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20.唐津のこと

 福岡天神から市営地下鉄(姪浜でJR筑肥線に接続)に乗って一路、西へ進む。地上へ出て筑前深江を過ぎたあたりから、二丈の海が断続的に見え出す。やがてサーファー好みの白い波が寄せる鹿家(しかか)の静かな砂浜があらわれると、もう唐津湾域である。虹の松原の東端、玉島川河口に位置する浜玉町を初めて訪れたのは今から七年前の晩秋の頃だった。JR筑肥線の浜崎駅で下車し、海の方へ少し進むと唐津街道に出る。街道沿いの或るお寺の移転跡地を広場にする仕事で、設計工期が短く何度か徹夜を余儀なくされた。大きなクスノキや山門を残して地元の曳き山廻しの拠点ともなる広場が完成して一年近く経った頃、思いたって虹ノ松原の浜を唐津へ向かって歩いてみることにした。幅400~1000メートル、約100万本と言われる黒松が5㎞程続くこの松林は、江戸時代に藩主寺沢広高が防風林として植えさせたものである。夏場は一部がキャンプサイトとなっているが、浜は傾斜があって海に沿っては歩きづらい。ただ、人の少ない荒涼とした風景がアンドリュー・ワイエスの絵のようで、惹きつけられたのだった。右肩下がりの姿勢で長く歩くのはつらく、時々後ろ向きに歩いたり、流木に腰掛けて休んだりした。足元の砂浜に千鳥の細い足跡や波の引いた痕跡があった。松原は松浦川の河口近くまで続き、橋を渡って唐津に入った。唐津湾にせり出した小高い地に唐津城の天守閣が建っていて、ランドマークになっている。ここから眺めると、唐津湾-虹の松原-鏡山-松浦川-市街地がパノラマで見渡せる。唐津を訪れていつも感心するのは、町の存立基盤となっている自然地形や地理的条件がはっきりとしていて、歴史的な背景が息づいていることだ。唐津城周辺部の景観地区は旧い屋敷や石垣、珍しい笹垣といった街並みだけでなく、文化施設が充実し、案内サインが整っていて、よく考えられた街づくりがなされている。唐津市役所・バスセンターとJR唐津駅を結ぶ一帯に中心市街が形成され、鮮魚店や鮨屋、唐津焼きの店、川蟹の炊き込み飯を売っている店など魅力のある店が多い。鮮魚店がいくつか集まるマーケットがあるが、扱っている魚介の種類が豊富で、飛びきり鮮度が良く、しかも、安価である。買いに来るのも一般家庭の主婦が多いと聞いた。生鯨のうねやボラのへそ等は博多では手に入らないかも知れない。また、唐津焼きを扱っている店が並ぶ商店街の中には、陶芸教室があったりする。場所は松浦川東側になるが、旅館洋々閣のギャラリーには隆太窯の箸置きや湯呑みなど、求めやすいものが並んでいる。隆太窯のモダンな感覚が好きで僕も愛用している。 
 毎年、文化の日前後の三日間、町は「唐津くんち」で賑わう。初日の宵山に始まり、お旅所神事、町廻りと続くこの祭りは十六世紀末の発祥だが、現在のような「曳山」(ひきやま)は江戸後期に始まったらしい。墓地公園を設計する仕事で唐津にはずっと昔からよく出かけていたが、「くんち」を見に出かけたのは六年前のことだ。唐津出身の建築家、辰野金吾の業績を紹介する展示の仕事に参画することになった関係で、建築設計事務所のKさんに誘われて出かけた。坊主町の辺りだったろうか、午後、市役所に勤めてある方のお宅を訪ねると、玄関先の作業場で女性達が忙しそうに料理を作っておられた。二階に上がって窓から屋根の上に出ると、路地のように狭い道沿いの家々の屋根や窓辺に、同じようにたくさんの人たちが今か今かと曳山を待つ姿が見えた。その中にひとりポツンと路地へ目をやっているお爺さんの姿があり、印象に残った。やがて、囃子の音や「エンヤ、エンヤ」という掛け声とともに、数トンもある曳山が近づいてきた。和紙と漆の一閑張り(いっかんばり)という手法で作られた勇壮、華麗な「獅子」、「兜」、「飛龍」などのヤマが目の前の家並みに曳き込まれ、リズムを速める曳山囃子が曳き子の気迫を後押しする。黒い股引と腹掛姿の男達が何ともいなせだ。江戸時代からの町名をそのまま残す唐津の町で繰り広げられる伝統の祭り、俯瞰する家並みに曳山の漆の色がよく似合っていた。喚声が静まって階下に降りると、豪快なアラの丸煮や大皿に盛られた刺身をはじめとする自慢のくんち料理で宴会が始まった。そのうち曳き子たちも集まって大いに盛り上がり、この夜は唐津泊まりになったのだった。












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