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いやな感じ

いわゆる連合赤軍の幹部として「あさま山荘事件」「連続リンチ殺害事件」で死刑が確定していた、永田洋子氏の病死報道されたのは、東日本大震災前頃の二月末だったろうか?1972年に森恒夫氏と永田氏のグループが起こした一連の事件は、僕が高三の大学受験前に起こり発覚し、悲劇的ななんとも表現しがたい後味の悪さを残して終息した。1970年の「三島由紀夫氏自決」「早大E君内ゲバ殺人」とともに、青春前期の忘れがたい嫌な思い出である。カンボジアで「クメール・ルージュ/ポルポト派」による大量殺戮事件(アムネステイ等によると犠牲者は120万~170万人と言われている)が報道された時も肌にべたつくような「いやな感じ」を受けた。

1960年代末~1970年代初頭の学生運動は、例えば東大では医学部のインターン制度への「異議申し立て」から始まっている。最初は大学の人事制度の封建性に物申す行為が、時代の流れの中で、毛沢東の「銃口から革命へ」のテーゼに封建主義を破壊するカタルシスを感じたり、ベトナム戦争へ加担する事の拒否、戦中派である汚れた親世代の否定などがあいまって、社会主義を指向しながら反米ナショナリズムを主張する「政治運動」に変質していった。またある一面から見ると、学生運動は文化的ムーブメントにも影響を与えファインアートに対してカウンターカルチャーの存在を際立たせた、とも言える。そのような時代的高揚感に一連の連合赤軍事件は冷や水をブッカケタ。

この事件にショックを受けた治安当局や教育界は、根こそぎ政治的な芽を摘み、反動的施策で思考停止教育を強化していった。学生運動が退潮する状況で、僕たちは「政治的関心」や「理想主義」を捨て去る事で生き延び、漠然とした敗北感や自嘲的な思考を身に付け始めた。1953年周辺生まれの世代は「シラケ世代」と呼ばれるようになる。敗北感や停滞感と馴れ合っている内に、僕たちは抽象的な思考の論理化や言語化する能力も失いつつあった。1970年代後半には政治に関心を寄せる事はカッコワルイ事で、若者だった僕たちは「社会改良の意思」を示す事を忌避した。

学生運動は、アメリカでもドイツでもフランスでも、あった。アメリカのベビーブーマーは「ベトナム戦争を止めさせたのは自分達だ」と自信を持っている。クリントン夫妻はその筆頭に挙げられる。旧西ドイツの「元祖・緑の党」は学生運動の活動家が作った。「草の根」からもう一度自分達の暮らしを見直して、民主主義を活性化するために直接政治に訴えかけていこうというものである。「エコロジー」や「福祉」に成果をあげている。

若者だった僕たちが自分自身の「世界観」を以って「社会的理想」に関心を持っていたならば、抽象的な思考と現実を結びつける実行力を獲得しようとする意志を持っていたならば、現在の日本社会の抱えている「解決できない課題」はもう少しどうにかなっていたのではないか、と考えていた。それで「フクシマ-3・11」を機にジジババ連に勃興した「草の根民主主義活動」に参加していたところ、「新帝国時代」の裂け目の時空にフリークが這入り込み復活した。

アベシンゾウ君は1954年生まれの僕とタメ年で、来年、還暦を迎える。2007年に第一次安部内閣が総辞職して以来、雌伏六年ほどの間にアベ君は虎視眈々と再起プランを立てていたみたいだ。東日本大震災・原発震災などの危機的状態を奇貨として、ショックドクトリン=「惨事便乗型資本主義」を策動していた(アベ君を代表とする)勢力ははこれにつけこんで、人々がショック状態や茫然自失状態から自分を取り戻し社会・生活を復興させる前に、TPPなどで過激なまでの「市場原理主義」を導入し、やがて戦争できる体勢をつくろうとしている。一年前の衆院選や夏の参院選では「シルバー民主主義」は歯が立たず、自民党独裁政権のアベ君にフリーハンドを与えてしまった。「特定秘密保護法」は成立させるは。。。なしくずし的に憲法九条をナキモノにしようとする気配はあるは。。。

この年末年始は、物騒な時代の始まりになるかもしれない。。。。おぉ、「いやな感じ」!!!
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