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22.教会のある風景

 元旦の朝、実家の庭木の手入れをしていると、落葉樹を止まり木にして辺りを窺(うかが)っている百舌(モズ)と目が合った。それほど警戒している様子でもなく、少し近づいても逃げようとしない。粗末な庭だが、背景になっている中学校の林からは(名前は知らないけれど)いろいろな野鳥の囀(さえず)りが聞こえ、気分がいい。今年は屠蘇の配合の加減が良かったようで、雑煮を食べながら何杯もお代わりをした。翌日、福岡に戻ると暮れからの仕事が控えていて、賀状の返事を出すのが遅れてしまった。ようやく成人の日、連れだって薬院にある小烏(こがらす)神社まで歩くことにした。浄水通と御所ヶ谷に挟まれた坂道沿いには教会や女学園があって、坂の向こうに白い空と陽に照らされた雲が見える。半時ほど歩いて薬院の閑静な住宅地の路地に入ると、姿のいい小烏神社の石の鳥居があった。石段をあがると小さな広場と緩い傾斜地に建てられた拝殿があり、木立を通して冬の陽が射している。歴史が古い社らしく御利益があると知人に聞いたことがある。太宰府天満宮や筥崎宮とちがって、近所の人たちが普段参ったり夏祭りをしたりする小さな神社も、またいい。参拝をして石段を下りていると、正面の木造家屋の(一階屋根の上に造られている)物干場で丁寧に洗濯物を干している初老の男の姿が見えた。周囲がほとんど高層ビルやマンションに埋め尽くされている都会の一隅に、懐かしいまちの情景を見つけたように思えた。バスで移動し、上川端の櫛田神社と天神の水鏡天満宮を参り、書店で「古地図の中の福岡・博多」を買って帰った。現在と昔の地図を頭の中で重ねながら普段出かける場所の履歴を調べてみるのも、なかなか面白いものだ。夜、宗教的な建築や風景に想いを巡らせていて、ふと教会のある風景のことを思った。別にクリスチャンでは無いけれど、以前から教会がランドマークとなっている風景や、教会の内部空間には惹かれるものがある。大刀洗にある今村の教会は田園地帯の散村集落の中に立っていて、北野のコスモス祭の頃よく自転車で訪ねるのだが、距離が近づくにつれて尖塔が見え隠れする。鉄川与助の手になる今村教会の外観は平戸の田平教会(鉄川与助の設計施工)や五島の堂崎天主堂(鉄川与助の師であった野原与吉施工)にもよく似ている。内部は円形アーチのリブ・ヴォールト天井や柱頭飾りの付いた柱が特徴だが、ステンドグラスの色光が暗く沈んだ床や椅子に降り注いで美しい。信者ならずとも自ずと敬虔な気持ちに導かれてしまう。もう十年も前のことだが、暮れから正月にかけて天草を訪れたことがある。三池港から島原外港へ渡って島原鉄道で口之津へ向かい、早崎瀬戸を越えて鬼の池港に上陸した。島原地方の子守歌に歌われている鬼の池は本当に小さな港だった。ここからタクシーで苓北町の富岡に向かい、富岡城に近い宿に投宿。林芙美子が取材で泊まったというこの宿の横には、亜熱帯の地に見られるアコウの樹があった。上手なもてなし方と元旦の朝に食べた伊勢エビの味噌汁がとても気に入ったのを憶えている(この頃は贅沢だったなあ)。富岡城は天草灘に対して南北に突き出た陸繋砂嘴の先端にあり、宿から少し歩いた浜では初日の出も日の入りも見ることができた。頼山陽の有名な「泊天草洋」という漢詩があるが、東シナ海に続く天草灘に沈む落日を見れば、なるほどと頷ける。富岡から向かったのは、天草下島の西海岸を南下した地方にある大江天主堂と崎津天主堂である。この地方は江戸期、隠れ切支丹が多かった処で、キリスト教は崎津天主堂を中心に天草全域に伝わったらしい。蛇行する海沿いの道を、丘陵を縫いながら南下すると、丘の上に立つ白い大江天主堂があらわれた。昭和8年に建てられた八角ドームを持つこの教会は、フランスから赴任したガルニエ神父が私財を投じ、鉄川与助の手でつくられた。南側斜面にある石垣の横に洞窟があって、その入口に立つ手を合わせた白いマリア像が印象に残っている。彫刻家の佐藤忠良や船越保武の作品には「祈りの造形」と呼ぶにふさわしいフォルムのものが多いが、特に長崎にある二十六聖人記念碑の彫刻(船越保武作)には胸を打たれる。ふたたびバスに乗って河浦町の崎津へ向かいしばらくすると、高台から入江になった羊角湾と崎津漁港の小さな集落が見えた。そのひっそりとした集落の中に天主堂が立っている。「丘の教会」大江天主堂に対し、崎津天主堂は「海の教会」と呼ばれている。明治4年まで踏み絵が行われていた庄屋屋敷跡を昭和2年に赴任してきたハルブ神父が買い取り、昭和9年にやはり鉄川与助の設計によって建てられたゴシック風の木造教会である。踏み絵が行われた場所に祭壇がつくられ(すごい執念だ)、内部は畳敷きとなっていて、受難と信仰の歴史を辿る展示コーナーがある。羊角湾はチヌ釣りの好漁場としても有名である。訪ねた頃には埋立の話が持ち上がっていたが、反対の声が上がって事なきを得た。こんな所に、と思わせるような奥地にある港の集落に立つ天主堂の尖塔はまさに、信仰深い人々の心のランドマークとなっているように思えた。司馬遼太郎は「街道をゆく17」の中で、崎津を次のように描いている。「町のにおいは、……長崎にどこか似ている。というより長崎を圧縮して、暮らしのにおいでよごしたような町で、その狭く深い水面が、濃すぎるほどの青さでもって、町の色彩の無秩序さを力づよく浄化しているといっていい。」
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