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刀禰詩織さんの「意見陳述書 」(コピペ)

★意見陳述書 2013年5月31日 於:佐賀地方裁判所 原告:刀禰詩織氏

 1 私は、福岡県の福津市で5才の娘と暮らしています。
東京で3.11をむかえ、実家のある福津市に避難してきてから、早2年の月日が流れました。結婚を機に、それまで勤めていた新聞社を退職し、上京しました。夫は都内の金融機関に勤めており、夫との間には娘にも恵まれました。娘には、好きだったエーリヒ・ケストナーの本から、「点子」と名付けました。夫とは、都内にマンションを購入する話もしていました。

 2 震災の当日、私は西荻窪の自宅にいました。
一番狭い場所がより安全かと思い、風呂場に駆け込むと、風呂場の水が揺れて飛び散り、足にかかりました。床がきしみ、本棚が崩れ、食器が落ちるのが見えました。築50 年以上の、壁にヒビも入ったマンションだったので、倒壊すると思いました。「生かしてください、まだやらなければいけないことがあるんです」と何度も何かにお願いしました。大きな揺れが収まると、保育園に預けていた娘の安否が気になり、余震が続く中、自転車をこぎました。二階建ての保育園にしなければ良かった、つぶれていたらどうしようと、そればかりが心配で、保育園に着き、防災頭巾をかぶって笑っている娘の姿を見たときには、安堵で泣いてしまいました。夫は交通マヒのため深夜まで帰らなかったので、娘を連れて近くの小学校に避難し、そこで一夜を過ごしました。

 3 翌日のニュースでは、津波の影響で、福島第一原発に問題が生じていることを知りましたが、特に気に留めませんでした。けれど3月12日、福島第一原発の1号炉で爆発があり、翌日の新聞から、関東地方にも放射性物質が飛んでくる可能性があることを知ったとき、血の気が引きました。私は、学生時代、チェルノブイリを撮り続けているフォトジャーナリストの広河隆一さんに憧れていて、新聞記者になってからは、チェルノブイリ原発事故で被害にあった子どもたちを支援する団体を取材したこともありました。被ばくした子どもたちが、未だに白血病や甲状腺がん、奇形といった様々な障害に苦しんでいることは、多少なりとも知っていました。

このままでは娘も被ばくしてしまうと思い、夫に、娘を連れて逃げたいと言いました。夫は過剰反応だと言い、たとえ被ばくしても、人は運命を受け入れるべきだと言いました。豊かな都会生活を謳歌してきた自分に関してはそうかもしれないと思いました。でも、生まれてまだ2年の娘もその運命を受け入れさせるべきなのかどうか、私には判断がつきませんでした。3月14日のことでした。勤め先ではみんな、何もしないのも落ち着かないため、とにかく手を動かしているような感じでした。節電のために電気はすべて切り、ラジオだけが流れていました。突然、緊急速報が流れ、「福島第一原子力発電所の3号炉が爆発しました」「福島第一原子力発電所の3号炉が爆発しました」と繰り返されました。誰かが「終わった」と呟きました。

上司は福島出身で、実家とはまだ連絡がとれていませんでした。みんな呆然と宙を見ていたとき突然、その上司が私のほうを向いて言いました。「僕はここに責任があるし、どこにも行くところがないけど、君は、本当にここにいていいのか?」。その一言が、私の背中を押してくれました。「ごめんなさい。やめさせてください」。私は勤め先を飛び出し、娘を迎えに行く途中、夫に電話して「点ちゃんを連れて逃げるから。」と結論だけ伝えました。

保育園に行って、娘に帰り支度をさせていると、ほかの子どもたちがやってきて、不安そうに「どうしてもう帰るの?と聞いてきました。地震の影響で、親御さんたちのお迎えが遅くなったりしていて、子どもたちなりに不安だったと思います。それ以上、不安にさせたくなくて、「用事があるの」と嘘をつきました。ここで生まれ育ち、兄弟のようにして育った子どもたちをここに置いて逃げることは、引き裂かれるような思いでした。本当はみんなを連れて逃げたかったのです、本当に。

娘を自転車に乗せ、一つしかないマスクをつけさせて、自転車をこぎだしました。見慣れた景色が、なんだか別のもののようでした。この空気にももう放射能は混じっているのかなと、そんなことを考えていました。荷造りのため自宅に戻りました。子どもの服を詰めた段ボールをいくつか実家に送り、金魚を近くの池に逃がすと、娘には、ご機嫌で外出してもらえるよう、お気に入りのピンクのドレスを着せました。

中央線で東京駅に向かい、新幹線に飛び乗りました。自由席は埋まっていて、通路には私と同じように大きな荷物を持った子ども連れのお母さんたちが何組か座っていました。お互いに、声をかけることはしませんでしたが、意識はしていたと思います。新幹線の中では、涙がポロポロこぼれました。大切な人間関係すべてを、私は東京に残し、裏切ってしまった、失ってしまったと思いました。大阪駅を過ぎたあたりで、もう大丈夫かもしれないと少し安堵しました。小倉駅から在来線に乗り換え、東福間駅に着いたときには、既に夜10時を回っていました。

