10.移ろい

 謹賀新年。今年が皆さんにとって健やかで稔りある年となりますように。
 三十代の半ば頃まで、年賀状は版画を刷ったり水彩画を印刷したりして、年の暮れまでに投函していたが、だんだんと煩わしくなり、そのうち年が明けて返事を書くようになった。簡略化を図るために、絵やコラージュの画面を大きく取り、挨拶の文字と住所、氏名を入れ、コメントを書き込む余白をとる構成にし、ずっとそのスタイルにしている。この手法での最初の賀状は、なめこ壁を取り入れた漆喰壁の中に茶席に使う禅語「梅花和雪香」(梅花、雪に和して香し)をレイアウトし、意外と巧く出来あがったことを覚えている。近年は、年賀お断りの知らせが届くようになり、自分の年齢について考えさせられることが多い。
 福岡市の僕の仕事場から歩いて十五分くらいの処に、平尾山荘がある。幕末の志士、高杉晋作を匿(かくま)い、支えた野村望東尼の像と庵があり、杉苔で覆われた庭の中に紅白の梅が植えられている。特別に日当たりが良い訳でもないのだが、此処の梅は他の何処よりもいち早く花を咲かせる。暖冬だった数年前には、一月の終わり頃に開花したことがあった。紅梅にくらべると、白梅のほうが香りは強いようで、雨のあがった後などの澄んだ空気の中ではいっそう香りが立ち、しばらく佇んでいたくなる。姫島に幽閉された望東尼の想いが、その香りの中にこめられているようで、女性ながら精悍な風貌の望東尼の像とよくマッチしている。
 やはり同じ時季、花を咲かせるものに水仙がある。水仙は地中海沿岸が原産で、平安末期に中国から渡来したヒガンバナ科の球根花。ギリシア神話の美少年ナルシスに因んだ学名がつけられている。漢名の由来は、「仙人は天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典にある。鼻を近づけると、清楚で色気のある香りに、うっとりと酔ってしまう。名前は知らないが、小ぶりの花を咲かせる白い水仙があって、こちらは甘さを抑制した僅かな香りがして、気品ある高年の女性をイメージできる。正月から初春にかけては、他にもロウバイ、沈丁花などの香りの優れた花が多い。特に沈丁花は、冬の寒さが緩んで昨日までとはちがう空気だなと思う時に、甘酸っぱく匂い出す。今回は、移ろっていく季節や風景のことなど書いてみたい。
 
 昨年の七月の終わりに、八重山諸島にある竹富島や波照間島に行った。沖縄よりもむしろ台湾に近いこれらの島で過ごした時間は、原初的な感覚を思い出す貴重なものだった。島に行く前に読んだ「沖縄いろいろ事典」(とんぼの本)の中に〈うりずん〉という言葉が載っており、たいへん興味深いので紹介させていただく。
 「〈うりずん〉… 冬が終わって、大気や大地に潤いが増し、いよいよ暖かくなるという
時期の気候。春といってしまえば簡単だが、内地でいう春とはまるで感じが違う。この言葉の語源は「潤い初め」であるとされる。……沖縄には沖縄なりの冬がある。北風の中でちぢこまっていた草木が、やがて南風を受けて緑も濃く背を伸ばしはじめる。麦の穂が出て、稲の苗も育つ。浜下り(はまおり)の時にひょいと行って、大体今ごろがうりずんですと教えられて…」〈文:池澤夏樹〉と書かれていて、こういう詩語を最近はみんな宣伝用のキャッチフレーズにしてしまい、生活の中から湧く実感がないままに言葉だけが先行するのを残念であると結んでいる。やはりその土地の空気に触れながら暮らしていてこそ感じ取れる季節の移り目なのだろう。
 仕事がら、僕は野山を歩くことが多いが、仕事の内容が近接する分野であっても都会で仕事をする人たちには一日中、事務所に籠もりっきりと言う人が案外多い。個人事業所と会社組織といった運営面での違いは理解できるが、健康のため通勤電車の下車駅を一つ手前に変えて歩くように努力している人の話を聞くと、時には仕事での移動を公共交通機関に変えてみるなど、自然や風景を楽しむ時間を巧く取り入れたらいいのにと、おせっかいだが思ってしまう。

 ランドスケープデザインを行う時、僕は景観のシークエンス(場面展開)について考えることが多い。以前、茶室の露地庭における動線と風景の変化ことにふれたことがあるが、外部空間を構成する樹木や石などは気象や風土を反映した特質を持っているほか、季節の移ろいや天候の変化によってさまざまな表情を見せる。苔庭の上に散ったイロハ紅葉の葉の美しさや障子に映る竹の揺らぐ影、雨の上がった後の緑の鮮やかさ、池に映る木立、庭木に遊ぶ野鳥のさえずり、天候次第で遠くにも近くにもなる彼方の山並み、など枚挙にいとまがないほど、僕たちの周りに展開される風景は常に変化している。こうした変化を前提にしつつ、物語性のある空間を構築するのもランドスケープデザインの重要なポイントである。五感を鋭くして感じ取ったものを、知的な(論理的な)思考のフィルターを通して、絵画や文章のように構成し、表現していくといってもよいだろう。(これが、難しいのです。)
 博多部の聖福寺周辺には、寺町らしい雰囲気がたくさん残されていて、昔からよく散策したものである。最近、博多地区の活性化に向けての取り組みも進められていると聞く。聖福寺の西門に近い位置に西光寺という小さな寺がある。座禅を組む禅道場にもなっているようだが、ここを初めて訪れたとき、庭の塀沿いの暗がりに山吹の花が鮮やかに咲き誇っていたことを覚えている。人知れずに咲いているといったゆかしさとともに、その花の見事さに胸を打ったのだが、そのころは聖福寺周りの土塀も古びていて、路地も土だった。路地に沿って以前の御供所小学校があり、畑が残っていた。雨風に晒されて壁の表面が粗げ、壊れているところもあり、路にも水たまりができていた。土が水を吸い、呼吸していて、生き死にするものの温度が感じられた。それから数年経ち、土塀は樹脂系の塗り壁材で塗り替えられ、路地は御影石できちんと整備されてしまった。壁の表面には小手先で鏝跡がつけられ、自然の素材色とはちがう顔料で調合されているようで、切敷石の固い表情にも時間というものが消え去っていた。都市景観整備の一環として行政が行ったものであると聞いている。補助事業などだと特にそうだが、税金を使って行う公共事業は、コストを下げ、用途の根拠を明確に維持し、維持管理もコストを掛けないという条件が設定されることがやたらと多い。創ったものは簡単に壊れてはいけないのだ。風化もせず、落書きが消されやすく、歴史的環境の中にそれらしく見えるものが創られていく。自然の素材、職人の技術、継続的な維持管理が総ては可能でないにしろ、もっとやりようがあるのではないか。自然の摂理に支えられて春、夏、秋、冬と季節が循環し、時代に寄り添って風景が変化していく。時や自然が形づくっていくもの、人が創り、失っていくもの、今年も考えてみたいと思っている。


  

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