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毛利卓哉 さんの意見陳述書

★毛利卓哉 さんの意見陳述書 :2014年4月18日 於 佐賀地裁

 佐賀地方裁判所におかれましては、本日、この法廷に置いて意見陳述を行う機会を与えていただき、誠にありがとうございます。

 私は現在、大分県に在住する毛利卓哉と申します。職業は著述業です。一九八二年から32年間に亘り、毛利甚八という筆名で、ルポルタージュ、インタビュー、漫画原作などの仕事をしてまいりました。フリーの原稿書きとして、いくつかの出版社から様々な依頼を受けて生活をしてきたのですが、主に環境問題、中央と地方の格差の問題、少年非行と更生の問題などを取材し、雑誌の記事や書籍の形で作品を発表して参りました。

 また私の生家は玄海原子力発電所から約35kmの距離にある長崎県佐世保市にあり、現在、肉親が暮らしております。玄海原子力発電所の稼働の是非について、原発事故のリスクに関わる当事者の一人として、この裁判の原告に加わるべきと考えました。

 二〇一一年三月十一日の東日本大震災がきっかけとなって起こった福島第一原発のメルトダウン事故まで、私は消極的な原発反対論者に過ぎませんでした。電気のためにわざわざ危険な原子力を利用する必要はあるのだろうか? そんな疑問は持っておりましたが、直接的な反対運動に参加したことはありません。

 理由の一つは、原子力が危険であるという判断をするための情報が不足していたことでした。原子力発電所で破滅的な事故が起こる可能性について、自分自身の中で確信が持てない。そして、起こってもいない原子力災害の危険を言い募って、わざわざ社会に波風を立てる勇気はありませんでした。

 理由の二つ目は、原子力発電にかかわる理系の技術者や科学者に対する漠然とした信頼感です。あのような巨大な科学技術を扱うエリートの人々は、自分とは桁違いの能力を持っているのだろうという思いを持っておりました。

以上のような理由づけをして、私は、原子力発電所の問題をそれとなく避けて暮らす、ごく平凡な、日和見主義者として生きていたのです。

 ところが福島第一原発のメルトダウン事故をめぐる一連の政治家、東京電力幹部、科学者の言動を、報道を通じて知れば知るほどに、地位の高い人、賢いはずの人たちが原子力災害の対応について、具体的手順についても哲学的判断についてもまったく準備していなかったことが明らかになりました。

 私は自分の故郷のそばにある玄海原子力発電所について、自分なりの理解をするべきだと考えました。そこで二〇一一年一〇月中旬から二〇一二年十二月までの約一年間、玄海町や唐津市、佐賀市にでかけ、図書館などで玄海町史、玄海町議会議事録、佐賀県の統計年報を調査しました。また、原発誘致時の町議会議員や反対運動をした人たち、岸本玄海町町長などにインタビューを試みました。そして二〇一三年四月に『九州独立計画 副題 玄海原発と九州のしあわせ』を講談社から出版しました。

 この取材の結果、私は次のようなことを知りました。



(1)原発受け入れの背景

玄海原発が誘致される昭和四〇年代まで、東松浦半島にある玄海町は地形的に水が乏しく赤土の多い土地で農業生産の芳しくない地域でした。仮屋湾と外津(ほかわづ)湾を中心とした漁業もきわめて零細な産業に過ぎませんでした。標高が高く海岸線が屈曲した半島の地形のため道が狭く、船以外の交通手段が乏しかった。そのため玄海町を含む上場台地は「佐賀のチベット」と呼ばれていました。町民の多くが農閑期に出稼ぎに出ることで生活を支えていました。町民自らが、自分たちの町を「後進地域」だと考え、劣等感を抱いていたのです。