駅のホームに降り立つと、改札口の向こうに両親の姿が見えました。母は、私たち親子の姿を見て、戸惑っていたそうです。私の眼鏡のフレームは折れ、娘のピンクのドレスは薄汚れていましたから。私は母の顔を見て、それまで抑えていた感情が一気に溢れ出しました。よくは覚えていないのですが、東福間の駅前で、私は「みんなを捨ててきてしまった!」「友達を捨ててきた!」「保育園の子どもたちを捨てて自分だけ逃げてきた!」と大声で泣き叫んだとのことです。

 4 その翌日(3月15日)、私が東京に残してきた大切な人たちの上に、ヨウ素やセシウムなどの放射性物質が降り注ぎました。特に、半減期が短く、その分、強い放射線を発するヨウ素は、子どもたちの身体に深刻な影響を与えます。しかし、そのような深刻な事態を、国も、マスコミも、全く伝えようとしませんでした。みんなは、何も知らされないまま、大量の放射性物質を浴びたのです。

 5 実家に戻った私は、何かに憑りつかれたようにパソコンにしがみつき、原発の情報を集めました。東京に残してきた夫や友人たち、子どもをもつ多くの人たちに、一日でも早く避難してもらわないといけないと思い、情報を送り、電話しました。東京にいるみんなも、放射能に脅えていました。「もう子ども産めないかも」と言う友達もいました。でも、みんなにはみんなの事情があって、東京から離れられないようでした。避難できないのに、情報だけ伝えても恐怖をあおるだけだとわかり、途中でやめました。

こんな大変なことが起きたのだから、各地で原発反対のデモが起きるだろうと思っていたら、皆無でした。何かしなければと思い立ち、私は「一緒にデモをしませんか?」というビラを作り、福岡市最大の市街地である天神の街頭で、大声で人に呼びかけ、娘と一緒にビラを配りました。それを機に、福岡に母子避難している人たちとの出会いが重なり、『ママは原発いりません』というネットワークも立ち上げました。

福岡には、福島からの避難ママもいましたが、関東からの避難ママのほうが多くいました。福島からの避難ママたちは、実家も親戚も、生まれ育った土地も失い、本当に多くを失い、悲しみと恐怖のどん底にいました。彼らに比べたら私たちなんて、といつも思っていましたが、今思うと私たち関東からの避難組は、彼女たちとは少し違う意味で苦しんでいたかもしれません。

東京から避難してきたと言うと驚かれることも多く、本当に避難するほどのことなのか、どうせ夫と離れたかったからじゃないのかなど、いろいろな目で見られていることは、言動の端々からいつも感じました。そういう人たち自身、東京や東北などで子育てする子どもがいたりして、私の避難を認めてしまうと、自分たちの子どもの判断を否定されてしまうような苦しさがあったのだと思います。だから、地元の人たちとはなるべく会わないようにして、もっぱら避難ママたちと付き合っていました。

また、私の場合は両親からは理解してもらえたことで助かりましたが、夫から仕送りを切られたり、離婚を脅されたりして、危険と思いつつ、泣く泣く関東へ帰っていく避難ママたちもいて、そういう別れにはつらいものがありました。私自身、夫に何度も帰ってくるよう求められました。戻りたい気持ちもありましたが、やはり東北の食材に頼る関東で子育てをする自信がもてないまま一年が過ぎ、とうとう夫から離婚を切り出され、夫にも新しい人生を歩んでもらうべきかと考え、離婚を決断しました。夫は、転職して福岡に来ることもできたのですが、それではキャリアにならないと感じたようです。

夫は仕事を選び、私は娘の健康を選びました。その選択が本当によかったのかどうか、いまだにわかりません。娘が父親に会いたいと泣くたびに、胸がしめつけられます。父親のいない子どもが心にどんな傷を抱えて育つのか、私にはわかりません。その責任を、私は一生、負い続けるのだと思っています。せめて二ヶ月に一度は二人を会わせられるよう、努力を続けています。

 6 起きてしまったことについて、あれこれ言う気持ちはもうありません。今は、仕事を探し、子どもを養い、前を向いて生きていこうとしています。けれど、もうこれ以上逃げる人生は歩みたくありませんし、他の人にも経験してもらいたくありません。何より、福島の子どもたちに甲状腺異常が多発している今、私たちのとる選択は一つしかないと思います。再稼働したくてたまらない経済界、そこに支えられた政界の力は強大です。ですが、どうか法律の世界だけは、彼らの一員ではありませんように。子どもを安全な環境で育てたいという、母親のささやかな願いが受け取ってもらえる場であることを切に祈ります。

以上
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