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忘れじの歌姫

昨日は薪ストーブの薪運びに邁進する筈であったが、雪が降ってきて情緒が刺激されたので、「筏場の湯」に温泉三昧と洒落込んだ。始めて訪れた時は雪国に降るような雪が舞っていた。筑後川の支流である玖珠川とR210に挟まれた所に、「筏場の湯」はある。温泉に浸かりながら、山沿いに降りてきて川面に消えていく、牡丹雪や粉雪を見ていた。異次元の世界に飲み込まれそうな気分だった。

☆「雪が降る」 作詞作曲:S.Adamo 日本語詞:浅川マキ

Tombe La Neige あなたが来ない
Tombe La Neige 心は暗い

絶え間なく降り続ける 綿のような白い涙

あなたは来ない

容赦もなく降り注ぐ 黒い絶望
忌まわしい闇と氷 物音もない白い孤独

ラ ララ ラララ・・・・・・・

浅川マキ版の「雪が降る」が口をつく。アダモの歌の趣向と違って、ブルースやファドのような乾いた悲愁を感じる。浅川マキを始めて聞いたのは、1974年の冬。K大映研の友人の下宿で、炬燵に足を突っ込みながら聞いた。1969年に寺山修司プロデユースで催された新宿・蠍座のライブ盤で、演歌のようなブルースのようなゴスペルのようなシャンソンのような、ごった煮の不思議な世界を感じた。一瞬で、浅川マキに噛まれた。

池袋・文芸座でのオールナイトのコンサートに何度か行った覚えがある。1979年までLPを買い続けた。寂しい時孤独を感じた時落ち込んだ時、浅川マキを聞いた。年の離れたお姉さんから「みんなさみしいんだよ」と慰められるような安堵感を与えられた。その浅川マキも2010年1月に亡くなった。21世紀になってからも新宿を離れずに「PIT INN」でライブを行っていたと言う。長い髪は白くなり、煙草は最期まで離さなかったらしい。もう一度ライブで聴きたかった。

藤圭子の死について、五木寛之氏は語った。「浅川マキ、藤圭子。時代のうつり変わりを思わずにはいられない。1970年のデビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。これは『演歌』でも、『艶歌』でもなく、まちがいなく『怨歌』だと感じた。ブルースも、ファドも『怨歌』である。当時の人びとの心に宿ったルサンチマン(負の心情)から発した歌だ。このような歌をうたう人は、金子みすゞと同じように、生きづらいのではないか。時代の流れは残酷だとしみじみ思う。日本の歌謡史に流星のように光って消えた歌い手だった。その記憶は長く残るだろう」

藤圭子は、今年8月22日午前7時頃東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。「自死」と報道されている。肉親縁者と確執があり、自分の家族からも孤立して不和状態になる事態に発展し、奇行に走るなど感情を制御することのできないパニック障害に至っていたらしい。・・・御冥福をお祈りしたい。

僕も1986年に東京を引き払って、家業を継ぐつもりで帰郷したら、直ぐに両親との間にトラブルが持ち上がった。トリアエズは別居すればよかったのだが、同居してしまったので「家に入れない、出て行け!」と怒鳴られた。もともと、僕は物心ついた時分から両親とオリアイはよくなかった。「それじゃ、出て行くワ!!」ということで、配偶者とともに「配偶者の親戚(大宰府)」~「親友宅(久留米市内)」~「配偶者の実家(枕崎)」と長い草鞋を履いて、二月ほどサマヨッタのでした。その時々にストレス解消でカラオケを演ると、決まって「京都から博多まで」を絶叫したものでした。

☆「京都から博多まで」 作詞:阿久悠 作曲:猪俣公章

肩につめたい 小雨が重い
思いきれない 未練が重い
鐘が鳴る鳴る 哀れむように
馬鹿な女と 云うように
京都から 博多まで あなたを追って
西へ流れて 行く女

二度も三度も 恋したあげく
やはりあなたと 心にきめた
汽車が行く行く 瀬戸内ぞいに
沈む気持を ふり捨てて
京都から 博多まで あなたを追って
恋をたずねて 行く女

京都育ちが 博多になれて
可愛いなまりも いつしか消えた
ひとりしみじみ 不幸を感じ
ついてないわと 云いながら
京都から 博多まで あなたを追って
今日も逢えずに 泣く女


・・・・・「淺川マキ」と「藤圭子」、忘れようにも忘れられない歌姫だった。
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