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B級的自然住宅のススメ 第15回

 2005年になった。今年のキーワードは「環境主義」。私が勝手に言っているだけだけど。ほんとに世間に伝えたいのは「B級的環境主義」。これはマジメな「環境主義」の彼岸にある。つまりこの連載はかなり先を行っているわけですね。
 ところでこの連載を読んでくれている「一般の人」はどれくらいいるんだろうか。私の仲間にはこの連載のファンが少しいて、たまに感想などを伝えてくれたりする。そんなときはやっぱり少しうれしくなる。

 さて、そろそろこのテーマで書くこともなくなってきたのであと2回くらいでオシマイにしようと思う。そこで今回は「性能」の話。
 私は理系なのでやっぱり性能にはこだわる。どういうこだわり方をするかといえば「明快であること」。高性能ではなく明快さにこだわる。言葉を換えれば「論理的であること」となり、もう少し難しく言えば「閉じている(収束している)」というイメージになる。
 巷の高性能をアピールしている家は「開いている(拡散している)」というイメージだ。
ぺちゃぺちゃいろんなものをくっつけてはいるけど、それが「中心」には向かっていかない。だーっと広がって、宇宙の彼方に行ったまま帰ってこない。残るのは空虚。
 なんだか今回はブンガクテキだなあ。まあいいか。
 一方「明快な家」は論理が収束している。あらゆる要素が「中心」に向かって存在する。その中心にあるのは「つくり手の性能に関する思想」。性能という純粋に理系的に見える事柄も、突き詰めれば「思想」という文系的な事柄に向かっていく。もちろん各論的な技術論に対する経験や知識のバックボーンがなければ薄っぺらい私小説的な思想に落ち込むだけだけど。
 つまり私は家の性能に「個別の技術」を求めているのではなく、「思想」を求めていることになる。しかもその思想は「拡散に向かう思想」であってはいけない。拡散を収束に向かわせる理系的論理性が存在しなければならない。だから私は「モデルハウスを見ただけ」で決してつくり手を選ぶことはない。でも、「話をしただけ」でつくり手を選ぶことはあり得る。本当にその人の話が明快であれば、話を聞いただけでその人がつくる家の映像が(その過程も含めて)目に浮かぶはずだし、そういう体験はきっと感動的だろう。

 真面目で優秀なつくり手は間違いなく「収束させること」に日々苦心している。なぜ苦心しているかと言えば、その努力が評価されにくいから。本当は「収束した」「シンプルで」「明快な」家を提供したいと思っているはず。でも世間一般では「拡散型」の家のほうが評価されてしまう(売れてしまう)。この現実的な矛盾に日々悩んでいるに違いない。

 そのへんの建築家が語る住宅論もその多くは「拡散型」のものだと感じる。ここでの拡散とは工務店などがやっている「ぺちゃぺちゃくっつけ型」の家の拡散とは違う。情緒や文化、性能論、空間論、人間工学論、環境論などが整理されていず、何かを語っているだけという意味での拡散。彼の言葉はやはり宇宙の彼方に飛んでいき、帰ってこない。自分ではそれを「設計思想」などと思っているのかもしれないけどね。

 さてさて。これまで何度も書いているように、こうした小難しい話だけをするようなつくり手に家づくりを頼むのはB級的じゃあない。あるときはもちろんマジメに真正面から性能論を語り、あるときはエエカゲンな話もする。また、プロの責任論を語りながらも「ここからはアンタの責任範囲ですよ」と突き放す。こういうのを楽しみながら家づくりをするのがB級的なのだ。そしてその楽しみの中に「環境」というキーワードが見え隠れしていれば、出来上がった家がすなわち「B級的自然住宅」となる。
 最初は具体的な性能論を書こうと思ったのに変な方向に行っちゃった。でもそうならなかったのはやっぱりそういうのはおもしろくないからだろう。自分で考えるのがおもしろいのですよ。
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