の間、惜檪荘、目黒雅叙園などをあげた。

・・・・・・・・Reported by(忠)

*はつたとおる:1969年、工学院大学工学部2部建築学科を卒業、大学院に進む。研究室はアルヴァ・アアルトに師事した武藤章研究室で設計を学ぶ。1971年-1985年工学院大学助手、1985年-1990年工学院大学講師、工学院大学助教授を経て1994年-2009年工学院大学教授。2003年-2006東京大学大学院非常勤講師。

1997年「東京の繁華街を中心とした近代建築史・都市史に関する一連の研究」により建築史学会賞を受賞。 2001年「職人および都市住民からみた日本の近代建築に関する一連の研究」により日本建築学会賞を受賞。 2005年『繁華街の近代都市・東京の消費空間』により日本都市計画学会賞石川賞を受賞。
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