一九六六年(昭和41)当時、玄海町の町政を預かっていた幹部は原発を受け入れることで、町の貧しさを克服したいと考えました。当時、六期二十年間も玄海町町議会議長を務め、町議会を牛耳っていた中山穠(しげき)氏は生前に佐賀新聞の記者に対して「(原発の)用地買収にからんで、飲んだ酒代の総額は大体一千万円。清算は町の議長交際費で五百万。九電が五百万出した」と語っています。私の取材に対して、原発誘致決議をした時に町会議員だった中山逓(たがい)氏は「昔は議員が集まれば、そのあと唐津に行って飲むのが普通でした。穠さんにはいつも九電の社員が一人ついていて、飲み会につきあうんです。九電が飲み代を払うようなことも、そりゃああったでしょう」と答えています。

そのような根回しが功を奏したのか、一九六六年(昭和41)六月二十三日の町議会で「原子力発電所誘致」が決議されています。16名の町会議員のうち、反対は1票もありませんでした。



(2)町(行政)と九電(民間企業)の立場の混濁。

 その後、用地買収が始まるのですが、玄海町で原発反対運動の中心として働いた仲秋喜道氏は私の対して次のように述べています。

「玄海一号機の建設費は総額で五四五億円といわれていますが、このうち九電が地主や漁業関係者に払ったのが約五億四〇〇〇万円です。用地買収費用は九電から町長の個人口座に振り込まれ、町長が現金を配って歩き、漁業補償金は漁協組合長を通じて配ったようです。町長や議員は用地買収の査定額と実際の買収額の差額をポケットに入れていたのですが、返却して横領罪を逃れました。漁業補償金は、漁協の組合員かどうか、年間漁獲高、船の排水量(トン数)などを勘案して、漁協の幹部が分配したようです。なかには町の外に出ている家族を呼び戻して漁師をしているように偽装した家もあったと聞いています。一戸当たり四〇〇〇万円が最大の補償額だったそうです。これは原子炉一号機か二号機の話です。結局、保守政治と貧困と金が原発を作ったんですよ」

 昔の話と言えばそれまでですが、ここで語られている用地買収や漁業補償の手続きはきわめて杜撰です。行政と民間企業である九州電力の立場の違い、緊張感がなにもありません。まるで玄海町町長、漁協組合長、町議会議員は、九州電力の下請け、使い走りのような動きをしています。九電の差し出す大きな金に、玄海町の幹部が浮足立っていた。こうした背景のなかで、玄海町職員による総額2000万円もの公金横領事件が、玄海原発一号機の起工式が行われた一九七一(昭和46)年に起こっています。

 原発誘致と原発建設の過程で、民主主義的な手続きが踏まえられていたのか疑問があります。



(3)原子力発電所で玄海町が得たもの

一九六六(昭和四一)年に原子力発電所を受け入れた玄海町では「発電用施設周辺地域整備法」や「電源立地促進対策交付金事業」などの名目で、一九七五(昭和五〇)年から、六年間にわたる公共事業ラッシュが始まります。これは地方交付税などと違い、当時の通産省を経由して支払われるものでした。原発の周囲にある道路の改良舗装工事が一年間に数本から最大二〇本という頻度で行われ、小中学校のプールの新設、福祉センターや特別養護老人ホーム建設などが行われました。

また原子力発電所の固定資産税収入は玄海町の税収を飛躍的に押し上げていきます。一九六六(昭和四一)年度にわずか一〇〇〇万円にすぎなかった固定資産税が、一一年後の一九七七(昭和五二)年度には約六億二〇〇〇万円と六二倍になっています。実に町の予算の半分です。増加分のほとんどが玄海原発の固定資産税であることは明らかです。

以後も税収は増えていきます。一九九八(平成一〇)年には、玄海町の歳入は約八二億円に膨れ上がり、うち税収が約五三億円にも達しています。この税収額はこの年の佐賀県の四九の自治体のなかで、五番目です。玄海町はこうした財源をもとに保育園、小学校、町営住宅などを新設してきます。一九八二(昭和五七)年には玄海町の新庁舎が着工、総事業費は二一億七五〇〇万円、翌年九月に落成式が行われています。庁舎は鉄筋コンクリート四階建て、議会棟は三階建ての瀟洒な建物です。

