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ジブリ・宮崎駿氏「辺野古基金」共同代表へ

★宮崎駿氏「辺野古基金」共同代表へ 新基地阻止、内外に訴え
***「琉球新報 5月8日(金)7時16分配信」より転載

米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設阻止を目的に設立された「辺野古基金」の共同代表に映画監督の宮崎駿氏が就任する意向であることが7日、分かった。琉球新報にスタジオ・ジブリ側が明らかにした。宮崎監督は高い功績を残した世界の映画人に贈られる米アカデミー名誉賞を受賞するなど、アニメ映画の監督として世界的に高い評価を受けている。新基地建設の阻止を掲げる県政を支えるため、島ぐるみ会議など運動側は辺野古移設反対の県民の民意を今後、内外に広くアピールし、訴えを強める考えで、宮崎氏の共同代表就任は今後、大きな影響を与えることになる。

 宮崎氏の共同代表就任については、基金の発足に当たって有力な候補として名前が挙がり、水面下での働き掛けが行われていた。同基金幹部は「名前を連ねていただけるのであれば大変にうれしいことだ」と述べ、今後、正式に就任要請する考え。
 
 宮崎氏は2002年に「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭でアニメーションとしては史上初の最高賞の金熊賞を受賞したほか、03年にアカデミー賞長編アニメ賞も獲得した。「ハウルの動く城」「風立ちぬ」でも同賞にノミネートされた。14年には日本人監督として1990年の故黒沢明監督以来2人目となる名誉賞をアカデミー賞主宰の米映画芸術科学アカデミーから贈られている。
 
 沖縄については14年11月、オスプレイの撤去と辺野古新基地建設への反対に賛同する著名人の声を集める運動に「沖縄の非武装地域化こそ、東アジアの平和のために必要です」とした直筆の文章を寄せていた。辺野古基金の共同代表にはこれまで、前嘉手納町長の宮城篤実氏、金秀グループの呉屋守将会長、かりゆしグループの平良朝敬最高経営責任者(CEO)、沖縄ハム総合食品の長浜徳松会長、元外務省主任分析官の佐藤優氏、俳優の故菅原文太さんの妻・文子さんが就任。県出身報道カメラマンの石川文洋氏の就任も決まっている。

(新垣和也、外間愛也@琉球新報社)

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★今さら聞けない「普天間移設問題」 なぜここまでこじれたの?
***「THE PAGE 2013年12月29日(日)12時59分配信」より転載

 沖縄の米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐって、政府が申請していた埋め立て申請を、沖縄県の仲井真知事が承認しました。普天間返還の日米合意から17年、普天間基地の移設へ向けて前進したと評価する声がある一方、沖縄の市民からは抗議の声も上がっています。埋め立ては承認されても、2014年1月には、辺野古がある名護市で市長選挙が控えています。立候補を表明している有力候補の中で、現職の稲嶺進市長は移設反対派。それに対し、移設推進派は自民党前県議の末松文信氏に一本化し、辺野古移設実現を目指します。

 普天間問題は、なぜこんなに長引いているのでしょうか。いま一度、その経緯を振り返ってみましょう。
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@普天間移設問題のはじまり

 普天間飛行場をめぐる基地問題解決の気運は、1995年9月に発生した「米兵少女暴行事件」で高まりました。日米両政府は「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」を設置し、在沖米軍基地の整備や縮小、統合を検討。翌年、橋本龍太郎首相とビル・クリントン大統領(いずれも当時)の間で、代替施設が5~7年以内に完成して運用可能になれば、普天間飛行場が全面返還されることで合意しました。

 稲嶺知事(当時)は、「飛行場の軍民共用」「15年の使用期限」を条件に移設候補地として名護市辺野古沿岸域を表明し、岸本名護市長(当時)もそれに同意。代替施設は、沖縄本島の東海岸沖に建設されることが決定しました。つまり、「どこに造るか」という点では、一度は決着がついていたのです。
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@政府と沖縄で「溝」深まる

 政府と沖縄はさまざまな協議で話し合いを続けていたものの、両者の大きな溝となったのが普天間代替施設の受け入れ条件である「15年の使用期限」です。沖縄側は基地の固定化を嫌う県民感情に配慮し、期限を設ける必要性がありました。

 しかし、政府はアメリカとの関係性を考慮。アメリカ側は15年後の国際情勢の見通しが立たないこともあり、使用期限の設定には否定的な立場を取りました。国内でも、使用期限について田中真紀子外相(当時)が疑問を呈したり、麻生太郎自民党政調会長(当時)が批判をしたりするなど、波紋を投げかけました。結果、移設は膠着(こうちゃく)状態となったのです。

@動き出した代替施設建設案

 移設の計画が一向に進まない中、沖縄国際大学の構内に2004年8月13日、普天間基地所属の米軍ヘリが墜落する事故が起こりました。基地が人口過密地域にあることの危険性が改めて露呈し、普天間基地の閉鎖を求める声が高まったのです。

 また、アメリカ側も9.11以降、米軍再編に向けて動き出し、沖縄の負担軽減の観点から普天間基地移設問題が改めてクローズアップされました。日米両政府は2006年、「再編実施のための日米のロードマップ」を発表。住宅の上空の飛行ルートを回避するV字滑走路は、辺野古岬とそれに隣接する大浦湾と辺野古湾を結ぶ形で合意しました。島袋名護市長(当時)もこの案を承認。その後、沖縄県や名護市から滑走路の沖合移設などの修正が求められましたが、2014年までに代替施設建設という問題解決に向けた一定の方向性は出ていたのです。
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@政権交代で移設は白紙に

 ところが2009年、「普天間基地の県外、国外移設」を公約に掲げた鳩山由紀夫代表率いる民主党が政権を獲得。既定路線となっていた辺野古移設案は白紙に戻されました。しかし、鳩山政権は県外移設案で主に検討したものの、具体的な代替案を打ち出せずに迷走。最終的にはアメリカに押し切られる形で、移設先を「辺野古周辺」とする日米共同声明を発表しました。

 「県外移設」に期待を寄せていた沖縄は、なぜ辺野古に戻ったのかという政府の明確な説明がないことに態度を硬化させます。結局、辺野古移設案の実現は事実上不可能との考えを示し、米軍普天間基地移設問題は振り出しに戻ってしまったのです。
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@自民政権奪還で再び動き

 2012年の衆院選で再び自民党が与党となり、第2次安倍内閣が発足。政府は辺野古移設への手続きを進めるため、基地建設における公有水面埋め立て申請を沖縄県に提出しました。県内移設反対を主張していた仲井真知事は、年内に「承認」「不承認」の判断を示すとしていましたが、結局「承認」という結論を出しました。

 辺野古への移設を進めたい政府と、県外移設と早期返還を希望してきた沖縄県。とはいえ、沖縄県内でも移設容認、反対それぞれの主張があり、一筋縄ではいかない状況が続いているのです。

 普天間基地の周辺には、住宅や学校、病院などの公共施設も集中しており、「世界一危険な基地」と称されるほど。安全性を重視して一刻も早い移設が望まれる一方、基地の負担を沖縄だけに押し付けて良いのか、そもそも基地の存在は必要なのかなど、この議論はまだまだ尽きることがなさそうです。

(南澤悠佳/ノオト)
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