 二〇一二年九月二十二日に行った岸本英雄玄海町長へのインタビューで、「玄海町は地方債残高が一千万円しかない、日本一借金のない自治体だ」と述べた私に岸本氏はこう語っています。

「玄海町は借金もないですが、人口わずか六五〇〇人の町に一四〇億円の基金を持ってます。これほどの基金を抱えた町もそれほどはないでしょう」

 このように立地自治体である玄海町に、過去四十八年間に亘り、国と九州電力から莫大な金が流れ込み、玄海町は原子力発電所にかかわる財源にすがって生きてきました。



(4)原子力発電のメリットとリスク

これまで見てきたように、原発を受け入れてきたことで立地自治体が財政的メリットを享受してきたことは確かです。しかし、これまでの原子力政策は「絶対安全だ」という安全神話に基づいて行われてきたものでした。福島第一原発の事故を見ればわかるように、原発の過酷事故は立地自治体をはるかに飛び越え広範囲の国土に放射性物質による災厄を引き起こします。

 とすれば、原子力発電所の稼働によって立地自治体に大きなメリットがあるから稼働もやむなし、という理屈を周辺地域の国民が容認することは不可能になったと言えるでしょう。

 東日本大震災が起こる前の二〇〇九年度、九州電力は佐賀県で240億5500万kwhの電力を生産しています。このうち98.9%が原子力発電によるものです。佐賀県で生産された電力を、同年度の九州電力の販売電力量の合計に当てはめると28.8%に当たります。二〇一〇年三月決算時の九州電力の売上げは1兆3875億円。この売上げの28.8%はおよそ4000億円です。4000億円の売上げが見込める原子力発電所を九州電力が稼働させたいのは、ビジネスの観点からすればもっともなことに思われます。

 しかし、ひとたび過酷事故が起きた時、九州電力が4000億円の売上げと原子力発電所の施設を失うだけで済むのでしょうか?

 福島では原発事故で16万人が避難生活を送ったとされ、今も13万人の福島県民が故郷に帰ることができないと言われています。福島第一原発周辺の稲作、酪農、漁業などの第一次産業が壊滅的なダメージを受けたのは日本国民の誰もが知るところです。

 玄海原子力発電所の周囲にある長崎、佐賀、福岡の第一次産業を例に具体的に考えてみます。2009年の農業産出額で見ると長崎1376億円、佐賀1274億円、福岡2098億円。同年の漁業生産額は長崎1026億円、佐賀280億円、福岡340億円。

 九州北部三県の農業・漁業の合計生産額は約6394億円です。

 4000億円の売上げのために稼働する玄海原子力発電所は、これらの産業に大きな損害を与える可能性があるのです。

 原子力発電のように、たった一回の事故で広範囲の環境を破壊し、住民の生活と生業に致命的な打撃を与える産業は他にありません。一企業の失敗が、国土と国民生活を崩壊させる危険を内包しているのです。その責任は重大です。



(5)国の責任

 福島第一原発の過酷事故で露呈した国と電力会社の危機管理能力の欠如は、福島原発の事故から三年が過ぎた今、抜本的に改善されているのでしょうか?

 NHK福岡の報道によると、二〇一三年八月十五日に行われれた原子力規制委員会と九州電力の第九回安全審査会において、九州電力は驚くべき事故対応のシナリオを提出しました。電源喪失によって原子炉を冷やす冷却水の循環が止まり、冷却水のパイプが破断してメルトダウンが避けられなくなった時、九州電力は原子炉の冷却を諦めるというのです。九州電力の担当者の言葉を引用すれば、「大破断LOCAで、ECCS注入失敗で、格納容器にスプレー注入失敗と。この三つを重ねた事象が厳しいと判断いたしまして」、この時、原子炉容器の底に落ちた燃料を冷やすことはあきらめ、原子炉容器の底を突き破って落ちる燃料を、格納容器に貯めた水で受け止め、冷やすしかないというのです。

 報道の中で原子力規制員会が「炉心融解の時点で、原子炉には何も作業をしないのか」と度々尋ねても、九州電力は「することはない」と答えています。

 つまり、「メルトダウンが起こったらどうしようもないよ」ということのようです。

 これまで九州電力は、玄海エネルギーパークの原子力発電を啓蒙する展示において、原子力発電所は五重の壁によって守られ、事故は起こらないのだと主張してきました。ところが福島第一原子力発電所の事故によって、メルトダウンが起こりうることを否定できなくなりました。すると一転して、開き直りとしか思えない事故対応策を提示してきたのです。

 もし玄海原発にある四つの原子炉のうち、ひとつが過酷事故を起こせば、放出される高い放射線量によって他の三つの原子炉のコントロールもできなくなる可能性があります。その時、福島以上の原子力災害が起こっても不思議ではないのです。



 玄海原子力発電所の建設、プルサーマル稼働、再稼働に関して、過去に国と九州電力が住民に行ってきた説明は、福島第一原発の過酷事故でいったん無効になったと考えるべきではないでしょうか? なぜなら「事故は絶対に起きない」という事実と違う強弁に支えられた説明だったからです。

原子力発電所の再稼働を審査する国は、あらためて広範な周辺地域住民に過酷事故が起こった場合の損害について詳細な説明を行ったうえで、住民が選挙などで原発再稼働の是非に意志表明できる機会を与えるべきです。

 また、これは元通産相官僚の古賀茂明氏の提案ですが、電力会社は福島第一原発事故の被害額をもとに賠償額を算定し、最悪の被害を即座に賠償できる原発事故の保険に加入しなければ原子力発電所を再稼働してはならないはずです。

 一企業の過失が、周辺住民の生活を奪うというビジネスが許されるはずがありません。

 国は玄海原子力発電所の再稼働を許してはならないと考えます。



(6)裁判官のみなさまへのお願い

 日本国憲法に謳われた「裁判官の独立」がある以上、過去の判例に裁判官が縛られてはならないことは明白であることを前提として申し上げます。

過去に多くの原子力発電所の建設や稼働をめぐる裁判がありました。その中で原子力発電所に反対する国民の言い分を認めた判決はわずか二例です。そうした流れの中で福島第一原発の事故が起きました。原発稼働を追認した数多くの判例は、裁判官が誰からも求められていない政治家的な発想のもと、自己保身という雑念に負けて垂れ流したものだ、と言えないでしょうか。その判決文にちりばめられた欺瞞が福島第一原発の事故によって照らされる時、裁判官のみなさんは過去の判例を、ずくずくと痛む古傷のようにふりかえらなければならないはずです。

 私は志賀原発二号機の運転差し止め判決を行った井戸謙一元裁判官にインタビューを行いましたが、井戸さんは「もし志賀二号機の判決がなかったら、今、司法は何と言われていたことでしょうね。志賀二号機の差止め判決があったから、司法は少しは市民の信頼をつなぎとめることができたかもしれませんね」と私に言われました。

 私は過去に裁判官の物語を書いた経験があり、二〇人前後の裁判官・元裁判官の方たちと個人的におつきあいをしてまいりました。そうした経験をふまえ、裁判官とは何かをあらためて考えております。

 やはり裁判官は普通の人間ではいけないのです。鍛え抜かれた人格を持ち、普遍的な価値を見失わない神のような視点を持つ意思が求められています。なぜなら、裁判官は判決によって日本国民の未来をつくる特別な仕事をしているからです。

 この裁判が裁判官のみなさまの理性によって裁かれることを希望しております。



以上。
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